十六~茶番。勢いと暇潰し~
本来なら、舞踏会や晩餐会などの社交的なその場は、考えられない程の緊張に包まれていた。
それは、ヴォルグの怒号が大きなホールに響きわたる中、クローゼは彼に背を向ける形で、魔王と対面している。そんな場景によってだった。
その雰囲気でクローゼは、魔王の前に歩み寄り、凛とした姿勢で魔王を『陛下』と呼び、恭しく礼をして、そのまま彼を見据えていた。
ただ、魔王がその気なら、クローゼは既にその場にはいなかっただろう。だが、もしそうでも、クローゼは簡単に殺られる気は無かったが……。
クローゼは、ここ何日か彼が「ク○野郎」呼ばわりしたヴォルグに対するイライラで、怒りが収まらずにいた。そして、ヴォルグの「俺の女です」で彼は切れた。
いつもの勢いで……ではなく、彼らしくない冷静な動きではあったが。しかし、魔王の前に立った彼の思考は些かあれだった。
――とりあえず、下手には出たが此処からはノープランだ……この状況。何も考えてなかった。
まああれだ。それでも、そのまま勢いで飛び出さなかった自分を誉めてやりたい。流石に、最初のはヤバかった。
そこまで考えて、クローゼは、魔王の目をじっと見つめていく……。
――人と話す時は、目を見て話せと上司だった佐藤さんにも言われた。話しはまだだけど。……人みたいな顔してるけど。いや、人では無いけど。
何か言えよ魔王……展開に困るぞ。なんかあるだろ?
てか、うるさいぞイヌコロ。後でたっぷり躾してやるから待ってろ、と。取り敢えず、魔王の方か。
と、魔王の存在を忘れて、アリッサに向けて歩きだした事を少し後悔し、クローゼの思考がヴォルグに向いた。
そのヴォルグは怒号を続けていたが、彼には、何を言っているのか分からない。それを魔王が沈黙を破り遮ってくる。
「黙れ、ヴォルグ」
低く通る声が、ヴォルグに静寂を促していた。一瞬で沈黙する、ヴォルグの二の句を聞くつもりが無いのか、魔王は目の前に立つ男、クローゼに向けて言葉を続けた。
「お前は……何だ?」
魔王は怪訝の表情が、クローゼを捉えていく。それは、いきなり現れて儀礼を果たし、何も言わず此方を見るばかりにである……。
魔王の彼が、以前のままの力が有れば、こんな舞踏会などという茶番に付き合う必要は無かった。まだ、戻りきっていない現状では、こんな場の下らない余興に顔を出すのも仕方ないと思う所もあった。
――魔王が仕方ないと思うとは……
彼はそう思って、ヒトの波を侮蔑し時の流れにまかせていた。
そんな時、魔王である彼の視線の先に……ヴォルグが見慣れない供を連れて現れる。「誰だ?」と多少の興味はわいたが、それまでの事だった。嬉々としてそれについて話すヴォルグを、鬱陶しくなった頃それは現れた。
その得体の知れない力を使う男が、魔王である彼の目の前にいる。彼は、殺してしまおうかとも思ったが、余興が一つばかり増えたと考えれば暇潰しにはなる。そんな感じの思考の流れに……。
「お前は……何だ? 」その問いを向ける。しかし、魔王たる彼の言葉にはまだ返答はなかった。
「魔王様の御言葉ぞ。返答せよこの痴れ者が」
無言のままのクローゼに、フリーダは声を荒げる。フリーダが魔王の許可を得ると言うことに、思いも至らないほど激昂して、怒気を纏った表情をクローゼに向けていた。
――何だ? と言われても返答に困る。てか、突然怒鳴るなよ。……隣の女は情婦のフリーダか?
まああれだ。綺麗な人? に怒鳴られるのが悪い気がしないのは俺がドMだからか? ……どちらかと言えば、逆の側の気がするが。
フリーダに言葉に、この状況で訳の分からない思考のクローゼの考えが一周回った結果。クローゼが、先に声を向けたのはフリーダだった。
「正妃様。そのようなお顔で怒鳴られますと、御美しい御顔が台無しと思われますが?」
「なっ?」
フリーダは、クローゼ正妃という言葉に何ともいえない動揺を見せて魔王の……オルゼクスの顔にその瞳を向けていた。魔王は、そんなフリーダを見ることもなく、片手を上げて軽く振る仕草をする。
「名の知れぬ者よ。我が妻の言、我の許可も得ずした事は後で躾ておく。その上で、再び聞こう」
オルゼクスの言葉に、一番動揺したのはフリーダだった。ただ、驚きではなく、歓喜・恍惚・絶頂。彼女は、全身で喜びを噛み締める様のそれだった。そして、それを遮る魔王の向けられる問い。
「お前は……何だ?」
低く重いよく通る彼の声が、ホールに響いていた……。
そんな、クローゼの行き当たりばったりと、魔王の暇潰しによって続けられる茶番。それは、周りの緊張を最高潮に高めている。
その光景を最短距離で見つめる人。アリッサは頭の中で、持てる知識をフル稼働させて考えていた。
――冷静に冷静に冷静に。……でも、これは駄目これは駄目、これは……駄目だよ。クローゼ様。
この時、彼女は人生で初めて考えるのを止めた。何も出来ず、ただそれを見つめることしか出来なかった。
そして、クローゼをこの場に導いた人物も、いつの間にか遠巻きにそれを見る人々の前列で、その茶番の流れを目の当たりにして呟く。
「彼は……何だ?」
彼の常識では計り知れない『彼』に、彼は『何だ? 』と思ってしまった。そんな僅かな呟きを、彼の後ろで目立たぬ様に立つレニエが、ステファンだけに分かる様に囁いた。
「いつものクローゼ様です」
「何で君達はそんなに冷静なのか?」
彼がそう周りも気にせず、その声に振り向いた。その先のレニエの顔は、悲壮感を漂わせていた。それを見てステファンの表情も固まる。
「今までで、最高にヤバイけどね。あれがクローゼだよね。まあ最悪、全力で行くから僕もレニエさんも。だよねレニエさん」
「必ず。連れて帰ります。どんな事をしても」
彼女達のそんなに反応に、更に表情を固くするステファンへアレックスが耳打ちする。
「僕達は魔法使いだよ。帯剣出来ないカレンさんは待機だけど、もしもの時は派手にやるから突入してねって頼んであるからね」
そう言った最後に、アレックスが微かに口にした。
「セレスタがね。『もしもの時は死体でも私の元に連れて来て下さい』って。『命に代えても生き返らせるからって』……すごい冗談だよね。本とに」
そう言った、アレックスの顔はステファンが、いやクローゼに付き従う彼等でも、見たことの無いような真剣な顔していた。
その言葉にステファンは、ヴァンリーフ子爵が来た時の事を思い出した。
クローゼ達が来る少し前に、彼は単身に近い状態で突然やって来た。既に、彼の手筈によって約定はなっていたにもかかわらず。そして、ステファンとの話の最後に彼はこう言った。
「何があっても。何に代えても、必ずクローゼはヴァンダリアに戻せ。他の者が全員戻らなくても、奴だけは絶対だ。いいか? 絶対にだ。そうすれば君の妻子は、私が、ヴァンリーフが、いやヴァンダリアが全力で保護する」
――たかだか一男爵の我が儘に、自分の娘の命をも要らぬというのか? 真紅の剱カレン・ランドール騎士爵が、戻らなくてもいい対象とは……それは彼の一存で言える事ではない……か。
その時、ステファンはそう思った。
――この男爵はこの国の状況も考えず、外遊気分でやって来た。それも魔王を見るだけと、訳の分からない理由で。そんな彼に従う者も、グランザ卿と同意見のようだ。
そこまでする理由が何処にある?
あの黒銀のヴォルグの隣で、魔王と接見するなどと常識では考えられない行動をする彼女。……アリッサと言う女性にも理由があるのだろう。心情的に男女のそれとして、理解できなく……はないか。
そうだな。この男爵の。……いや、ヴァンリーフ子爵の申し出は確かに渡りに船だった。友として、エストニアの騎士として、貴族として成さねばならぬ事がある。後顧の憂いを断てるのは、願っても無い事だ。
そこまで思い返して、魔王の響きわたる声を聞く。
「お前は……何だ?」
――いい質問だ魔王……。
ステファンは、全く相容れない魔王にその点だけは同意した。
――さあ、答えを聞かせて貰おうか?
そう思いながら、彼はクローゼを見ていた。