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She is a vampire【挿絵あり】  作者: 如月しあの(Xではべなお)
◆Ⅱ The journey of a trial
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第四話

挿絵(By みてみん)

「ここまで来れる人間がいたとは――少し驚きですね。こんなところまで、たどり着けるとは」


 その男は、私の姿を初めて瞳に入れてゆっくりと口を開いた。その声は、なぜか私の心の中のどこかを懐かしくさせた。どうしてそう感じたかは、わからない。








 その何処からともなく語りかけてくるような声が、自分に向けられているものだと分かったのは暫くしてからのことだった。その人は、どこか人間離れした雰囲気を漂わせていた。私は呆気にとられ、言葉に詰まってしまう。喉に空気の固まりが詰まったように。


 こんな場所で人間に出逢うとは思わなかった。と思うのだけれど、私は心のどこかで誰かを探していたような気がする。もうずいぶん誰とも話していないような気がした。そんなことはないはずなのに、今日の昼には先生にこっぴどく叱られていたはずなのに。あまり思い出せない。


 私が無言でいると、その人は続けて話しかけてきた。


「ずいぶんボロボロですね。お嬢さんが、それではよろしくない。しかしここには生憎シャワーも着替えもないのですよ。それでもよろしければ、ゆっくりしていくといいです」


 その人はまるで、道端で出逢った人に尋ねるように私にそう言った。余りにも違和感がなさ過ぎて、どうしていいか分からなくなる。しばらくしてようやく動揺を収め、私は何とか最初の一言を口にした。


「あな、……あなたは……いった、けほっっ……げほっっごほっっ」


 あなたは一体誰なのですか、と問おうとしたのだけれど。思い切り詰まってしまった。少し恥ずかしい。


 しかし男は、私の言いたいことを悟ったのか返事を返してきた。


「ああ、私のことが気になるのですか。それもそうですね。こんな所に好んで居座る人間などいませんからね。そう思われるのも無理はないでしょう」


 男は岩に上半身を預けながら、やけに流暢に語り続けた。何故か、私にとってそれは心地悪いものではなかった。


「ここへは旅の途中で立ち寄りましてね。この通り体がもたなくなってしまいまして、暫く休もうと思っていたところなのですよ。そんな時に良い風よけになる穴蔵があるじゃないですか。ということでお邪魔しているわけです。何、なかなかの居心地ですよここは」


 男は手足指一つ動かさずにいた。もしかしたら本当に動かないのかもしれない。けれど、もしそうなのだとしたら。それは……。


「あなたはいったいどうしたのですか? こんなところへ」


「わた、しは…………」


 唾を呑み込み、今度こそまともな受け答えをすべく考えを巡らせる。思考をまとめる。私はどうしてこんなところまで来たのか。そして、再び言葉に詰まる。それは決して言うことができない。言ってはならない。


「それは、言いたく、ないです」


 訝しまれると思った。彼は私の問いに答えたのに、私だけつっぱねるなんて不平等だろう。なんて非常識な奴だと思われたかもしれない。蝋燭の炎で揺れる男の影を見つめて俯く。その姿は大きくなったり小さくなったりする。


「そうですか。そういうこともあるでしょう。言いたくないのなら、それでも別に構いません」


 彼は、顔だけをこちらに向けて優しく微笑んでみせた。その笑顔はどこか儚げで、寂しげで、朱音の心の深いところを撫でた。失礼なことを言ったのに。怒られるかと思ったのに。朱音は次第にその男へ興味が湧いてきた。


「お体は、大丈夫なんですか? 食べ物とか、水とか……。それに失礼ですけど、…………汚いものも、あるでしょう……?」


 彼は少しくたびれたような顔をして、苦労話をするように返してきた。体は当分休息が必要なこと。排泄物はここから少し進んだところに深い縦穴があり、そこで済ませていること。食料と水に関しては完全に無策で、困り果てていたところに朱音が訪れたということらしかった。彩音はどうするべきかと思考を整理し始める。


 朱音は、嵐が来たときに屋敷に旅の人を泊めた時のことを思い出していた。やむを得ない理由があるのなら、あの父親とあまり話すのは躊躇われるけれど、動けなくなった人に部屋位は出せるかもしれない。なにせ部屋だけなら、住人の倍以上はある屋敷だ。


 しかしその申し出は、意外にも本人から拒否された。


「それはいけない。通りすがりのお嬢さんに迷惑をかけるわけにはいきません。これは私の問題です。私の責任なのですから」


「でもこんなところで、これから暫くどうされるおつもりですか? その様子ではお金とかもなさそうですし……。日の光に当たらないとお体にも障るでしょう。……そういえばさっき、旅の途中と言いましたか?」


 朱音は心の中で一番気になっていたことをとうとう聞いた。それは、不謹慎だと感じていながらも心の中に芽吹いた好奇心の新芽。


「旅というのは、一体どこからいらっしゃったのですかっっ?」


 彼は一瞬だけ目を見開いた後、温厚な表情をつくって私の子供のような問いに返してくれる。


「北の国から、やってきました。ここよりもずっと寒く険しいところですよ。……お嬢さんは旅がお好きなのですか?」


「私は……屋敷からあまり外に出られないんです。ごめんなさい変なことを聞いて。わたし、わたし…………」


 たった今出逢ったばかりの見ず知らずの人に、ずいぶん深入りしすぎた。再び口にする言葉を見失う。そうだ。そうなのだ。こういう時に、私はどうしていいかわからなくなる。誰かのことを知りたくても、どう表現したらいいか、伝えたらいいかわからない。それは誰も教えてくれなかった。


 しかし彼は、ゆっくり私を手招きした。


「こんなにボロボロになって、大変だったでしょう。これも何かの縁なのかもしれないですね。こんなところで、小さな冒険家の卵に出逢う事ができた。今日という日に感謝しなければならないでしょう。私の話でよければ、聞いてもらえませんか? なにせこの通り、暇を持て余しているのでね」


 心の中に、ピンク色の花が咲いた。


「は、はい。是非っ」


 軽く会釈をされ、彼は視線で私に座るように促した。私は彼の横の汚れが少ない地面の砂を払って腰掛けた。嬉しかった。朱音はこれまで男性にこのように接されたことなどなかった。朱音にとって男とは兄であり父親であった。男は自分を責め、戒め、縛り付けようとする。どこか別の世界の存在であり、心を許せたことはない。それは今も変わらない。けれど。


 それはもしかしたら勘違いなのかもしれない。朱音はその時、そう感じていた。


「私の名前はトロイアといいます。よければ、お嬢さんの名前を教えてはくれませんか」


「私の名前は……鬼頭、鬼頭朱音といいます」


 朱音は自分の名前を、生まれて初めて自分の知らない人間に名乗った。







トロイアの話は、朱音の想像の全てを塗り替えていった。彼の低い声から、その旅路での出来事、光景、思いが一つ一つ語られる。


 空が透き通るような晴れの日、神様が悲しんでいるような雨の日、きらきらと光る宝石のような雪の日。高い山の頂上からの景色。そこで出逢った人達と晩餐を共にしたこと。その料理や酒の味。


 神様が腹を立てた嵐の日。山に遭難し、困り果てたときの話。自らの足だけで嵐の獣道を歩き続け、山を降りた時に丁度嵐が収まり、綺麗な晴れ空が雲の切れ目から覗かせたこと。


 船で海を渡り、島から島へと旅したときの話。見たことのない大きな生物を発見し、命懸けの死闘を演じた話。鍛え上げた肉体で見事勝利し、生きて島を出た話。まるで本に出てくる御伽話の英雄のような物語を、彼は話してくれた。


 それが嘘か本当か朱音に確かめる手段はない。しかし朱音はそれを疑うことをしなかった。ただただ、トロイアの紡ぐ魅力的な物語の虜になっていった。次第に彼の次の言葉をうずうずしながら待っている自分に気付く。


「死の寸前までいくと人は、不思議な光景を目にするのです。誰も信じてくれませんが、私は確かに見たのです。あれはこの世とあの世の境目だったかもしれない。貴重な体験でしたよ。もう命は諦めていました」


 トロイアと名乗った彼は、一度話し始めるとどんどん次の話を続けた。トロイアは一回り年下の自分にも丁寧な口調を崩さなかった。しかしそれは屋敷での家政婦や、先生の話とはまったく違って朱音の中に響いていった。彼の一言一言は、朱音の狭く白黒の世界を色鮮やかに染め上げ、広げていった。


 まるで朱音までもが、彼の話の舞台に居合わせて登場人物になったかのように錯覚するようになった。それはとても心地よく刺激的な錯覚だった。自分の表情が緩みきっていることにも気付かない程に。


「……ようやく笑顔を見せてくれましたね。とても魅力的ですよ」


「……へ、あっ、うぁぁ…………」


 突然不意打ちにそんなことを言われ、顔が熱くなる。少し背け、再び彼の顔を見るとにやりと大人っぽい笑みを返してきた。それを見てまた顔が熱くなる。心がとろけてしまいそうになった。生まれてきて今一番心臓が高鳴っていると確信できた。


 トロイアの話には妙な現実感があり、変に引き込まれる。世界に引き込まれ、虜にされる。その世界の住人となっていく。彼の物語の世界の住人になっていく。手すりにもたれながら、限りなく続く物語の螺旋階段を下っていく。


 ここが薄暗い洞窟の中だということを忘れるほどに。いつの間にか体中の疲労感は和らぎ、頭の中に居座っていた頭痛はなくなっていた。代わりに何か暖かいものが、朱音の中を満たしていく。心を埋めていく。


 もうどれくらいたったのかわからない。今はまだ今日なのだろうか。それとも今日はもう昨日になってしまったのだろうか。時間間隔は既に曖昧になっている。ある程度話し終えた後、彼は言った。


「もうずいぶん時間が経ってしまった。あまりにお嬢さんが聞き上手でしたから、つい語りすぎてしまったようですね。この辺で御終いにしましょう。お嬢さんも、あなたの場所に帰ったほうがいい」


「……でも、わたしは」


 途端に色あせていく私の世界。魔法が解けていくように、白黒に戻っていく。世界が狭くなっていき、現実に押しつぶされそうになる。もうあそこへ変えるのは嫌だ。もうあんなところへ帰りたくない。あの場所は私を縛り付け、戒め、絞め殺そうとする。


 私は気がつけば、おぼろげに彼に向かってか細い手を伸ばしていた。


「わたし、は……」


「今日は、私の話に付き合ってくれてありがとう」


 トロイアは温和な笑みを浮かべて言った。


「もしまた私の話に付き合ってくれるのなら、お嬢さんさえよろしければまたここに来てくれると嬉しいです。当分暇を持て余すでしょうしね。あくまでも、お嬢さんがよろしければね」


 私は、ぎこちない表情で笑みをつくってそれに返事をした。


「また、明日きますっ」


 朱音の心の中にまた温かいものが広がっていった。

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