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第7話

 如月太夫が座敷を構えているのは、角屋という京では知らぬもののいない揚屋である。

 「月島様に」といわれては来たものの、この部屋に入るのであれば正装まではしなくとも、あの晩のように打掛けぐらいは羽織っていかねばなるまいと選んだのは、黒から濃紺へと変わる段染めの上に金銀で百花をちりばめたもの、抑えた中にも手の込んだ華やかさが判るその一枚は、実は月島の母親が好んで纏っていたものだった。

「太夫」

 先振りも何もつけずに一人座敷に入ってきた如月太夫に、こちらも一人で、しかも酒の用意もさせずに待っていた千富屋正左エ門が声をかけた。

「いや・・・月島様、どうぞそのような物騒なものはお仕舞いくださいませ」

 兵庫に結った髪には白い水引しか見えず、華やかに見える打掛けの下にはまるで死装束のような真っ白な内着をきているだけで、縛った帯の上、胸元でしっかりと手にしているのは黒の漆も鮮やかな切っ先鋭い懐剣だった。

「何故その名を知っている」

 話を聞くまでは座ることすらしそうにない様子に、千富屋は身体一つ下がって畳に手をつくと、「お願いでございます」と視線ははずさずに身を伏した。

「どうか、これから先申し上げることに嘘偽りはございませんのでその懐剣はお仕舞いくださいませ。私に向けるならまだしも、ご自分に向けられては言い出し難うございます」

 見つめ合った視線を月島のほうから外して手を下げると、ほう、と安心したように息をついて千富屋は背筋を伸ばした。そうして後ろに用意していた一抱えもある紙包みを前に押しやると、これは河合様からの言付けで、と話し出した。

「先の後朝にお別れをされてから、河合様は私の元に参られまして一切の仔細をお打ち明けになられました。そうして、どのような手立てをもってしても、あなた様をお助けいたしたい、そう仰られました。しかしあなた様が如月太夫としては、待ち続ける河合様の元へ参ることはないだろう、そうも仰られました。そうしてこの私千富屋に目を付けられたのです。私は禁裏にも上がることのお許しを戴いておりますのでね、あなた様がいなくなられましてもその先どうなられたのか、人々が不振がらない様にいたすことなど容易でございますよ」

 いったい何を言い出すのか、と怪訝な顔を見せる月島になおも続けた。

「松平様も禁裏に召し上げられたとお聞きになればあきらめるだろう、と河合様はお考えになられたようですよ。さすがに知将と呼ばれることだけあるお方でございますね、人の心を読むのがうまい」

 話しながら差し出した包みを上から順に紐解いてゆく。一番上には鮮やかな蒼地に若竹を思わせる緑葉を流して描いた中袖の着物と、その下には色を合わせた濃紺の袴、足袋も帯も男仕立ての黒絹で、はらりと広げた着物の紋が、河合の家紋であると気がついて顔を上げた月島に、千富屋はゆったりと笑いかけた。

「月島様、何故に私がこのようなものをお持ちしたかお分かりいただけますか?」

 分からぬ、と声に出さずに月島は首を横に振った。

「河合様は、他のものならあなた様がきっと会うことすらお許しにならないとお考えだったのですよ。長年如月太夫の馴染みとして縁のあった私ならば、無碍には断らないだろう、そう仰られました。そうしてこの私があなた様の素性を知っていると分かれば、自分のところに来る以外残された道はないとお感じになるだろうとも」

 淡々と話す千富屋の、目がまっすぐ自分に向けられているのがわかって、月島はそれが真の事だと思い知った。

 白粉をはたいたように真っ白な手を伸ばし、その家紋の入った着物を愛しげに撫でた。あの朝、今生の別れにと渡した小袖はぼってりと柔らかく包み込むような手触りだったが、今ここにある着物はまるで河合のように芯が通っていて、さらりと張りのある美しさだ。

「これを身に纏って来いと・・・・・」

 しゅると鳴る絹づれに惹かれて片袖をわが身に当ててみる。計ったようにぴたりと映るその艶やかさに「おお」と千富屋が感嘆の息を洩らした。

「なんとも爽やかな若衆姿でございますな、それではすぐにでもお支度をなさってお出かけを。今夜は月夜にござりまするぞ」

「今夜?」

「今夜ばかりか、河合様はあの日から毎夜、あなた様がおいでになるのをあの橋の上でお待ちでらっしゃるんですよ」

「まさか」

 信じぬわけではなかったが、まさか毎夜とは思わなかった。忘れねばと思い身も世もなくなき濡れて過ごすうちに、月は一回り巡ってきていたのだ。その間一日も欠かさずわが身を待っていてくれたとは。

『待っている』

 最後に聞いた言葉が蘇えってくる。離しはせぬと囁いた声音と、抱きしめられた腕の温かさを思い出して、涙がこみ上げてきた。

「月島様、嬉しいときに涙は似合いませぬぞ、ほらお立ちになってお支度くださいませ」

 ほらほらと急き立てられて、にこりと笑って答えた月島は纏っていた打掛けを肩からすべり落とした。



 結い上げた髷を解いて振り仰ぐと、襖から見えた月が一層白く瞬いた。


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