村
「ほいっほいっほいっと」
あくる日。大きな草篭を背負い、軽快に山道を駆け降りる少年の姿があった。
向かうのは麓にあるとある集落。辺境にありながらそれなりの人が住まう村である。
「ちわーっ」
その中の一軒の家の戸を叩くと、中から中年の男が顔を覗かせた。
「お!少年か。ちと久しぶりじゃないか」
「や、ご無沙汰。今大丈夫かな?」
「いいともいいとも。正直ヒマだったしな」
「店としてそれはどうなのかな?」
苦笑しつつ少年は中に入る。そう、この家はこの村唯一の店、要は雑貨屋であった。
「で、これが今回の収穫」
と少年が言いつつカウンターの上に次々と並べられるのは山の幸や鉱石、そして━━。
「おっほー、これまた今日は大漁だな。お、そうだ。ニコルの奴を呼ぶかい?たぶんすっ飛んで来るぜ?」
「もちろん。早目に調合した方がいい物もあるしね」
「そうだな。おい、ニコラ!」
男が奥に向かって声を掛けると、一瞬何か鈍い音がし、ややあって一人の男の子が額を押さえながら店に出てきた。
「あいたたた……なに~?父さん~」
「こいつ寝てやがったな?━━ほれ、いつものお客さんだ。ニコルを呼んでこい」
「お客?あ、おにーちゃん。こんにちは~」
「こんにちはニコラ。いつもすまないけど宜しく頼むよ」
「はーい」
素直だが、どこかのんびりした口調で店を出て行くのはここの主人の息子、ニコラである。ぱっと見は少年より更に子供で年は11~12くらいだったか。
元々呑気なのか大人びているのか掴みづらい性格をしているが、あれでなかなか頭の回転が早い子なのだ。
「あいつはもうちょっとシャキッとしてくんねぇもんかな。どうも母さんに似ちまったみてぇでな」
「でもとてもいい子だと思うよ。━━お?」
外からかなりの勢いで駆けてくる足音が聞こえた、と思った次の瞬間に。
『魔物のにーさんが来てるって!?』
戸を吹き飛ばしかねない勢いで今度は一人の少女が息せき切って飛び込んできた。
「早えなオイ!で、こいつはこいつでもう少し落ち着かんもんかね」
ため息混じりに男がぼやくが、もちろん少女は聞いていない。
「あーっ!居た!こんちわ、魔物のおにーさん」
「えっとニコル?一応ここは村の中だから、「魔物」「魔物」と連呼するのは勘弁してほしいんだけど」
「あっゴメン!そーだった、『次』こそ気を付けるね!」
「この調子じゃ『次』が実践されるのは10年後くらいかな……」
さしもの少年も呆れ顔でぼやいた。そう、この少年は山奥の魔物が姿を変えた者であるが、この事を知るのは村でも一部の人間のみである。
「はーっ、はーっ、置いてかないでよ、ニコル……」
その後遅れてきたのはニコラだ。頭の回転は早いが運動は少々苦手なのだ。
「で?で?今日はどんなの持って来たの?」
やっぱりニコルは聞いていない。
苦笑しながら少年がカウンターを指差すと、ニコルは瞳を輝かせた。
「わあ、熱冷ましの葉がこんなに!?腹下し用のセロの実にせき止め、それから……んー?知らない実もいろいろあるみたい」
「その辺はニコルのお師匠さんが知ってるから後で聞いてみるといいよ」
彼女が「師匠」と仰ぐのは、この村唯一の薬師であり医者でもある女性で、ニコルは子供ながらそこで薬師としての修行中の身でなのである。
更に加えるならこの少年が村に出入りできる理由のひとつがこれであった。
何しろ辺境の村である。一度病気にかかったり、流行り病でも起きようものなら村の存続に関わる大事になる。そして薬は本来入手が困難な材料も多く、基本的に高価でただの村人がおいそれと買えるものではなかった。
「ホントに未だに信じらんねぇな。お前さんが魔物だとかよ」
そう言いつつも彼の頭をワシワシと(今の魔物は実際、せいぜいが少年にしか見えなく、彼よりはるかに小さい)撫でる男であった。
「だが、最初に目の前で我が魔物の姿になった時は腰を抜かしていたであろう?」
わざと口調を変えて少年はにやりと笑った。
「はっはっは!それは言いっこ無しだ」
「……これでいいのかこの村」
人とは時おり魔物より逞しいものだと魔物は思った。
「おにーさん、おにーさん。これ、いつもよりいろいろ多いんだけど」
材料を吟味しながらニコルは少年に尋ねる。
「ん?代金ならいつもと同じでいいけど。もしかして手持ちが無いのか?」
「ううん、逆。師匠からいい材料があったら買えるだけ買っとけって言われてるから」
「いや、いつも通りでいいよ。その代わり━━」
「ハッ、まさか?あたしを差し出せとか言うつもりじゃ━━」
「そんなものは要らん。ニコラにでも取っときなさい」
「ちょっ━━何でそこにニコラが出てくるの!しかもそんなものって何よぉ!」
「さあ、何でかな」
真っ赤になってカウンターをバンバン叩くが、少年は涼しい顔で窓の外を眺めていた。
「ぼくを呼んだー?」
ぐったりとイスに座っていたニコラが顔を上げた。
「子供は黙ってなさい!」
「いやいやお前さんも子供だから。それよりちょっと聞きたい事があるんだ」
むしろここからが今日の本題なのだ。
「なんでぇ、改まって?」
ニヤニヤと面白そうに二人のやり取りを見ていた男もカウンターから身を乗り出してきた。
「この辺りでゴブリンの出現や被害。あるいはゴブリンの討伐なんて話を最近聞いたことがないか?」
「ゴブリンだと?この村で?うーむ最近と言ってもそもそもここいらじゃめったに姿すら見せねぇ連中だぜ?」
男は腕を組んで考え込む。
「まあそうなんだけどね」
大体においてこの村と彼らの生息地にはかなりの距離があり、遭遇すら珍しい現象なのだ。むしろ魔物ならここにいるぞ、と言いたくなるような平和な地域なのが現状だ。
━━が、情報は意外な人物からもたらされた。
「ゴブリンじゃないけど~、変な人なら心当たりがあるよ~」
「え?」
思わず少年が声の主を見れば、ニコラが手を上げてゆらゆらと振っていた。
「……その話、詳しく教えてくれないかな」
「うん。二三日前に女の剣士さんが村に来たよね?」
「あー……そういやウチの店で色々買い込んだ女が居たっけ。で、そいつがどうした?」
「その人がね?店を出るときにすれ違ったんだけど~、なんだか怖い顔でぶつぶつ「ゴブリン、ゴブリンが……」とか呟いてたよ~?」
「そうだな。べっぴんさんだったが何かおっかねぇ雰囲気を漂わせていたっけ」
「二三日前……」
少年は窓から山の方を覗いてみた。山は静かで何事も無かったかのように━━いや。静か過ぎる?
「オイ、どうした?」
「オヤジさん。ニコル。取り引きは一旦中止━━いや、品物は全部やるよ」
「へ?」
「おにーさん?それじゃあいくら何でも丸損って言うか、あたしが師匠に怒られるかもなんだけど」
「分かった。それなら今度代金は適当な時に取りに来る。それでいい」
「おにーさん!?」
「━━それじゃまた!……と、その前に、と」
店を飛び出し掛けて、少年はカウンターの上から宝石の原石と思われる石をひとつひっ掴み、ニコラの手に握らせた。
「なに~?」
「情報を教えてくれたお駄賃だ。いつか好きな女の子にでもあげたらいい」
そう言って今度こそ飛び出した。
山を睨み付けるその後ろでは。
「ん~じゃ、ニコルにあげる~」
「ばばばばか!何であたし!?しかも原石そのまんまじゃない!」
「うん~好きな子にあげなさいって言われたから~」
「きゃ~~~~~~っ!何言ってんのアンタは!!」
微笑ましい声に一瞬だけ笑みを浮かべ、即座に厳しい表情に切り替え、少年は全速で山を目指した。