竜王、誘われる。
「ほれ、そこで腰を落とすんじゃ」
「は、はいっ」
「ほっほっほ。最近腰が辛かったから、こりゃ助かるのう」
アインスたちを受け入れてから早数日が過ぎ、子供たちはすっかり村に順応していた。
元より群としての行動に秀でている人狼族である。個としての主張を優先しない気質が、人間との共存に役立つとはラウルも思いもしなかった。
無邪気な笑顔を見せながら、アインスは鍬を振り下ろす。老人の教え方も上手いのだろうが、ラウルから見てもラインスたちは筋が良い。
「アインス、水だ」
「ありがとうございます、ラウルさん」
「畏まるな。もっと気楽に呼べばいい」
「ですが……」
だがしかし、アインスたちは子供とは思えないほど礼儀正しい。笑顔は無邪気でも、礼節は欠かしていない。
それは多種族との交流においては素晴らしいものなのだが、ラウルにとっては不満な点である。
アインスたちはまだまだ子供である。受け入れられたからこそ、甘えられる時は、もっと甘えて欲しいと考えている。
「ところでラウルさん、その……」
「気にするな。可愛いだろう?」
「え、あ、は、はい」
気まずそうな声を出すアインスの視線の先には、ラウルの背中に抱きついているリンの姿があった。当のリンはアインスの視線も気にせずにずっとしがみついており、ラウルもまたリンを負担とも思わず軽やかに動き回っている。
「おとーさんの背中はリンのもの~」
「背中だけか?」
「ぜ~んぶっ!」
すっかり懐いたリンとラウルの光景は、老人たちにも好評である。むしろ本当の親子より仲が良いじゃないかとからかってくる者までいるほどだ。
リンはラウルの背中から顔を出し、アインスへ視線を向ける。びくり、と身体を震わせるアインスだが、どうしてかリンは勝ち誇ったような顔をする。
「羨ましいだろー」
「え、え、え」
「ふっふっふ。リンにはわかるのだ」
「うぅぅぅ~~……っ」
この数日でリンと子供たちは打ち解けてはいるものの、まだぎこちないところがあった。
だがそれはアインスたちだけの問題であり、リンはすっかりアインスたちを『友達』として認識している。
だからか、リンがこのようにアインスをからかう光景が、ラウルにはたまらなく愛おしい。
そして同じ子供同士だから、何か繋がるものがあるのだろう。
ラウルにはわからないものが、リンにはわかるようで。しきりにリンはアインスをからかっている。その真意を悟ることはラウルには出来ないが、リンがアインスを苛めている訳ではないことは理解している。
「おとーさんおとーさん」
「む?」
「だーい好きっ」
「おぉ、余もリンが大好きだぞ」
「わーっ!」
いつものやり取りだが、何度繰り返しても飽きないものである。リンに父親として求められることが、ラウルにとってはどんな金銀財宝よりも価値のあることなのだ。
それをずっとアインスは眺めている。その瞳に羨望の色が出ていることに、ラウルはまだ気付けていない。
「う~……」
「アインス。自分から動かないと、おとーさんは気付かないよ?」
「む。なんだそれは。人を鈍感みたいに」
「おとーさんは鈍感だよ?」
「なん……だと……っ!?」
ラウル自身気付いていなかったことに、思わず動揺してしまう。その隙を見計らうかのようにリンはラウルの背中から飛び降りて、アインスの後ろに回り込み、その背中を押した。
小さなアインスの身体を、ラウルは優しく受け止める。
「わ、わわわ……っ」
「おとーさん、必殺なでなでっ」
「む? まあ、いいが」
勝手にやれば嫌われるのではないかと考えつつ、リンの言葉を信用し、ラウルはアインスの頭を優しく撫で始める。人狼族の髪は人間のものよりも柔らかく、撫でているラウル自身も心地良い。
「……わふぅー」
撫でられた途端、アインスの表情が蕩けた。目を細め、ラウルの行為を受け入れている。
狼というより子犬のような仕草に、ラウルも表情を緩めてしまう。
「アインスはねー。ずっとおとーさんになでなでしてもらいたがってたんだよ?」
「そうなのか?」
「ち、ちが……………いません」
否定の言葉を吐こうとしたアインスだが、ラウルが続けるとすぐに肯定の言葉に切り替えた。どうやら相当心地良いようで、ラウルに甘えるように身体を丸めるほどだ。
「ラウルくんは懐かれやすいのう」
「そうか?」
「うむうむ。リンちゃんもそうじゃが、アインスくんがそんな顔をしたのはワシも初めてじゃ」
老人の言葉にラウルの心は暖かくなる。嬉しくて、撫でる力を強めてしまう。髪がくしゃくしゃになることも躊躇わずに撫でると、アインスの表情がふにゃふにゃとさらに蕩けていく。
「おとーさんのなでなでは、必殺技」
「物騒だな……」
「その破壊力は、一回のなでなでで芽が出てくるほど」
「余は神か何かなのか……!?」
「どーアインス。おとーさんのなでなでは」
「はふぅ……。はふ。わふわふ……」
リンに答えることが出来ないくらいである。
「だがしかし、残念なのだアインス」
「っ。な、なにがですか」
「おとーさんは、"リンの"おとーさんなのだ!」
「――――ッ!」
まるで世界に絶望したような表情をするアインスに、思わずラウルは苦笑してしまう。自慢げにラウルの背中に戻るリンと、ショックを隠しきれないアインス。コロコロと変わる二人の表情に、いつしかラウルは声を上げて笑っていた。
「なら……なら、ラウルさんはぼくの"おにーさん"です!」
「なにっ!?」
「いいですよね、おにーさんっ」
決意を固めた表情をして、アインスがラウルに問いかけてくる。もちろんラウルが拒むわけがない。
「構わんぞ」
「がーんっ」
「や……やったっ」
はちきれんばかりの笑顔で、アインスがラウルの胸に飛び込んでくる。背中にリンを乗せたまま、ラウルは器用にアインスも受け止めてみせた。
「むー。むー。むー!」
少しだけ不満な表情のリンだが――アインスの笑顔に釣られるように、すぐに笑顔に切り替わる。
「モテモテじゃのう」
「子供に好かれるのは嬉しいことだな」
「ほっほっほ。アインスくんも良い笑顔じゃ。子供はやはり、笑わないとなぁ」
リンとアインスに挟まれているラウルを、老人もからかってくる。
「そうだな。よし、リン、アインス。畑作業を終わらせて、さっさと遊ぶとするか!」
「うんっ!」
「はいっ!」
三人でそれぞれの鍬を手に取り、柔らかい地面に向かって振り下ろす。
「と、そうじゃった。ラウルくん、今夜は空いてるかのう?」
「む、なにかあったか?」
思い出したかのような老人の口ぶりに、ラウルは手を止めて顔を向けた。
豊かなあごひげを弄りながら、老人は訝しげな瞳でラウルを見つめている。
少しだけ嫌な予感を抱きながらも、ラウルは老人の言葉を待つ。
「今夜、リールたちと酒盛りをするのじゃが、ラウルくんもどうじゃ?」
「ふむ。まあ、構わんが」
「おとーさんごはんっ!?」
「おにーさんごはんですかっ!?」
「ほっほっほ。子供には飲めないもんじゃよ」
「「む~っ」」
ラウルだけが招かれたことに『なにか美味しいものを食べる』と解釈したリンとアインスが食いつくが、老人に誤魔化されて不満げな声を上げる。
アインスに至っては見事な変貌振りに、ラウルは思わず笑い声を零してしまう。
「今日はアインスも一緒に飯を食うとするか。ツヴァイたちも呼んで、な」
「いいんですかっ」
「うむ。せっかく出来た可愛い弟だしな」
「わうー!」
アインスはよっぽど嬉しかったのだろう。尻尾を振り回しながらぴょんぴょんと跳ね回る。
ようやく見えたアインスの子供らしい無邪気な笑顔に、ラウルもまた微笑むのであった。




