十六~転機。各々の模様~
クローゼ・ベルグにとって転機であるかは別に、彼が飛び去った魔都ユーベンでも、当然大きな転機があった。
勿論、それはアリッサにとってもであったが、その場に居合わせた全てに「そうである」と言えた。
結果的に、屁理屈に続く懇願にもとれるフリーダの取り直しで、一応に魔王の頷きを得る事になった。
そのフリーダは、アリッサをカルーラに任せて、相応な消耗と竜硬弾で塞がらない傷を追っているオルゼクス処置の為に魔王と共に去っていた。
ただ、その状態でも、魔王の高揚と身体の火照りは激しく、それを鎮めるのに彼女が魔王と共にその場を後にしていたとも言える。
その後の光景に、託された女吸血鬼が声を通していた。
「今のアリッサ様には、血肉で悪い影響が出ますゆえ、フリーダ様が戻られるまでこちらでお預かり致します」
アリッサを託されたカルーラが、そうヴォルグらを両断して、フリーダの屋敷に連れだって行った辺りで、その場景は片付けるに変わっていった。
それ以外の意思を持つのは、強者の面々が、立ち集まるだけだった。
「ヴォルグ……すまない」
「何でこうなったかわからねぇ、で、ヒルデさんは悪くねぇ」
「同格だ。……ヒルデで良い。兎に角、オブラスの馬鹿がこんな手で来るとは……」
不覚の傷跡が見えるヒルデがヴォルグと交わした会話に、ノーガンが頷きと苦い顔を見せていた。
「それもだが、あれは……」
触れてはいけない様な事に、誰が手を出すか……になる。それをノーガンの手が触れていた。
単純に、魔王対魔王の図式に見えた光景の事である。「魔解の王」インパルスを瞬殺して、魔王を倒すかの勢いを見せたのが、「人智の人」である事実についてだった。
確かに、魔王自体には余裕が見えた。しかし、魔王の身体に傷を刻んで見せたのも現実だった。そして、魔王同様にその先の領域すらあるとその男は言ってのけた、のである。
自責にとらわれたビアンカは除き、その場にあるヴォルグもヒルデも彼らの側衆も言葉はなかった。無論、ノーガンも、そこから先は見つからないのだろう……二の句は無かった。
対比の問題で、インパルスは彼らにも手が届く。しかし、「千を斬り万に届くかの勢い」の魔王の見えた力をその男は只の一人で受け止め、あまつさえ
――魔王が人智の人ごとにきに倒されるのか?の――領域として、同じ土俵に立っていたのだった。
衝撃的な場景に、一番、現実を突きつけられたのは間違い無く……ヴォルグである。普段なら掛ける声もあったが、立ち去るクローゼに一言も声を出していない。
――勝てない。今のままでは……それが、ヴォルグの現実的な思いであった。
不本意な沈黙でその一幕が終わりを告げて、それぞれの場所に戻っていく。そんな光景に、謝る事しかしなくなったビアンカの傷心な様子が見えていた。
そんならしからぬ彼女に「帰る」をヴォルグが告げていく。
「ごめんなさい……」
「お前……ビアンカのせいじゃない。で、もういい」
「ごめんな――」
ヒルデが用意した馬車の開けられた扉。それが見える位置で、ヴォルグに近い人狼の彼ら視線を受け素のままのヴォルグ。彼は、彼女の声を遮り抱き寄せていた。
胸板に埋まる感じのビアンカに、ヴォルグは、自身の鼓動を預けていく。ビアンカを包む匂いと音で、彼女の力が抜けていた。
「落ち着け、で、帰るぞ」
ヴォルグに残る僅かな「本当の母親の記憶」いや匂いと音を思い返して、自分が一番落ち着いたであろう事を彼はしていた。
そして、クローゼを追い越える為に「捨て去る」なら、恐らくこれだとヴォルグは思っていた、と思われる。……行動自体に、その他の意味があったのかは定かではない。
そんな事があったのを、カルーラに連れられてフリーダの屋敷に来ていたアリッサは知りもしない。もしそれを目にしたのなら、恐らく「良かったね」と声を掛けていたと思われる。
……ベッドに身体を預けて、アリッサはカルーラの視線を感じていた。ここに抱き連れて来たのは彼女である。それに、アリッサは些か不思議な気持ちになっていた。
「何かありますでしょうか? アリッサ様」
「いえ、……力持ちだなって」
「吸血鬼ですから」
アリッサの雰囲気にカルーラは促しを向けて、当たり前の会話をしていた。続けて伝える様に
「フリーダ様が御自分の『魔力』と仰ったので、そのように致します。ですので、暫くは変調があるやも知れませんが、私も側におりますのでお待ち下さい」
「待つの」
「はい。初めの『血』は、フリーダ様の『魔力』になります。それゆえ、お待ち頂く事になりますので。ただ、今宵は恐らく我らでは魔王様の御相手出来ないと思います。ですので、刻が掛かるかと」
カルーラの声に、アリッサは少し困った顔をしていた。感覚も無く動かすこともままならない身体を持て余しているのに加えて、カルーラの言葉が不明瞭な為である。
それを察したのかカルーラは、説明を踏まえた言葉を並べていく。
「明確には、アリッサ様はまだ眷族とは申せません。一命をの処置の上で『半身』がそうなのだと御理解頂ければと。他者の血を受け入れて初めて吸血鬼となるのですが、フリーダ様は御自分の魔力をと……」
自分と同じで、そのようにされると続けて説明をカルーラはしていた。ただ、アリッサの表情が晴れないのに、思案の雰囲気を見せていた。
「アリッサ様のお身体の状態ですと数日の間に、それが必須なのです。『血』自体は何れでも宜しいのですが、フリーダ様の御所望ですので御待ち頂く事に。その間、欲求の渇望が起こるやもですので、暫く我慢して頂く事になるかと」
そこまで、カルーラは話をしてアリッサの雰囲気が変わらないのに気が付いて、軽く握った手を口元においた。
「あぁっ、御待ち頂く理由が御分かりにならないのですね。申し訳御座いません。恐らく……伽……夜伽を魔王様が所望されると思われますので……今宵の様な……」
「わっ、わかりました。……お待ちします」
アリッサは自身の状況を理解する以前に、別の意味での困惑の表情をしていた。
本来なら、自身が何故この境遇に至ったのか? また、これからどうなるか? に行き着く筈が、まだ、そこには届いてはいなかった……
当然、この事態を招いた者も現状の流れを予想していた訳ではない。その暇潰しを邪魔された仕返しをした獄属は今、魔獣騎兵の様相を見せていた。
暗闇に紛れて魔獣を駆り、一路城塞都市ランヘルに向かう魔解大公ミールレスを追走するヴァニタスのそれである。
流浪を使わずに同行しているのは、あの光景を見て、既に、六刃将処の話などヴァニタスの頭から消えていた。その為に取った行動といえる。
本当であればミールレスも、まだ、ユーベンに滞在する予定の筈だった。しかし、そのままランヘルに戻るとミールレスは言葉を出して、ヴァニタスがそれに従ったと言う事になる。
残してきた魔造従者一体が、体裁を整え予定通りの行動する手筈ではある。その為か彼の側衆として従う、随行の「魔解部衆」――魔解において武力なり魔力に抜きん出た個体の括り――はおらず、僅か三騎の騎影だった。
正確に言えば、魔解の者はミールレスだけで、それも、彼が「魔王」に至ればいなくなるのだが……
相当な速さで魔獣を駆り、先を行くミールレスの背にヴァニタスの合わせる視線が、至る過程に思考を返していた。
フリーダの取り直し……あからさまな魔王に対する甘美な言動とも取れるそれで、魔王が頷きを見せるに至った場面。そこで、虚無なる無獄が聞いた言葉は「あれが勇者か?」であった。
秘匿と隠匿が消す気配で「立つと従う」が見ていた場面で、ミールレスが漏らした言葉だった。勿論、アマビリスからの報告――アロギャンのそれ――から、ヴァニタスの否定の言葉が続いたのだが、である。
勿論、ミールレスもその様相の認識はあった。勇者出現の報告も、配下の繋ぎをそのまま聞いていた。その上で出た言葉になる。
……「強さの領域」の部分は自身に肉薄する。いや、むしろ同等であるとミールレスはその光景を直感的にそう思って、しまった。
――異質だが、現実を見れば認めざるを得ぬか。
強さの部類で言えば、ミールレスは魔王に近い。それゆえに、魔王を理解しクローゼを解釈したのであった……
魔王の強さとは、膨大な魔力を攻守に渡り同等に発動出来る――魔力が肉体を強化し、打撃と魔力発動の威力を表現する。また、魔力が肉体を強固にし、防護の具現と魔力干渉を抑制する――であった。
単に「純然なる強さ」である。
クローゼが攻守に渡り、特種な武器――竜硬弾を放つ魔衝撃の強化構造に、風斬りを施した刃を持ち高度な魔動術式を刻んだ双剣――と
魔動術式――操作可能型自動防護式――や黒の六楯の装備品等で「強制的に強化」し引き上げた領域。
魔王はその領域を、魔王自身の溢れる魔力によって「強さ」として派手さも無く成していた。
要するに、「発動魔力が数倍以上のクローゼ」にして「魔力魔量は当然魔王級」その上「封印解放の揺り戻し増加中」の神に五体を授けられた、神の子である。
……ミールレスの感覚の中で、聞いた話が具体的な映像として入り込み、オルゼクスと黄色薔薇の者クローゼを認識していた。
――ヴァンダリアと言うのは、初見なら紛れてもあったが見てしまえばどうとでも。……オルゼクスは想像以上だったな。六刃の力をと思って足を運んだが、良いものが見れた。やはり、数ではないな。
追走する、ヴァニタスと魔造従者のそれを置き去りにするかの勢いで、魔獣を走らせるミールレスの思い返しであった。
魔都ユーベンを離れる彼の思惑は、今の処他者には明かされてはいない。……準魔王級と人智が認識を持つ魔解大公ミールレスは、辺境の地にある人智での自身の拠点に向かっていた……
刻の流れとしては重なりを見せる頃。魔都ユーベンの玉座がある旧王宮の一室に、「想像以上」と向けられた魔王オルゼクスはあった。
同室するフリーダとその眷族の幾名かが、魔王の周りで甲斐甲斐しく動いていた。
「もう良い、後は妾が……そちらは下がれ」
フリーダの言葉で、一応の処置をおえた彼女達――魔王の側付きの女吸血鬼ら――はその場を後にしていく。
魔王自身も、自己再生の力で刀傷は既に無く、竜硬弾の弾傷がそれに抵抗していたが、フリーダによって取り除かれた場所は回復を見せ始めていた。
上半身は造形的な肉体を露にして、あの槍の傷跡が目につく。……そんな様子でベッドに座り、残る深い弾傷をフリーダの白い指先が探っていた。
「それは中々の傷だ。今さらに痛いぞ」
「ああっ、御許しを魔王様っ」
「お前の指がではない。流石に、それとこの傷が酷いと言っているだけだ……気にするな」
そう言って、フリーダの視線を促し、オルゼクスは自身に残っていた何個かの竜硬弾の残形を取り、眺めていた。
……黒い石――竜硬弾――の存在は……報告の形で聞いていた。そして、先ほどクローゼからそれを身体に刻まれて「なるほど」という思いが微かによぎっていた。
――初めに聞いたのが、奴を追わせた魔獣騎兵の辺りか……『音も無く倒された』で愚か者と思ったが、まさか剣の先から出て来るとは……魔力の塊を払ったつもりが『黒の石』と、奇術だな。
「魔王様、この黒い石『音鳴る棒』と同じ物では」
「そうか……この黒い石が奴からいきなり出て来たのは、何らかの繋がりがあると言う事か」
「御所望なら探らせます」
フリーダの上目遣いに、指先で潰れる竜硬弾が映っていた。そこにオルゼクスの瞳が重なる。
「そうだな。ただ、流石に初めのを核に受けていたら、『痛い』では済まなかっただろう。そう考えると、奴がその気なら……我は敗れてい――」
会話の途中から、オルゼクスの視線が遠くの点に向けられて行く。気付いたフリーダの指先が言葉を遮っていた。
「敗れてなどありません」
「そうだな……」
形式上は、王と王妃である二人が、各々の気持ちの先に、特異なる者であるクローゼがあったの言うまでもないだろう。
その後、二人が密室で話す会話は、他の魔族には届いていない。……恐らくそれは、ある種の本音を含んだ話になると思われる。
その会話の中で特異なる者が、「一度底を知った魔王」に何かを刻んだ。それを、含んだのは間違い筈である……
刻むと言う事で言えば、そのクローゼも二度目の死の実感を受けていた。そして、確実に死を実感したのは恐らく、二度とも、魔王との対峙によってになる。
そんな状況で、それなりにやるべき事をこなし、ジルクドヴルムに彼は戻っている訳である。そして、今現在、極天を目指す辺りの刻で「待ち人」を出迎える為に、いつもの転位場所にいた。
「グレアム。準備させろ、そろそろ来る頃だ」
「ですな」
クローゼが準備をと言ったのは、彼の「完全な私兵」である、ジルクドヴルムの竜擊歩兵の竜擊の用意の事であった。二列で円形にその場を囲んで、凡そ一個中隊規模――百二十名程――になる。
完全な私兵。当たり前ではあるが、悪い意味では無く彼の独断で動かせる兵になる。
その数は、ジルクドヴルムの守備隊を含めヴルム大隊になった槍擊大隊五百を除く、総数凡そ三千二百程になる。二百程の騎兵に残る徒歩兵力は全て竜擊歩兵だった。
一般的な伯爵領の私兵数を大きく越えるそれは、領民の数から言えば多いが、冒険者として集まった者も加えていての動員である。当然、維持可能な範囲であった。
余談を含めて言えば、竜擊筒に関して拡散防止の対策を施す方策を実施しており、献上品に関しても差し替えをしていた、となる。
一見物々しい感じのその場所にやって来るのは、湖畔の砦からの来訪者になる。当然、イグシードと獄属にライラであった。
ライラがとりあえず、動ける様になったとの通信を受けて、イグシードを呼んだと言う事だった。
そして、待ち構える中で魔方陣の展開をクローゼは見ることになった。当たり前の随員に、カレンとレイナードの二人も顔を揃えていた……となる。
クローゼが、客観的に転位型の魔方陣を見る機会は少ない。その為か多少の高揚感が見えていた。ただ、彼自身は平装であったので、そこまでの緊張感を必要とする場面ではなかったのだろう。
輝きの中から、イグシードに掴まる 激然なる威獄とそっぽを向きながらイグシードに二の腕辺りを捕まえられるライラの姿が見える。
「なあ、大丈夫だろ。俺も初めは――なっ?」
突然囲まれる状況に、イグシードを始め残り二人の同様も見て取れた。サフェロスはまだしも、ライラの慌て様は尋常ではなかった。
「騙したな、私をどうするつもりだ。サフェロスやはり人智の者など信用するべきでは無かった」
「俺も聞いてないし、何だ? クローゼ、どういうつもりだ」
「一応、激然なる威獄を入れるんだ、警戒はするさ。まあ、大丈夫そうだな……サフェロスようこそジルクドヴルムへ」
「我はどう答えれば良いのだ。……まあ、『お招き感謝する』とでも言っておけば良いのか?」
サフェロスに言葉に、クローゼはグレアムに指示を向けて。そのまま、歩いてサフェロスに向かい手を差し出していた。
警戒が解かれる中、ライラがイグシードに激情の感じをぶつけている横で、クローゼはサフェロスから出された手を重ねていた。
「こちらの気持ちだ、無理強いする事でもないだろ。……横で、ちょっとうるさいけど、歓迎する。目的が達成するまで強力するし、貴方は契約の上では信用出来そうだからな」
「そういう事か。……何か雰囲気が変わったな」
「気のせいだ」
その横で、ライラの人かと見間違う美しく容姿からは信じられない様な、激昂の言葉が出ていた。
焔魔族の生き残り、蒼い髪が流れる様に美しく伸びていた。……彼女はイグシードのど真ん中である。
好意を激昂で返されてたじたじの勇者を見かねたクローゼは、ライラに声を掛けていく。
「少し落ち着いたらどうだ? 何もしないし、イグシードは君の命の恩人だ。彼が諦めたら君はここにいないよ」
「だからなんだ。人智の人が恩着せがましいにも程がある。大体、勇者が魔族の私を愛してるとか、気でも違ったのか?」
ライラの言葉に、クローゼもイグシードも難しい顔をしていた。サフェロスがそこで何かを呟いて、ライラの様子がおかしくなる。
「とりあえず、『手付け』というのか。勇者に従属させておいた。残り六本腕を倒せたら中のは取り出してやる」
「貴様……」
「頼んでないだろ。余計なことするな!」
「兎に角、イグシードも落ち着け話が進まない。それにライラ、相手が何者でもそんな事は想う気持ちに関係ないからな」
クローゼは二人を視界に入れて、その雰囲気に言葉を向けていた。そして、ライラから無言の睨みを受けて、続けざまに「立ち話もなんだから」の言葉でそれをその場においていった。
クローゼは、イグシードと並びながら、人智の者てない二人を連れて、冒険者区画の用意した屋敷向かっていた。王国と帝国の最高峰がさりげない警戒で後ろから付く形でである。
「とりあえずな、イグシード」
「何だ?」
「行きなり『愛してる』はないと思うぞ」
「駄目か?」
「もう一人の自分に聞いたら分かると思うな」
六人乗りの馬車で移動する中で、ライラとサフェロスを向かいに、隣あった勇者と特異なる者の会話である。
この時のクローゼには、何かしら吹っ切れた感じがあった。一応ここに至る迄に『通信』で、セレスタに泣かれて、アーヴェントから「流石に笑えんぞ」を引き出し……グランザに「お前は……」とされていた。
「サフェロス。欲然なる烈獄を信用してない訳でも無いが、目的奴らがランヘルに集まってる。こちらも勝手やらせて貰うから、黙認してくれ」
「事が終われば以後は知らんが、流石に、強制は出来んよ。好きにしろだな」
揺れる感じの無い馬車で、クローゼはサフェロスにそう告げていた。そして、横に座るイグシードが向かいのライラに完全無視されているのを横目に、ゆっくりと考えを決めていた。
――ついでに、ランヘル攻略戦も参加だな。
唐突に、大人の流れの中に首を突っ込むクローゼ・ベルグであった。……となる。




