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王国の盾~特異なる者。其れなりの物語~  作者: 白髭翁
第三章 王国の盾と英傑の碑
79/204

壱~始まりの戦い遡る点~

 ゴルダルード帝国。――イグラルード王国の東側に接する国の一つである。


 北方を遮る様に連なる竜の背の裾野(すその)から広がる大地で、綴られた興国の物語では、この世界において最初の魔王降臨の地と記されている。

 魔王を退けた勇者は亜人と人の混血(ハーフ)である。その伝承が物語る様にこの地に根付く人々の多くは、勇者の末裔を自称しその血を体に宿すと信じていた。


 イグラルード王国の建国とほぼ同時期に生まれたこの国の民は、その為か、武を好み勇を尊ぶ風潮がある。そして、その気質通りに、帝国の武人は常に陣頭に立つを良しとした。


 また、ヴァンダリアの物語から、ゴルダルード帝国を見る上で遡るに数年を要する『あの戦い』を避けて通る事は出来ない。そこには、クローゼの知らない様々な物語があった。



 事の始まりは、エドウィンの気質。――選民意識と人外嫌いに他ならない。

 発端はゴルダルード帝国において時折現れる、亜人の血をその容姿に色濃く残す者。その者は帝国において、伝承を元に英雄とされる。その様相を持つ者によって始まった。


 国家間の式典としてイグラルード王国を訪れた、ゴルダルードの皇太子であるライムントは、正にそれである――作りは人であるが、獅子の様で虎のごとき様相をしている。

 その表現が適切であり、エドウィンの意識を刺激するのには十分だった。


 ランガーに代表される、半人半獣として人智に生まれた獣人とは違い、帝国で英雄視される彼等は自らが特別な存在だと信じている。その為か、亜人または人、特に獣人の類いには寛容さを持ち合わせてはいかった。

 ライムントも例外ではなく、むしろ積極的論者だった。――そんな二人が出会えば、そうなる事が必然だった。

 彼らは式典の場で『文字通り』水を掛け合う論争を起こし、予定調和の流れに至る。


 元々のクローゼにも重くのし掛かった、ヴァンダリアの綴られる物語に深い傷を残した『あの戦い』のきっかけが、こんな些細な事であるのは考え様によっては……喜劇的である。


 ――余談であるが、クローゼがロンドベルグを初めて訪れるにあたり、レイナードが言った「ぶん殴りそうだからとやめとく」の一言は、ある意味ヴァンダリアの総意とも取れる――


 予定調和で喜劇的な『コップの水をかけ合う』流れに乗った、エドウィンの怒り行動は、彼の戦布告から始まった。

 戦布告とは、簡単いえば古式に乗っ取った脅迫状である。形式の始まりは、正々堂々相手に戦いの意思を伝えてだったが、いつからかそれは戦いの免罪符となる。


 ――お前の事が気に入らないから、これ位大きな拳で殴る。殴られたくなかったら、謝罪と賠償をしろ。と言った意味合いに変わる――


 儀礼正しく、書法に乗っ取った布告の書簡に、彼が書き記した拳の大きさは、十万を越える数字であった。また、実際に彼の手の中にあったのは次の兵力になる。


 動員数七万二千。兵力 五万九千――騎兵一万二千。


 編成は、王国軍が四軍に自称王国の剣のノースフィール。そして王国の盾、ヴァンダリア騎兵四千になる。

 当主ヒーゼル自ら率いた騎兵は、ヴァンダリアの名にふさわしく、当時、最高練度を誇る王国屈指の存在であった。そして彼らは、少なくない平和の中でもその力を維持し続けた。


 それは、この戦いで証明される事になる。ただ、光景は僅かな記憶に残るだけではあったが……。



 それでは運命を変える、幾度目かの『ガーナル平原の戦い』その全貌を振り返るとしよう。


 (いくさ)以前に動員数と兵力のバランスから、落とし処すら見えない戦いはリルヴァールから始まる。

 リルヴァールを出発した王国軍。……いや、エドウィンの軍は、互いが領有権を主張するガーナル平原を行軍し、丁度中程の約束の戦場で対峙する。


 相対する帝国軍兵力は、三万六千――騎兵六千と言った陣容だった。そして、王国軍の前衛は第四軍を中央に、左右に第五軍と第六軍が展開し、ヴァンダリア騎兵が遊撃の位置にある。総計は四万となる。

 後方のエドウィンの本陣を除き、互角の兵力の対峙だった。


 だだ、ゴルダルード帝国軍は、いつもと違う様相を見せていた。本来であれば、重装騎兵、帝国軍で言うところの獣装騎兵(ティーガー)を正面に布陣させ、中央突破の戦術を主とする。

 しかし、今回は、王国軍の様式と同じに、両翼に騎兵を配置する布陣をしていた。


 単純に、機動戦を挑んできたと言っても良い。


 いつもとは違う流れで始まった会戦は、父親の補佐として王国第四軍副将の任にあった、フィリップ・ケイヒル……当時は子爵だった彼の言葉に表される展開を見せる。


「ケーキに、ナイフが刺さる様な柔らかさで切れ、その甘美さを見せる様に崩れていった」


 彼の言葉通り、ゴルダルード軍はあからさまな敗走見せる。それを聞いたエドウィンは、歓喜を上げた。


「見たか、人擬きが。これが俺の力だ」

 

 周りが驚愕するのを他所に、彼は嬉々として追撃を命じ、本陣の体をなすノースフィール候の軍を守る第七軍を前進させる。

 それが切っ掛けで本軍に押し出される様に、前衛の軍がなし崩しな追撃戦へ移行した。正に誘われるままにである。


 当然、フィリップに彼の父や各軍団の長。また、エドウィンの軍監、軍務官史も進言し具申した。

『罠である』と。そして、行軍開始からの予断を彼に告げた。

 それは北側の脅威と後方の不測。……そして、補給の不安。だが、エドウィンはそれらすべてを払いのける。


「戦とは、正面から堂々と行う物だ。そして、俺は勝った。後ろから敵が来るなど有り得ん」


 馬鹿も感極まる……である。


 極まったまま追撃を継続したエドウィン軍は、絶妙に引きずられ、前衛は徐々に進んでいった。

 そして、王国側が選定している国境――ガーナル平原の東の端ヨルグ近郊――を越えてゴルダルードの領域に入った。

 ただ、足のおそい本陣とそれを守る第七軍が徐々に行軍速度を落としていた為、全体が間延び……いや分断される形になった。


 その最中にエドウィンの元に報告が入る。報告は、彼の周りが散々に進言していた『後方からの脅威』であった。


「後方にゴルダルード軍、現れり」


 稼がれた時間で北側ルートを辿り、リルヴァールの北側、ガーナル平原に進む道筋から見た裏側に、一万二千のゴルダルード軍が現れたのである。

 そして、僅かな守備隊を残すリルヴァールを横目に、ガーナル平原に進軍を開始した。


 王国軍にとって、散々想定した事態であった。エドウィンはいざ知らず、彼に随行してきた軍監や軍官史達は、出来うる可能性を考え進言を蓄えていた。

 しかし、次に発せられたエドウィンの言葉で、全てが無に帰する。


「卑怯者め……そんな奴とは戦さなどできん。リルヴァールに帰る」


 言葉を失うとは、正にこの事であっただろう。しかし、彼はそれでも全軍を統べる将帥である。そして、総司令官たる彼の言葉は、そのまま行き先を示す事になるのだった。


「帰る……などと……」


 誰かの呟きが吐いた男だけに響いて、エドウィンを(たしな)める声がしていた。彼らも、無駄と分かっていても、言わずに終らせる訳にはいかなかった。

 当たり前ではあるが、その報告を踏まえて状況が正しかったとしても、彼の手元にはそれに倍近い一万九千の兵がいた。形としては挟撃されたのだが、十分対処可能であった。


「前方には、まだ友軍います。撤退するにしても再集結の後かと。新手は、我らが抑えますゆえ、殿下はそちらの指揮を……」


 届かぬ声を……エドウィンに投げた第七軍を指揮する彼は、言葉をそのまま飲み込んで「帰る」に従った。当然、打てる手はすべて尽くしたのは言うまでもない。

「帰る」の命令に動き出した、エドウィンの周りを固めるノースフィール候の軍が悪い訳でない。

 ただ、主命に従い動いたのは、王国軍との繋がりが弱かっただけと思われる。


 そんな状況で、撤退の命令が王国側の前線に届いたのは、帝国の要塞都市ヨルグガルデを点で視界におさめる開けた場所。

 前面の帝国軍が再集結の後、いつも通りの布陣を終えた頃だった。単純に、王国側と帝国側が対峙の最中と言う事になる。


 勿論エドウィンは、既に後ろから現れた帝国軍を避ける様に逃げ去った後になる。そして、遮るものの無くなった帝国の一軍は、湖の湖畔を最速で行軍して、そのままの流れで現れた。


「後方に敵が」……と誰とでも無い声が響く。


 そして、前方の帝国軍の布陣にあわせて、王国軍左翼で再編成中だった騎兵に、帝国の獣装騎兵が襲いかかる。

 そこに広がる場景は、獣装騎兵が王国騎兵をなぎ倒し左翼の一軍に雪崩れ込み、 追従してきた帝国歩兵が退路を断つ様に横陣で展開する様子だった……。



「メイヴリック。あれを止めるぞ」


 視界に入った場景をヒーゼルは、隣のディリック・メイヴリックにそう言った。そして、手綱を持つ手に力を込める。それに答える様にディリックも声を出した。


「よし、全軍戦闘用意。あれの頭を叩く。足止めだけだ。敵はあれだけではないぞ――いくぞ、突撃」


 ヒーゼルの横からの号令で、王国軍中央後方にあったヴァンダリア騎兵は直ぐ様(すぐさま)動きだした。

 その馬蹄の勢いは、左翼を突き抜けて中央に展開する第四軍の横腹に肉薄していた、獣装騎兵の先頭集団をもぎ取った。……文字通りにである。


 その一撃で、その獣装騎兵の一団の勢いを削ぎ取り、混乱する彼らを尻目に、ヴァンダリア騎兵は次の標的に向かう。


標的は、前面の王国軍の混乱を見て王国軍中央に標的を変えた、帝国軍右翼の獣装騎兵。その正面に、彼らは斜めから弧を描く様に当たり、動き出した帝国獣装騎兵に打撃を与えた。

 場景では、与えたられた打撃で唐突に倒される目の前の友軍に、前方を遮断され、前のめりで重なる様に速度を殺され行き場を失う……獣装騎兵の様子が続く。


 それをあたかも当然の様に後にし、ヴァンダリア騎兵は走り抜ける。そして、そのまま速度を上げつつ両軍が対峙する間を疾走した。

 続けて前方に見えた横陣展開する帝国中央の獣装騎兵、その前列を全速力のまま駈けて、その様に斬撃を浴びせ列ごと彼らを切り伏せる。

 そして、結果を見ぬまま、帝国左翼から突撃を開始した、獣装騎兵の一軍の横腹を食い破り突き抜けていった。


 ――掛かる時刻(とき)の流れは同じだったが、言葉に表すなら、それは一瞬の出来事になる――


 帝国軍が挟撃に成功して、王国軍左翼を崩し勝敗を決しようとしたその刹那。彼らの確かな勝利への確信と安堵の瞬間。その隙間を『王国の盾』たる彼らは、全力で駈け抜けた。――作られた道。削ぎ落とした気勢。……そして、空白と時間。

 その全てが、あたかも王国軍を守る盾の様に彼らの名を場景に刻み込んだ。


 積み重ねた鍛練。妥協なき努力の結果である騎乗技術の練度が、ここぞの為に軍馬につけられた魔装具によって、飛躍的な破壊力を出した。


 間違いなく、戦場にはそう見えていた。


 集団の先頭で彼らを率いるのは、『勇傑なり者を御した如く』のヒーゼル・ベルグ・ヴァンダリアである。普段は温和な彼が、この機でなければ見せなかっただろう武人としての才が、発揮された瞬間であった。


「オーガス――六軍に伝令だ。中央と連係して退却戦に入れと。殿(しんがり)は、ヴァンダリアが務める。そう伝えろ」


 突き抜けた先で彼等は――急速に旋回し自軍の後方に回り込む。その隊列で、速度を落としながら戦場を感じていたヒーゼルが、オーガス・フロックハートに叫びを向けていた。

 向けた先の「応――」の声を聞き、ヒーゼルは続けざまに声を並べる。


「メイヴリック。止めた時間は短い。伯爵に委細を伝えにいく。今暫く時間を止めろ」


 指示の後に「中央で合流だ」の言葉を残し、ヒーゼルはディリックにその場を託した。託された彼も直ぐ様(すぐさま)答える。


「ダドリー最初から順に叩く。大隊を連れて側面から援護しろ」


 その言葉に返される声と同時に、一斉に軍馬の馬蹄が響きを上げた……



……その後の光景は、まさに、ヒーゼルが異才を放つ場となった。武人としての才を含めて、彼が率いたヴァンダリア騎兵の動きは、疾風迅雷にして縦横無尽。そんな、ありきたりな言葉が見たままの彼等であった。


 その光景は、王国軍第四軍が後方を遮断したゴルダルード軍の横陣中央を突破し、瓦解しかけた第五軍を引き連れて戦場を抜け出し、支援に回った第六軍が彼等に続いて、その後尾が小さくなるまで続いていく事になる。

 そして、ヒーゼルらは友軍を見送った後、自軍の為、更なる驚愕の時間を続けて……暫くの後に、残された者達の前でその光景が現れる。


「壮観ですね、ヒーゼル様。完全包囲ですよ」


 いつもの軽口な側近バースニーが声を上げる。そんな彼に、いつもなら口を出すディリックは、この場では沈黙していた。


「どれくらい……南へ」

「希望的観測で。二割いけばよい方かと……」


 ヒーゼルの呟きは、ディリックの見解で落胆に向かう。そして、「そうか」の声の後に、自らの周り――ヴァンダリアの兵達――を見回していた。


「男手が足りなくなりますね。帰ったら大変だ」

「ヴァンダリアは女性も優秀だ。そう悲観する物でもない」


 今度のバースニーの軽い感じには、ディリックも声を出した。それに視線が集まり、見つめる者は彼の向こう側に、彼の娘の顔を浮かべた様に見えた。

 ただ、「帰ったら」の言葉に触れなかったのには、暗黙の空気が流れている。しかし、それを掻き消す声がする。


「凄い光景だな。後、当たりは何人になる?」


 ヒーゼルの軽い感じの言葉の先。――その戦場では彼ら以外は全て帝国軍の兵という状態であり、「何人か?」以前に、彼らも中隊規模まで届くか? だった。


「百程で割れば、分かりますが。相手の数からして、二百ではきかないですね」


 これには、側近のランドンが答える。その言葉に何人かの笑いが漏れる。彼は気にする事なく、現実的な話をした。


「我々は、どうかと思いますが、降伏も道としてはあります。ヒーゼル様の身代金は、あちらにとっても選択肢としては有益でしょう」


「無理だと。やり過ぎた……と思うな」


 オーガスの声にヒーゼルも頷きで答えていた。単純な話、散々に暴れまわったヴァンダリア騎兵の動きで、王国軍の追撃も出来ずに、彼等は後退を見送る事しか出来なかったのだ。


 それに先ほどの突破劇である。


 本当の意味で殿になったヒーゼル達をどうにか囲んだ状況で、ゴルダルードが受けた被害から、金銭でどうにかするという発想には至らないだろう。


 帝国側の被害を簡単な羅列でいえば、軍団長が一人と騎士団長二人はこの世にはいない。それに、軍団長と騎士団長の一人ずつは恐らく再起不能である。そして、残る騎士団長も片眼を失った。……更に、付属して副将にあたる何人かと、指揮系統に携わる者を相当数を失っていた。


 勿論、これはヒーゼルらの意図的な結果であり、唯一の活路だった。当然、この事をなし得たのは、ヒーゼルの力によるものである。

 そして現状、意図はある程度成されたといっていい。彼等を囲むゴルダルードの兵が、兵科、部隊に寄らず入り乱れ混在していたからだ。その点だけでもそれがよく分かる。


 ただ、ライムントが、どこかのそれとは違い、名実ともに英雄足り得た故……この現実がある。

 そう、囲まれた彼等の帰るべき先には、ゴルダルード帝国の最精鋭であるライムントの直軍六千が、彼と共に立ちはだかっていた。


 ライムントは、視界に戦場が入りヨルグガルデから出陣した。半ば勝利をその胸に持って彼は出向いたのだが、その目に映ったのは驚愕の光景。――混乱を極めるゴルダルードの兵達だった。

 その状況を彼は、自らの豪腕でねじ伏せて、ここまで持ち込んだのである。


「あれは誰か?」


「イグラルードの辺境伯。ヒーゼル・ベルグと思われます。彼等が口々に、ヴァンダリアの名を出しておりました故。……王国の盾と称す一軍です」


「あの、ヴァンダリアか……」

「御意に」


 初めて見た彼等の姿。時折聞く、ヴァンダリアの名を誇張だとライムント思っていた。だが、彼は事実を目の当たりにして、それが過少評価であったと認識を改める事になった。


――終局に向かうであろう流れの中で、この空白の時間は、王国の盾の力と彼の認識によって出来たと言える――


 この刻の間(とき)ヒーゼルとライムントは、少なくない言葉を交わした。二人の言葉は確認する必要も無いほど、明確なものであった。――拒む者と欲す者。互いにその力を認めてである。


 ライムントとの刻を終えたヒーゼルは、自らの仲間の元に戻り、その表情を確かめる様に順に彼らの名を呼んだ。続けられる呼び掛けには、有る者は答え、亡き者は友が代わり、託した者は皆がその名を呼んだ。

 その光景の後、終焉を告げる鐘がなるように、ヒーゼルを取り巻く者達が気勢をあげる。

 それと同時に、魔装具を外した軍馬の嘶きが合わさる――それは満身創痍で、流れる流動が僅かな炎を残すのみであるとは思えぬ程であった。


「さあ、帰るぞ。ヴァンダリアの地に」


 ヴァンダリア候 ヒーゼル・ベルグの言葉と供に、明確な結果に進む時の扉が開いた……



……最終的に、ガーナル平原の東の端、ヨルグの地で散ったヴァンダリア兵の数は、三千二百二十八名……王国軍と異なる。黒を基調とした軍装を為した結果……捕虜となった者はいない。

 ある意味、恐怖の対象となったのだろう。しかし、それでも軍装を外して下る者はいなかった。


 彼らが何故畏怖を受けるのかは、ゴルダルード帝国軍の被害によって理解できる。


 天からの点で見た、あり得ない数字を記する。


 帝国側の死者六千四百四十三名。負傷者は一万五千八百二十五名。……数字の問題では無いが、この状況でヒーゼルを討ち取った、ライムントの手腕も尋常ではないと言えた。


 そんなあり得ない戦いを期に、国交を断絶した両国が非公式に捕虜の移管をした。

 そうして、帰国した王国軍の兵や、貴族の子弟が見たままを述べる事になる。しかし、エドウィンが初戦の勝利の喧伝や圧力をかけた事もあり広まる事はなかった。


 一方のライムント・ファング・ゴルダルードは、皇太子と言う地位を踏まえても、現実を受け入れ多くを語らなかった。

 父である皇帝に、甚大な被害を出した事を咎められた時、いや、あからさまに敗戦の叱責をされた彼は、堂々とこう言った。


「武神が如くの相手に、我ら帝国で、他の何れがここに立ちうるか……お聞かせ願いたい」


 二の句の出ない父親に、彼は儀礼をこなしきびすを返してその場をさった。


 その最中に、呟やいた声を聞いた者いないだろう。


「率いたのは、正に、極神 武勇を司る戦いの・(ブラーヴラム)の化身だ。あの様な男は、帝国中探しても居るまい」


 そして、その心残りの音までは、聞かれる筈もなかった。



 それでは最後に、ヒーゼル・ベルグ・ヴァンダリアの最後の場面に目を向ける。

……目指すべき場所に、立ちはだかる敵をなぎ倒して彼らが進んだ終着点。

 たどり着いのは、僅か十数歩後ろで倒れた盟友、オーガス・フロックハート士爵――当代のヴァンダリア最強の剣士――の屍を乗り越えた、ヒーゼル・ベルグ・ヴァンダリアただ一人。


 終着点はライムントの目前であった。


 しかし、既に彼の灯火は消えようとしていた。右手に自らの剣を持ち、左にはオーガスの剣を握りしめたまま、何本も矢を纏い。――三本の槍に貫かれ動けなくなっていた。

 この道で良かったかは、彼らにはわからないだろう。しかし、剣を持つ手に明確な意識を持たぬ者の所に、ヒーゼルは進む道を持てなかった。


 そして彼が進む道……それが主命なのだった。


 ヒーゼルは、来た道を。倒れた盟友を。付き従った者達を振り替える事も出来ずに、仁王立ちの姿勢で微かに息吹きを繋いでいた。 そのヒーゼルの瞳には、恐怖を抑えきれない表情のライムントが映っていた。


 そして、悟り残す僅かな思い。


――ローラ、愛してる。もう、帰れそうもない。……フローラをもう一度、この手で抱きしめたかった。……クローゼにまた、悲しい思いをさせる……ごめんみんな。ローラ……愛してる。


 薄れいく意識の中で、彼の想いは届いたのだろうか? それを確かめる前に、ヒーゼルを見据える眼光が一つ。彼の視界にはいった……。


 そして、視界が無くなり時が止まった。




兵力表記について。

動員数七万二千。兵力五万九千――騎兵一万二千

全体の動員数。実兵力の総数――実兵力内の騎兵数。


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