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一つ星

「健人、入るよ」

 スミカの囁き声が、ドアの向こうから聞こえてきた。

 健人はキーボードに置いていた手を離し、椅子をぐるりと反転させた。

「どうぞ」

 数日に一度、こうしてスミカは健人の部屋へやってくる。

 休日にデートをした事もあったはが、あまり盛り上がる物ではなかった。

 専ら、こうしてお互いの部屋を行き来し、他愛もない話をし、セックスをして部屋に戻るか、話だけで終わるか、そんな関係だから、健人はスミカと付き合っているという実感は沸いていなかった。

 一方のスミカは、そんな関係であっても健人が自分を見てくれるのならそれでいいと、こんな関係を続けいている。無論、健人が葉子に未練タラタラである事には目を瞑っているのだが。

 スミカが健人のベッドに腰掛けると、大抵健人は椅子から腰を上げ、スミカの隣に座るのだが、今日は違った。

 スミカは自分を見る健人の顔つきが、日に日に引き攣っていくのを感じ取っていた。


「今日はここ、座らないの?」

 スミカは人形のような顔を傾かせてベッドをぽんぽんと叩いた。

「話が、ある」

 黒縁眼鏡を一度指で引き上げ、スミカを見遣った健人は、暫し無言になった。

 室内は水を打ったような静けさが流れた。

 痺れを切らしたスミカは「何?」と沈黙を破ったが、彼女自身、これから健人から語られる話は大筋で理解していた。

「関係を、解消したいんだ」

 やっぱり。思っていた通りの展開に、スミカは肩を落とした。「そう」綺麗に手入れされた指先を見つめた。

「ねぇ、あの平凡な葉子の、どこがいいの?どいつもこいつも葉子葉子って、あの子の何が魅力なの?」

 気づくとスミカの眉間には大きな皺が寄せられていて、健人は「そこだよ」と言った。

「葉子は誰に対しても、汚い嫉妬なんてしない。していたとしても、それを誰かに言う事はない。スミカの事を一度でも悪く言った事はない。いつも自分に正直で、一生懸命で、平凡な中にも何か光る物が、あるんだ」

 それは「嫉妬深い」というスミカの中の闇を指摘する言葉で、それも図星で、スミカは目の前が真っ暗になった。

 その闇から這い出るのに必死だった。

「でも、葉子は晴人のものになったでしょ。健人には届かない存在になったでしょ」

 フッと鼻で笑うような音がしたのは、健人の物であった。

「兄ちゃんは、自分に正直でありたいって俺に言った。俺は兄ちゃんに負けたくない。俺も自分に正直でありたいんだ」

 何度くらいついても、「弟としか」と言われても、それでも自分の心に正直でありたい。葉子に惚れている自分を認めてやりたい。

 スミカは顔を上げた。

「手に入ると思ってるの?葉子が自分の手に入ると思ってる?」

 中空を見つめた健人は「そうだなぁ」と思案顔だ。

「絶対に手に入らないとは言えない。でも絶対に手に入るともいえない。百パーセントも零パーセントも無いと思ってる」

 暖かな水分が双眸から零れ落ちるのを感じたスミカは、ベッドに置いてあったティッシュを一枚取り出した。静かな涙だった。

「恋愛で苦労した事なんてなかったのに。何で葉子なんだろう」

 静かに涙を零すスミカは、凄く綺麗だと、健人は思った。

「葉子より綺麗な女なんて五万といる。だけど葉子にしかない物が、多分あるんだ」

 最後にティッシュで目蓋をギュっと押え、「分かった」とスミカは立ち上がった。

「お兄さんに負けない様に、頑張ってよ」

 スミカは泣き顔に笑顔を重ねたような、妙な顔をして笑った。

 そして踵を返して自室へ帰って行った。


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