バレンタインに男がチョコを渡しても、構わないと想っている。
バレンタインは皆がチョコを食べていい日なのです。
今日は、寒いな。雪が降りそうだ。
一月と二月が冬としては一番厳しいと思う。
二月三日は節分だったので、とりあえず豆を20個食べた。
そして、「鬼はー外ー!」と、豆を50粒ほどぶつけられた。
満面の笑みで彼女は豆を俺にぶつけてきた。
何か不満があるのだろうか。ちょっと痛かった。いや、かなり。
彼女の右目は紅色をしている。
オッドアイである。
魔界からはるばるやって来た、魔族少女である。
いや、少女という表現は間違っている。
もう少女は立派な「女性」だ。
俺と彼女は同い年、ということになっている。
それでもあどけない雰囲気の容姿に、きっと誰もが俺より年下だと思っていることだろう。
あんまり冴えない顔をした俺と不釣り合いな彼女は、
俺のたった一人の大切な存在。可愛い恋人だ。
暫くは、魔界と人間界で遠距離恋愛をしていたが、
年度末は人間界へ訪れる機会も増えるらしく、二月は殆ど俺の家へとやって来る。
「これも仕事のうち!」
と、本人はかなりやる気である。
そう言いながら、テレビで魔法少女のアニメを観ている。
「いやはや、勉強になるなー!」
おい。
「だから、魔界で役に立つんだよ?
このアニメ」
だからってな。
俺は少し、彼女にお咎めを入れようと、立ち上がった。
「もうそろそろお終いな」
リモコンを手に取り、電源ボタンを押す。
『きらきらー☆』
女の子のロリロリした声を反響させながら、画面は暗転する。
「ちょっと! 何すんのセイイチっ!」
「朝から何時間見てると思ってるんだよ。
録画した同じ話を何度も何度も……。
無限ループ。少しは他の事もしようとは思わないのか?」
土曜日の朝。俺にとっても貴重な休日だ。
まともな事を言った筈だ。
キルシェ(彼女の名前だ)は、むっとして、俺を睨んだ。
だが、直ぐにシュンとなり、溜息を吐いた。
あれ? と思い、俺は口を噤んだ。
いつもなら、もうちょっと言い返してくるのに。
「ど……」
「わかったよ。じゃあちょっと仕事してくる」
キルシェは不貞腐れた表情になって、頭に桜の花びらを乗っけた。
そして、
「にんにん、魔界へ!」
言うなり、キルシェの身体が光に包まれてすーっと消えていった。
「ちょっとキルシェ!?」
手を伸ばしたが、時すでに遅し。
辺りはしん、と静まり返り、ぽつんと俺一人が残される。
あああ、と俺は頭を抱える。
何で俺は優しく諭せなかったのだろう。
最近のキルシェは少しツンが入ってきたから、気を付けようと思っていたのに。
今すぐにでも魔界に行きたいけど、今はもう人間が自分で魔界に飛ぶ方法はなくなっていた。
俺の例もあったし、少し改善されたのだろう。
それは、村の長の補佐役であるキルシェも頑張っている証拠だと思う。
もちろん、長であるキルシェの姉、ファルシェも奮闘している。
長だからキルシェのように自由は利かないし、一時期はかなり切羽詰まっていたと
キルシェから聞いたが、今は少し落ち着いてきたらしい。
魔界に行かれてしまっては、俺はどうすることもできない。
休日だけど、一人ではやることも無いので、街へぶらぶら散策に出ることにした。
前の俺では考えもしなかった事だ。コンビニや仕事場へ行く以外に、自分一人でちょっと遠くまで出掛けるなんてことは。
それは明らかにいい兆しだろう。
自転車に乗って、人が疎らな通りを抜けて、賑わいのある通りに出る。
風が突き刺すように冷たい。本当に寒い。
でも今、心も何だか寒いから、いいや。上手い具合に打ち消してくれないかな。
ある百貨店の駐輪場に自転車を停めて、百貨店に入って行く。
結構賑わっている。平日なんかにここに来ると、そこまで賑わっていない。
家族持ちも、大変だな。子供が居ると遊び場所というか、出掛ける場所もこういう所になってくるし。
休みの日に来ても、人が居過ぎて逆に大変とか、あるんだろうなあ。
そんなことを考えつつ、適当にぶらぶらしていると、とあるコーナーに目が留まった。
『今日はバレンタイン! ~気になるあの人へチョコを贈りませんか~』
という謳い文句が掲げられ、色とりどりの包装箱が陳列棚に置かれている。
それは、チョコレートの類。心なしか甘いいい匂いがしてくる。
今日が、バレンタインなのか。初めて知った。
いや、日にちを忘れていたのか。今日は、もう14日なのか。
あれ。
そういえば、バレンタインの日にキルシェがこちらに居たことは、初めてだった。
いやでも、キルシェは人間界のイベントなど知らないだろう。
でも、やっぱりちょっと気になってしまった。
好きな子に、チョコ貰ったことないから、欲しいとか。
そんなことを、想ってしまった。
見ると、女性達がチョコをそれぞれ手に取ったり眺めたりしている。
その表情は、まさに恋する乙女。
キルシェもこういう表情することあるな。
って、俺は何をうだうだ考えているんだ。もう、帰ろう。
でも何だか気になってしまって、俺は気が付いたらチョコを一箱手に取り、買ってしまっていた。
赤いリボンの付いた、キラキラした模様の小さい箱。
これをキルシェにあげたい。そう、想った。
バレンタインに男が女にチョコをあげても、いいと思うんだ。
ホワイトデー、一緒に居られるか分からないし。
キルシェ、家に帰ってきてくれてるかな。
不安も抱えつつ、自転車で俺は帰途に着いた。
「ただいま」
鍵は掛かっていたけど、口に出してから部屋に入った。
誰からの声も返って来ない。
やっぱり、まだ帰って来てない。
「今日はバレンタインデーだった」
言いながら、靴を脱ぎ、部屋に入る。
「でもさ、気付かなかったよ。関係なかったからな」
電気を点け、真っ暗なテレビを見つめ、俺は独り言を言う。
「今は、関係あるのに……な」
小さな紙袋をテーブルの上に置いた。
「ごめんな……キルシェ」
あんなことで、キルシェを魔界へ追い返してしまった。
あんな、小さな事で。
いつまた来てくれるか分からない。そんな状態なのに。
なんで。
涙を堪えて、座り込んだ。静かな部屋は嫌だ。
ずっと、キルシェが居てくれたらいい。
それだけで、そこに綺麗な花が咲く。
キルシェに、逢いたい。
ぷつ。
そんな音を立てて、急にテレビに電源が入った。
俺は顔を上げてテレビを見た。
そして、声を失った。
「きらきらー☆ わたしの甘い恋心をこのチョコレートに込めるのよ!」
テレビの中の魔法少女は、元気な声でそう言いながら、チョコを作っていた。
魔法少女は、まるで俺を見ているかのようににっこりと笑った。
「ねえ、あなたは、誰にチョコレートをあげたい?」
「俺は――――」
言いかけると、後ろから、暖かい手のひらが俺の口を覆った。
そして、耳元で、そっと優しい声が囁いた。
「わたしはね、セイイチに、あげたいよ。チョコレート」
「え……」
はっと気付いて、目を見張る。テレビはまだ流れている。
それは、今朝何度もキルシェが見ていたあのアニメの録画。
キルシェは、分かっていたのか。
「キルシェ……?」
「ごめんね……。セイイチ。わたし、何度も見なくちゃ作り方覚えられなかった。
それでね、やっと、やっとね」
「待ってくれ……。それじゃあ、俺が」
「ううん、いいの。やっとね、出来たよ。ほら」
俺は、ゆっくり振り向いて、その紅色の光と黒色の光を受け入れる。
キルシェは、青いリボンが施された小さな包みを手に持っていた。
「これ、ちょっと不細工だけど、ちゃんとチョコレートなんだよ」
俺は泣きそうになって、目頭を押さえた。
「ごめん、キルシェ。ごめん……」
「いいんだよ。セイイチに内緒で作りたかったから……」
それにしても、あの内容をちゃんと気付いていればよかった。
キルシェに申し訳なくて、俺は何度も謝った。
そして、キルシェに、俺もチョコを渡した。
「え、わたしに? で、でも、わたしは渡す方じゃ」
「いいんだよ、受け取ってくれ。バレンタインは皆がチョコを食べていい日なんだよ」
「あ、ありがとう」
「うん。俺も、ありがとうな」
初めての好きな子とのバレンタインは、何ともほろ苦い甘さの日になった。
何でテレビが急に点いたかと言うと、キルシェが何か細工をしていたらしい。
でも何処の場面が映るかは、運次第だったらしいから、あの場面が映ったのは本当に奇跡みたいだったよ、とキルシェは笑った。
キルシェとの出逢いも奇跡だったから、これからも色んな奇跡が起こるのかもしれないな。
俺とキルシェの未来が、ずっと笑っていられるような、そんな未来だったら。
それを、願ってしまわずにはいられない。
今日は、バレンタインデー。




