弐~黒一色は飛び越える者~
僅かな平穏を怒りに震えるクローゼが、一応に甘受している。執務室の長椅子にふんぞり返った格好で、難しい顔をしていた。
「イグシードは?」
「アウロラに預けた。一命はだが、暫くは駄目だ」
「あの魔族の女は?」
「教会にある」
「始めから、隷属の鎖で拘束しておけば良かったな」
ウルジェラが、クローゼの表情に懸念を見せていた。当たり前に怒気を纏った顔にである。
「それより、魔王の居場所な分かったのか。今なら俺でも殺れるだろう」
「何れかが邪魔をして百眼で追えぬのだ。ランヘルには居ないゆえ、恐らくは魔解であろうが」
雰囲気が何時ものクローゼでないのは、彼の側で見合わせる二人の表情が厳しくなる事からも分かる。
ただ、落ち着きと言う点では、その怖さを増すほど逆に冷静が見えていた。
「欲然なる烈獄か 激然なる威獄か? 結局、獄属って事か」
勇者の結果を彼の上位者に預ける形で、この場に留められて彼自身は出来る事をしていた。
必要以上に刺激しないつもりなのだろう。ウルジェラの返す言葉は、少なかった。
事実を述べるなら、暗黒のサバルになる。ウルジェラには信じられないが、痕跡からその可能性を持っていた。
ウルジェラの感覚で、魔族が流浪を使える筈も無く、確信を得ぬまま言葉にしなかったのだった。
微妙な空気が流れる中で、副官の補佐官が足早に執務室の扉を叩き、ユーリに耳打ちをしていた。
その小声で掛かる時間に、クローゼは怪訝な目を向けていた。
「なんだ? 報告なら俺にしろ」
「閣下、私からきちんとしますので」
「じゃあ、なんだ?」
「本軍、陛下からの命令です。帝都アリエテルに二十番台の転位型魔動堡塁の目印の設置をする様にとの事です」
状況がクローゼには分からず、その表情には依然として「なんだ?」が付いていた。
「何でだ?」
「西方帝国領域、帝都アルエテルが魔族の大軍に城壁を囲まれて、物質。明確には、風の旅団の矢が底を尽きかけているので物質の補給をするそうです」
「意味が分からない。どっからそんな大軍なんて涌いてきた」
「涌いてきたそうです。そのまま意味で」
疑問が疑問を呼んで、収まりがつかなくなっているが、状況を語るなら、ノエリアの持つ前線兵力で籠城を強いられていると言う事になる。
絶え間なく、涌いてきた来る様な黒い小型の魔族の大軍によってだった。
「まあ良い。行けと言われれば行くさ。ユーリそっち準備は任せる。ヘルミーネは、俺の転位型魔動堡塁の準備をさせてくれ。そっちもついで設置する。状況次第では呼ぶからそのつもりでだ。後、ユーリ、竜擊関連と火力は使えるだけ用意して積み込んでおけ。良いな」
「閣下……」
「やるなって陛下は念押ししてないのだろう。どのみち、野戦でそんなの来たらやばい筈だ。だから、暗に、何とか出来たらしろって事だ。ウルジェラお前も行くからな準備しとけよ」
クローゼの生き生きとした感じに、ウルジェラは自身が獄属であるのを忘れて、嗜めなければと言う心境になっていた。ただ、言葉にはしなかったが。
「好きにしろ。準備などない」
それに「俺もだ」と魔王包囲が動き出してから、常に完全武装のクローゼは、唯一着けていないフード付きコートの袖に手を通していた。それで彼は準備を終えた事になった。
一応の準備と手順を踏んで、クローゼが帝都アリエテルに降り立ち見た光景は凄まじい感じだった。
城壁から見渡す限り「黒一色」の大地か蠢いて、折り重なり、よじ登り来るを見せている。
その黒く小型の魔族――黒餓――をノエリアは、自軍と魔動兵器を駆使し、無尽蔵に魅せるドワーフの戦士達の体力と、帝国製の矢を混ぜながら弓引くエルフらで撃退する、必死様相があったと言う事になる。
その対処にノエリアは、城壁全域に兵力を張り付かせて、ギリギリのタイミングで交代を見極めてここ何日かを凌いでいた。
「なかなか凄い光景だな」
――スケルトンかと思ったけど、想像と違うな。それになんだ? 食べてるのか、魔物まで食ってる様に見えるし。際限なさそうな感じで、休む暇もないか……いや、なるほど。
「逆擊に出ようとして、突然あの何とも言えない奇妙な黒い物に襲われた。しかも魔物の軍の真ん中から……誘いに乗った私の落ち度だ」
「落ち度とは違うと思いますが、どんな様子です」
「弱いのだ。しかし、数が減らんで絶え間なく来るのは流石にあれなのだ」
「レェグル殿、見た感じ単純に『後何日』持つと言った所ですが。それとノエリア、ああ、ノエリア殿の見解は?」
クローゼは、ユーリと大型で連れて来た随員に設置を任せて、この場で彼らに状況の確認しそのまま確認を入れていた。
「五つに一つ休める。大丈夫なのだ、ガハハッ!」
「戦士殿らに支えて貰って、何とか、僅かに先が見えている状況だ。ただ、我が兵は既に限界が見える……」
五つに一つの意味が、クローゼには分からない。
ただ、レェグルが言うなら『そう』なのだろと思っていた。――まあ、三日間寝ずに飲んだくれる位だからな。少し酒臭いしな。……その思考である。
騒然の中で余裕なクローゼの意識に、ラルフの顔が過ってくる。南側から来たラルフの視線は、クローゼの後ろを見ていた。
「姉っ、いっ、レニエ殿」
「ラルフ、精悍なりましたね」
「そうだな、男らしくなったな」
「竜伯爵、止めてくれないか。……ノエリア殿、南側の攻勢は一次的に押さえた。上からに、矢を大分使ってしまった。次は……」
彼の言葉は、魔翼獣騎兵の攻撃に持ち込んだ極光樹の矢を使わされたと言う話になる。一応に喪失感が流れるが、クローゼは平然とした姿勢を見せていく。
「取り敢えず、北の本軍から有るだけ運ばせる。後は随時だ、気にするな。あっ、レニエそれを」
促しで、レニエが持つ精の弓――ガンドストラック――がラルフの前に差し出される。
それにラルフは困惑を見せて、周囲に精悍な様相から、若干の動揺を見せていた。
「これは?」
「精霊の王が、持つべき『精霊使いの射手』にと申されておりました、勿論、私の風もですよ」
「そうだ、男だろ使ってみせろ」
何故か、クローゼはレェグルの表情を見て、ラルフにそう言っていた。その顔は「言ってやった」の雰囲気があった。
それを双方の同意と確固たる意志が越えて、紡がれていく、その場面だった……。
……絶え間なく続く状況で、クローゼの出す空気感が喪失感を埋めている。そして、彼は黒一色に意識を再度合わせていた。
「ウルジェラ、これはなんだ?」
「……あれだ」
「『あれ』で分かるか。いや、そう言う事か。いるのか?」
「暴然なる餓属の所業に見えるが、黒餓から奴が追えぬのだ」
見据える先を問い掛けた話に、ウルジェラの見解が追い付かない。曇る顔にクローゼがため息混じりで、黒色の一角にある丸い空白を指さていた。
「どう見てもにあれが元だろ。取り敢えず、こんなのは元を潰せばおしまいだと大概は決まってる。さくっと行ってくる。どの道じり貧になるだけだ」
「クローゼ……」
「冷静だよレニエ、大丈夫だ心配するな。それにウルジェラも連れて行く」
「任せておけ、どうせ言っても聞かぬ。暴走しそうなら無理矢理でも連れ戻す」
そう言葉を出したウルジェラは、 淫靡なる夢獄本来の容姿で紅紫色の全身鎧の姿をしていた。
「お前やっぱり獄属なんだな」
「今さらか? お前を止めるならこれでも足らぬ。約定ゆえ使わぬが、それでも相応か? だ。まあ良い、それでどちらで行く、お前か我のか」
そう告げたウルジェラの手には、鞭の様にしなる連結した刃の剣があり、その輝きが、彼女自身の頷きとクローゼの揺れるコートの内見える金銀の反射の光りに合わさっていた……
――クローゼが指し示した場所には、彼の思い通りの光景があった。
……空白を作り遮るのは、暗黒のサバルが施した広範囲の結界である。
その中心で、無表情な幽魔の男は自身が出した、黒一色に染める大地を作り出す、結界の外にある三体の黒餓獄を見ていた。
一見、覇気も闘気見せぬ幽魔の男に、蛇の目の瞳を向ける魔解の女侯爵ベラーヌは、不可解な力に困惑な思考をしている。
――魔物や魔獣をあれに食わせて、そこから出涌いて出る奇妙な姿の物。それが次のに……連鎖しておるのか、分からぬ。なんじゃこの力は?
「なんなのじゃ」
隣に戻ってきた、魔解の辺境王なるマーグナスの巨悪な姿に、ベラーヌが気が付いて声を洩らしていた。
「知らぬ。違う、分からぬが空から見ると異様だぞ。魔族の軍を下がらせたのも頷ける。恐らく、逃げぬ様に、あれ自体を壁の様に続く魔力で囲っている。時折、光るのが上からだと良く見えたからな」
「本当か? この結界も相当な広さに見えるが、どれ程の力なのじゃ」
広い結界の中で、各々に僅かな手勢を連れた、暗黒のサバルと「女侯爵に辺境王」が揃う場では、暗黒だけが平静で異様なしていた。
それを表すなら「増殖の連鎖」……起点となる黒餓主が内臓を食べた魔物や魔獣の屍から、蝿の様な経緯で黒餓が、十程生まれ同様の流れが続く様子だった。
黒餓主に近い程「大きく」、連鎖を重ねる度に「小さく多く」なる続きは、サバルが引き連れた魔物や魔獣、凡そ十万の犠牲の上に、互いにも連鎖し無尽蔵に見せる「黒一色」作っていた……
単純に自身の魔族軍を後退させ、戻った上の驚きで「女侯爵に辺境王」の二人は会話を重ねていた。そこに更なる驚きが襲うことになる。
それはその光景ではなく、彼らが狙う先からやって来た。そう、言葉のままである。
彼らが見る驚きは、ラルフ=ガンド・アールヴ渾身の一閃。精の弓――ガンドストラック――の一撃が見せる衝撃によってになる。
多数の閃光が、黒餓主の立つ前面を面制圧の勢いで、増え行く黒餓を更地に変えクローゼの魔方陣の輝きを演出していた。
輝きから現れたのは、クローゼの存在感に並ぶ多身式回転連続竜擊筒の勇姿だった。 そして、それを操る帝国様式な竜擊兵三名が、号令を待つ様に前方に照準を合わせていた。
「全弾発射後、そのまま転送で戻れ。その境界が結界の壁だ――放て!」
クローゼの号令に連続の発射の破裂音が始まる。
初擊に竜硬弾の砕けるを見せて、結界のドーム形状が空気の揺れと反射で形を露にしていた。
その直後、当たり前に竜硬弾は魔力の障壁を突き抜けていく。
その場景で、奏でられる発射の音に負けない「こじ開けろ!」と続くクローゼの声が掛かっていった。
弾倉の供給と突き崩す筒身の動きが、クローゼの視界に入り、彼も双剣を抜き放ち竜硬弾を打ち出していた。
――『流浪』弾くなんて、中々の結界らしい。中のは相応の『魔力』使いの魔族って事だが……さて。
吹き飛ばす勢いで、連続で崩した場所をクローゼはこじ開ける。
行きなりに、ウルジェラが三体の黒餓主を連結の刃で、斬り伏せるのを視界に入れそのまま中に突入して行った。
「さて、大将は誰だ?」
後ろ側で、掃射に切り替わり発射音が止まるを感じて、クローゼは全体が崩れ無いその中を見回していく。
一応に捉えた中では、ベラーヌとマーグナスの周り様子で、相応だと認識する。しかし、声を出したのは別の男、サバルだった。
「その格好は、ヴァンダリアですかな」
「お前か、大将は?」
「さて、そうとも言えますかな」
クローゼらの会話に割り込む様に、「単身乗り込んで来るとは、死にたいらしいな」とマーグナスの側衆が声と共に斬り掛かってくる。
それを当然に、クローゼは竜硬弾で迎撃し、場に騒然から静寂を呼んでいた。
その場景にクローゼは軽く首をならしていた。
「まあ、話すまでもないか、お前も死ね」
続ける言葉に、向ける剣先から放たれた竜硬弾は、クローゼの狙いとは違う場所で、突然盛り上がった岩を砕いていた。
「ふっ、何の曲芸だ?」
「まあ、ご想像に。一応私は暗黒のサバルと申します。以後お見知りおきを」
悪ふざけが出ている様な会話に、後ろからウルジェラが口を挟んできた。
「以後等無いと思うが一応聞いておく。貴様、暴然なる餓属の何だ?」
「ウルジェラ、何の話だ。そいつが暴然なる餓属じゃないのか?」
「お前は少し……まて、何だ?」
クローゼが後ろに意識を向けた辺りで、ウルジェラの表情が変わる。それを誘発したのは、サバルの一段上がった雰囲気だった。
「ほぉ、貴女は獄属ですか。なるほど、ならば『頂く』としますか」
「はぁ? 『頂く』お前、何言ってるんだ」
クローゼの見た目の基準で言えば、死と生の差異が無い容姿だったサバルが、突然一回り程大きく生気溢れる感じになっていた。
それに併せて、身に付けていたローブの様な服が破れてその身体が露になる。それを目の当たりにしたウルジェラが声を漏らした。
「暴然なる餓属!」
「左様。『食う』と言われたので、逆に頂きました。まあ、難儀はしましたがね」
涅色に変わったその腹辺りに虫を思わせる人型が、存在を主張する様に張り付いていた。それを見てウルジェラの言葉が出ていた。
単純に、前回の魔王降臨から封印の流れ以降、魔解に戻り隠れ魔力を練っていたサバルが暴然なる餓属に遭遇し、取り込んだと言う事になる。
一連の流れから、早期に魔王に合流できたのも、魔解の辺境にいたからではなく、暴然なる餓属を完全に取り込む事に成功して、百眼と流浪ものにしたと言う事なのだろう。
ただ、その様子にクローゼの口角が上がった。勿論、彼の後ろウルジェラは狼狽も軽く見せて、それには気が付かない。
「魔族は何でもありだな、面白い。一応、所有者としては『どうぞ、ご自由に』とは言えんな」
「ならば、お好きな『魔族の法』とやらで、ですかな。……クローゼ・ベルグ殿」
自身の名前を呼ばれて、何処まで知っているのかとクローゼは一瞬思案する仕草をした。マーグナスがそれを隙と捉え、動いたのに、クローゼは牽制の竜硬弾を放った。
大体その辺りの狙いで、マーグナスの周りの魔族を吹き飛ばし、彼の動きを拘束した。
「三下がチョロチョロするな。……サバルだったか、俺だと分かった上で、やるんだよな」
「勿論でしょう。魔王の周りをチョロチョロする蝿ごとき、如何様にもできますのでね」
「面白い。なら殺ろうか?」
「よもやだが、そいつは魔力を喰うぞ」
ウルジェラの言葉は、クローゼに届いていたが彼はそんなの事をお構い無しにサバルに意識を向けていた。
若干、雰囲気が不味いとウルジェラが思った瞬間、何の気配もなくクローゼは、それなりにあった、サバルとの距離を詰めて双剣を走らせていた。
一瞬を見送る彼女の思考は――馬鹿な……だった。




