十五~双翼乱舞……終獄の一撃~
壁際まで逃げ出したベイカーは、頭上の魔力の流れを感じ、目の前を浮遊するタイランを、視界におさめていた。
――そんな物は、時間稼ぎにしかならないのが、分からないでも無いだろう。あの時とは違うんだ、ほって置けば、いなくなる訳でないのだからな。
どういう理屈か分からないが、実際そこにある人智を越えた存在を、一時的に封じ込めてもどうにもならないと彼は思っていた。
タイランの言葉が、彼には聞こえていないので、自身の考えは、彼にとって当たり前に思える。
ただ、タイランは、あの声の正体が目の前のものであれば、無策ではなかった。彼は、握りしめた黒い竜水晶の魔導具を支えに、カーイムナスの前に降り立った。
近くには、その様子を見ている、黒の六循のクローゼがいる。
「兄弟子――長くは持ちません。早く」
ベイカーの頭の上を、ユーインの声が通りすぎて、タイランに届く。実際に、エルマもユーインも全力の魔力を込めた結界で、カーイムナスを封じ込めていた。先程のベイカーの一撃がなければ、既に破綻している領域にある。
ただ、催促する言葉が、タイランの命を散らすのを彼らは知らない。単に、タイランは、古の魔法でそれを封印すると告げただけである。
そんな彼が、思いと覚悟を向けたカーイムナスは、動けない事に感情を顕にする。
「あり得ん……躯の欠片から湧いた人ごときに」
身動きが出来なくなっていたカーイムナスは、拠り所である滅紫色の竜水晶によって、本来の力を出せない事に苛立ちを見せていた。
具現化する為の弊害であるが、本当なら、この程度で動きが阻害されるなど、あり得ない事である。
――そう彼は、万を十に倍する力を持つ神の息吹きであるのだから――
苛立ちを見せる、カーイムナスに向けて、タイランは手にした魔導具をかざして、封印の魔法に流動を合わせる。
確信を持たぬままではあるが、彼には、それ以外選択肢は無い様に見えた。
呟きを伴い行われるそれは、複雑で繊細な物の様で、通常の魔動術式とは比べられない程、時間を要している。
その少なくない時間が、カーイムナスに、それが何かを理解させた。
「何だ……その音は? 何をする気だ。その黒いのは……まさか神具の欠片か? 止めろ。本当に封印などと口にするのか……人の分際でそんな物を使ったら……お前も消え去るぞ。とりあえず、まて……龍装無しでそんな事をされたら……」
先程の「封印されろ」の言葉の意味を理解したのだろう、カーイムナスのらしくない言葉を聞き、タイランは、自らの師が読み解いた古の書について、確信を持った。
そして、白と対をなす黒を握り、自らの師に感謝の意をむける。
――我が師よ、自らの過ちを自身で正せる事を感謝致します。
そんな覚悟の思考で続く、封印の魔力発動に至る過程を、カーイムナスは拒絶する様に結界に抗う為、魔力の動きを高める。※
それゆえか、弾けそうな結界を押さえ込む二人に、焦りの表情が滲み出ていた。当然、持続させる魔力魔量には限界がある。
そして、見るからに必死なエルマの近くで、彼女を見詰めるオーウェン達も、声を出す事が出来ない。
オーウェンを含めて、その場の何人かは、カーイムナスの存在を知識として知っていた……。
「べっ、ベイカーさん……じょっ、助力を」
ユーインが、自分の下にいるであろうベイカーに、かろうじて声を掛けた。既に限界に近いのが、出された声の調子で分かる。
そのユーインの声に、ベイカーは意識を向ける。だが、彼は壁に預けた背中に、気持ちを委ねていた。
――あの人が、何をしたいのかは分かった。だが、今更俺に何が出来る?
と、そのままの雰囲気な、魔導師たる彼の心を折る程の存在に、彼の兄弟子や弟妹弟子達が立ち向かうのを感じながら、そう思っていた。
――そんな奮闘を見せる、彼等の師であるマリオン・アーウィン大魔導師。その六人の直弟子と言っても、タイランとジャン=コラードウェルズの二人と、残りの四人では一回り以上年が離れている。
その中でも、タイランに見いだされて、マリオンの弟子となったベイカーは、彼の事を兄弟子というよりも師として見る事が多い。そして、あの場に居合わせた彼は、タイランが何を成そうとしているのか理解した――
――だが、俺にも責任があるだろ。
「四人の中では、お前が一番才能がある。私も及ばぬほどにな。なのに、それなりで満足するのが、悪いところなのだよ」
諦めと思い直し。そして、タイラン・ベデスのらしからぬ言葉を彼は思い浮かべていた。
――それなら、もう一度。
そう、ベイカーが気持ちを持ち直した時に、瞳の中の光景が弾けて、紫の閃光が放たれるのが見えた。
その光の線は、正に声を上げようとしていたタイランの胸板をえぐる様に、湾曲して展開されたら魔方陣に吸い込まれる。
体が飛ばされて、地面に預ける様に倒れるタイランの向こう側で、それを発動したであろうクローゼをベイカーは見つめる。
そして、遅れて聞こえてた「魔量吸収」の声を彼は認識した……。
その魔方陣を展開したクローゼは、その瞬間まで大人の事情であると、エルマの行動でタイランを見送っていた。そして「封印……」の声で、それを静観している事になった。
クローゼにとってタイランは、あの事件を除いても自分の側であるとの認識はない。それは、アレックスの言動よるところが大きいのだが、見た目の印象が強かった。
しかし、目の前に降り立った彼の趣は、自分の印象とは異なっていた。単純に人が変わった様に、どこか達観した様子に見えていた。
――ちょび髭、だけど。近くで見るとこんな感じなんだな。……の雰囲気になる。
そこで始まった、王国最高峰な魔導師の競演を、特等席で観戦する観客の様に、クローゼは見ていた。
――神様的な奴を押さえ込むとか、どんだけだよ。
やる気満々の自身を棚に上げて、そんな事を考える程の余裕である。
当然、それには根拠があった。魔力の塊が実体化した様な相手は想定外であったが、伊達に対魔王を自称してはいない。
それは装備品だけでなく、操作可能型自動防護式の対魔力防壁。
その第一の楯、魔量吸収と第二の楯、魔力反射を根拠としてである。
それに、守護者の言葉『この間の奴に近い』によって確信していた。彼は魔王と対峙して以降、劇的に魔力魔量が上がったのを実感し、智の守護者からも指摘されている。
無論、相対的に魔王もではあるが、それはこの際関係がない。
その為、この前『位』なら力負けはしない、仮に万を越える魔力魔量があったとしても、と彼は思っていた。特殊の状況も想定し、智の守護者の考察を踏まえた、クローゼの楽観的な思考だった。
――チートだな。自分を知れば知るほど。だけど、自分からダメージが与えられないのが痛い。極鉱石使ってるから、思い切り魔力込めても壊れないけど。効かないんだもんな、こいつ。
そんな中で、『封印』の二文字は渡りに船であった。その流れで「何ならこのまま」の瞬間に、それが弾けての瞬間な発動。
「中々な量だ……全部は無理っぽいな」
展開した魔方陣が、吸収した魔力と共に集束する様に消え、クローゼの呟きが続く。
それをカーイムナスは一瞥して、前方に倒れるタイランを踏みつける様に足を出した。
その動きで、致命的では無かったが、それなりの傷と距離で動けないタイランを、クローゼは視認する。
――こいつ。馬鹿じゃないな。さっきの使わないのかよ。
カーイムナスが、魔力から物理的な打撃に切り替えたのを、クローゼは気が付いた。しかし、位置的に間に入るのは難しいと認識もした。
いつもなら、ここで対象防護なのだが、インパクトの瞬間に込められる魔力は防げない為、タイランの体勢によって無力なのが、クローゼには分かった。
――逃がすところがない。魔力の塊が魔力を帯びないわけないし、『ちょび髭……』
その思考で、握る双剣に力が入る。
そして、エドウィンの下半身が脳裏によぎり、突然だったそれは、自ら丸呑みしたのを思い出す。
しかし、目の前の光景は『まだ』だった。その為、例え誰であろうとも、彼は無視できない。
――これで、何もしなかったら、導師に合わせる顔がないんじゃないか?
そんな考えが頭を過る中で、突き出し握る手に魔力を込め「起動」呪文の後に、言葉を投げる。
「魔導師が何人いる――なんとしろ」
他力な叫びの後。いや、それより僅かに先。
竜硬弾がカーイムナスを捉えたと同時に、カーイムナスの進む先とタイランの位置する間に、『白い魔方陣』が展開する。――そして、少し遅れてクローゼの耳入る「召喚」の声。
それに、ベイカーの声も重なった。
「全力で本当に点だ――極限なる破壊の力」
竜硬弾に続く声の光景が、クローゼの瞳に映し出される。
それは、魔方陣から現れて行く手を阻む、見たこともない召喚獣の姿と水平方向から黒い閃光を放ち、カーイムナスに激突した黒い点が、魔力が具現化した肉体をもぎ取り、進行方向の終着となった壁に当たる光景。
刹那で爆音と爆煙が続き、クローゼの背中で響く。そして、召喚獣の見えない刃が、カーイムナスを切り裂くに至る一連。
その光景に、別角度から声が届いてくる。
「だめ! 伯爵様にそんな事したら。そんなのは、ギチョンギチョンにしちゃえ」
声に振り返るクローゼ。その視線の先で、観客席から身を乗り出さんばかりの女性と、それを押し留め様とする人が見えた。
勿論、クローゼには認識できないが、シエラとそれを引き止めるドーラとロレッタである。
――なんだあれ? てか、ベイカー?
見たままに続く別の思考の後に「ぐががっ」との声に釣られて、クローゼは視線を戻す。
そこには、もぎ取られ切り裂さかれたカーイムナスが、滅紫色の竜水晶を晒した状態で立っていた。
「そっ、それが……本体だ。砕け」
半身を起こしたタイランの声が、荒々しい音が静寂に向かう最中、微かにクローゼに届く。
それに抗う様に、カーイムナスの肉が形を取り戻し始め、召喚獣の二撃目がそれを襲う。
その動きに紫の閃光が合わさり、カーイムナスの肉を切り裂いた召喚獣は、紫の光線で焼き払われる。
「あ~。ごめんね」と、シエラの声が微かに聞こえて、クローゼは走り出す。そのまま、戻り行くカーイムナスの肉体を見据えて、握る手に力を込め距離を詰めた。
拳大の滅紫色には、当てる自信がないクローゼはその選択する。詰めた距離に、伸ばす剣先を向けて竜硬弾を放つ。
放たれた高速の弾道が、滅紫色の光をかすめたのを視認して、自らの行く勢いを殺して叫ぶ。
「ク○野郎――○ね」
その言葉の後に、カーイムナスが振り返り、その全景から、肉体が完全な形に戻るのが、クローゼには分かった。
その顔からは、紫色の光が炎が如く吹き出しており、怒気を押さえきれない表情が、クローゼに向けられていた。
「カスが。……調子にのるな――」
クローゼは勢いを殺して、体勢を立て直そうとした。しかし、向けられた言葉に続いて、今までとは比較にならない魔力が魔量をのせて放たれる。
一瞬の事に、クローゼはどうする事も出来ず、自動発揮される対魔力防壁に身を委ねた。
きらびやかに、連続で発揮された煌めきの何回目か。……いや、殆んど最後でカーイムナスの発動した魔力魔量を対魔力防壁は受け止める。
ただ、その威力でアンカーを失くした様にクローゼは後方に飛ばされて、壁に当たり衝撃でその場を砕いていた……。
少なくない無い時間が流れて、彼は自身を認識する。幸い瓦礫には埋もれている様ではなく、彼の視界は開けてはいた。
――なんだ。それ。とりあえず、生きてるのか? 痛くは無いけど。……いや、痛いのか?
クローゼは感覚が上手く掴めず、肢体を動かして自分の体を確認する仕草をしていた。
――手足は動く。……仮面は壊れたのか? 鼻の下がぬるっとする。鼻血か?
そこまで考えて、彼は前方を見る。
そこに立つカーイムナスも、項垂れた様に立ち尽くしていた。それは陽炎にも似たそれに見えた。
――なんだ。お前もか、ざまぁ見ろ。
抜け殻の感じなカーイムナスを見ながら、クローゼはベストの様な構造の上着を開いて、中にある筒を探る。何本かは壊れている感じが、クローゼには分かった。
――割れても、大丈夫なんだな。……白は一本無事か。後は回復のが……あった。
クローゼは無事だった筒を取り出し、親指で押し込む動作を続けて、その効果を体感していく。
暫くして、取り敢えずは立ち上がる事ができたが、待機状態は既に解けていた。
自身の状態を彼は理解して、改めてカーイムナスに意識を向ける。向けた先の相手も彼を見ていた。
ただ、それは、僅か殺気を含んでいたが、先ほど威圧感は無い様に見える。
僅かに、カーイムナスの口が動くのが見えたクローゼは、最小限で発動可能な、操作可能型自動防護式の不可侵領域を無言で唱える。
そして、カーイムナスの言葉を聞いた。
「お前は、何だ?」
「黒の六循だ」
仮面の下半分は顕になっていたが、クローゼはそう答えた。
それなりの距離で対峙していたが、相手の体の色が薄い事に彼は気が付く。更に、徐々に色を帯びて行くのも感じた。
――ああっ。戻ってやがる。残りカスみたいなってるけど……元に戻るのか。
その思考の後に、クローゼは周囲を見回して状況を確認するが、さして良い状況とは思えなかった。
クローゼとカーイムナスが、一時的にフリーズしている間に、ベイカーがタイランを連れてその場を逃れ、二人の姿なく。
また、彼が見上げた南側の観客席には人影はなく、北側にはまだ、何人かの人影は確認できた。
――ごめんねの後にシエラは気を失って、ドーラと共にロレッタ達とその場を後にしていた。仮にクローゼが、召喚術士のシエラに気付いても、その助けは受けられなかっただろう――
だが、その状況でクローゼは双剣を握り直して、意を決していく。
――やるしかない。狙いどころはある。
と、再び獄の眷属神たるカーイムナスに向かった。使える楯は無く、黒の六循を纏い、自身の体だけを絶対の領域としてである。
肉薄する距離で、竜硬弾を放ち斬撃を浴びせる。身に迫る打撃を交わし、閃光をくぐり、弾き、受ける。相手の一点に一撃を通す為に。
「無駄な事はよせ……無理だと分からぬか」
「だから、何だ」
動きだけは追えている。クローゼには分からないが、具現化の影響だろう。
そして、無駄な足掻きにしか見えない攻勢を、クローゼは繰り返していた。だだ、カーイムナスの言葉が、クローゼには刺さってきている。
――弾、切れたし、差が開くばっかりだ。ヤバい、駄目か。今なら飛べるけど。
諦めの気持ちとも戦い始めたクローゼの背中から、ローランドの声がした。
「黒の六循殿。避けられよ」
呼ばれた言葉に反応して、クローゼは身を屈める。
その上を、ローランドの放った剣技の魔力が通り、カーイムナスに当たり、その身体を弾いた。
「これを抜かれよ……出来れば届く筈だ」
「今それか、意味が分からん」
投げられた言葉と剣。
地面に刺さった剣にクローゼは手をかけた。一瞬崩れた体勢を、カーイムナスが立て直そうとした間の流れだった。
「抜けなかったらどうなる」
「その時は潔く。このままでもいずれはでしょう。ただ、私の目からは、貴殿は勇者に見える」
走り寄ってきたローランドにそう言われて、クローゼは刺さる剣に手を掛け「知らんぞ」の声と共にそれを引き抜く……
「駄目だ、抜けない」
鞘ごと地面から抜けた剣を、カーイムナスに向けてローランドに告げる。「ああっ」の返事とも取れない声の後に詰め寄られ、受けた剣ごと二人はとも後ろに弾かれる。
――わけないよ。これ以上設定めんどくさいから。って、これは無理だな。二人なら飛べるか……
『久しい手応え。此方によこせ』
――何だ。ずっと黙りだったろ。いきなりなんだ。
『手を出すなと、言っただろう』
――あっ……確かに。というかエスターとかの類いなのかこれ?
『本物だ。……手応えがな』
――なるほど。じゃあ任せた。……なりだな俺。
「良かろう。……ローランド。持て」
「何を突然?」
「来るぞ、早くしろ」
飛ばした距離をカーイムナスが詰める様に、拳圧を込めた拳が二人に迫る。その最中、クローゼは鞘におさまる剣先を、ローランドに預ける様を見せた。
ローランドは、雰囲気の変わった彼に戸惑いながらそれに従う。握ぎった手に、明確な手応えをローランドは感じていた。
滑る様に抜き放たれた剣は、美しい剣心を走らせた。
そのまま、迫り来るカーイムナスの横をあたかも剣自身がそうした様に、クローゼがすり抜けて、滅紫色のそれと共に、上下に分断した。
その突き抜けた先で、クローゼは振り返り呟く。
「この剣の名は?」
問い掛けに、ローランドは口を開こうとしていた……。