十二~侯爵夫人 フェネ=ローラ~
・から見る視点では刹那的でも、クローゼである彼にしてみれば、少なくなかっただろう。
演じる事と『自身が誰か』の問いを向ける彼は、クローゼ・ベルグ・ヴァンダリア、また男爵としての自分を見る事に、殆んどを刻んできたのだから……。
今この瞬間、向かい合い座るテーブル越しから、ヴァンダリアとして、また、男爵の爵位を通してでなく、『俺に』向けらた声と彼女を見みていた。
「以前に比べて柔らかくなりましたね」
そう、明確に『俺に向け』言葉を続けて、フローラに優しくと話しかける。
「殿方と言うのは、そういうものです。今のは、クローゼ殿が悪いと思いますが、許して差し上げなさい」
「はい、お母様。……男爵、ゆるします」
「フローラ様。感謝致します」
彼女達の言葉で、膝の上のフローラに、上から軽く頭を下げた。それに「宜しいです」と、フェネ=ローラ様は、フローラと俺にやさしい顔をする。
「始めて会った時は、可愛い弟が出来た様でした」
そう言って、彼女は少し考える仕草をした。
「あの出来事の後に会った時は、私も余裕がありませんでしたが、貴方も酷くそんな様子でしたね」
掛けられる言葉に相槌を打ちをして、その視線を受け入れる。
――だけど、その事は日記でしか知らない。
「それでも、その子に対して優しく接し頂いて、感謝しています」
俺の膝の上のフローラを見ながら、彼女は暫く沈黙する。
「貴方が、私に初めて会った時。と言っておきます。記憶を無くしたと聞いていましたが、フローラに対する接し方は、以前と何ら変わらない様に思えました。勿論、あなたが嘘を付く様な人ではないとは、知っていました。それからの貴方を見ても『それ』は分かりました」
フローラの大切さは、皆に聞かされていた。彼女との関係性もそうだった。
特にレイナードからは、彼女が母親と同じ位俺の事を信頼しているのだから、お前が誰であれ『彼女を一番に思え、会えば必ず分かる筈たから』と念を押されたくらいだ。
「あれは、フローラ様を悲しませる事をしないようにと、皆に言われましたので。とった行動は、意図したものではありませんでしたが」
「そうですね。その時は驚きましたね。同じ光景を見るとは思っていませんでしたから。ですから、フローラは、今でも貴方の事情を知りませんよ」
自分の事を話している、大好きな二人の会話が気になり始めたのか、フローラは皿にまだあるお菓子よりも、二人の顔を交互に見始めた。
「結果的に……」
そう言いかけて、様子に気が付いていたフェネ=ローラ様はフローラを微笑みを見せる。そして、彼女にやさしく言い聞かせ、皆のところへと促していた。
母親に言われたフローラが、返事をするより早く、フェネ=ローラ様の近くに控えていたセイバインの目配せで、回りの者が動いたのが分かる。
元気な返事がして、膝の上のからフローラが降りたと同時に、オリヴィアが立ち上がり、自分の椅子を引いていたのが目に入った。
侍女が持った皿と共に、フローラが隣のテーブルに歩いて行く。そして、目の前に入れたての紅茶が置かれ、フェネ=ローラ様が改めてを口にする。
「結果的に、あの子がヴァンダリアを継ぐ事になりました。父にも聞きましたが、王宮内でも色々あったようです」
最近、よく彼女と話しをするようになっていた。ただ、それは当主と家臣という、主従のそれだった。『ヴァンダリアの男爵』を演じている自覚がある自分は、そういう会話になる。
――でも今は、何かが違う気がする。
「領内の皆も、それについては思うところもあると思いますが、よく助け従ってくれています」
――たんたんと話す彼女が、何を意図して話しているのか理解出来ない……。
「貴方も、心の内に含む処もあると思います」
――ああ、何だか分かった。距離感が違うんだ。どうしてなのか分からないが……だったら。
「当主様」と言葉の区切に、少し声を張った。それで、セイバインの殺意を一瞬感じる。
――恫喝じゃないからやめてくれ。
フェネ=ローラ様も、そんな感じに受け取ったのか、机から若干距離をとった様な気がする。
――向こうのテーブルで楽しそうに話している、フローラには気付かれていない……よし。オリヴィアは……わかったよ、俺の負けだよ。
「男爵……何か?」
彼女の怪訝な顔を見ながら思う。
――確かに呼び掛けた相手が二の句無しで、隣のテーブルをチラ見してたら、「何か?」 になるよな。
と、座ったまま、服装を正し背筋を伸ばしてみる。
「申し訳ないのですが、心の内に何かを含ませるほど、取り戻せていませんので。他意など持ちようがありません」
戸惑い気味の彼女と、その後ろを少し無視して「ヴァンダリアとして」と言葉を続ける。
――これはある意味ヤバそうな線を越える。思い違いで無いこと祈る。
「いいえ、ヴァンダリアとしてと言うか、フローラの侯爵位襲爵に、異を唱える者など一人もいませんよ。……仮にいたとしても、うちのレイナードが黙っていませんし、少なくともそんな思いの連中も、一個中隊では足りませんから」
言い終わって。反応が無い事に、若干不安を感じた。やってしまった感が強い。少し軽口を聞いた事を後悔する。
彼女に名前や爵位で呼ばれなかった事と、あなたと呼ばれ事。話しの流れ。媚びられたか、信頼されたかのどちらかだ、と。
――どうしてそう思った? 何を分かった様な気になっていたのか? 本棚にある、英雄譚の物語なら読み通りで、主君の心をしっかり掴む処なんだが………。
「貴方は誰ですか?」
多分やってしまった、という顔をしていたのだろう。笑顔でと言うよりも半分笑いながら、彼女が問い掛けてきた。
「クローゼ・ベルグです。一応、ヴァンダリアで男爵の爵位もあります」
「フフフ」と声を漏らして、笑顔を作るフェネ=ローラ様の問いに、真顔で答えてみる。
どうせ、都合良く相手の心情など分かる訳ないのだ。信頼されたと思って、ヴァンダリア男爵を演じるのを止めたみた結果が「誰ですか? 」って……。
――黙って頷いておけば良かった。
そう思って前を向くと、目線の先の彼女は既に笑っていた。まあ、釣られてこっちも笑う事にする。
「知っています。そうですね。ですが、本当に貴方が、あのクローゼ殿とは思えません。まるで別人ですね」
「同感です。正直、自分が誰だか分かりません」
彼女の意見に、同意する形で応えた。それで、笑いを隠そうともしない、目の前にいる女性が案外普通に見える。それは、初めてみた顔だと思う。ただ、違和感無いのは、フローラの母親だからだろう。
笑われたといっても、馬鹿にされた訳では無いのはわかる。どちらかと言うと、得意気に話す子供を見る感じに近い。当然、周囲の視線を受けるのは、もう馴れたものだった。
――やらかしついでに、行ける処までいこうか。
愛想笑いを止めて、普通にもどる。何れが普通の自分か分からないけれど。
「分からないついでに、ひとつ宜しいですか」
空気感が変わったのを察したのだろう。いつもの侯爵夫人に戻る彼女がみえる。それで、「どうぞ」促されて意を決して言葉にする。
「呼び掛けの言葉が少し変わられた。今の私が、信頼を勝ち取ったと思って宜しいですか?」
彼女の本意は分からない。だから、根本的な疑問だけを口にした。他意などない、信頼して貰えるならそれでいい。この流れで、思い違いならそれまでだ。
そう考えていると、フェネ=ローラ様が、今度は本当の意味で笑顔を向けてきた。――と思う。
「クローゼ殿。少し失礼しました。笑いに他意はありません。回りくどい言い方をしてしまって申し訳ないですね。ただ、話している時の貴方の顔が、あの子にそっくりだったので、思わずという事です」
「あの子」と言った、フローラを見る彼女の顔がやさしい。元々整った顔が、女性らしさと母性が相まって至極美しく見える。
それに、似ていたと言われた事については、悪い気はしない。周りも言われるし、普通に顔の作りが似てるのだから。
「今の貴方は、それに足る人だと理解しています。先ほどの質問の答えと受け取ってください。飾らず、今のままの貴方をこれからも頼りにします」
「ありがとうございます。これからは、男爵を演じるのは止めておきます。疲れますので」
「では、私そうする事にしますね。貴方の意見がヴァンダリアの総意なら、もう少し肩の荷を下ろすとします。ヴァンダリア屈指の剣士、レイナード殿があの子の為にそうしてくださるなら、あの子の事も安心でしょう」
「それに、ヴァンダリアの当主も疲れますの」
そう言って他愛のない会話を俺と続けた。セイバインの気配が、消えた気がする。あの男を怒らせるのは止めようと思う。――恐いから。
後の話しは早かった。俺自身が言葉を選ばなかったのと深く考えて無かったからだろう。「それじゃあ」ではないけど、最後に色々と残してくれた前の俺にプレゼントをしよう。
――そう最後に。
「フェネ=ローラ様。ひとつお願いがあります。出会って弟だと思ってくれた、前の私からの願いだと思ってくれればと思います。彼には、たくさんのものを残して貰ったので」
少し変わった言い回しに、動じる事なく彼女は、俺を見つめていた。
「どうぞ、できる事なら叶えましょう」
「義姉上と呼ばせて頂きたい」
そう告げて、俺がクローゼの日記と呼ぶものについて話をしていく。
彼が彼女の事を書くとき『姉上』と記していた事。自分の出生を踏まえての彼の気持ちと。大好きで、無償の愛情をくれた兄への思いと、その横でやさしい眼差しで立つ貴女の事。
そして、フローラの事。幸せな気持ちが膨らんでいた事。
そして、あの出来事の事。
「私が彼を取り戻した時に、誇りたいのです。それに、私も素直に貴女の事をそう思えます」
フローラの楽しげな話し声と、周囲の歓談が続く中、俺は彼女に語った。聞いていたのは彼女と、その影だけだと思う。
「他人事の様に話すのは、許してください」
最後にそう締めくくった俺に、時折頷きなから聞いていた彼女が、声を返してくれた。
「貴方は貴方だったのですね。……わかりました私もそう思う事にします」
そう言って、セイバインに目の前の皿とカップを下げる様にと指示していた。
彼がその場を離れると、彼女は椅子から少し身体を浮かせて、俺の方との距離を詰める感じに、僅かに唇を動かした。
「母親と言う選択肢もありますよ」
――えっ。
「あの子を娶ってくださればそうなりますね」
「えっ、いやフローラは姪ですしそれに……」
――姪だし。「王宮や貴族社会じゃ良くあること」ですか? ……えっ「あの子も喜びますよ」って。「まだ五歳ですから」いや、義姉じゃなくて、母上って……。
あからさまに動揺する俺から、彼女は距離をとり、椅子を引いて深く座っていった。
そして、両方の肘をついて手を組み、軽く顎を乗せ、そのまま此方を見つめている。
その表情は、ちょっと言葉では表せない。でも、何故か嬉しそうだった。
「なら、父親と言う選択肢はどうでしょう?」
唐突に、俺にしか聴こえ無い声で告げられた一言に、絶句する。
――はっ? えっ? うほっ! 駄目だ。頭がついていかない。多分、俺、物凄い顔をしているんだろう。
動揺の中で、セイバインが定位置戻ろうと歩いて来るのが見えた。それに合わせる感じに、彼女が戻るのも感じられる。
「最後のは冗談ですが、あの子の事はヴァンダリアにとって選択肢のひとつです。心に止めておいでください。……有意義でした。これからも頼りにします。たまには、こんな事も言わないと、ヴァンダリアの当主は疲れますから」
舌を軽くだす仕草をして、本当にいつもの侯爵夫人に戻った彼女を見て「こんな事をする人なんだ」と呟やいてしまった。
自覚のある困惑の俺を「当主様」と言うセイバインの声が引き戻していく。
「セレスタ様が、火急の件が御有りになるとの事で御見えになっております」
それにフェネ=ローラ様は「宜しいです。通しなさい」と言って、セイバインに促しを見せていた。
――そして、俺は「セレスタ?」となった。




