九~湖畔の砦……休戦の約定~
ゴルダルードの第三軍前衛にとって、悪夢の様な出来事から、一夜――獄の側が――開けて朝を――旭光が極天に――向かう見せていた。
昨晩、盛大に嘔吐しながら、宿舎となっていた建物に向かう途中で寝る。という豪胆なのか繊細なのか些か判断に困るクローゼは、結局カレンに担がれて宿舎に連れて行かれていた。
そして、突然の事態に起こされる事になった。当然、いわゆる朝ではあったのだが……。
そんな流れで、クローゼは現在不機嫌そうな顔をして、幻影の王国軍が布陣している丘を少し下った所にいた。彼の後ろには、ラグーンとパトリックが続き……彼の前方には、帝国軍の騎士らしき様相の騎乗の者が二人いる。
そして、王国軍に対する口上がしていた。
「……以上の事を踏えて死者の弔いの為、人智道的観点から明日の極天の刻まで、休戦の提案を帝国軍から王国軍に申し述べる。……返答をここで待つゆえ、早急に協議願いたい」
帝国軍第三軍副将として名乗った、テレーゼ・ファング・ヴェッツェルの声が、クローゼに向けられている。
何故そうなったのかについては、起こされた原因が彼女の行動。というよりは、帝国軍側からの提案による為であった。明らかな主戦場に、放置してしまった同胞の躯をそのままに出来ないと言う、表向きにはその前提ではある。
「伯爵は忙しい。通例に則れば、断る理由が無いゆえ……同意すると主将に伝えてくれ……で良いか」
そう答えたクローゼも、そんな感じで答えると良いですと聞いたばかりであった。
――白旗を掲げた騎馬が二騎、王国軍の本軍と彼らが認識する幻に向けて行く――
そう聞いたクローゼは、なんだと言った顔でその場に理由を問うことになった。
長年、和平と争いを繰り返してきたイグラルードとゴルダルードの間は、そう言った暗黙の約定があるのだという。主戦が終了していない最中では、若干異例とも取れなくもないが、である。
「降伏を勧めに来たのでなければ、その辺りが妥当ではないかと考えます」
勿論、時間を稼ぎたい側としては異論は無い。答えるならクローゼの返答で正しい。そう、前例にならってなら不思議ではない。だが、向かう先には交渉出来る者などいないのであった。
ケイヒル伯爵の側近らにそう言われて、クローゼは、起こしに来たジーアの『無理』の顔を確認する。そして、即座にラグーンとパトリックを捕まえて「飛ぶぞ」の声と共に、転位型魔装具を使ったという事になる。
「『なんだ?』の言葉に、所作を尽くした口上の答えが……何者かも分からぬ貴殿の承諾では、こちらも了承を得られたとは思えぬ。ここで待つゆえ、貴殿の主将の判断を仰がれよ」
面倒くさそうな顔のクローゼの答えに、テレーゼはそう返した。彼女にして見れば、異例な感のあるこれに自ら副将と名乗った上で、眼下のこの相手の態度である。
――なに? この男。髪もボサボサで、戦場になのに鎧すら着けていないなんて。それにあの態度。……顔には出さないが、心境は些かのテレーゼだった。
「ああ、名乗って無かったな。上からものを言われて忘れてたよ。クローゼ・ベルグだ。……奇遇な事に、貴殿と同じ副将だ。それで良いか」
ある種の適当ではあるが、一応クローゼも一軍の将である。強ち間違いでは無いとも言える。ただ、自身が騎乗していないのは……いないからなのだが。
しかし、そんな言動よりも、彼の名を聞いた事でテレーゼは少なくない驚きを見せる。
「竜男爵?」
誰に向かって言ったのかわからない声に、クローゼはヴルムの言葉を拾って……ラグーンを見た。その彼は、『俺か? 』の顔をして声をだす。
「帝国での男爵位だな。あんたと同じ爵位の貴族の事だ……たぶん。ヴルムってのはあれだが」
それを聞いて、彼はテレーゼを見上げた。その視線に、彼女は馬を降りて軽く頭を下げる。
「失礼した。……物見の者かと思っていた。貴軍の副将の言なら、同意と見なして将伯に伝える。では定刻まで陣代え無しの休戦と言う事に」
そう言って、湖を挟んだ場所の自軍……ゴルダルード軍の陣地を指差した。その指の先を見たクローゼは、別の意味で唖然として、「ここから、見えるじゃないか……なんだよ」と小さく呟いてから答えを返す。
「……こちらも失礼した。物見扱いは酷いが、寝起きだったのでそう見られても仕方ない。改めて、ヴァンダリア ヴルム男爵クローゼ・ベルグだ。休戦の件は、それで合意と言う事に」
それで彼は、正式な名乗りはこれで良いか? との雰囲気をパトリックに向けて軽く後ろを見た。しかし、酒屋の三男である彼には分かる筈もなく、その態度に「まあ良いか」と答えて彼は向き直した。
そして、目の前のテレーゼに意識を戻す。
その一連の行動に、テレーゼは先程まで雰囲気とは違う彼の表情と視線を感じていた。クローゼ自体はいつも事で、素直に謝った彼女に興味が行った。そんな感じである。
――若いのに副将とか……どっかの令嬢でお飾りかって普通は思うんだろうけどな。だけど、雰囲気が彼女達と似てる。だから、強いんだろうな。……と判断基準が彼らしい印象を彼女に向ける。
「ヴェッツェル卿でしたね。何と言うか、戦場ではお手柔らかに願いたい所です……まあ、あり得ぬ話ですが」
「貴殿の言、些か、真意が分かりかねる。それは私が、女だから申された戯れ言か? 」
「いえ、貴女が強いと思ったからです」
副将然としたテレーゼの強めの返しに、クローゼは即答する。それで、僅かに眉を動かす彼女はその言葉の意味も掴みかねている様だった。
――同じ者と話している気がしない。この男がクローゼなら、陛下から沙汰があったヴァンダリアの魔術師と言うことになるけど……
彼女の思考の途中で、クローゼの「まあ、そう言う事で宜しいか」に戻されてテレーゼも同意を示してその場はおさまった。
そして、緊張感なく後ろの二人を引き連れて丘を上がって行くクローゼを彼女は見送ってから、自陣に向けて馬を走らせた……
……自陣が見えた辺りで彼女らは、馬蹄の音を常歩に戻した。それを見計らった様に、テレーゼがいつもの男に声をかける。
「確認出来たか?」
「はい、この距離なら何とか……こちらに九千、砦に千二百程かと、報告では動いたのは騎兵なので砦にはそうかと」
「便利な物だな。これだけでもクラッセン伯の功績は大だと思う。ところで、あの黒い軍装の男は彼なのか?」
冒険者の報告用に貸し出されている、転写魔動器を元に作ったそれで、先程の間に彼女の副官の男が確認した流れになる。
「恐らくそうかと。着崩しておりましたが、腰の鞘止めが両方にありましたので。黒い軍装で双剣を使う。そう見て、あの報告なら間違いないかと」
「お前の見識は信頼している。だけど、あれの話を聞くと魔法使いではなく、戦士だと聞いた……陛下は彼を魔術師だと……」
彼女が戦士と言ったのは、昨日のクローゼの事で間違いは無い。まだこの時点では、彼女らに確証が無いのではある。その話の流れのままに、彼女はギードの元に報告に向かった。
『戦士』その場の認識はそれで正しい。三百名を越える死傷者を出した前衛の一軍は、彼にはよって恐怖を据えられた。
その時の光景は正に戦士の様相であった。
――そして、それがその日の夕食の時には徐々に広がり、朝を迎えた頃には、全体的な雰囲気がそんな感じを見せていた――
最終的に、その光景と噂の流れも含めて帝国第三軍が今回の提案を持ち出した。ただ、別の意図があったのも言うまでもない。王国側の思惑と帝国側の思惑は違うだろう。しかし、何れにせよ一時期的な休戦となったという事になる。
思わぬ休戦で、ケイヒル伯爵から提示された日時が消化出来たのは、クローゼにとっては良かったと言える。
ただ、ジーアは兎も角、ラグーンとパトリックにして見れば詐偽である。
雇い主が死んだら報酬の行方が怪しいと彼らが認識している破格の金貨を、いつも通り――商会が肩代わり――にしてくれるとは思えないからだ。
取り敢えず、彼らの立場は冒険者の仕事であるのだが、現状の認識を進めてみたい。
――戦は戦場で起こる。あの瞬間に、モーゼス・ポロネリア子爵の目が戦場を見渡せていれば、また、フィリップ・ケイヒル伯爵の戦術眼がモーゼスの構造力を認識していれば、初動は違っていただろう。
ただ、それをクローゼの行動が擦り合わせて、あと十日と言う日時が提示された。そう考えると、エドウィンがそのまま王太子なり国王になっていれば、事態は最悪の結果を見せていただろう。
そして現状、彼らの認識から、ゴルダルード帝国の主力の行軍速度が思いの外遅かったのがクローゼの約束の時間を伸ばしていた。
通常であれば、リルヴァールからヨルグガルデまで、約二百リーク……凡そ二百キロメートルの距離である。通例に習えば、戦布告の宣告日に併せて行軍を開始するもので、既にリルヴァールが圏内に入る所にいる筈であった。
だが、現状は約束の戦場を越えた辺りに帝国軍はいた。
北側のルート第三軍が、先行気味に行軍を開始したとは言え、その行程で四割ほど超過する距離を既に走破している事を考えれは、異例に遅い行軍速度である。
断続的に入るその報告で、フィリップは逐次、他の軍団に終結地の変更を打診した結果……クローゼが訪れた日に決行の決断に至る。
夜間にオーウェンらと協議が出来た事で、ある種の見込みを持ってであった。
フィリップの行動の支えになる、王国軍の援軍について述べるであれば、終結地点をリルヴァールとしてそれぞれが行動を開始していた。
――まずは王国中央にあった王国第一軍と銀白乃剱が率いる王国第一騎士団と合わせて一万四千――騎兵三千。
それに、西北部に展開していた第八軍が王都ロンドベルクに戻る途上にあるのを前提に、オーウェンが近衛騎士団の残りから四百騎を選抜する。また、ノースフィール候の私兵四千――騎兵八百から希望者を募り……この場合多岐に渡る理由によってほぼ全部であるが、街道行軍で周辺貴族の私兵を集めつつ、既に王都を出発していた。
また、エルデダール国境付近に向けて展開中であった王国軍第七軍団にも、フィリップの報が届いており、それにもとずいて彼らは行動を開始している。
別の角度では、グランザの具申でアーヴェントの許可の元……本来彼を伴って王都に向かうはずであった、ヴァンダリアの主軍がリルヴァール、いやガーナル平原を目指す為の行動に入っていた。
時間的には難しい判断だが、うてる手は打つべきであるとの事になる。
その数、動員数二万。兵力一万二千五百――騎兵二千二百に、竜擊筒千五百であった。無論、南部諸侯の私兵は含まれていない……機動兵力としては、ヴァンダリア候領の最大動員数である。
それら全軍の将帥である、オーウェンが通例の街道行軍を行うとして、十数回の旭天の光を見る必要がある――およそ半月ほどの――距離がリルヴァールとの間にはあった。また、援軍の主力をなす王国第一軍団はそれよりは近い位置にあったがオーウェンの到着を待たずしての行動はない。
それが、フィリップ・ケイヒル伯爵に与えられた物であった。オーウェン到着まで、展開中の三個軍団――約四万――で帝国を遅延して、最終地点のサーカム近郊一帯を確保する。それが彼に課せられた難しい仕事になる。それも、北側をクローゼに任せた上でであった。
北側のクローゼを基点に言えば、オーウェンよりも近い位置にセレスタ・メイヴリック士爵が率いるヴァンダリア騎兵二千が、リルヴァールを目指していた。彼らは、フィリップとの話しでクローゼの元に送る手筈になっている。
ただ、ロンドベルクまでの道のりを、結果的に南北街道中央路を使った事によって、リルヴァールまでの距離が縮まった形になった。その彼らは歩兵を伴わない街道行軍で、リルヴァールを目指している事になる。
単純に考えて、進路を変更した時点から、最短五日から七日は必要な距離を、戦闘継続能力を維持した上で、セレスタは短縮を目指していた。いや、するつもりでいた。
そして、忘れてならないのが、当初の予定で『一両日の余裕がある』を見越して、間に合わせると言ったクローゼの護衛隊も、オーウェンの行軍から考えると信じられない速度でリルヴァールを目指していた。
ただ、残念な事に、今のところクローゼの意識のなかには無いのではと思われる。
そのクローゼは、砦に戻りしきりと紺碧竜水晶の色を気にしていたが、休戦の言葉を丸呑みして「寝直す」と宿舎に向かっていき、カレンとジーアに呆れた顔をされていた。
そして、続けてカレンは呆れた……いや、若干の安堵の表情を見せる。それは、城壁の所で腕を組んで胡座をかき、東側を見据えるレイナードから微か鼾を聞いたからであった。
「二人とも、大丈夫みたい……」
呟きにも取れる言葉とは別に、ジーアが彼女に疑問をかける。
「あの子……いつもあんな感じなの。貴女達もだけど、信じれない程、魔力強いのにやること子供みたいだから。それにあの子の魔量、普通じゃ無いでしょ。あと、変な術式使うじゃない」
問われたジーアの表情に、カレンは当たり前の顔で、クローゼについて話をする。彼の魔動術式の事、自身が試合った時の事。魔王と王都での出来事を聞いた事について。
カレンからすれば、簡単に目の前の女性を信じて良いかというのもある。しかし、彼女がクローゼに向ける視線に悪意がないのが彼女には感じられた。
それで話をしたという事だろう。その話に、驚きを見せるジーアにカレンはこう締めくくった。
「確かに、子供みたいではと思う。正直に言えば、見ていて危なっかしい感じで心配になる。でも、最後には頼りになると思える。そんな感じでは。と」
「まだ、頼りになるとまではいかないかな。……まだ、子供でしょ」というジーアの感想を聞きながら、カレンは今は、自身が支える番であると感じていたのだろ。休戦の最中でも敵陣を見つめる目には油断は無かった……。
カレンの視線の先のゴルダルード軍の陣地では、テレーゼの報告を受けた、ドライ将伯 ギード・アルニムが、少し興奮した感じて声を上げていた。
「ヴァンダリアと名乗っただと。これは天極の神々の思し召しだ。奴らにあたるとは何かの縁だな」
立ち上がってそう言った彼に、周りは若干の困惑を示す。それをお構い無しに、彼は続けて声出していく。
「ヘルター殿。先程の言、我ら第三軍は関与せん。貴殿の判断で行動して貰って結構だ」
「では、今宵砦に我らが向かうは、黙認して頂けると言う事ですな」
そのギードとゲルオークの会話に、怪訝な顔のテレーゼは口を挟んだ。
「どういう事でしょうか? 」
「やられたらやり返す。という事だ」
テレーゼの言葉に、エクムントがそう答えた。そのまま、ラファエルが――三人で夜襲の――具申の説明をテレーゼに向けた。
それは、第三の牙ゲルオーク・ファング・ヘルター第十一の牙 ラファエル・ファング・ヴァイトリングと第十二の牙 エクムント・ファング・グミュールの三人で砦に夜襲をする。
皇帝直属の彼らの独断で、それを行い、ギードはそれを黙認すると言う事になる。
「休戦の約定が……そんな。詭弁ではないですか」
当然の話、テレーゼは納得できる筈もなく声をあげたが、ギードはそれを片手で拒否を示して、軽くこう言った。
「我が軍は休戦中だ。だが、単独の皇帝の十三の牙の行動に関与できる職権は私には無いのだよ。結果の責任は彼が取ると言っている。……と言う話は私は聞かなかった。と言う事だ。流石に士気に関わる。仕事してもらわねば」
「理不尽ではないですか。これは、騙し打ちです」
尚も食い下がるが、それ以後は「そんな話は無いのだよ」で全てをまとめられてその場に人が居なくなった。
そして、テレーゼも自らの天幕に歩き出す。その雰囲気で、彼女は自分副官に呟きを見せた。
「戦とはこういうものか? ……自分が汚名を着るのはいい。だけど、帝国騎士が卑怯と言われるのは納得できない。あの三人は……」
「仕方ありません」
そう自身の副官に言われて、わだかまりが消せない顔をしていた……
そして、そんな話になっているとも知らずに、ヴァンダリア竜男爵と従者の槍使いは、寝息を立てていた。と言う事になる。




