十一~自分の中心でごめんと言う~
クローゼである彼が、『クローゼ』としての認識を深めて行く過程に、相応の頁が綴られていた。
彼を取り巻く舞台に『知識を得て、考えを作り、余裕を持たせる』土台があったと言える。それは、彼に取って幸運だったのかもしれない。
俺はフローラとの約束の為に、屋敷の敷地にある講堂の後ろで講義を見ていた。
教壇に立つのはマーリア女史で、講義を受けているのはフローラと、彼女より少し年長の士爵家の子弟達になる。いずれは彼女の側近になる男女だ。
――とりあえず、今回はまだフローラには気付かれていない。
音を出さない様に、講堂の後ろ側の扉から入った。講師が、マーリア女史でなければ、彼女の近くの席に、そのまま座っただろう。
うまく潜り込んだと思って、正面を見たときにマーリア女史が『暫くお待ちなさい』位の感じで目線を俺に向けたのでそれは諦めた。
――流石にそこまでの勇気はない。
色々な意味で、マーリア女史は『特別だからな』と思い教壇に立つ彼女を見ていた。その壇上の女性は、マーリア・ジュエラ準男爵。
高位の魔術師で多岐にわたる学士の資格を持つ才女。強調された女性的な体つきは、知的な服装でもやはり目をひく。
普段の自分ならそうでもないが、変な感覚が抜けてないのか、一段と妖艶に見える。
見た目で言えば、フェネ=ローラ様より少し上の位の年齢に思う。そう、あくまでも見た目は。噂によると、二十年位は美しいままだそうだ。
「まあそう言うことだ」と呟いてみる。
そんな事を考えていると女史が、講義のまとめ始めた。
――そろそろ時間の様だ。
二ヶ月前までは、フローラの隣に座っていたのが頭をよぎる。五歳を過ぎたフローラの講義を開始する時期と、俺が空っぽになったのが、重なったのもあるけれど、初歩的な内容からだったので、色々と助かったと思っている。
そう言えば、別の面では感謝もされた。フローラの事も、素直に今の流れに入れたと、マーリア女史だけでなく、その他の学士達にも言われている。
今でも感じるフローラの『兄様』好きは周知の事実だし、まあ理由はあれだけど。
――俺も妹の様で可愛いからそれで良い。
そんな感じだから、俺が「一緒に覚えてくれたら嬉しい」と言った時の張り切り様は、大変だった。
一般的な貴族の婦女子の教養ではなく、当主としての教育なので、彼女に苦痛かもしれない。
そんな事を考えていると、片付け始まって、講義は終わっていた。
フローラが俺に気が付いたらしく、周りは分からない様に小さく手を振っていた。
――普段を知っていると、少し背伸びをしているように見える。多分成長なのだろう。
彼女に近付き「お疲れ様でした」と声をかけて、軽く左手を彼女の肩に添える。右手を大きく出して出口を示した。
「フローラ様、参りましょうか」
「兄っ、……男爵。よろしいです」
困った顔のフローラもちょっと可愛い。フローラに、俺が「様」を付けると一瞬動揺する。忘れた頃にやると反応が楽しい。
――その為に、こっそり入ったのだからな。
可愛い反応の彼女をエスコートして、講堂を出て廊下を歩いた処で、フローラの耳元に「ごめん」と告げる。
彼女は「ううっ」となって両手を拡げてきた。その仕草を見て、彼女を抱き上げいつもの部屋へと向かう。
今の俺は、フローラの講義がある時は大体、彼女とおやつを食べる。
始めは、僕らと侍女らで少人数だった。でも、今はかなりの大人数になっている。流石に、テーブルは違うけれど、講義の面々も同席が当たり前になっていた。
二ヶ月位前からは、フェネ=ローラ様も必ず同席する様になり、色々あったけど今の形になる。
――いつもの感じだ。フローラもいつもの場所だけど。
「結局ここなんだ」と膝の上のフローラに言うと
「兄様がいじわるするから、今日もここ」と言って、ニコニコしながら、パンプキンなんたらを口に運んでいる。
周りはから見れば、いつもの感じだろう。フローラも、「自分の境遇」を意識し始めている。でも、この刻だけは以前のままだと言う。
それからいつもの様に、講義の内容を俺に教えてくれる。覚えているものだけなので、それだけ聞くと脈絡もなく微妙だった。
実際には、講義自体は周りに対してで、本人にはさして重要ではない。それよりも環境が重要で、人間関係を作り、将来の為に生かす事が大切なのだそうだ。
――マーリア女史の受け売り。俺もそう思うし、現状を鑑みても実感出来る。
そんな事を考えてフローラを見ると、身振り手振りを交えて話す彼女は、時折何かを確認するように、視線を向ける先がある。
以前は母親のフェネ=ローラ様だった。でも、正面に座る彼女には向けられていない。
フローラの向ける先には、距離はあるが絶妙な位置に一人の少女が見える。少女はフローラの確認に、自然で周りに悟られる事がない様、頷いたり微笑んだりしていた。
「で……じゃなくて殿下で。……なの。……そう。う~ん」
フローラの話す感じを聞いていると、彼女に合わせて、語尾が少し変わったりする。話し方が可愛いので、それに気が付いたのは最近だった。
その少女はオリヴィアと言って、フロックハート士爵家の令嬢。十二才しては、落ち着いた雰囲気があり大人びて見える。
マーリア女史も、特に目をかけている彼女もまた、四年半前のあれの犠牲者だと言える。父と叔父と兄と一族の大半を無くしていた。
今は、引退していた祖父が後見として、六歳の弟が成人すれば、家督を継ぐ予定になっている。
メイヴリック、カークラントとならんでヴァンダリアの古参の家名になる。でも、弟が成人するまでを考えると、どうなるか分からない。
ヴァンダリアにおいて士爵の位は、代官職として任地を任された者に徐爵される。当然、ヴァンダリア侯爵家に与えられた徐爵権による。
世襲ではないが、家督継承者が引き続き徐爵を受け、そのまま、その地の代官職を継続的に管理する。 だから、実質的には世襲だという。
無論歴代の当主に認められれば、という条件がつくのを除けばらしい。
管理地については、国内の貴族と同じで相当額の租税さえ納めれば、後は自由なのだから一族の領地と同じと言える。
更に、家督継承者以外で一族の中から認められて、徐爵される者が出れば、家名を継げる者が増えるので家名と任地は安泰になる。
実力主義の貴族制度と言えば、分かりやすいかもしれない。当然、腐敗・不正・無能を何年も何代も掛けて淘汰してきた。だから、家名持ちの者が無能な筈も無い。
「何故、ヴァンダリア領内に士爵がこんなにも多いのか?」
と、モリスに聞いて、答えてくれた事を思い出した。今回の彼女の情況は特殊だろう。それでも前例は覆せない。
フェネ=ローラ様が、そんな事にならない様にすると思う。それでも、それに相応しくなければ、どうにもならない事もある。
思うところあるのだろう、進んでフローラの近習になる為にやって来た。そして、選ばれるだけの力が彼女にはあった。
良い傾向だ。信頼できる人が身近にいて、その人がそれに足るという事。小さな彼女に掛かる「ヴァンダリア」の重圧を和らげてくれる。
そう思い彼らを見る。モリスの人選だから、間違い無いだろう。代わってやりたくても、所詮、庶子である俺はフローラの変わりはできないのだから。
フローラの声を遠くに聞きながら、自分の事に思いがいって、四年半前から前の俺が書き綴った日記の事に気持ちが向く。
俺の男爵位は、四年前に国王から賜った。ヴァンダリア姓と男爵位と共に、ヴァンダリア領に隣接する、王国直轄のジクルドヴルムも拝領した。
本来なら、当主であった兄から、成人後に士爵の徐爵を受けて、父から与えられたメルルドの町で、新たな家名を名乗るはずだった。それが、四年半前のあの出来事で、出来なくなったからだ。
と、その事が記されていた頁の終わりに、書き殴られていた、それを思い出した。
――王によって、ヴァンダリアの実子と認められ、世襲でない男爵位共に領地を貰う。
それが、王族の自己満足によって、もたらされた事。その対価として、王の自己満足によって、ヴァンダリアにもたらされた謝罪と賠償。自分はなんなのだ……と――
「……と。これでおしまい。兄様、わかった 」
膝の上のフローラが、そのまま顔を上に向けたのに、自分の中心から引き戻された。
「……わかった」
オリヴィアの『聞いてませんでしたよね』という顔と、フェネ=ローラ様の微妙な笑顔が見える。あと、膝の上のフローラは、体を俺に向け頬を膨らませていた。
――ごめんフローラ。兄様は自分探しの旅に出てたよ。
呆然としてる俺に、フローラは膝の上のでくるりとかえり「いじわる」と呟く。
それに「ごめん。ほんとに、ごめん」と頭を撫でて、顔をのぞきこむ。それでも、彼女の感じは悪いままだ。
「しらない」
「ごめん、食べていいから」
拗ねた様に、のぞきこむ反対側に『ぴょん』と跳る風に、顔を背けるフローラの前へ、自分の皿を指先で押す。
「きらい」
「ごめん」
「いや」
「ごめんなさい」
「……」
「ぎゅってするから」
「……」
「……」
「……兄様」
「はい」
「ぎゅっして」
「ありがと」
暫く、俺の膝の上ので跳ねていたフローラを捕まえた時の雰囲気は、何とも言えなかった。
「クローゼ殿は……変わりましたね」
フローラの話には、時折答えていたフェネ=ローラ様が、今日始めて『俺に』話しかけてきた。
――そんな気がした。