五~特異と怪異に超越~
疲労感で眠りについたクローゼが、目覚めて始めに見たのはレニエの安堵の表情だった。
彼女が見下ろす瞳と表情に、ゆっくりと意識を戻して彼は自身を問い掛けた。
「どれくらい眠ってた」
「今は、旭光から二極ほど」
レニエの「一晩だけ」の笑みに合わせ、天井を認識しクローゼは続けて確認をする。
明らかに、陣の天幕では無いと分かる場所に、だった。
「ここは?」
「ジルクドヴルムの屋敷に」
「いいのか?」
「アルフ=ガンド様が『不測は任される』と」
レニエの言葉にクローゼは、感覚を戻し肢体を動かしていく。そして、優しく撫でられる感触を経て、身体を起こし頭をあげていた。
鮮明に、あの時の頭の中で出た言葉を思い出していた。それは、恐らく自身の声だったのでは、と漠然と考えている。
視界の中に、随員の二人の頷き合う様子が見えて、ウルジェラのため息にも似た息遣いが入ってくる。
当たり前の光景に彼も、当たり前の声を出した。
「ランヘルは?」
「ヴィニー士爵麾下の転位型魔動堡塁で搬送を。付近に、竜擊機動歩兵大隊が展開中です」
「ヴィニー? ダーレンはどうした」
「閣下……」
困惑な副官に、クローゼは「ああっ」と返して、記憶と自身が話を通した事を思いだす。
中途半端に半身をベッドに預け、同じ様に座るレニエの手が肩に掛かるを感じていた。
続けて、大方の状況の確認を促したが、「寝て起きた」位では差ほどの変化は無かった。
帝都アリエテルは、ノエリアの兵力で事後を継続中。北部はランヘルの経緯のあおりで、魔解の王らが北上を止めた。その上で予定通りの膠着だった。
南部は、ユーベンから魔王軍を引き離す為に、積極的守勢になる。
一応に、クローゼは頷きを返している。ただ、心ここにあらずが僅かに出ていた。
ウルジェラは、普段通りの姿で首輪の存在を顕にし、腕を組んでクローゼを見て……懸念の瞳がクローゼと交錯していた。
「自分に食われそうになった」
意味が分からないが、周囲は理解している。その雰囲気に続けて出そうとした言葉を、ウルジェラは遮った。
「まて、言いたい事は分かる。それ故、答えねばならぬ」
「意味不明だな」
クローゼは、出した言葉で肩に掛かる重さを感じ、ベッドに二人でいる不自然に気が付く。
ただ、一応に納得を見せて周囲を気にする事無く、ウルジェラに、漠然とした懸念の表情を作っていた。
「このままだと、『喰われる気』がする。言ってた意味が分かったよ」
「ベイカーに言われなかったか、切り札だと。何度も使えば『振り戻し』で魔力魔量が増えるのも分かっていただろう」
あの時、ウルジェラは双翼の盾を見て「三度目」の認識を持った。当然、それ以外でもクローゼは魔力を大量に使っている。
ジルクドヴルムで、盾の壁を量産したのもその一つだった。
「仕方ないだろ、色々あるんだ。で、どうにかならないか?」
「現状のまま、何もしない事だ……」
目線を落として、ウルジェラはクローゼから顔を背ける。実体としてか怪しい首輪は揺れていた……
――現状なら、増え行く魔力魔量を守護者達はかろうじて許容していた。
クローゼの身体を使い、魔力を受け持つ事が既に異様である。それを『慈悲ある者』の彼女が成していた。
簡単に言えば、何れ、守護者が押し付けられた魔力が『飽和決壊』して混ざり、クローゼの自我を作ってしまうと言う事になる。
元々、彼自身が守護者に影響を受けて、多重人格の様な感じである。それが、自身に喰われる感覚に繋がっていた。――
……どう見ても、いい返事で無いそれにクローゼもため息を返していた。
「言いたい事は分かるが、そんなのは無理だ。現実的な話をしてる。単純に、自分が自分で無くなる気がする。……どうにか出来るんだろ?」
「お前自身の魔力魔量を上げればいい……」
この辺りで、ユーリは話の内容に疑問符がついてくる。その雰囲気を出して、クローゼから指示を受ける事になった。
「ああ、少し外してくれ。というか、イグシードがあれだが計画の準備を。それと、俺の装備と魔量充填をくれ。動き出したのは止められ無いからな」
察しがいいと言うのも、クローゼの側付きの条件でもある。若干、事情を知るヘルミーネも一礼の後、揃って退室していった。
察するで言えば、ダーレンの事がクローゼには堪えている事も彼女は理解している。また、彼女自身もそうだった。
クローゼに関わる者達にも、ダーレンの存在は大きかった。ただ、動き出した流れは止まらない。……その事も彼らは理解していた。
結果的に、ウルジェラの言葉が結論を出した。獄属らしからぬ、微妙な雰囲気である。
それは、クローゼ達に感化されたのか、彼女にとって瞬きの移り変わりだった。
「我の欠片を入れれば、お前自身の魔力魔量は守護者のそれを越える。それで抑え込めば事は足りる。ただ、我が使った物と同等以上だ。精霊の王すら抗う事が出来なかった物だ……」
――永劫の流れに、幾重にも綴られた人智の営み。
その中で、王公貴族や英雄英傑に勇者と『夢うつつ』で目合ひ、淫靡な吐息で掠めた。『永劫の刻み』の魔力が籠められる――
『計り知れない』の認識をウルジェラが持つ物になる。
ウルジェラは言葉を続けるのに、入れ替わりで傍観者となっていた男を意識していた。
ランヘルで、夜間の助力から戻ったレイナードになる。
意図に気付いたクローゼは「聞かれていた。問題ない」と返して、ウルジェラに促していた。
「……愚かな二択だ、どちらも怪異になる。何れにせよ、お前を残せるのが最上であるが……」
「取り敢えず、やばそうなら取ればいいだろ」
認識として、彼の中では正しい。「正しい」と言うよりもそれを見てきた。
しかし、ウルジェラは難しい顔をする。
「取り出すのは無理だ」
「何でだよ。お前だって普通にやってたろ。無理やり取っても、フリートヘルム死んでないし」
思ったままをウルジェラに向けて、クローゼはため息の雰囲気を受けていた。
彼女が、感情を見せるのは違和感がある筈も、返事を求め彼は意に反していない。
「我はお前に対価を求めれぬ。故に、取り出す事は無理だ。力ずく等尚更だ。勇者や魔王に匹敵する怪異。いや、それすら凌ぐやもから、誰が何をどうすると言うのか、だ」
「俺がお前に『取れ』と言えば済むだろ。今はまだ、力を使わずになんて出来ない。『決着』着けないと駄目な奴がいる。そこで、あの感じになったらやばい。まあ、……後、あれだ、まだ、やれとは言ってないからな」
レニエの様子が違う「不安を拭う」感じで寄る様子に、クローゼの何かしらの念押しをウルジェラは頷きで返していた。
彼女らの見たあり得ない光景は、クローゼが起こしたと明確に意識させていた。
――双翼の対なら、完全に天獄の翼である――
クローゼの記憶を持つ彼女は、その倫理観は分かっておりそれ自体は信用していた。
「お前がその上で、そう言うのであればな」……「我、らしくないな」とウルジェラは続けてクローゼに話をする。
「人智も魔解も当たり前から降りられない」……勇者の果てや宿す者らの成れに、人智と魔解の王らの終い。強いては、王公貴族の執着を見た。……彼女はそう話していた。
階層を突き抜ける程の『力』を得て、それが当たり前で存在に不可欠になれば、降りられる訳等無い。
「人智の者も魔術なりを捨てれまい。お前の場合は自我が絡む。故に、行きなり化け物になるか、籠めた魔力が尽きるまで『生き』最後に喰われて『お前』でない化け物になるかだ。どちらもそうなら……」
簡単な話だとウルジェラは置いて、「選択は今のまま留まるか、化け物になるかだ」と言った辺りで、レイナードが口を出してきた。
「今でも十分化けもんだろ」
言葉が、場の視線と意識を惹いていた。
「お前の仲間他にもいるんだろ。それに『悪い事するな』位で『やらせれば』いいだけだろ」
「出きるか知らんがな」に「クローゼは、魔王になんかならんと思うぞ」とレイナードの雰囲気が傍観者に戻っていった。
言葉に合点が追従して、『融通の聞かない』に至り行く最中――クローゼの唐突が出てきた。
「セレスタ?」
離さず着ける魔装具。その共鳴の光がクローゼの表情を照らしていた……
……セレスタ・メイヴリックが、戦の最中に「会いたい」と言うだけで、クローゼを呼ぶ共鳴を使う筈もない。
『仕方ない』で、全て許容して受け入れ、自身の出来る事をする彼女である。
――思い焦がれるアリッサに、献身的なレニエとすれば、彼女は親愛なる愛だった。
友として姉として主従として、想い想われる女性としての積み重ねが彼女にはある。
それが、クロセのクローゼの物語を側面で動かしていた。……勿論始まりは彼女だった――
必要に駆られた、彼女の決断に繋がるのは「旭光が至り回り行く」を見て始まる。
強固な構築陣地に、断続的に襲いくる魔物魔獣が散発的になり、暫し交代の時を挟んでいた。
何日の連続に後退と攻勢を絡め、南方軍は相当数の魔物魔獣を倒している。
横並びに展開し、左翼に聖導と同盟があり中央に王国と風の旅団。右翼にヴァンダリアと南部諸侯の軍がある布陣。
両翼の堅実さと騎兵の破壊力に、中央を支える風の旅団の洗練さが色を添えている。その陣容であった。
そして、悲報含んだ「ユーベンに魔王不在」の情報が届いていた。
その状況で、イーフォル・ローデンビュルフ伯爵は、連戦の戦果を見て「らしくない」武断な選択をする。
――彼が把握した状況では、四散後退する魔物魔獣の向こう側には、一万を越える魔族の軍があるだけだった――
それで、積極的守勢を捨て交代で戻った軍を残し、二万余りの軍を追撃の体で前進させたのであった。
軍監であるモーゼスやラミラナの言を振り切っての断行である。
それに、左翼が呼応する形で追従する。
追撃の対象になる魔物魔獣の集団は、中央と南部の境界に発生していた。特段集団の意識があった訳ではない。
単純に、南下すれば城壁と兵馬に阻まれ、北上すれば魔都ユーベンの魔力の恐怖に足を止めていた。
それを、漆黒のヒルデと共に南下したカミラの使役する魔獣の督戦によって、強制的かつ断続的に北上する人智の軍と戦わされていた。
――暗黒の授けた、策によってである――
当然、黒紅のカミラも新たな魔獣も使役して、暫くの攻勢を支えていた。
ただ、「野戦を想定した策」に強固な陣地を作り移動する人智の軍の動きは想定外になる。
彼女は、武人でもなければ武将でもない。「あ~もう、訳わかんない」の言葉で現在に推移して行く事になった。
ここまでなら、セレスタの選択が必要にはならない。逆を見れば、ヒルデも想定外では無かった。
覚悟は必要だが、双方の周囲はまだ冷静だった。
冷静な視線が見る先。……人智の側で中央と左翼の突出が、目に見えて分かる頃合いで突然の驚愕が起こる。
――戦場が震撼する程の威圧の咆哮が、強烈な衝撃で駆け抜けて行く――
空間が固まった様に動きが止まる。人だけで無く魔物や魔獣に魔族までであった。
衝撃の音が消えて暫くの静寂の後に、前進を止めた軍の先頭部分が弾け飛んでいく。
万を越え二万届くかの軍が、先導の騎兵から文字通り弾け飛び道を作っていた。
いや、寧ろそれ以前に崩れ落ちる光景すらあった。
勿論、吸血餓狼になった、黒銀のヴォルグの成した事になる。
僅か数人の援軍。ただ、単純に超越者だったと言う事だった……
……ローデンビュルフ伯爵の軍旗が消えて、追撃した中央の軍が「崩壊するのか?」の辺りで、小高い場所で驚くセレスタの後ろから声が掛かってくる。
「中央が崩れる。敵の後ろは主力だろう、あの赤い一軍も動き出しているな。さて、どうする?」
「キーナさん?」
「仮眠すら、ゆっくり出来ないのは流石に戦場だと言うことだな」
初めての出征な筈のキーナ。ただ、涼しい顔で動きを見せる戦場を拾い読み、セレスタの驚きを引き出す。
また、言う通りの状況で、セレスタは対処を問われていた。
――中央の軍をなぎ倒すヴォルグがあり。漆黒に率いられた赤い一軍が、逃げる魔物魔獣を払いながら進んで来ていた。
両側からは、魔獣騎兵数騎が統制の取れた魔獣を率いて迂回する様に迫ってくる。その状況だった――
「まだ、秩序立つ後衛の迅速な後退を促すのに、あの辺りに楔があれば。あと、赤い一軍は、頭を抑えて勢いを削いで、その間に中央の建て直しと横撃の準備を――」
「あらかた正解だな。既に、動いているモリス殿は流石としか……見ろ」
キーナの指す指先には、ヴァンダリア本軍から飛び出す、あの「黒装槍騎兵」の一軍が見えた。
戦場が震撼する程の状況で、この対応は驚きだった。
それに、セレスタの理解が追い付く前には、キーナも既に別の指示を飛ばしていた。
「……あと、二百程前に出して、側面から来るのに対処を。その後ろは、子爵と男爵に伝令を出して埋めて貰え。皆、思考停止するな、なすべき事をなせ。ヴァリアントの軍は動いているぞ。化け物かもしれんが、考えるのは止めるな――」
周囲の状況を見ながら、彼女は、大声を出して硬直している者に激を飛ばしていた。そう、ヴァンダリアの軍装は動いていた。……「ヴァンダリア」であるがゆえにそれをなし得たのである。
単純に、動き出した黒装槍騎兵は各々に千騎。黒銀と漆黒の動きを止める為に飛だした。
黒銀には、モリスとヴァリアントの槍撃大隊が、漆黒には、ブラッドとヴルム槍撃大隊が向かっていた。
各々第二と第三大隊を連れてになる。
また、ミラナ・クライフは颶風の弓士、スキロ=デュシスを背にヴォルグが暴れる場に向かっていた。その背中を北部の騎士達が同様にして、続く光景も見える。
皆が全容を把握している訳では無い。しかし、小高い場所からセレスタは見ていた。
――当たり前に、ヴォルグの登場の仕方が異常である。その後の動きも尋常では無い。遮る者全て屠っていた。正に皆殺しである――
最善と思われる手立てを周囲はとっていた。そして、「なすべき事をなせ」の言葉に、セレスタもそれをする。間違い無く、呼ばなけれ行けない場面だと確信してだった……
……セレスタが魔力を込める迄を、同じ空間で見ていた紫の瞳があった。それは、アリッサである。
かなりの距離を騎上から見ていたのだった。随員はアッシュのみで、彼もあの馬擬きの魔獣に乗っている。
彼女は軽く全体の場景に瞳を移して、呟く様に声をだしていた。
「ヴォルグ様、本当に強いのね」
「見たままだと……俺は見えて無いですが」
この人が見えるのが凄いだけだと、アッシュは、そんな感覚で、続く「えっ、見えないのですか?」を聞いていた。
「見えませんが、正直、動く限りは負けないと。負ける姿が浮かばないです。アリッサ様も吸血鬼になって強くなった実感があると思いますが」
「そうね。でも、分からないわ。黒の六楯は強いでしょう」
今現在、認識の中でクローゼはクロージュになっているアリッサがそこにはいた。
人智の人が魔族になると、どうなるかをアリッサは体験していた。
色々な意味で「彼は強い」との断定を向けられて、アッシュは――まあ、強いよな……と思い、答えを返していく。
「まあ、でも、いませんし」
「来るわ。彼女が呼んだから」
彼女ペースで話が続いているのに、アッシュは困った感じになる。……何故来るのか、どうやって来るのか、彼女とは誰だ? の雰囲気だった。
「来るんですか。って、まあ、ヴォルグは負けないと。ちょっとヴォルグじゃ無い気もするけど」
「そうね。少し近かくに行きましょう」
「危険だと。……まあ、北側からなら」
一応に動く、戦局に二人の会話が続いていた。アッシュには何が「そうね」なのかは分からない所であったが、進むアリッサを追走して馬を走らせていく。
先を行くアリッサは、この場にくるまではアリッサだった。ヴォルグのこの行動にある種の予感を感じて、この場に来た。
恐らく、「待ち人」も来るのかと確信を持っていた、筈である……。
――彼女達の待ち人であるクローゼが、状況を把握せず魔方陣の光の中から現れるのは、あと僅かになる……そんな一幕。
いや、壮絶な予感のする幕開けが見えていた。




