十~湖畔の砦…報復の報復は覚悟~
湖畔の砦に天影の返しが、月明かりにも似た僅かな光を向けていた。微かな明るさを見せるその場所では、クローゼ達が到着して二回目の夜――この世界で言う獄の刻に入っていた。
湖畔の砦。千人規模の人員を収納可能な砦と言えば聞こえがいいが、作り自体は簡易の域を出ない。その規模を三百程の兵で守備しているのだから、交代も含めて、本来であればさほど余裕などない。
ここで、ジーア・シップマン。彼女の存在は大きかった。監視結界を張った上で、幻影の兵がその不足を補っていたと言う事になる。
そんな彼女は、歴代最年少魔導師で『魔術の天才少女』と当時そんな呼び名が彼女にはあった。
十七歳の時には魔導師と呼ばれていた彼女は、それ以前から魔体流動を視認出来て、流動絵師として既にその地域で有名であった。
元々の資質なのか、彼女は弟子入りして僅か一年にも満たずに魔導師になる。
タイランとジャンを除く、残り四人と共に、マリオンの遺産と呼ばれる魔体流動展開術式を受け継ぐために集められた、何百人の中の一人であった。
ベイカーやエルマ、それにユーインらがマリオンが天寿の瞬間があと僅かになった時に、魔導師として呼ばれる様になったと言う事実を出すなら、彼女が『当時』どれ程であったか分かる。
明確な年は彼女の為に言わないでおくが、ジャンがヴァリアントに来たのが、十数年前と言うことで察して頂きたい。
因みに、同年代の魔術師である兄姉弟子の彼らは、彼女より僅かに年上だが、あのベイカーを含め三人とも既婚で、エルマとユーインには子供もいる。
完全に余談であるが、四人ともそんな年齢には、とても見えない容姿している。魔力魔量がそうさせているのかもしれないが、そんな感じなる……
獄天の刻――深夜零時頃――を少し過ぎた辺りで、ジーアは若干の肌寒さを感じ目を覚ました。
隣にカレンが寝ているのを見て、何気なく外の様子を感じて、その部屋を彼女が出ていく。
廊下には、彼女の護衛を言い付けられた二人が、交代で建物の入り口にいる事になっており、その時はラグーンが完全に小さな鼾をかいていた。
「まったく。……まあ、部屋にも結界張ってあるからどっちでもいいんだけどね。逆に、こいつらの方が危ないかもしれないから。……あれだけと」
そして、彼女が廊下の窓から外の壁を何気なく見た時に、彼女の監視結界が反応を見せた。その光と音に続いて、歩哨に立っていた男の首が落ちるのが見える。
「えっ、なに?」
彼女の反応とは別に、警戒あたっていた兵達の声がして、慌ただしい音が続く。それに、一際大きなクローゼの声が響いていた。部屋では、カレンが起きただろう気配がした。
その様子にジーアは、寝ていると思われるラグーンを思い切り蹴飛ばそうとして、彼の「起きてるよ」と言う声を聞いた……。
彼女の意識の先では、城壁の内側の足場の上で警戒に当たっていた兵が、侵入者であろうそれと斬りあっていた。……いや、一方的に斬られていたと言ってよかった。
その光景の反対側。城門を挟んで東側の面に、レイナードと二人で立っていたクローゼは、その場を駆け降りて北側のその場所に走り出す。
「レイナード。そっちは任す、警戒してくれ」
出した声に「応」を聞いて、クローゼは自身の前方に飛び降りる人影を見つける。そして、城門の前を通り過ぎる辺りで、呪文を唱えて待機状態に入った。
その直後、それに斬り伏せられる何人かの兵を彼は見る事になった。
――ふざけんな。休戦じゃないのかよ。
とクローゼは憤りを飲み込んで、そのまま指示を出した。
「明かりを。敵は強いぞ、気を付けろ……ってか、任せろ。数だけ、何人だ?」
慌てて、断続的な言葉を繋いでクローゼは「一人です!」を聞く。
その直後、城門の閂が、外側から隙間を通す様な斬擊で真っ二つに切れる。そして、押し開かれる感じに音をたてる。
クローゼは音を聞きながら、前方で建物から出てくる味方を斬り捨てるその男を見据えた。
――クローゼにはまだ分からないが、当然、牙の一人ラファエルであった――
光景を見据えたまま、彼は自身の視界に入る味方に直接防護の連続発動をして、ラファエルの驚きを誘い、流れで城門を確認する。
そこには、彼との間にいた兵をいとも簡単に斬り払いながら、突進してくるもう一人の男がいた。
――当然こちらも牙。エクムントである――
「レイナード、城門が開いた――」
その声は南側に意識の行っていたレイナードに届き、クローゼは、自身の魔方陣の自動発揮で煌めきを見る。
煌めきを起こしたエクムントの斬擊をそれで防ぎ、腰に据えた双剣を抜いて、クローゼは流れる動きで竜硬弾を放つ。
しかし、エクムントは、その軌道を察知したか如く弾道から逸れる。そして、続けざまに繰り出されたクローゼの剣撃と詰め寄る走りを剣身で受け流し、返す刀で魔方陣の発揮を誘っていた。
「不可思議な術を使う。所詮、魔術師ごときだ」
エクムントの言葉に、クローゼは動じることなく連擊を繰り出していく。しかし、尽く流される双剣を意にかえす事なく続けてエクムントを追った。
絶対の防御による集中した攻撃が、エクムントの肢体を捕らえ様とした最中、クローゼの剣はゲルオークの剣によって阻まれる。
「魔術師にしてはやるな」
つばぜり合いの形を見せる様子に、ゲルオークの声が乗る。そこにレイナードの声が被さった。
「クローゼ避けろ」
後ずさったエクムントとクローゼの間に、割って入ったゲルオークを縦から剣擊が襲う。レイナードの一閃をゲルオークはクローゼを弾きながら、一重にかわして横凪ぎを合わせた。
それを剣身で受けたレイナードが軽く後ろに飛んで、二擊目に入る姿勢を取った時――人が発した音とは思えぬクローゼの声がした。
「ふざけんな――休戦中だろ!」
その声に、その場が一瞬硬直する。敵である三人は勿論、レイナードやラファエルと対峙したばかりのカレンも動きを止めた。
――支配せり者の声が如く、その場をクローゼが掌握した様に見えた。
「これが、ゴルダルードのク○野郎のやり方か? ならこっちも、そのつもりでやるぞ」
「先だっての礼だ。それに我らは、三軍の指揮下にはない。そう言う事だ……ヴァンダリア殿」
彼の支配を抜けたゲルオークの返答に、怒りを露にしたクローゼの表情と動き出しより速く、レイナードの剣が走った。それをゲルオークが受け流し、人が成せぬと思える程の距離を後ろに飛んだ。
「興醒めだな。ここまでとするか」
その場で発したゲルオークの声に、レイナードは追撃をかけた様として、咄嗟に声を上げる。
「避けろ!」
言葉ともにゲルオークの魔力の乗った武技――王国で言う剣技――が、その場を襲った。弧を描いて広がり迫る魔力の刃をレイナードは剣で叩く様に斬り、クローゼは自身の発揮で防ぐ。
だが、クローゼの周りの何人かは、その魔力の刃を諸に受けて断末魔をあげていた。
もし、クローゼが怒りに囚われていなければ、防げていたかもしれない状況ではあった。
それによって出来た僅かな隙に、三人の牙はその場を去る。正面から来た二人はその道を、ラファエルは人とは取れぬ跳躍を見せて姿を消した。
その光景を立ち尽くして見るクローゼは、握る拳に力が入っているのを自覚しているのが見てとれる。
「詭弁だろ。勝ち逃げかよ」
「とりあえず、追うのは無しだ。怪我人の手当てが先だな」
ラグーンの言葉にクローゼは彼を見たが、自身が冷静でないのを自覚したのか、視界に入った三人に「頼む」とだけ言った。
そして、そのまま放たれたままの城門に向けて歩きだした。
ラグーンの「どうするんだ?」の声に、軽く片手で『行かない』と否定の仕草をして、彼は城門の外でゴルダルードの陣地の方を見つめていた。
それで、獄は刻まれていく。――今回の戦において、正式な意味で王国側の戦死者が出た事になる。ケイヒル伯爵の手の者も含めて、死傷者は三十に手が届く程であった。
クローゼがステファンの死を目の当たりにした後、最も現実的な数字であった。
――ステファン・ヴォルラーフェン子爵。……クローゼが彼の事を思い返したかは分からないが、脳裏によぎったのは確かだろう――
その事を踏まえて、暫しエストニア王国の情勢に視点を向ける。
クローゼが王都強襲をした時点で、エストニア王国の正式な国軍は、拠点であるクーベン以北の城塞都市を三つ程奪還して勢力を盛り返していた。
勿論、極聖剣の守護者 ミラナ・クライフの帰還もその一因ではあるが、竜の背を挟み東にあるヴァンダリア侯爵領から海路を使った支援に、南側の城塞都市国家同盟の積極的な後押しがあったのが大きい。
表面上、エストニア王国は内乱の体であって、なし崩しに、イグラルードとは内政不干渉の約定がある。
その点から、クローゼを救出に向かったヴァンダリアの槍擊大隊はクエスト名目だった。
その辺りを考慮して、クローゼはレンナント経由で同盟の商会を通して、それぞれの都市国家の有力者を煽っていった。「次は、貴方達だと。イグラルードではなく」とそんな言葉を繋いでであった。
そして、その言葉に危機感を感じた同盟は、冒険者の体裁で各都市の保有する傭兵団を、ニナ=マーリット王女の元で向けていた。勿論、クローゼの『煽り』を受けてになる。
そうして、王女の元に兵が集まれば、兵站の概念がない魔王軍から、略奪を受けていた南部エストニアの民は、王女の元に集まる事になり、彼女の力が強まる事に繋がった。
物資自体は、ユーベンに北部から集まっている。しかし、それを運用し、有機的に魔王軍を動かせていた紫黒の騎士をクローゼが倒した事によって、軍組織として機能しなくなっていた。
その結果、エストニアの王国軍は現状を表すことが出来ていた。勿論、強力な魔物や魔族の出現があったとしてもと言う事になる。
元々協調性等ない魔族が、その事自体に積極的ではない魔王の元で。……いや、それを憂いてはいるが方法論を持っていた者を失った彼が、積極的に主導出来ないのは仕方がなかった。
――この結果の裏付けではないが、その流れで前回、彼は人智の三者による同盟に敗れていた。という事になる――
そして、最後はパルデギアードの魔王討伐軍であった。交易を盾に同盟の名前でパルデギアード皇帝に陳情という名の剣を『煽り』の流れで、突き付けさせた。勿論らクローゼの意向を反映させてなのは、言うまでない。
彼はエストニア王国に対して、多額の私財を投じている。フェネ=ローラの後押しもあってではあるが、単純に、フェネ=ローラを泣かせた勇者カイムをぶちのめす時間を作る為であった。
無論、アーヴェントを王位につけるのは、絶対条件ではあったのだが。
そして、現状……最も『泣かせた』で言えば、因縁の相手であるゴルダルードとの戦いの最中にあった。初めは、思い付きだったと。何と無く時間を稼げるかな、と気楽な気持ちであったかもしれないが、実際の所、その事に周囲は命を掛けていた……
……頬に当たる風が、冷たさを感じさせる。その場所。城門をこえた先で、ゴルダルード帝国という名を思い、クローゼはあの時の事思い返していた。
自身が王都に飛ぶ前、ヴァンダリア騎兵二千の前でセレスタに言われた言葉を……目の前の暗闇を見つめながらそうしていた。
「貴方が言った正道をなす為、同胞相撃つ。その自覚と覚悟を持って皆ここにいます。ヴァリアントの者もそうです。それを忘れないでください」
――自覚がないのは俺だけだっだな……結局。なんか今までは、転生した。ちょっとチートぽい……みたい感じだと思ってたのかも。どこか他人ごとだった気がする。でも、直ぐには変れないな。
ただ、この戦いもだけど、ヴァンダリアの兵はヴァンダリアに従う。レイナードの言葉のままなら、俺がクローゼである限り、フローラでなくて俺なんだよな。簡単に突撃って言うのは出来るけど、それって、○ねって言ってるのと同じなんだよな……覚悟か……。
怒りに任せた感情が、頬を撫でる風で醒ましされたのか、如何にもこの世界から見て、現実離れした発想のクロセの彼らしい思考をしている。
そんな彼のこの世界で見せた、現実離れした事情が、彼に感心を寄せる者に届いていた。
この襲撃を受けた日に、ゴルダルード帝国皇帝ライムントの元に、ラオンザであったクラッセン伯から、彼自身の最後の報告である『宣誓式の出来事』がもたらされて……皇帝たる彼に驚愕の表情を届ける事になった……
そして、旭天が上り明るさを見せた湖畔で、ゴルダルード帝国第三軍は、彼らの皇帝が見せた驚愕のそれとは別の表情を見せる事になった。
休戦前に、放棄した狭小地に『壁』が出来上がっていたのだ。明らかに、昨日は無かった壁が突然そこに表れたのである。
勿論、ジーアの幻術魔法であるが、質感自体は本物と区別はつかない。
「陣替えはして無いからな」
その後ろ側に立つクローゼが、ジーアにそれを頼ん時そう言った。クローゼ自体には見えていない、それを指定した場所は、その一番狭い所――二百五十メーグ程の場所を繋いでいた。
「何がしたいの」と言うジーアの問いに、「時間稼ぎと仕込み」と答えたクローゼは、そのままの行動をする。
その明らかに可笑しい状況に、極天を待たずに動き出したゴルダルード軍は、当然に壁を調べる。
だが、それは本当の城壁の様な固さを持ち、近付き過ぎると、何らかの攻撃を受ける事になっていた。
操作可能型自動防護式の一つ不可侵領域。
――あらゆる物を拒絶する空間――
絶対の領域を、その名通りに、操作可能型自動防護式の名を再現する。
自身の皮一枚ほどから、それなり大きさまで自在に調整出来て、自身以外も包み込む対象まで任意である。それを使って、クローゼは指定した壁の場所を包み込んで、本物の様に見せていた。
壁を挟んでクローゼは、弓を扱える者を五十名程とジーアら三人にカレンを連れていた。
近付く者に矢を浴びせ、時折、ジーアに声をかけ幻影に穴を開けさせて、カレンが竜硬弾を放っていた。
機動力重視の帝国第三軍は、クローゼが飛び込んで見たままの軽装であり、まともな攻城兵器は魔術師の術式という陣容の為に、幻影の壁を破る事が出来ずにいた。二極の刻を費やして、「魔術師ごときが」の捨て台詞の後に手詰まりとなっていく。
「やってんのは、魔導師だけどな」
その言葉を残し、獄の入りを待ってクローゼと共に彼らはその場を放棄した。
砦に戻ったクローゼは、ゴルダルード帝国軍を相手しながら、画策していた事を実行に移す。
「レイナード後を頼む。ちょっと出掛けてくる」
そうクローゼは、レイナードに向けて言葉をかけて、「もし壁が消えたら、敵がくる……迎え撃て。あの程度なら、まとめて始末出来るだろ」と続けて簡単に言ってのけ、壁を抜けてくるならあの三人のだと、その評価を併せ告げていた。
王国の一般的な鎧、その対魔力術式を飽和させる程の武技を使った男が、あの中では一番強いとの認識は彼らの中にはあった。
「導師のなら傷も付かない。それ自体もカレンに比べたらカスだ。受けた俺が一番わかる」
不完全燃焼な感じのレイナードに、クローゼが言った言葉であるが、自身の刃が届いていたもう一人は論外だと……「ブラッドの方が強いぞ」と続けたそれに、レイナードの同意ので流れはとまった。
カレンの複雑な顔と「こっそり見てたからそんな感じ」のジーアの声に併せて、クローゼは魔方陣を展開していく。
紺碧の竜水晶。その限度一杯を使い……それなりの時間を使って戻って来たクローゼの顔は、いつになく真剣で、予定の行動に幾ばくかの流れが彼に向いてその言葉をだした。
「時間は稼がない。叩き潰す。覚悟を決めてくれ」
その雰囲気と共に、何事もなく砦の夜は過ぎていった……のである。




