十九~不死への誘い~
魔王の容認によって起こった激闘は、クローゼとヴォルグにとってではあるが、唐突に終わりを告げている。ヴォルグには不本意な、クローゼには有意義な結果になった。
ただ、その結果に関わらずクローゼは、美しい女性に手首を捕まれ困った表情をしていた。
――それは何故か?――
彼の手を掴んでいる相手が、一連の最後に止めに入った、紫黒のフリーダだからだった。
彼女は魔王の側近で、見た目は二十代の美しい女性な起因の吸血鬼。
クローゼ基準で言えば、それなりに美しいという感じになる。
その状況で困ってはいるが、クローゼはフリーダを『そんな風』に捉えていた。そして、そんな考えにいける程やるべき事はやったと、クローゼは思っていた。
そう、それはクローゼが、ここに至る過程でになる。
――右手に持っていた剣で離す流れに、ステファン達へ軽く手のひらを見せて大丈夫の合図をし、人の列に下がったアリッサに視線を向けて、微笑んで心配ないを見せていた――
その行動で、彼は一応に自己満足に浸る。
――みんな分かってくれたはず。
と、その感じに……。そして問題の『何故?』については、フリーダを迎撃の対象に認識しなかった事になる。それには、突然現れた彼女に殺意が無かったのだと、クローゼは何と無くの理解していた。
たた、既にフリーダを対象に指定したので、彼女が『それらしき』をすれば、彼の術式は否応なしに発揮される。
一応には、手さえ放して貰えればだったが、その雰囲気でクローゼは、彼女を見直した。
――改めて見ると、それなりにではなくて、普通に綺麗だな。異世界な、このドラゴニアードの世界は美形しかいないのか? と思うほど。まあ、そんな事はないけれど。
「正妃様。御手を」
「んっ」
クローゼの言葉に、フリーダは彼の顔に艶やかな瞳を向けて、鼻にかかる声を出した。
「ですから、御手を」
「妾の手が何じゃ。んっ?」
彼女は問掛けに、掴んだ手を上げ自分の目線において、それ越しにクローゼを見てそう言った。相変わらずな鼻にかかる声に、高揚した顔。媚びる様な目で、自分の事を『妾』とまで言ってクローゼに瞳を向けている。
そうされたクローゼは、極力顔に出さない様に努めたが、心の中では凄い事になっていた。
――何だよ……こいつ。とりあえず手離せよ。一人称、妾とか何媚びてんだ。ヤバイ人か? てか、危ない人? ……ああ、人ではないか。
「御手を放して頂ければと」
「綺麗な手をしてあるな」
「いや、あの……」
「あれほどの力を持つ者の手とは思えん。折れそうよの」
クローゼの言葉を全く意に介さず、彼の手を艶やかな目で眺めるフリーダの言動に、彼は僅かに手が揺れるのを感じた。
「震えておるのか? ……妾が怖いのか?」
立て続けに問われるフリーダの言葉に、クローゼは彼女に分かる形で動揺した。それを自分で認識したクローゼは、頭をフル回転させて考える。
――ここからは、アレックスやレニエには情況が分かりづらいけど。アリッサからは見えている。彼女なら……これを聞くことが出来る。いや、確実に聞いている筈だ……。
アリッサは、クローゼの考え通りその会話を聞いてた。正確には彼が魔王に答えた後、彼女に向けて呟いた言葉を拾えなかった時から、聴力強化の魔法を使っていた。
以降、アリッサの意識はクローゼに集中している。そして彼女の頭の中では、彼の言葉が大きくなっていった。
――会話の中で聞こえた、大事な想い人。私に向けて、君は大事な想いの人だ……。そして、彼の言葉……彼女は俺の女。
泣きそうになるのを我慢した。色んな意味で「はい」って……最後にそう思って良いんだって自分に言えた。
始めは、訳がわからなくて何も考えられなくなったけど、クローゼ様は彼らしく、ホールの隅で項垂れているヴォルグとの事も、当たり前の様に終わらせてしまった。
今は……一瞬の出来事で驚いた顔をした後、心配ないよって、私に言ってくれたと思う。たけど、彼は震えてるの? 怖がってる? アレックス君、私どうしたらいい?
アリッサは、見えない位置のアレックスに問い掛けたが、彼はそれに気付く事はないと思える。
アレックスは全体の流れから、アリッサの場所の見当はついてはいた。それでもそこまでは分からないだろう。
「彼のあれは何んだったんだ?」
ステファンの言葉にアレックスは、先程のクローゼの合図らしい手の動きを真似て見せて、こう答えていた。
「『待て』だよね。さっき言ってたし」
「大丈夫だ。……だと思いますよ」
レニエの補足にステファンは頷いて「それで、今は何をしてる?」と続けていた。
「何を話してるかよく聞こえないから、分かんないけど。何とかフリーダに手を掴まれたよね」
ステファンは、何となく何でも答えるアレックスに、問いかける事が多い事に気が付いていた。しかし、状況把握に予断でも必要だったので、そのまま声に出していった。
「これからどうなるんだ?」
「もう、何も無いのが一番いいけどね。クローゼ次第だよ。このまま帰るのが皆の為だよね」
如何にも抽象的なアレックスの答えに、彼は「そうか」と答えて、クローゼに視線を向け結論じみた事を思う。
――彼は、外遊気分の傍観者として来たのかと思ったが、結局彼が主役なのだな。なら、彼次第と言うのも結末としてはいいのかも知れない。
そんな、ステファンの『彼次第』という思いなど、クローゼに分かるはずもなく。…… 彼の心はアリッサに向いていた。その事をふまえて、彼は回転中の頭を加速させた。
彼は思考の結果。フリーダに問われた事への返答。次の言葉は大事だとその思考が行き着く。
――目の前のフリーダに手を離させ、魔王を説き伏せてアリッサを連れて堂々と帰る。それが最善だ。
アレックスが吐きそうで止まっている魔王なら、ひょっとしたら倒せるかもしれない。だけど、そのつもりの準備も無しに皆を危険にさらせない。
俺の我が儘で、たんなる好奇心でここに居る。
今時点で無茶しているんだ。ヴォルグをやり過ごして、これ以上は駄目だ。殺るなら自分一人の時にしないと。
こいつが、なに考えてるか分からない。意図が読めない。そんなのはいつもの事だが、今回はそれでは駄目だ……考えろ俺。
「こわいですね。……魔王陛下の嫉妬が」
「なっ?」
クローゼ結論は、「怖いのか」の言葉の返しに魔王を絡めたものだった。
狙い通りなのかフリーダが掴む、彼の手に込められていた力が緩む。それによって動かすことが出来なかった彼の手に、瞬間的な自由が生まれた。
その一瞬、手を振りほどく事が彼には出来た。だが、何故か躊躇した……。そして「フフフ」と声にならないフリーダの笑いと共に、再びそれに力が込められる。
「クロセ殿は、面白い事を言う。妾の全ては魔王様の物。寛容な魔王様が此ごときで嫉妬などせぬ。安心されよ」
彼女はそう言って、魔王が座るその場に視線をやるようにクローゼを促す。そこには、肘掛けに置いた手に頬をよせる形で座り、無表情で彼らを見る魔王たる彼がいた。
クローゼは彼女に対して、魔王の名で揺さぶりをかけたつもりだった。正妃と呼んだ時のフリーダの反応から、それが有効だと彼は思った。……事実そうだったのだが、何か明確な意図があって彼女はクローゼの手をつかんでいるようだった。
そして、先程までと違った笑顔を向けるフリーダに、クローゼは困惑する。
――何がしたいんだ?
クローゼがそう思った時に、その表情の変化に合わせる様、フリーダが豹変する。
「我の眷族になれ。触れた感じ魔族ではあるまい。ヴォルグを凌ぐそなたに、我の与えし不死の力が加われば、魔王様の側近として存分に働けよう」
魔王を視界に確認させ、先程までと代わって上位者の雰囲気でフリーダはクローゼに向かう。それは、誘いではなく命令であった。
「断る……という選択肢は?」
「あろう筈がない」
問い掛けな拒絶の感じに、当たり前の様な顔でフリーダは答えていた。それにクローゼは一段上げていく。
「無理にでも断る。……とすれば?」
「出来ぬであろう? この手を押さえて置けば、先程の見えない刃は使えまい。……大事無い。痛くも無いぞ。それ所か、今生の別れにこの世の物とは思えぬ甘美を与えてやる。妾が自らしてやるのだ。光栄に思え」
言葉と共に、彼女はクローゼの胸元近くに顔を寄せた。形としてはクローゼが彼女を抱き寄せた様にも見える。それは、左手を引かれたのを抗ったのに、フリーダが合わせたのでそう見えた。
――色んな意味で、この情況はあれだ。それに、倫理観が全く違うこれと話しても無意味だ。殺るしかない。
瞬間的なクローゼ思考だった。
「兎に角、やめて頂けませんか? 色々と誤解を招く。それにその話はお断りします。魔王様の側近の話は貴女の独断でしょう?」
ギリキリの言葉だった。殺るしかないと思っても、明らかに人のそれを殺すのに抵抗がある。そんなの雰囲気が彼からは出ていた。
空間防護の魔方陣を、その首の中心を指定して、発動すればそれは出来るだろうと。そんな確信がクローゼにはある。
――頭と胴体を切り離せば、流石に只ではすまない筈だろ。
そして、その先にいる魔王を思って、更に気持ちが揺れる。
――奴さえ居なければ。皆が居なければ、魔物なら躊躇はしないのに……。
クローゼがそう考えた時、フリーダは動きだした。
「妾は魔王のもの、知らぬ訳が無かろう。覚悟を決めよ。魔王様が所望してある」
そう言って、彼女の紫色の瞳が輝く。意に返えさないクローゼに、彼女は一瞬怪訝な顔をする。
「底がしれぬな……そちは」
その言葉と共に、妖艶な顔付きに変わり艶やかな唇か僅かに開く。そこに覗く白い牙が、クローゼの瞳に映り、それが何故か彼には美しく見えた。そんな瞬間であった。




