七~王都……嵐の前の静けさ~
王太子の宣誓式――王より、ローベルグの名を賜り王位継承権を持つ成人が、王太子に選ばれた事を天極の神々に宣誓する儀式の事である。
天極の地より招かれた、「神の子たる」龍の巫女を通じて行うものだった。
これ自体は、本来の流れでは無い。これは、現在のイグラルードの特殊な事情が考慮される。
王妃の第一王子であるエドウィンが、妃を持ち子をなして尚王子のままだったのは、彼の「人となり」に寄る処である。
その最たる理由は、彼の性格を王国の行く末に合わせて、エドモンド王が憂いを持ったからだろう。
ただ、最愛の妃である、オーウェンの母親を思う気持ちあったのは言うまでも無い。
あの事件が起こる前に、晩年を迎えた王はその意思を明確に表した。
ジルクドヴルムの一件で、オーウェンが国事を成せると国内に示し、彼を王にする事を決めて動きだした。
そして、義父であるノースフィール候の後ろ立てで、実力行使も辞さない構えのエドウィンと国王は、激しい諸侯の取り込みの攻防を行う事になる。
結果的に王と争ったエドウィンは、あの事件を起こし今日の王太子の宣誓式に至る。
長年の鬱憤を晴らす為に、自称王太子は、地位を確固たる物とする為、準備をしている直中にあった。
慌ただしさを見せる王都ロンドベルグは、激しく人が暗躍するのを除けば、表面上は平穏さを見せていた。寧ろ華やかさを見せている。
各地で処々の対応が終息を迎え、多くの貴族が集まり王都は……王宮はそんな様相見せていた。
とある場所除けばになる……。
平静を見せる王都。貴族が居を構える区画の外苑にある屋敷で、食事のテーブルを囲む光景があった。
「仮面の騎士さま。これおいしいですよ。あっ、あとこれも。おいしいね、お姉ちゃん」
笑顔でそう言うシエラに「そうね」と答えるドーラ。彼女達の向かいに座る、目の周りに仮面をつけた男を、シエラは「仮面の騎士」と呼んだ。
彼はこれと言われた物を口に入れ、味を確かめら彼女に笑顔ととれる赴きを向けていた。
「美味しいよ。うん、美味しい」
「でしょ。私これ好きなんです」
何でも無い会話をシエラとするその男は、時々深刻な顔で食事の手が止まる。
その度にシエラが、何かしら話掛けていた。そんな様子をドーラは、いつもと違う感じがしていた。
彼女達がいるこの場所は、タイラン・ベデス伯爵の屋敷である。勿論、タイラン・ベデス本人も居た。
どうしてなのか? という事については分からないが、あの一件以来、独り身のタイランは、彼女達と食事を共にする様になっていた。
それに、召喚術を使った行為は以後行っておらず、時折、彼女達を連れてロンドベルグの街並みを見る事もあった。
彼の心境の変化はさておき。
当然の顔で、その場にいる首輪で繋がらたかのローランド・ブレーズ。彼も同席する奇妙な組み合わさせの中で、共に食事をする仮面の騎士は、エルマ・クルン子爵の想像通りだった。
――オーウェン=ローベルグ・イグラルード――
ただ、これはタイランが意図した訳でない。
あの時に、たまたま追従していたローランドが、その場に入る事が出来ずに外で待っていた。
そこに、瀕死のオーウェンが来た事による、偶然であった。
騎士としての彼の行動だったのだろう。
屋敷への道しか知らない彼は、仕方なく屋敷に彼を連れ帰る。屋敷の者に言い出せなかった彼は、ドーラとシエラに助けを求めた。
そんな状況に、彼女達がなけなしの知識で、必至に手当てをしていた。そこに、逃げる様に屋敷に戻ったタイランが、鉢合わせたと言う事だった。
その時の光景は『必死』だった。
「伯爵さま、死んじゃう、死んじゃう。この人死んじゃう、たすけてあげて」
「申し訳ない。……どうしていいか分からずに」
あの後、無我夢中で逃げる様に屋敷に戻ったタイラン。彼を見つけて必死に声を出すシエラの言葉と、立ち尽くすローランドの姿が入ってきた。
たまたまだったのだろう。自らの屋敷に、正面から入る事が出来なかったタイランの自責が、彼女達の必死を彼に見せたのだった。
流石に、鮮明だった光景が抜けていなかった彼は立ち尽くす。それをドーラの声が引き戻した。
「伯爵様。傷が深くて、意識が無いのです。どうしていいのか……」
「ローランド。兎に角、中に運びなさい。後は私が何とかする」
そして、知識としての治癒魔法で、彼の命を繋ぎ止めたと言う事だった。
「ベデス伯爵。貴方には感謝しかない」
皆が食事をおえる中、深刻な顔で手を止めていた仮面の男オーウェンは、シエラが声出す前にそう呟いた。
「騎士殿。感謝ならこの者達に」
「伯爵さま。仮面のです。首飾りの騎士さまも騎士だから、わからなくなっちゃいます」
タイランの答えに、シエラが訂正の声を挟む。それにタイランは、僅かな笑みを向けていた。
「そうだったね、シエラ。仮面の騎士殿だ」
「そうです」と彼に答えるシエラから視線外して、タイランはドーラを見る。
「ドーラ。シエラと席を外してくれないか。大事な話があるのだ」
向けられた声にドーラは頷いたが、シエラはまだテーブルに気持ちが残っていたのか、渋い顔をした。
「メイドに言って、果物でも出してもらいなさい。食後のデザートだからおやつとは別だよ」
「伯爵さま本当ですか。やった!うれしい」
タイランにそう言われて、シエラはドーラと部屋を後にする。その嬉しそうな顔を、残った三人は柔らかい表情で見ていた。
「首飾りの騎士ですか……。まあ、首輪の騎士と言われるよりいいですか。……それと彼女は、何かしらあるのですか?」
「ドーラの話では、少し幼くなる時があるそうだ。ここに来てから、酷い時があると言っていたな」
シエラの話題で場を落ち着かせようとする、そんな雰囲気が流れる。
「で。私はここにいても宜しいのですか、大事な話があるのでは?」
「貴殿は、私に逆らえない。だからと言う訳ではないが問題ない。それに既に事情は承知の筈だな」
「確かに」と、ローランドは切り出した言葉の回答に納得して、タイランを見ながら軽く頭をかいてそう呟いた。
タイランは、その声を耳に納めて仮面の男を見る。
「それで、オーウェン殿下。御気持ちは変わりませんか?」
「そうだね。変わらない。それしか選択肢がない」
「落ち延びる。というのは、一つの手ではありませんか? 主あっての臣と言うのもありますので」
タイランの言葉にも、揺るがないオーウェンには、ローランドの声は届いていない様に見えた。
そんな彼は、片付けていないテーブルに肘をついて、あまり進んでいない料理の残りを見ていた。
「正直な所。誰が味方なのか分からない。陛下がそうしろと言ったからそうだっただけで、私に臣下などいなかったのだと思う。それに唯一臣下。いや、味方だと思えた彼等は……私の為にあの惨劇だ」
「近衛はもはや駄目でしょうな。残った者は、躍起になって犯人を探してはおりますが。とても殿下を御預け出来る状況にない。主だった騎士とあの二人があの惨劇で。……黙認した私が申すのもおかしいのですが」
フォークに刺した残りを、皿の上で遊ぶ様に動かしながら、オーウェンは独り言の様に声出していた。それに、何処かしら遠い目をしたタイランが言葉をのせた。
それを聞いて分かる様な声で、オーウェンはタイランの気持ちを拾う。
「今は、私の事にも目をつぶっているではないですか。それで、どうという事にはなりませんが。それに、心に何もなく現状を甘受している者ばかりではない。ならば、私かそこに行く価値がある。流石に、公衆の面前では無体な事はしないでしょう」
オーウェンの決意は、簡単に言えば王太子の宣誓式に自らの赴き、エドウィンの『所業』をその場で糾弾し、王国の臣と民に訴えると言うものだった。
「私の立場を棚に上げて、有り体に言えば、既にその域は越えている。と申し上げなければなりません。宮中伯の件でも分かるように……」
「ガチャン」と唐突に音がして、オーウェンのフォークが形をかえてテーブルに刺っていた。それで流れが止まる。
「私の友を戦場に置き去りにして、見殺しにしただけでは飽きたらず。その大切な想い人の縁を絶ち切るなどと……考えればもはや人道はない。確かにあの人はそうかも知れない」
「その通りです。それに、人智を越えた物の存在も無視できませ故。斯様な者を、彼等が御せるとは思えないのです。西部か南部のいずれかなら、再起も可能かと。その辺りはの手筈までは、見なかった事に出来ますが」
体を奮わせる雰囲気の彼に、タイランはそう言った。そんな彼等の様子を見て、ローランドは簡単な疑問を向ける。
「王国の騎士団はいずれに。殿下が然るべき声を上げれば、彼等の騎士道が答えるでしょう」
その声に、オーウェンはタイランを見る。代わりに言葉を出してくれないか?とそんな顔していた。
「王は絶対なのだ。まあ、簡単に言えば、ほぼ全軍が既に国境付近に張り付いているのだ。あざとい進言だったなと思うのだが、最もらしく王命を引き出した。と言う事だ。もう、魔なる物のそれは封印の魔術で穴を塞ぐ手立てはあるのにな」
タイランは口に出して、あの男の事を久しぶりに思いだした。
実際には、それを成したのはエルマでありユーインだった。 ただ、結局あの男の手がなければ、成されなかったのだと。
事実は、タイランの言葉通りである。ただし、可能性の問題で言えば、王国中央部には一万を越える通常配備の王国軍と騎士団はいた。
しかし、オーウェンにそれを動かす権限もなかったという事になる。もし、彼が王太子であれば話は別ではあったのだが。
「計画通り。ということですか」
「そうだな」
計画通り。タイランはその言葉を聞いて、あの勇者を思った。あからさまに、ノースフィール候の屋敷に囲われている。その人智を越える者か物なのか。
――あれは、計画ではない筈。あの声は……。
タイランの思考の先は、当たり前の様にノースフィール侯爵の屋敷にいた。
それを追うもの全てが、そこに居るであろうと断定出来る程にではある。
居る筈の屋敷の一室に、当主であるラズベスは訪れている。護衛らしき何人かと、その後ろにはベイカーを連れていた。
護衛に扉を開けさせて、彼は徐に声を出しながらそのまま中にはいった。
「勇者殿。私は多忙なのだ、いきな……」
彼は「キャー」というカン高い声が聞こえて、言葉を止める。
声の出所には、彼の視線から妖艶な裸体を隠す何人かの女性と真ん中で酒を煽る男。……勇者にされたカイムがいた。
「ラズベス殿。よく来た。あんたも飲むか」
「ゆっ、勇者殿。まず要件はなんだ? 酒?そんな暇はないのだ」
「邪険に扱うなよ。王は殺してやったろ」
ラズベスの答えに、カイムは気だるそうにそう言っていた。彼ははふんぞり返って、長椅子に、ベットの様な椅子に体を預けて、更に酒を口に入れる。
仕草に威圧感を受けたラズベスが、動揺を見せていた。
「それは、感謝しておる。民にあだなす非道の王を倒して頂いたのだ。流石に勇者殿だと関心しておる。もてなしが足らぬか? 酒か? ……女か? 異国の珍味でも……」
「まて。それはもう飽きた。兎に角、いつまでここに籠っていれば良い? まずはそれだ」
カイムは意に反した答えに、体を乗り出すように座り直して、侯爵の声を遮った。
その態度をラズベスは、更なる威圧と捉えて、あからさまに距離をおく。
「まだ、魔王がおる。その時まで、英気養って貰わねばと思うだけた。暫く待たれよ」
「それは何時だ」
「まずは待たれよ。魔王と約定を結んだ、不埒な王は勇者殿が倒した。それで、正当な人地の王としてエドウィン殿下が立たれる。そうなれば魔王を伐つ為にその力を使われる。大軍を起こすであろう。その先頭に勇者殿が立つのだ」
益々威圧感を増すカイムに、ラズベスは口早に言葉を並べた。それにカイムは、怪訝な顔を向ける。
苦し紛れに思える侯爵の言葉、「魔王と約定を結んだ」にはある種の語弊がある。しかし、それはカイムには分からない。
「そんな王を倒した俺が、称賛もされずにこんな所にいるのは何故だ。ラズベス」
威圧を通り越して、殺気を漂わせる彼にラズベスは言葉を呑み込んだ。そして、今度は本当の意味で苦し紛れの声を出した。
「それは、魔王に勇者殿の……そう、あれだ、その、顔を知られては困るのだ。そうだ。そうなのだ」
その答えに、カイムは考える仕草をする。それで一瞬殺気が削がれた。それを感じて、ラズベスは安堵をみせる。
しかし、次のカイムの声に、驚きの瞳を向ける事になった。
「それならば、顔が分からぬ様にすれば出れるんだな。……ならそうする。準備してくれ。久しぶりに外に出たい」
当たり前の様にそう口にした彼を、ラズベスは戸惑いの顔で迎える。そして、返事を返す事が出来ない。
「どうしたんだ、早くしろよ。そこに突っ立ててもしょうがないだろ」
「それは……」
「俺は、気が短いんだ。それをここまで我慢した。無理を通してもいいんだぞ。ラズベス」
先程よりも、殺意と取れる雰囲気が込められた言葉。それに、承諾の声しか出せなかったラズベスは、カイムに分からぬ様に侮蔑して、その部屋を出る事になった。
その事を消せぬまま、ラズベスは憤慨の面持ちで廊下を歩く事になる。
「なんだ、あいつは。私は侯爵だそ。それを……。ベイカーなんとかしろ」
「無理ですね。あの時のあれを見たでしょう。あんな化け物、どうにか出来る訳ありません」
「お前は魔導師なのだ。何の為の魔術だ?」
憤慨する雇い主。ベイカーは彼をそんな感じで見ていた。そして、その問いかけに思いを向ける。
――隷属の鎖。奴隷を扱うのに使われるそれなら或いは……。
そこまで考えて、それを掻き消す様にラズベス言葉を返していく。
「無理ですね。あの流動を押さえ込むのは私には無理です。……そう言う事です」
「どういう事だ。無駄に位俸を与えておるわけではないのだ」
「私は魔導師です。あれは普通の人。それもあれですが。そんな奴の魔力魔量は私を遥かに凌ぐ。なので、生半可な魔動術式ではどうにも出来ないと」
そこまで言って、立ち止まってしまった侯爵の顔を見る形で、彼はもう一度声だした。
「もし、それが可能だとすれは、術式自体に魔力をこめる様に、それこそ何年もかけて組み上げた物が必要になります。そうです念密にですね。ただ、そんな物好きはいませんよ」
それを聞いて、「ああっ」となって頭のかきむしる侯爵に、彼は言葉を続けた。
「一応、古の魔導書を調べます。頂いて分は働きますよ。取り敢えずは、なだめすかして何とかするしか無いでしょうね」
その言葉に益々憤慨する侯爵が、執事に当たり散らかす様に、指示を出すのを彼は見て思っていた。
――兄弟子は、あんな奴を召喚してどう御すつもりだったのだ。勇者処か……あれはむしろ魔王だぞ。魔王以外にあんなモノがいるとは、この世の末に立ち会った気分だ。
そんな思いまま、自らの書庫に足を向ける彼だったが、そんな化け物じみたモノをその日の内に新たに見るなどとは……この時は思ってもいなかった。




