弐~街道を進み~
点と点を繋ぐと線になる。人々の営みを綴る物語の舞台である、街と街――点と点――を結ぶ道が、街道と呼ばれた。
神の視点から見た街道は、物語の繋がりを現す様に、大に多数の小が繋がる事で、纏まりを見せる。
纏まりの中で、異質な溶け込みを見せた男が、舞台に向かう光景があった。
神のみぞ知る、彼の異質な『異世界転生の変わり』は、まだ本人も理解していない。
その理解と記憶に揺れる、彼の視点に立って見ると、それは拙い思考になる……。
自分が誰なのかを人伝に聞いて、今は街道と呼ばれる、城塞都市ヴァリアントに続く、整備された石畳を馬に乗り進んでいた。
――目的地はヴァンダリア候爵領――
その領主で当主、ヴァンダリア候爵夫人フェネ=ローラ様の屋敷と云われた。単純に「そこに戻る」のだと。
――これが、簡単な自分の現状だった。
目的地に思いが至って、その先に視線を向ける。水平線の先まで続く――馬上から眺める――景色は、記憶が曖昧なのもあって、違和感しかない。
木に草花と土に石。水の流れに、空の青さと境界の曖昧さ。分かる単語の羅列が、場景には続かない。この景色は記憶にはなかった。――そんな違和感に、周りへ気持ちを逸らす。
馬上から、眼下に気持ちを向ければ、前後を多くの人が列をなしている。その足どりは確かに見えるけれど、目的の場所までは暫く刻が必要。そんな感じだった。
大体、そんな事を考えている自分は、『誰か?』 と言えば。結局、教えられた事になるけれど――
クローゼ・ベルグ・ヴァンダリア。これも違和感しかない名前で、男爵の爵位を持つ貴族らしい。でも、言葉の理解と現実味が重ならない。
――それが今のところ自分になる。
自分が帰ると云われた所にいる、当主の女性は自分の後見人であり、今はいない「兄」ヒーゼル・ベルグの妻だった人。まあ、兄のと言われも、しっくりこない気もする。それに、義姉と言われても、もっと実感がない。
単語の感じは分かるけれど、会った記憶がない。まあ、話の流れ的にも、その屋敷は自分が生まれ育った所らしい。
こんな風に、現状を答え合わせをする様に、頭の中で、与えられた知識を復唱している。
一応、知識として記憶を整理するのが目的で、実際には、他にやる事が無いので、結局のところ続けることになる。
頭の中で考える合間に感じる、馬上の軽い揺れが心地よい。記憶的には初めてになる。大体のところ、道がこうであるとの覚えもない。
――ただ、馬蹄の音は悪くなかった。
そんな『道ってこんなのだった?』の街道があるこの場所は、イグラルード王国という国の南部だそうだ。そして、ヴァンダリアの地に続く場所だ、という事になる。
境遇的な現状認識で言えば、当主であった歳の離れた兄が、四年前のゴルダルード帝国との戦のおり王子を守って戦死した。
それで、家名唯一の直系男子となったと言う事らしい。まあ、後、記憶が無くなるほどの怪我をしたのは、ポロネリア子爵の要請で、魔獣討伐に参加たから。らしい。
何となく考えている事は、基本的に記憶でなく、口頭で与えられた知識になる。だから、自分の事を『らしい』と言うのもおかしいけれどそれは仕方ない。
仕方がない物の大半は、意識を取り戻してから、討伐隊の指揮を取っていた、セレスタ・メイヴリック士爵に教えられた。
その事を振りかえると、 意識が戻って自分が誰なのか? ここが何処なのか? といった感じに取り乱していたと思う。
そんな状況で、彼女にすがる様な眼をむけた時、困惑しながらも、ゆっくりと時間を掛けて彼女は教えてくれた。
だけど、彼女の方がよっぽど困惑してたと思う。今はだけど……
と、内向きの思考は、突然、掛けられた声で戻される事になった。呼ばれたのが、自分なのか実感は無い。でも、度々聞く声だった。
「クローゼ。そんな深刻な顔すんな」
唐突に前を行く馬上の彼が、振り向きもせず自分に向けてくる。――と言うか、『後ろに目がついてるのか?』って感じだ。と、彼は返事を待つ事なく、続けて話して来る。
「まあ、あの時は本気でやばいと思ったけどな」
彼は話しながら、横になび馬体を寄せてきた。声の主は、レイナード・ウォーベック。
自分の剣技の友であり、幼少の頃よりの馴染らしい。聞いたままなら、近習とか言うそうだ。――意味は分からないけれど。
そんな関係でも、やけに馴れ馴れしい物言いは、以前に自分が『頼んだ』からだそうだ。
だから、自分付きで今回は護衛隊の長モリス・カークラント士爵も、従者のアリッサも、特に問題視していない。
二人の感じで、そう言う事なのだろうとは分かる。まあ、実際には記憶にないのだけど。と、彼を見ていた。
「モリスの伯父貴が、叫んでなかったらどうだったか分からんぞ」
「レイナード」
レイナードの言葉が、道中に飽きたのか? 自分への気遣いなのか? は分からない。ただ、普段通りに振る舞っている風な彼を、モリスが、咎める感じもなく遮った。
モリスの声を聞いて、レイナードの言葉には「そうだね」と取り敢えず。――どう答えていいか分からずに、結局そうした。
ただ、気の無い返事に気付いたのか、レイナードは「ああ」と馬を小走りにさせる。
そんな、彼の後ろ姿を見て思う。――本当の所では、助かってる。
体調の事や魔獣の掃討。自分の件の調査やら事後処理などで、目が覚めてからも一週間以上もポロネリア子爵の屋敷にいた。
――まあ、自分は何もしていないけれど。
ただ、自分が誰なのか分からない中、レイナードの態度はある種の救いだった。事ある毎に、兄の様に、友の様に、色々な事を話してくれた。
そうやって、他人に認識される事で『クローゼ』が確かに存在して、語り掛けられる事で、自分が『クローゼ』だと思えた。
そして、そう思える事で、少なからず冷静になり、周りが見える様にもなった。
結局、記憶がないと言っても『クローゼ』という人物が、どう生きてきたか? の部分が欠落しているだけになる。
――まあ、それが大した事でないとは言わない。
いや、結構な事なんだけど、それでも中味が空っぽって訳ではないから、仕方ないで済ませられたりする部分もある。
「馬なんか乗れない」と言う自分に、「乗れない訳ないだろ、乗れてたんだから」とレイナードに言われ、結構な強引さで今に至る。それもそれだった。
よく考えれば、人物に特有の名称や事象などは、かなり怪しいけど、その他の事は意味の曖昧な部分に目をつぶれば、まあ、なんとかなる感じ。
――何とかなる感じって所が……
「何か軽いな」
こぼれた言葉に、アリッサが顔を向けるのが分かった。特に、彼女を気にしない僕の様子を見て、何事も無かった様に、彼女は前を向き直った。
彼女の様子を感じながら、その視線で意識した横顔を何と無く見る。その何と無くから、彼女の背筋がしっかりと伸びて美しい騎乗姿勢に、目を奪われる事になった。
短く整えられた黒髪に、綺麗な顔だちの彼女も、今の自分に無くてはならない。
人となりの部分は、まだ分からない所もある。でも、彼女がいなければ、目覚めてからの日常は正直何も出来なかった。
比べる問題では無いけれど、セレスタほど女性としての「らしさ」がある訳ではない。しかし、屋敷で見かけた女性達の中では、群を抜いて綺麗な人には違いないと思う。
そこまで考えて視線を戻した。
意外と俗っぽい事も、考えられる様になったかもしれない。と、そんな風に考えて、苦笑いしている自分が分かる。
そして、前方のセレスタの後ろ姿を見て、目覚めて初めて見た女性が、セレスタだったのは意外と不幸だったのではとも思いもした。
「まだ、笑顔をみれてないな」
今度は、アリッサに聞こえない様に呟いた。




