優しき鳥籠*
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あたしにはその男達の提案に頷く以外、選べなかった。
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「よく、決心してくださいましたね」
クラサス様が乗り込んだ馬車の中で、あたしに微笑みかけた。
「………そうするしか、なかったじゃない…………」
そう言って、あたしは唇を強く引き結んだ。こうでもしないと、もっと失礼な態度をとってしまいそうだったから。
あたしは結局、この人達に付いていくことにした。あたしの家はいわゆる城下町にあり、王城の門まで大通りをそのまま東に行けば一本道だ。
あれよあれよという間に準備は整い、まるで夜逃げのごとく黒塗りの豪奢な馬車に乗り込んだ。
徒歩で30分しかかからないのだから歩いても良いのではと思ったが、門より中に入って納得。家から城門より城門から目的地への道のりのほうが長かった。
門を通過してから結構な時間が経ったのに、馬車は未だに止まる気配がない。
本音で言えば、普通に暮らしたいと泣きわめきたかった。
冗談じゃない、嫌だ嫌だ、とだだをごねて家族に甘えられたらどんなに良かっただろう。
黒衣の男の話などまったく理解できない子供であったなら、どんなに。
それがダメなら嘘だと思いたかった。この人達が嘘を言って、あたしを拐かそうとしているのだ、と。
けれど全て現実であると判っていた。話を聞けば聞くほど疑いの余地がなくなっていく。
近衛兵の制服を着ることは当然のことに近衛兵の人にしか許されていないし、クラサス様の顔は庶民であるあたしたちだって見知っているほど有名だ。
話の最後にゆっくりと差し出された王家の紋章付きの手紙にも、城へと赴くようにという旨の内容がはっきりと記されていた。命令として。
嘘ではないのだ。全て現実。
そして何よりも、あたしに城へ行くことを決心させた理由は、家族にある。
皆、あたしと一緒に国の外で暮らそうと言ってくれた。無理をするなと。心配ないから、と。
…………それだけで良いと、思った。
この人たちが改めて大好きだと思えたから、あたしは城へ行く。
今まで十分守ってもらってきたんだ。本当は他の形で親孝行とか姉さん孝行をしたかったけど、あたしが側にいなければ忌まわしい未来に巻き込まないでいられるなら、そうすべきだった。
少なくとも見知らぬバンパイアや王家の方々の命令に従うより、家族のために何かをしているのだ、と思えたほうが納得がいく。
自分の血がそもそもの元凶で、それを家族の為に仕方なく城へ行くのだ、というのは可笑しいと頭の片隅では判っていた。
けれど、そうでも思わないとやっていられないのだ。そんなところまでもあたしは家族に甘えてる。
情けなくとも、それがあたしだ。
そんなあたしでも愛してくれる家族が、黒衣の男が言ったようにあたしと逃げた場合にひどい目に遭うのは嫌だ。
もっと言えば、あたしのせいで家族が傷つけられて、それを視た自分が傷つくのが嫌なのだ。
あたしは姉さんのように強くないし、お父さんのように賢くもない。お母さんのように優しくもない。
あたしは聞き分けの良いだけの、とんだ臆病者だ。
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とはいえ、ここまで来たらもう腹を括るしかない。庶民根性でしつこく念を押しておこう。
「本当に、家族は安全なんですよね?あと、ちゃんと3ヶ月に一度は家に帰って良いんですよね?」
「もちろんだ。『血の祝福』を持つのは現在、君だけだからね。守護する人手は足りてるよ。3ヶ月に一度の再会も、本人が望み、状況が許される限り叶えられる」
あたしにとって一番重要である条件をもう一度確認すると、向かいに座ったクラサスではなく、黒づくめの男―――コンスタンティン伯爵が答えた。
やはりというべきか、彼はバンパイアだという。しかもバンパイアの中でも最高位にある伯爵だとか。その他もいろいろ言っていたが、要するにバンパイアの親玉というわけだ。それだけ判れば十分。
あたしはなるべく離れて座っている。けれど、ガタガタと揺れる馬車の中ではあまり意味をなしていなかった。
どうしても振動によって肩と肩が触れ合う。居心地が悪い。
いつまで続くのか判らないこの道程に、そろそろ耐えきれなくなってきた。
「あの、あとどれくらいで着くのでしょうか?と言いますか、どちらに向かっているんですか?」
またしてもさらっと答えたのはコンスタンティン伯爵だった。
「ああ、言ってなかったか。我が屋敷だよ。子羊ちゃん」
当たり前、というような態度に目眩がした。よりにもよって、という感じだ。
伯爵様の子羊ちゃん呼びに違和感や反発を覚えてる余裕もない。
「……お城ではなく、伯爵様の?」
「そうだ。とはいっても、僕の屋敷は城の一部でもあるから目的地はあまり変わらないよ。あと5分もすれば着く」
その時には不安や憤りを突き抜けて、もうどうにでもなれという自棄っぱちな気分になっていた。
そしてその通りすぐにお城の本殿へとくっつくように建てられた、こじんまりしたお屋敷があった。
こじんまりとはいっても本殿と比べてのことであって、緻密な彫刻や優美な佇まいが見る者を圧倒する。
庶民にはかなり敷居が高いのは明らかだった。一人だったらとっくに気後れして、回れ右をさせていただくところだ。というより今すぐ帰りたい。
しかし無情にも、その前で馬車は止まった。
馬車から降りる時に差し出された手を丁重にお断りし、身軽に地面に着地した。
こんなちょっとの段差で手助けされるほどあたしは危なっかしく見えたのかしら。だとしたら心外だ。まだ足腰は丈夫な、というか若さ溢れる16歳なのに。
相手を訝しげに見やれば、コンスタンティン伯爵はふぅん?というように首を傾げて興味深そうに笑む。そして、小さく口を動かした。
「なにか言いました?」
「いや、なんでもないよ。エスコートはクラサスに頼もうかな」
聞き取れなかったので問うと、極上の微笑みではぐらかされた。
なんだか慣れてきたので、出会った時よりその笑顔に恐怖を抱くこともなくなっている。あたしは案外図太いのかもしれない。
その変化が良いのか悪いのかは判らないが、少なくとも同じ場所に住むというならある程度バンパイアに慣れることは必要になるだろう。
伯爵様の後を、クラサス様と並んであたしはそのお屋敷へと歩いた。
導いてくれる手のひらは限りなく優しいけれど、あたしが行きたい場所へは導いてくれない。
エスコートという名目で、連行されている気分だった。
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「お帰りなさいませ」
「「「「お帰りなさいませ」」」」
出迎えた初老の男性が言うのに続いて、広いエントランスホールに立ち並んだ人達が一斉に頭を下げる様は圧巻だ。
使用人という人達なのだろうか?よく判らないが、あたしなんかよりずっと品があって、きっと身分も高いんじゃなかろうか。
庶民なあたしは、つられてお辞儀をしそうになった。ら、こちらをちらりと流し見て、伯爵が笑った。
………なんか無性に腹立つわ。今の。
考えてみればあたしは客人、みたいな扱いなのかもしれない。
下げそうになった頭をプイッと横へ向けると、クラサス様が微笑ましくこちらを見ていた。
………い、いたたまれない。
「ただいま。だがこれはどういうことだ?ゾフはともかく、他の者は下がって良いと言ってあっただろう」
少々芝居がかったようにおどけて、コンスタンティンは初めに出迎えた初老の男性に向かって尋ねた。答えはすでに察しがついているのか、本当に咎めているようではない。
「ご主人様をお待ちするのが私どもの役目でありますから……という建前のもと、『血の祝福』のお嬢様と初対面を果たさんとする者たちが、お出迎えを志願した結果でございます」
ゾフと呼び掛けられたその初老の男性は、言っていることは失礼なはずなのに、嫌みがないから怒れない。
まるで見せ物のように扱われたあたしが苦笑すると、ゆったりと落ち着いた笑みを向けてくれた。真正面から見たゾフはダンディーな渋さと穏やかさが滲み出ていた。
爺やだ!もしくは執事!
ちょっと前に読んだ小説に出てくる登場人物にイメージがピッタリだった。いやいや、こちらが本場の本物なんだろうけど。
不謹慎にもときめいてしまったのは秘密だ。
「可愛らしいお嬢様ですね。オリヴィア様、ようこそビアーノ家の屋敷へ。教育係りを勤めさせていただきます、執事のゾフと申します」
そう言ってスッと頭を下げられてしまった。素人目に見ても完璧だと判る折り目正しいお辞儀に、あたしは慌ててぺこりと腰を折った。
……隣と前で笑いを堪えるような気配がするけど気にしない。気にするもんか!
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ここでの生活について一通りの簡単な説明を受けた後、詳しいことは明日とばかりに、自室となる部屋へと通された。
「あ、それ、ありがとうございます」
荷物を持ってきてくれたメイドさんにお礼を言って、その繊手から受け取ろうとした。
けれど、メイドさんは驚いたように身をよじりあたしの手を避けた。
あ、あれ?べつに危害を加えようとしたわけではないんだけど……
あたしとメイドさん双方の戸惑いを感じ取ったのか、先導してくれていたゾフ様がやんわりとたしなめた。もちろんあたしを。
「オリヴィア様、身の回りのことは今後メイドがいたします。荷物を持つ必要などありませんよ」
「…そんな…ゾフ様…」
そんな馬鹿な!と言いたい。
だって急いで詰めた荷物だからたいした大きさはないにしても、それなりに重い。
馬車を降りた時は男の人のポーターさんだったから有り難く持ってもらったけど、今度は明らかにあたしよりか弱そうな女性だ。
廊下で持ってもらっているだけでも心苦しかったのに、最後に受けとることもいけないのだろうか。
どう抗弁すべきか考えあぐねているうちに、ゾフ様はあたしに追い打ちをかけた。
「私のこともゾフ、とお呼びください。様は要りません」
それは無理だ。こんな立派な方を呼び捨てはハードルが高すぎる。それ以前に年上には敬語でとお母さんから厳しく躾だって受けてきたのだ。
助けを求めてメイドさんに視線を送るものの、眉を下げて困った顔をされた。
ええい!こうなったら言ったもの勝ちよ!
「じゃ、しゃあゾフ……さん?あの……」
心の中だけで威勢よく自分に叱咤するも、出てきたのは躊躇いがちな妥協案だ。
我ながら小心者だとは思う。
ゾフさんはそれでひとまず納得してくれたのか、こちらの話を聞く体勢になってくれた。
「なんなりと、お嬢様」
「あたし、それなりに重いものは持てますし、他の方の手を煩わせなくても大丈夫です」
けれどやはりというか、ゾフさんはあたしの申し出を受けてくれなかった。
「貴女や伯爵の御世話をやくのが我々の職分なのです。仕事を取り上げられては我々が困ります。初めのうちは戸惑うこともありましょうが、じきに慣れていくものですから、どうか使用人のことは気にせずに」
そう言われてしまうとどうしようもない。
なんだか楽なような、窮屈なような、どちらだか判らない生活になりそうだ。
そんなやり取りをしているうちに、メイドさんがテキパキとあたしの荷物を紐解いてくれている。
正直、この豪奢な部屋には似合わないものばかりだが、見慣れたモノを目にして少しだけ和んだ。
「今日はもうお疲れでしょうから、ごゆっくりお休みください。こちらのマリーがご用の際には駆けつけますので、ベットサイドの呼び鈴を鳴らしてください」
全ての準備を整えると―――――ネグリジェまでマリーさんが着せようとしてくれたのには驚いた。今回だけ、ということで自分で着替えることを了承してくれた――――「では」と言って、ゾフさんとマリーさんお辞儀をして退出する。
「あ、ありがとうございました」
閉まろうとする扉に慌ててお礼を滑り込ませれば、なんだか複雑な笑顔がお二人から返ってきた。
………なんだかなぁ。
今日はいろいろな人に笑われてばかりな気がする。
あたしはのろのろとネグリジェへと着替えた。
そうして二人が去った広い部屋にぽつんと立ち尽くすと、なんだか心細さが一気に押し寄せてきた。
落ち着かずにそこら辺をうろうろとした結果、自分の手荷物を1つベットの近くに置いておこうと決めた。
どれにしようか悩む間にも、今自分が置かれた状況が思考の内の半分以上を占めていた。
血を吸われるのは、こちらの生活にもう少し慣れ、多方面に挨拶をしてからで良いらしい。
いわゆる猶予期間なのだという。それまでに心の準備やら、作法の準備やらが待ち受けていると聞いた。
それだけでも憂鬱なのに、この広いお屋敷と格調高そうな人々に囲まれて、本当に馴染んでいけるのかという不安で挫けそうだ。知っている人、自分を理解してくれる人がいないのが、ここまで寂しいなんて知らなかった。
心許ないのを紛らわせたくて、あたしは鳥籠型の置きランプをお供に選んだ。ベットサイドの呼び鈴に並べて柔らかい灯りを楽しむ。
このランプは昨日(正確には一昨日?)自分のものになったばかりなのに、不思議とあたしに馴染むのだ。
だからだろうか?慣れない天蓋付きのベットでも、比較的はやく夢の世界へと意識は落ちていった。
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夜も更ける頃、三人の男達が一所に集まっていた。
「お前の目から見てどうだった?ゾフ」
「………とても、美味しそうな匂いの方ですな」
そう答えたゾフの黒い瞳の奥には、燠火が炭の隙間にちろりと顔を出すように、赤い色が破ぜた。
それを確認して、コンスタンティン伯爵はどこか苦渋とも充足ともつかない表情で苦笑いした。
「……お前でも、か……相当だね」
この二人の感覚に付いていけない自分にはあまり理解できない会話だ。
「そんなに彼女は血の匂いがしましたか?自分にはまったく…」
クラサスはオリヴィアから血の匂いを感じなかった。軍人であるクラサスが単純な血の匂いに鈍感なはずがない。
馬車の中でも、エスコートのために近寄った時にも娘らしい甘やかな香りは微かにした。貴族の娘たちのようなキツい香水の匂いとは違うな、と思った程度の感想を抱くだけで、バンパイア達の言う血の匂いがまったく分からなかった。
オリヴィアの外見は凄い美人でもなければ、不細工でもない。可愛らしくはあるが平凡でありふれた町娘にしか見えなかったため、いまいちこのバンパイア達が言う特異性への実感も沸かない。
微妙に納得していないような顔をするクラサスを見て、伯爵は肩を竦めた。
無理もないことだ。血の匂いと言っても戦闘で流れるような血生臭さとは違うのだ。
バンパイアと呼ばれる者たちにだけ感じ取れる、皮膚を通しても匂い立つ血の甘さとでも言えば良いのか。
この感覚は表現しにくいし、オリヴィアの血の強さはもっと判らせづらいだろう。
それでも1つ言えるわかり易い例えで言えば。
「僕でも“飢えてる”状態だったら危なかったかなってぐらいの匂いの強さだよ。子羊ちゃんの血は」
「伯爵でも、ですか?」
そこでやっとクラサスも驚いた顔をした。
コンスタンティン伯爵は、彼が知る中でも特に“遊び”が上手いバンパイアだった。
“遊び”とは、女性に恋をさせることをバンパイア達が話すときに使う用語だ。
騎士としては、守るべき女性を弄ぶようなその様を肯定しきれないが、彼らにとって恋をさせることが必要不可欠であることも知っているため強く否定もできない。
そして大半のバンパイア達は“遊び”とはいえ、自分たちに血を提供してくれる女性を蔑ろにしないから、周囲も見てみぬ振りをするのだ。
コンスタンティン伯爵は難攻不落と呼ばれる女性ほど好みだ、というのは仲間内で周知の事実。
そういった女性を落とすのには忍耐力が必要で、クラサスの目にも、伯爵が女性から追いかけられることはあっても逆のことはないように思えた。
そうした常のコンスタンティン伯爵からは、青春盛りの少年のようにガッツく様子など想像もつかなかった。
けれど、目の前の伯爵は嘘を吐いている様子でもない。
その証拠に、こちらに向けられる瞳が鮮やかな赤へと変化していた。
「困ったもんだな。現役の僕はともかく、捧げたはずのゾフまで文字通り目の色を変えてしまうんだからね」
「まぁ、私の方は抑えが利かないほどではありませんから、大丈夫でしょうが……伯爵はお辛いでしょうね」
ゾフの、同族ならではの同情すらこもった声音にコンスタンティンはまた肩を竦めた。
「明日にでも提供者に協力してもらうよ。こちらも慣れるまで当分かかりそうだな……」
『血の祝福』とは、王家が一番信頼を置いている彼らでも手を焼くような存在のようで、一層クラサスは気を引き締めた。
自分の領分は彼女がバンパイアの中で慣れるまでの護衛だ。
この屋敷で二人だけのバンパイア達に一番の懸念を確認しておくに越したことはない。
「他のバンパイアの方がもし彼女に会ったら……」
「危ないだろうね。この城にいる者はそうそういないだろうが、酷い奴は見境なく襲ってくるかもしれない。要注意だ」
………どうやら今回の任務は、かなりハードになりそうだった。
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そしてお城の階級やらしきたりやらは私の乏しい知識に、ご都合主義をプラスしたものなので生温い目線で見ていただければ、と(苦笑)