十三~ユーベンの子爵邸にて~
ユーベンの街は、治安という点では微妙な感であると言えた。魔王による生命と財産の保障は、魔物や魔獣による物が対象で、人同士のそれは彼等の関与するものではない。
ただ、犯罪行為に対しては、即決死罪が適用される為に、犯罪の仲裁を訴えたものが両方ともその場で切り捨てられる事が、当初には起こっていた。
その為、自衛の手段として、魔王に逆らわなければある程度武器の所有が認められており、武器を持った者が街中に目立つ。それが、一国の王都として認識されていたユーベンを、殺伐した感じに変えていた。
ただ、街角に立つ全身鎧の衛士に、そう認識されれば有無を言わさず処断されるので、犯罪行為自体が横行している訳では無かったが……。
クローゼ達が、ステファン・ヴォルラーフェン子爵のユーベンにある屋敷に着いた時、この街の様子はこんな感じであった。
「さて、いい話と悪い話があるが、どちらから聞きたい? 」
一行が落ち着いた時に、ステファンが彼等に向けた第一声である。あまりいい選択ではないそれを、クローゼは悪い方から聞く事にした。
「とりあえず、悪い話からお願いします」
「ユーベン近郊。北壁に面する森に穴が開いたらしく、高位の魔獣が出始めた。脱出ルートが限定されたと思った方がいいな」
黒戦獣を駈る、魔獣騎兵と呼ばれる魔族の兵科が、その森で編制され南方へ送られているという事だった。そうステファンは彼等に告げてこう続ける。
「魔獣騎兵がで始めたから、馬車で逃げるのは難しくなった。王国軍にも災難だが、君達も無茶な撤退は止めた方がいいな」
そう言うものかと、クローゼはそんな顔をした。そのまま、そう思ったのだろう、だが、口には出さなかった。此処まで道のりと元々無茶な事をする気がなかったのもあるが、さして悪い知らせとは思わなかったのだろう。
「分かりました。気を付けます。それでいい話の方を聞かせてください」
分かっているのか?という顔のステファンは、彼がいい話と言った方の説明を始める。
「一週間後、王宮で舞踏会がある。私も呼ばれたから、何人かは連れて行ける。魔王の情婦。我々人の貴族はそう陰口をしているが、紫黒のフリーダが主宰するそれだ。まあ、大半は吸血鬼だけど」
元は王公貴族の出らしいフリーダが、時折催すそれに、恭順した貴族達が呼ばれると言う事らしい。只、彼女にとってある意味暇潰しなのだろう。
「そんな場所に行って大丈夫なのですか?」
その場で聞いていたセレスタが、ステファンに疑問を伴う表情を向けていた。皆もその点については同意だったのだろう、それぞれが軽く頷きを付けていく。
「大丈夫かそうでないかは別にして、ある意味踏み絵だからな。いかないわけにはいかないさ。……まあ、何度か付き合わされているが、彼女は魔王に恥をかかせる事はしないと思うよ」
魔王の気が変わらなければ、エストテア王国の領内は、人の住む場所としては残る。「人の血は美味だそうだからさ」とステファンは続けてこう言った。
「彼女と直接話を出来るほど、爵位がないから話した事はないが、彼女の側近の紫黒の騎士殿とは話をする。彼によると吸血鬼の餌として、エストニアの人々は彼女に魔王が与えたそうだ」
「傲慢が過ぎるのでは、と思いますが」
カレンが、語尾をあらげる感じでステファンの言葉に被せる。そしてその勢いのまま、その感じをみせていた。
「王国の騎士達は、何をしているのですか?」
「それは俺も思いました。こんなに簡単にユーベンに入れるなら、魔王を倒そうと思う者がいてもおかしくないかと」
カレンの言葉に、クローゼが同調して声を出していた。彼の思考を覗くなら、こんな感じになるだろう。
――明らかに魔王自体が本調子じゃない。ラスボスが制約を受けてその部下が。……なんて使い古したネタじゃないか。カレンほど強く無くても、国として考えたらそれなりに強い奴も居るだろう。
魔王がそうでないなら。それに偽物の可能性があるなら、それなりの奴でも倒せそうだ。
そんなクローゼの思いと、カレンの言葉――騎士の矜持――を、ステファンは軽い口調で返してくる。
「居たさ。それに王宮が襲われた刻、私もその場にいたからな」
その言葉に一同は驚きを隠さなかった。その場の雰囲気を意に介さない彼は、カレンに向けて当たり前の顔をする。
「カレン殿なら知ってると思うが、エバン・クライフ。彼もいた」
「エバン殿がいてなぜこんな事に?」
彼の言葉に、カレンは驚きの声を挙げていた。カレンの思いからすれば、エバン・クライフはエストテア王国で随一の騎士の筈だった。手合わせしたことはないが、噂に聞く限り、自分達六剱の騎士と同格と思えていた。
驚きの表情で彼を見るカレンに、ステファンは「死んだよ」そう言ってその事を話し始めた。エストテア王国最高の騎士エバン・クライフの最後とその情景をである。
「街中で見かけただろう。全身鎧の衛士。僕は棺桶の騎士と呼んでる、奴らは吸血鬼だ。あと城門にいただろう? 衛兵の真似している奴ら。あれは人狼だよ。紫黒のフリーダの眷族と従者たち、襲って来たのは奴らさ……」
……またまたその夜、ステファンは久しぶりに旧知のエバンに会う為に王宮を訪れていた。エバンの王との接見が長引き、彼は夕食もとらず彼を待つことになる。後、数刻で日付がかわると言うところで彼はあきらめて帰ろうしたが、そんな時にエバンは彼の元を訪れる。
「すまない。話が長くなった」
「いや良いさ。魔物の件だろ?」
「そうだ」とステファンの問いに彼は答えていた。エストテア王国に溢れる魔物達に、彼は国内を奔走していた。
「他国の様子も聞き及ぶが、我が王国は特段酷い」
エバンの言葉にステファンは、自領も含めた北部の現状を思いかえしていた。「確かに酷いな」という彼の呟きを、エバンは項垂れた様に頷いていく。
「帝国に……。それかイグラルードの……何といった?」
「冒険者か?」
エバンの問いに、ステファンが「そうだ」と答え様とした時、外庭に面した窓が音をたてて破られ、無数の人影が彼等の歩いていた渡り廊下に現れる。
「なんだ?」
「分からん。ステファン、衛兵を呼べ!」
驚きと動揺を隠せないステファンの声に、エバンはそう叫び、帯剣を素早く抜いていた。そして、飛翔するかの如く飛び出し、彼の視界に入る剥き出しの牙を持つ人狼の首を、胴体から切り離した。
そして、そのまま彼に向かって飛び掛かる、もう一匹のそれの肩口から胸板にかけて切り裂き、それを足蹴にして剣先を振り払う。
「ステファンっ。早くしろ。私は王の元に」
「わかった!」
王宮内で帯剣が許される、「早くしろ」と掛けられた騎士の彼も、自らの剣を抜き自分を促すエバンを見て応えていた。
彼の視界の先、エバンの前には、紫色の輝きを放つ眼をした影の様な男が数人立ちはだかっていた。
「剣技。閃光斬――」
エバンが明確な声をのせ剣技を放つのを、ステファンは聞き、彼が放った剣撃の輝きを見ていた。その輝きと同時に、エバンの前に立ちはだかっていた魔族は一瞬で四散する。
その状況に残った紫色の眼が、エバンと距離をとる様に飛び退いた。それを視界から外して、ステファンは走り出した。
そして自らの向かう先に、月明かりに浮かぶ鋭い牙の持ち主を認識する。
ステファンは、流動を剣を握る腕の魔装具に合わせて、自らも剣技を放つ――振り抜かれる剣撃で、剣先にかけてうっすらと光が走り、相手をその剣筋が捉えた。と思った瞬間。鋭い牙の人狼はそれをすり抜ける。
「馬鹿なっ!」
思わず出た声に、自らの剣を距離を簡単にすり抜け通り過ぎる人狼の姿が重なる。何事もないように彼の横を抜けるそれは、ステファンの声に合わせる様に裏拳を彼に向けていた。
瞬間的な衝撃がステファンを襲い身体が宙を舞う。彼は、そのままかなり距離のある壁に激突した。薄れ行く意識の中で、エバンと人狼の戦いを見て「エ…バン」と、微かに呟いた言葉が洩れていた。
――どれくらいたったのだろう?
と、エバンの肢体が千切れ飛ぶのをステファンは見て、そのまま意識を失う…… 。
「気付いた時には、彼がどれか分からなかったよ」
そうクローゼ達に、彼は何とも言えない表情を向けていた。その場の皆の驚きを他所に、彼は何事も無かった様にこう言った。
「それで、色々会って今に至る訳さ。勿論、初めのうちはそれなりに来たけれど、魔王どころか、そいつまでたどり着いのは数える程しかいないよ」
何処か他人事のステファンの物言いに、クローゼが単純な疑念を見せる。
「その人狼のなまえは?」
「はっきりはわからないが、黒銀のヴォルグだと思うよ。……たぶん、名持ちは奴だけだからな」
ステファンの軽い言葉に一同動揺する。特に、クローゼとカレンは動揺した。全体に、少なからずざわめきがおこる。
「そんなヤバそうな奴の情報は、貰って無いと思いますが?」
クローゼに問われたステファンは、頭をかきながら「記憶が曖昧だから」と言った。
その彼の言葉に、――そう言う問題なのか? ……とクローゼは思った。




