壱~物語は唐突に綴られる~
天極と天獄の間の世界と呼ばれるこの地。はじまりの天より生まれし、対をなす神々の争いよって作られた。
龍装神具を纏い、対をなす神々は天で戦いを起こす。その始まりも僅かな点だった。そして、双方は互いを葬り、躯を重ねて『隔て』を作り、天極と天獄の地なるものに分かれる。
その隔てが、神々と呼ばれる彼らの争いを終焉させる物となった。
やがて、智や解では計り知れぬ流れを経て、龍装神具の残骸は、分厚い竜鉱石の岩盤を築き上げる。
そこに相応の流れが続いた後、両翼の神々の恩恵と弊害が、隔ての両側に積み重なる。
積み重ねの中で、戦いにより飛び散っていた神々の躯から、人と魔が生まれ、人智と魔解――人地と魔界――が隔ての両側に出来きる事となった。
そうして出来上がった世界。その天極の側で、人智――人地――がある所の凡そ真ん中辺りの場所に、イグラルード王国と称する国はあった……。
――特異なる者――
そこで、そう告げられた男がこの刻に存在する場所は、王国の南側に位置するヴァンダリアと呼ばれる地。その中心なる所で、城塞都市ヴァリアントであった。
ヴァンダリア侯爵家の屋敷がある、その都市の城壁が見える場所に、その男は突如として現れる。
「定刻通りでごさいますな。ヴルム男爵」
城壁の外側で出迎えた男が、展開した魔法陣の残光が消えぬ内に、歩き出して来たその男をそう呼んだ。
「ウッドゲイト殿が自ら出迎えとは、驚いたよ。定刻。……まあ、それが利点だからな」
クローゼの前にいるのは、ダドリー・ウッドゲイト士爵である。彼は、モリス・カークラント士爵が持っている、ヴァンダリア家の軍務に関する全権代行者だった。
「まあ、只の代行ですから、驚かれる程では無いでしょう」
「モリス殿の目にかなった貴殿が、只のではないと思うが」
会話の最中にクローゼは、ダドリーから魔量充填と呼ばれる、白い筒状の魔動器を渡されていた。そして、クローゼの返答に、彼はそれを指して「使われますか?」と言葉を掛けた。
問い掛けにクローゼは、受け取った魔量充填で自分の「胸」辺りを指す仕草をする。そこには、縦に差し込まれた同じ物もあった。
「貰っておく。予備はあるが、ここに用があるのでやめておこう。それに数がないからな」
「分かりました。ヴルム男爵の分は最優先で確保致しておりますので、お気に為さらぬ様に」
会話を続けながら、彼らは、用意してあった馬に乗り手綱を走らせる。そのまま城門に向けて動き出した。
「エストテアの方?」
「暫くは、何とかなりそうだ。クーベン経由で帰って来たのはその辺りも含めてだからな」
「我々としても、最大動員をかけるとなるとそちらの動向も無視できませんから。男爵がそう仰るなら、此方は職務を果たすだけです」
「まあ、それは今日次第だな……」
護衛の一団を連れて、僅かな距離を並走し、彼らは言葉交わして城門の中に消えていく。
『クーベンを経由』の言葉通り、彼は既にそこを訪れていた。ユーベン脱出の流れから、残したアリッサを思い、失意では無いが微かな希望を握りしめてである。
その刻は、エストテア王国北部の騎士の一団の帰還と共に、ステファン・ヴォルラーフェン子爵の真意と偉業の代弁者として、レイナードを護衛に連れて彼はクーベンに入っていた。
そして、反逆者を前提とした南部諸侯の視線と、ニナ=マーリット王女の憔悴した表情の前に、クローゼは立つことになった。
結果的に、ステファンから託された形の『剣』をエストテア王国に返還するに至ったのである。
龍極剣エスター。エストテア王国の至宝である剣の返還と、対である剣エスターナとその守護者ミラナ・クライフの帰還は、閉塞的な空気に僅かに光を差した。
その僅かに開いた空気感に、クローゼはユーベンでの出来事を絡めながら、ヴァンダリアで有る事含めて、ステファンとミラナの英雄伝を語り、王女の心をこじ開ける事に成功する。
「黒銀の名を持つ人狼を、亡き友の剣を奮いステファン殿が抑え込み。紫黒の名を冠する魔王の側近を北部の憂国の騎士達が、その命をとして封じ込めて……」
「聖剣の守護者。ミラナ・クライフ殿が龍極剣エスターナの一撃が魔王の胸を貫いて、その鮮血を空気に晒した時はもはや事はなったと……」
言葉を区切り、身振りを加えて彼の雄弁な語りが熱を持つ。そして、その下りを言葉にした時にどよめきが起こり、その場の雰囲気が高まり王女の目にも輝きが見えていた……
「大概だな。煽りすぎだろ」
「クローゼ殿。大きな声では言えないが、良いところしか言われてない。心苦しい気がする。それに、私一人では……」
クローゼが、その場を盛り上げて同行者の元に戻った時に、レイナードの呆れ顔とミラナの困った顔が、彼の目に一番に入ることになった。
「微かな希望が人を生かすんだ。それにミラナ殿。王女様の前で最後に言った事は、本心だから心配しなくていい。魔王と対峙する時は、必ず俺もレイナードもいる。個人的には絶対だからな」
「俺もか?」
巻き添えを喰らった感じのレイナードの言葉でも、クローゼは微塵もその事に疑いを持っていない様に見える。その雰囲気を見た彼も、そうだなという顔をしていた。
「それに嘘は言ってない。最後に魔王を貫くのはやっぱりミラナ殿かも知れないしな……」
彼らのそんな流れの中で、問題の報告がその場にもたらされたのは一ヶ月程前の事である。
この時初めて、クローゼは握りしめていた希望。実際に握っていた訳ではないが、それを体感した。それは、問題になった報告を受けて、ヴァリアントに飛ぶと言うのを体験したからになる。
ただ、彼らがヴァリアントに飛ぶとなった時に、嫌々なレイナードは重大な事に気が付く事になった。そして、その刻こんな会話が起こった。
「出来るかどうか分からんのだろ」
「俺はやったことないけど」
「だから分からんのだろ」
「あっ、あれだ。導師が試したって」
「んっ? そうか」
「そう、俺も思った。導師、鍛冶屋じゃないぞ。王国の屈指の魔導師だからな。俺も忘れてたけど」
「確かにそうだな」
その時の会話は、事の重大さに反比例していたが、レイナードにとっては大きな事だった様であった……。
それはおいて、重大な方の問題の報告であるが、イグラルード王国の国王が崩御した。要するに死んだという事になる。
当然の様に、持ってきていた通信用の魔動器から、グランザ・ヴァンリーフ子爵の声によってもたらされたその一報は、信じられない物でもあった。
「私も、何を言っているか分からないのだが。王宮で勇者と称する者が、国王との謁見の際に王を害したと言う事だ」
「はぁえっ?」
「もう一度言うか? ヴルム男爵」
「いえ、大丈夫です。それで」
「来てくれ」
単刀直入な「来てくれ」の一言には、流石のクローゼもたじろいた。あたり前だが、この時点で彼はエストテア王国南部の都市クーベンにいた。
ただ、当然の話であるが予定調和である。
クローゼの手元に空間転位の試作品があり、彼はロンドベルクに言った事がある。そして、その試作品を使える数少ない人物であった。それをグランザは、ヴァリアントに確認済みでの連絡だった。
単純にグランザの要請は、ステファンの妻子の件であって、彼女等をそれによって運ぶ事が出来るか? と言うのもであった。
「正直ここからの展開は読めない。こちらは騒然としている。情報を集めてはいるが、ステファン殿との約定だから、守らねばならん」
この刻のクローゼの頭の中には、キャロルとシャロンに夫人の顔はあった。それについては、今後の不測を含めて、彼にとって予定調和だった……。
そう、その会話の流れでクローゼは、レイナードを連れてヴァリアントに戻った。
そして、今後の為に、試作品の残り二つの内一つをカレンに託し、アーヴェントの元に行かせる。
そのまま自身は、残りの一つを予備で持ち、魔量充填の試作品を持ってロンドベルクへ行き……事を成した。
――完璧だ。……彼はそう思っていた。
情報は武器だと。即日対応で、頭に絵描いた人達を彼はヴァリアントに迎えたのだった。
また、アーヴェントに対しても、空間転位の魔装具が使えるカレンが居れば選択肢が広くなると。
――大丈夫だと。……彼はそう思っていた。そう、この刻は。
――若干、情緒の不安定さを持ち、エストテア王国王女の前での熱弁から、国王崩御の連絡を受けての初めてな空間転移で、彼の気持ちの高ぶりは少くなくなかった。興奮してたと言ってもいい。
そして、思い描く未来に、自らの知識による圧倒的な優位性を示せた。それに伴って守るべき対象の保護。それが出来た事で、ユーベンへの手応えを掴み彼は満足した……。
しかし、その僅か数日後、グランザ・ヴァンリーフ子爵の口から聞いた報に、クローゼは後悔する。
兎に角、クローゼと二人でとの子爵の言葉に、クローゼは彼と向き合った。そこで、聞かされた内容は絶望を誘うものだった。
それは、アベル・デェングルト宮中伯が、国王暗殺の主犯として、即決死罪。屋敷にいた一族も連座制を適用されてその場で屋敷ごと焼かれたという事。
そんな内容の事を最もらしく書き上げた物が、エドウィン=ローベルグ・イグラルード王太子の名で公布された……と。
そして、彼は思った。
――何処の魔王だ? いや、外道か? 何が情報は武器だ? 何が優位性だ? 義姉上には、何て……と。
結局、クローゼはその時、その話をグランザに伝えて貰う様に頼んだ。だが、「君が言う意外に無い」と言われて、意を決して彼はフェネ=ローラと向き合った。
誰にも聞かれない様に、二人だけでゆっくりと時間をかけてである。
その刻の彼女は、いつもの彼女だった。言い難い感じを出していたクローゼの様子に察したのか、話を聞く前に、フェネ=ローラは「大丈夫」とだけ言った。
何が大丈夫なのかは、クローゼには分からなかったが、聞いた事実だけを彼はそのまま話した。
「後日、ヴァリアントにも伝わります」
「そうですか。……分かりました」
「義姉上」
彼を真っ直ぐ見つめる彼女の瞳が、潤んでいるのをクローゼは見る。
「クローゼ。少し時間をください」
変わらず、凛とした感じがする顔を流れる涙が、対称的で、複雑な感情をクローゼにもたらす。それで「席を外します」とクローゼが告げると、彼女はそのままの感じで呟いた。
「一人になるのは無理です。暫くこのままで」
彼女の言葉に頷いて、クローゼはその場にとどまった。しかし、何をしていいのか分からず、かける言葉すらない。暫く彼女は涙を流していた。
その雰囲気がどれくらい過ぎたのか、彼に分からなくなる。
ただそれでクローゼは、徐に立ち上がり、彼女の後ろに立った。そして、そのまま抱き締めていく。
それを合図に、フェネ=ローラは声を出して泣き出した。嗚咽に、時折呟きを混ぜて、後悔と悲しみと怒りとを、彼女らしくない色々なものを出していた。
「フローラをもう少し、会わせておけば……」
「お父様……お母様……兄上……」
そして、重なる少しの時間が流れていった。
「宜しいです。ありがとう」
弱々しい声を奮い口を開いた彼女は、再びクローゼと向かい合った。二人の間には暫く時間を必要だった。
沈黙が静寂を見せて、始めに声を出したのは、フェネ=ローラだった。
「今の私には、ディングルト家の縁はありません。ヒーゼル様の所に、ヴァンダリアに来る前に子爵家の娘になりましたから。ですから、普通であれはヴァンダリアに、害及ぶとは思いません」
一旦、流れを区切り、彼女は改めての顔をする。
「ですが、今回の件は普通では無いのでしょう。なので、当主たる立場から、今回の件は看過できません。……でも、何も考えられない。クローゼ、どうしたら良いですか?」
正真正銘の初めてな彼女だった。いつもの冷静沈着で物事に動じない、そんな当主然とした彼女からは想像出来ない。彼の目の前の彼女はそうだった。
――誰かに聞きたい。でも出来ない。弱くはなれない――
クローゼはそんな彼女を見て、自分であればと、言って貰いたい言葉を出した。
「義姉上。任せてください。最善を尽くします」
――姉上をこれ以上不幸にしない為、いや幸せにする為に最善を尽くします。
「宜しいです。助けてください。クローゼ」
こうしてその刻が終わり、二人もそれぞれの役割へと戻った様に見えた。
後日、この事実が公的に王国全土を襲い、イグラルード王国に震撼した。ヴァリアントにおいても例外ではなく、いや、より激しくこの地を揺らしただろう。
ただ、本来なら最もそうなるべき者が、最も冷静であり、その横で精悍な姿で立つ、若きヴァンダリアが印象的であった……。
魔王が復活して、人地に魔を紡ぐ物が溢れる世界となったこの地で。正道を逸脱する行いに如何にして向き合うのか、それは当代で、その歴史を紡ぐ者が出すべきものなのだろう。
――特異なる者――
そう告げられた者が、この刻に存在し場所は、気高い雄々しさの名を持つ街。
その者が冠するのは、ヴァンダリア。その者の名は、クローゼ。そして、彼の物語はまだ綴られる。




