第十三話
「のぞみー、貝をこんなに用意して一体何を作るつもりなんだ?」
ラミアは質素な台所に置かれた、アサリの大量に入った水のボウルを見つめて言う。
「今日はアサリのパエリアにしようと思って、今砂抜きをしているんだ。昼に図書館で読んだ本に載っていて、美味しそうだったからな」
「ほう。それは楽しみだ」
場所は望の部屋。最早習慣となりつつある日曜の夜の料理を望はしていた。ラミアの隠れ家で修行を終えた後、一人で買い物を済ませ、今下拵えをしているところだった。図書館から借りてきた料理本をテーブルに置き、確認しながら調味料の分量を量る。
作業は基本的に望が行い、彼女は手を出さない。料理はしないのだろう。彼女の本来の主食には、料理の必要がないのだから。
「いや、随分前にだけれど、料理したことくらいはあるさ。……ちゃんと普通の材料でだ。しかしその時は受けが悪くてな、それ以来ずっとしていない」
「へえ。そう言えばあんたお得意の物質創造でも、食糧を再現はできないんだっけか」
彼女は指定席の一席に陣取り、右手の中に視線を落としながら言う。
「私の力は、生命を宿すものを再現することはできない。例えやろうとしたところで、中身のない空っぽの器だけが現れることになるだろう。それには魂というものがない。……仮にできたとしても、やるべきではないがな。そんなことをすれば命の重みが軽くなる」
「……そう、か」
命の重み。自分もこのまま生きてゆけば、その内誰かの死に直面することになるだろう。自分を生み育てた両親も、いずれは死ぬ。不慮の事故や病で身近な人が命を落とすかもしれない。そのとき自分は、その命の重量を感じることになるのだろうか。感じることができるだろうか?
それとも自分が命を落とすのが先か。
「昔話をしようか。ある国に一人の美しい女がいてな、私の目から見ても恵まれた容姿をしていた。彼女は自分が周りの男から持てはやされる内に、自分の美貌を上手くつかうことを覚えた。彼女には毎晩相手がいた」
ラミアは語り続ける。
「しかし彼女は恐れた。その美貌が時の流れという誰も逆らうことのできない摂理によって徐々に失われてゆくのが。どんなに美しいものも、永遠にそう在り続けることはできない。そこで彼女はどうしたと思う?」
「……漠然とし過ぎてそんなの…………まさか吸血鬼、か」
「そう。彼女は吸血鬼に願った。自分の血を吸って、自らを吸血鬼へと、不老不死の存在へと変えることをな。これは何も一人だけの話ではない。それを求める人間はいくらでもいるだろう。自ら吸血鬼に身を堕としてまで、永遠の美を求め、そして吸血鬼狩りに殺された女を何人も見てきた。気持ちはわからないでもないがね」
自分は男だ。女性のそういう考え方を本当の意味で理解することはできないが、想像はできる。時の流れは残酷だ。決して逆らうことは出来ず、いつかは必ず皆例外なく死という暗く冷たい場所へと行かされることになるのだ。今はなるべく考えないようにしているが、時折そのことはこちらの頭を悩ませる。
「女性に限らずとも、吸血鬼と関わりを持った人間の中には少なからず現れるものだ。自ら吸血鬼になることを望むものがな。死の恐怖に耐えられず、それに呑みこまれてしまったものがそう願うんだ。さて、お前はどうかな」
「…………俺は」
オイルでにんにくと米を炒めながら、望はとりとめのない思考を巡らせる。
ラミアと出逢う前の自分は、死にたいとばかり思っていた。理不尽で苦しいだけのこの世界で、なぜ生き続けなければならないのかと常に思っていた。しかし今は、少し違った。今この時のような瞬間が、非常に愛おしく感じるようになったのだ。図々しくも自分は、今人並みに生を甘受している。しかしそれには、それを失うかもしれないという恐怖が常に付きまとう。
……彼女と永遠に、共にいられるのなら。
「……それは、その時になってみないとわからねえよ。その時に、俺の心が、感情が、どう思ってどう考えるか、今の俺にはわからない」
ラミアは妖艶な笑みを浮かべる。
「そうだろうな。しかしその時は、決して遠い先の未来のこととは限らんぞ。お前はそう遠くないうちに、決断を強いられることになる。それまでに、もっともらしい答えを見つけておくんだな」
砂抜きしたアサリを米に加え、スープを加えて蓋をする。後は数分待って弱火で熱するだけだ。望は二人分の皿を準備し始めた。すると彼女はおもむろに後ろから何かを取り出す。
「今日はこういうものを持ってきた」
「……あんた、俺が未成年だって知ってるよな」
彼女が取り出したのはワインのボトルだった。どこからともなく栓抜きとグラスを二つ用意し、中身を注ぎ始める。どうやらフランス産のもののようだ。
「以前にこの国の酒屋とかいうところで買ったものだ。保存はしっかりしているから問題ない。たまには人間、これをやらないとな」
「あんた人間じゃねえだろ」
「それは酷い、人間差別だ」
「まさか酔わせて変なことをするつもりじゃあ……」
「ほう、そこまで考えていなかったが、それもいいな。それともして欲しいのか?」
「っっ……ラミアっ………………」
「そう怒るな。たまには良いだろう? 私も久しぶりなんだ。少し付き合っておくれ」
彼女のその顔に望は勝てなかった。妖艶で、残酷で、しかし美しい。この世の物とは思えない、程の美しいその顔に、望は抗う術を知らない。きっと今自分は間抜けな呆けた顔をしていることだろう。
パエリアを皿に盛り付け、テーブルに置く。彼女と向かい合って座り、するとワイングラスを目の前に置かれた。どうやら逃げることは出来ないらしい。
「乾杯だ。この場合何にすればよいのだろうか、そうだな、望の極上の料理に」
そういって彼女はグラスをこちらに向けてくる。仕方なく望はグラスを手に、彼女のそれに合わせるしかなかった。
「さあ」
言われるがままにグラスを口元へと運び、恐る恐る中の黒ずんだ紫の液体を口に含ませる。途端にワインの渋味が口内に広がり、続いてアルコールが効いて望は顔をしかめた。なんだこれは。こんなものを大人は皆平気で飲んでいるのか。信じられない。
「うん、良い渋味だ。フランスでの生死を賭した闘いを思い出す」
「あんたはいつもそればっかりだな。……それにしても、よくこんな渋いだけの飲み物を皆次から次へと飲めるもんだ」
「意外と味覚が幼いんだな、望。そんなことでは将来苦労することになるぞ」
「もう二度と飲むか」
そういって口内の渋味を打ち消すようにパエリアを食す。ニンニクの香りが広がり、アサリの旨みが米に染みこんでいて、我ながら中々の味だった。どうやら成功らしい。
「そう言うな。……これは美味しい。望、腕を上げたな」
パエリアを食した吸血鬼は、大人びた上品な笑顔をして望みを称えた。望はこの表情を見る度に、騙されて何度も料理を作る羽目になるのだった。もはやそれを嫌とは思わなくなっている自分に呆れながら。
こんな時間が永遠に続いたらいいと望は思った。今なら、そのために自ら吸血鬼と化した人間たちの気持ちがわかりそうだった。
ワインの酔いに頭をぼうっとさせながら、望は彼女の食べる姿を暫く眺めていた。




