六~湖畔の砦……行軍~
城塞都市リルヴァール。――イグラルード王国の東北部最大の都市で、ゴルダルード帝国に対する拠点であった。
対比で言えば、以前のジルクドウルムと城壁や区画は、ほぼ同じ規模である。だだ、ロンドベルグやヴァリアントの様な城壁を拡張するあの塔がないので、オーウェンの言った通りになる。
――通常兵力として、騎乗可能な兵士が三千に、守備兵力として二千。衛兵が千から千五百と言った所 であった。……参考までにである――
視点が追いかけるクローゼ達三人は、あの日の夕刻にカレンの転位型魔装具で、リルヴァールに入った。
そんな彼らは現在……湖畔の砦という微妙な名前の場所に向かって馬を走らせていた、という事になる。それをクローゼから見ると数はこうだった。
馬五頭で動員数 六、兵力 五――騎兵 四である。
中々の戦力と、驚きの展開ではあるが、その流れを彼の目線と心情を踏まえて追いかけてみる。
その時の視点では――彼らが到着した日の午前には、ロンドベルグからアーヴェント王即位の報がリルヴァールに届いていた。
それを聞いた、フィリップ・ケイヒル伯爵とリルヴァールの城伯は、直ぐに行動を起こしている。
帝国軍の動きが、若干遅い事を認識して、翌朝行動を起こすべく準備をしていた。
その最中に、真紅乃剱カレン・ランドールが、王命を受けたオーウェンの書簡を持ち現れる。
そして、歓喜が巻き起こる……と表面上はそう言う事になる。
「動けないから、何とかしてくれ」と泣きついた筈の彼らは、悲観するどころか逆に戦意が向上している様に、初見でクローゼにはそう見えた。
それは何故なのかは、フィリップの言葉で全てが分かる。
「絶望的な相手に報告を送って、途中て希望が舞い込んだんだ。それはやる気になるぞ。現に、目の前に真紅乃剱がいる。それが陛下の意志なら、この準備は間違ってなかっただろう」
エドウィン相手に、説得を込めて敢えて人を送ったが、何故かアーヴェント殿下が即位されたと継ぎの早馬がきた。
――ならば迷う事はないやれる事をやる。……とケイヒル伯爵はそれに至る。
自身の計画を元に、ロンドベルグからの援軍を確信して、フィリップは自身の私兵から選りすぐり――二個中隊規模――を死地であると思われる、湖畔の砦に向かわせて時間を稼ぐ様に命じていた。
所謂、彼の側近達である。
そんな時に、希望が確信に変わる者が現れる。
そして、今後の王国軍の計画――根幹が個人であるが、彼が多少? 魔王級な内容――を無言で確認したフィリップは、クローゼがヴァンダリアであることを認識して軽くこう言った。
「王命なのだな。それにヴァンダリアが出来ると言うなら、信じるに足るよ。ただ、出来れば……」
言い出しにくい顔の彼に、クローゼは「任せて下さい」と笑顔で答えて、彼に若干引かれる事になった。そんな様子に、カレンが「大丈夫です。この二人は私より強いですから」と軽く言ってのけたので、ここだけの話しと砦の事を宜しく頼むと彼は話をまとめる事になる。
当然なお約束の展開であるが、彼らがウォーベック商会の幌馬車から「王命だ。請求は王国に」と音声型通信用魔動器をぶんどったのは言うまでもない。
その魔動器を伯爵達に託し、明日の冒険者を期待して就寝したクローゼは……翌朝、愕然とする事になった。
――愛国者 求 報酬……簡単なクエスト……――
リルヴァールで、一番大きい認定商会の一番目立つ所に掲示されたそれは、午前に訪れた冒険者の注目を集めていた。
破格な報酬が大きく書かれて、クエストの内容はクローゼの指示通り小さく。
『一万位の帝国軍を二、三日足止めする簡単なお仕事です。奮ってご応募ください』
「馬鹿だろ」
「これは、流石に無理なのでは」
「ロレッタは、きちんと仕事したな」
二人の言葉にクローゼは、訳のわからない事を呟いて遠い目していた。彼の心境は――子爵に怒られるな――であった。……と言う流れで現在に至るという事になる。
「受付のお姉さんの苦笑いが忘れられない」
クローゼは後の事を城伯に頼み、リルヴァールをこの人数で出る時に、彼の前でそう呟いて何とも言えない顔をされていた。
結果的に、湖畔の砦には三百名程の兵力があり、フィリップらの情報から、帝国軍は一万二千から一万三千――騎兵二千から三千と言った陣容で、既に移動を開始していると言う事だった。
オーウェンとモーゼスの見解では、到着予定から一両日程の余裕があって、そこから三日無いしは四日足止め出来ればいいとクローゼは言われていた。
その前提で、リルヴァールから戦力を抜いて、帝国の行軍を阻害し、北側ルートから来た一軍に打撃を与える機動戦を仕掛ける。
そう具体的な話をされたが、その辺りでクローゼの思考が停止した……。
そこで、「任せて下さい」と話を止めたので、彼は具体的な内容は頭に入っていない。
つまりその状態で、彼は馬を走らせていたと言うこだった。ただ、いつもの馬は流石にまだ来ていないので、若干の乗り憎さを感じている。そんな様に、レイナードからは見えていた。
それでは、ざっとクローゼの初陣となる。この時の陣容を見てみよう。
先頭で彼等を引っ張っている案内役は、フィリップの側近の一人で、事情を説明する為にもここにいた。
そして、クローゼの後ろから冒険者が二名追従している。――レイナードに言わせれは、物好き以外の何者でもない彼ら――その大柄の男は、盾持ちと言われる前衛担当の戦士でパトリック。もう一人は、締まった体つきで、クローゼ的に言うと弓士とか盗賊的な感じのラグーン。どちらも男である。
そこに、並走するカレンと前を行くレイナードだった。……とここまでは良い。ただ、クローゼの軍勢は、本人を除いて動員数六、兵力五――騎兵四であった。
そう、あと一人いる事になる。その一人は、クローゼの目の前で彼の瞳に映る者であった。
レイナードの背中に据えられた剣が収まる鞘に、自身を紐でつないでおり、風船の様に浮かんで凧の様に引かれている。……見た目は、老婆がちょこんと座った姿であった。
言ってしまえば、エルマ・クルン子爵が言った彼女の妹弟子、つまり大魔導師の直弟子。六人目の魔導師である。見たままの年齢で、名前はジーア・シップマンだという。
当然出だしから、クロセのクローゼで言うチートな展開であったが、商会で名乗り上げた彼女は自身を魔導師だと言った。
エルマの告げた名前と合致する。……想像と違った小さな老婆に、クローゼはおろかレイナードすら怪訝の目を向けていた。
だが、エルマの紹介状に隠された封印の文字を、いとも簡単に解示してみせてここにいる。――そう前方の馬の尻の上にである。
「エルマさん……あれなのか」
砦まで、それなり移動時間を提示され、少なくない距離を馬で移動している。そんなクローゼは、目の前の様子で、何度目かの呟きが漏れていた。
――彼にとってエルマ・クルンは、珍獣扱いされた時の印象が強い。見た目と違い天然な感じを出して、キャロルとシャロンの笑顔を誘っていた時のその彼女の様子であった――
『エルマらしいの』
そして、これである……行軍速度ではない。駆歩より速いであろう軍馬の速さでも、先ほどからクローゼは呟きを拾われていた。そして、おかしな感覚の声を聞いてそれと会話をしていた。
それも明らかに、前を行くレイナードの背中のロウバとである。
「妹弟子と聞いたら、若い女の人を想像するでしょ普通……わざとだとは思えないけどさ」
『間違ってはおらんて。わしが末じゃからな。おかしいと思ったおらんのじゃろ』
「とりあえず、どうして声が聞けるんだよ?」
クローゼには、体感している風の音。それなりの距離感があって、耳を突く馬蹄の振動で会話普通に出来るとは思えないでいた。
そして、もっとおかしな事を言えば、クローゼの視線の上下を無視してその老婆は、馬の尻に着かないギリギリで座り、その位置のまま、凧の様に紐で引かれて浮いているのである。
『散々話してそれかて。まあ、言葉にのる魔力をみとると分かるんじゃよ。小僧の量は中々だての』
「婆さんが、勝手に話してただけだろ。それより、……魔力がみえるのか?」
『兄姉弟子の話をしてやっただけじゃが。疑いの目で見られたからの。……魔力なら見えるぞ。勿論、流動もじゃな。元々流動絵師じゃからな……もう少し驚いてもいいんじゃぞ、小僧』
ジーアは、魔力が見えると言った自身の言葉に、差ほど驚きを見せないクローゼにそう魔力を向けた。
そう聞こえた感じのクローゼが、小僧と言われたのを気にした様にジーアを見たまま呼んでいた。
「婆さん以外にも、流動見える奴、知ってるからな。それに流動絵師なんで知らんし」
『まあ、今はあれの転写術式があるからの。知らんのも分からんでもない。じゃが、婆さん、婆さんと、うるさいの。ジーアさんと呼べんのか。見た目の問題ならこうすれば、良かろう』
そう言ってそのまま呪文唱えたのであろう、その小さな老婆は、そのサイズのままに若い女性に……いや、幼い女の子に見える姿に変わった。
「なっ、はぁ?」
それに対して、クローゼの後ろ追走していたラグーンが大きい声発した。彼は前から流れてくる、ぼそぼそとした音が気になりそちらに意識がいっていており――その光景をみて驚きを上げた事になる。
それをきっかけに、各々視線が交錯して等間隔だった隊列がばらける感じになり、「小休止だ」と今度は呟きではない、聞かせるクローゼの声響いて、休息場所を探す事になった――
――湖から繋がる川の畔で、とりあえず、小休止する事になった一行の注目は姿を変えたジーアに集まる。勿論、魔導師と名乗る彼女が魔法を使ったのは理解できていたが……である。
「婆さんが、いきなり少女に替わった? いや少女が婆さんに……化けてた?」
「ジーアさんだ。婆さん言うと、お前。蛙にでも変えられるかもしれんぞ」
ラグーンの声に、婆さんを連呼していたクローゼがそんな事を言っている。そして、問題のジーアは、器用に浮かんだまま、レイナードの後ろから姿を出していた。
「年寄りは、敬うものじゃて」
「婆さんのほうか……」
ラグーンはそう呟いて、パトリックに「あっ」という顔をされて口を押さえていた。
「ジーア殿。これから助力を頂く上で、我らが惑わされては些か不都合故。先ずは御配慮願いたい」
カレンが、水辺からその場に歩きながら、姿を変えたジーアにそう告げた。それに対してジーアは、「堅苦しい言い回しはいらん」と声出して、レイナードに「敬えと言っただろ」との言葉を受けて、なるほどという顔を見せた。
「ほうじゃな、一本取られたの。……ではどっちが良かろかの……老齢か幼少か」
「そう言う問題でもないけどな。……どっちも極端だから、真ん中位の格好で出来ないのか? 」
クローゼ自体も些かずれているが、ジーアもそれには「魔量が勿体ないからの」と……今一つ噛み合わない流れが出来た様に見えた。
「格好の問題でもないだろ」
「ジーア殿と認識出来れば、問題ないのではと思います。後は魔導師として、期待させて頂くと言う事で宜しいか……という事です」
カレンの言葉に、ジーアは軽い笑いのあと、「勿論じゃの」とこれも軽く答えていた。
「魔術なんて傷薬程度しか、戦では役にたたんと思うんだがな……魔導師と言う位だから、物凄い攻撃魔法とかあるんだろうけどな」
ラグーンの言葉は、傭兵だった彼の経験則から出た物である。それは、自らの革製の鎧に施された、対魔力防御の術式が一般的に普及して、魔法が戦の場で使用され、猛威を奮ったのは、過去の話であるとの認識からであった。
「攻撃魔法とやらなら、生意気なベイカーほどでは無いが勿論出来るぞ。それに、ぬしの認識は甘い。その子供の落書きの様に刻んである術式で、そんな事を言っとるならな。……小僧らが着とる位のでないと、それこそ役にたたんのじゃよ」
「なっ、これは、リルヴァールでも有名人な魔装技師のもんだ。高い金を払ってるんだ……そんじょそこらの物と一緒にするな」
ジーアの謗りに、ラグーンは抵抗を見せた。だが、彼女か唐突に唱えた呪文で、革に焼き付けらている様な――装技用の術式の紋様が燃えて……消えたのに絶叫した。
「何すんだ、婆さん!」
「うお、そんなん出来るんだ」
見た目は少女のジーアに、ラグーンの絶叫が向けられる。それに、クローゼの声が被さって……ジーアは可愛らしい笑顔で彼等を見ていた。
「悪い事は言わん。ぬしらはこのまま帰った方が身の為じゃな。クランシャにこれば、もっとまともな物をタダでやってやるわい。大体、そこの二人と比べるとぬしらは、赤子同然じゃからの」
面と向かって言われた、ラグーンは既に手が剣に掛かっており、一括りにされたパトリックも不快な顔を隠そうしていない。
「とりあえず、言い過ぎだし。雇い主は一応、俺なんだけど。それに二人と比べたら、誰でもそうだから。……だからじゃないけど、お前もやめとけよ。大体、ジーアさんも、みんなの事わからないだろ。ラグーンだって、凄い強いかもしれんし……」
何と無く間に入ったクローゼに、彼らは一旦落ち着く事になった。その様子を見ていたジーアは、その言葉と合わない顔でクローゼ見ながら、残念そうな顔をする。
「小僧は、実に惜しいの。恐ろしいほど魔量があっても、その魔力ではな……宝の持ち腐れと言うは、この事じゃな」
「婆さん、帰って良いぞ。大体。導師達の事知ってるからって、本物かどうかわからないからな……ゴタゴタ言うなら帰れよ」
上から目線のジーアに、クローゼが怒りを露にしてカレンに肩を捕まれていた。そして、ジーアの重石になっているレイナードが、その紐を手繰り寄せて、ジーアの襟首を掴んでこう言った。
「一旦、砦に行って、お前が送れば良いだろ。時間の無駄だ」
「クローゼ殿。兎に角、落ち着いては」
そう言われて、クローゼも少し落ち着きをみせて、子猫の様に、レイナードに捕まれているジーアに向けて言葉を出した。
「転移魔法とか使えんのかよ。魔導師なんだろ」
「あれは、コラードウェルズにやった。わしは、幻術魔法が本分だからの……それに、このクエストなら、わしは必要だと思うぞ」
相変わらず、一貫した姿勢を崩さないジーアに、クローゼは苛立ちを見せたが、結局、レイナードの意見に乗る事にして砦に向かうことになった。
それから少なくない時間を費やして、一行は湖畔の砦に向かって行く。
そして、案内役の男が「あの丘を越えれは……」と声出したところで、ラグーンが遠くを見ながらその場に告げた。
「煙がみえるぞ」
その声に視線が集まる。――その先には、狼煙の様な黒煙が天に向かってのびて、瞬く間に黒雲の様になっていった。
「砦の方向です」
案内役の声に併せて、一行は一団となり丘を目掛けて駆け上がり、その一番高い所で馬蹄を止めた。
そこで彼らの見た光景は……砦の壁の高さを増すために、石垣擬きの土塁の上の木の壁に、火矢や火球が当たり炎を上げている様子であった。
「城壁……木の板かよ!」
クローゼの声が響いて、砦の正面から攻撃をするゴルダルード軍の陣容から、その場の視線が彼に集まる。それた視線を潜る様にその瞬間、ざっと見積っても千は下らぬ兵士らが、更に、湖と切り立った竜の背の裾の間、その狭くなった所から押し出してきていた。
「正面と後から出てくるのを併せて、二千ってとこだ。このままだと、抜けられて砦が囲まれるぞ」
ラグーンの咄嗟の声に、カレンとレイナードがクローゼを見た。そのクローゼの視線には行軍する徒歩の兵が見える。ただ、歩兵が中心で思いの他、速さ無は無いように見える。
「二人は、砦の正面の奴を一旦止めろ。俺は、後ろから出てくる奴を止める。――無理はするな、俺のはないからな。気を付けろよ」
視線を向けられた二人へ、クローゼは投げる様に言葉掛けて、そのまま流動を合わせ操作可能型自動防護式対物衝撃盾と対魔力防壁を続け様に唱えて起動する。
クローゼのことばと詠唱に、驚くラグーンとパトリックを他所に、レイナードもカレンも躊躇なく答えて、その準備に入っていった――
「――まて。ここは、わしに任せるかの。……クローゼだったの、見くびっておったて」
その声に、その場の勢いがジーア・シップマンに持っていかれた感じになった。それに応じるクローゼの声……。
「何言ってるんだ。時間が――」
「――極幻なる錯覚の力」
その声を遮る呪文が聞こえる。それが起こした現象は、一万を下らない王国軍の一軍が丘をゆっくりと下り、整然と行軍している光景だった。
それを見下ろす、六人の視線と砦の者達。勿論、ゴルダルードの先鋒だった彼らも、その光景を見る事になった。
その唐突な瞬間、彼女の声に意識を捕まれたクローゼは、レイナードの鞘から外れて、ジーアの地面降り立つ姿を見る。ただ、彼には驚きを起こした光景は見える事なく……そこに立つ彼女の姿だけが見えていた。
「なんだ。それが本物かよ……」
そのクローゼの呟きは、彼女には聞こえなかっただろう。……恐らく。




