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第一話

 挿絵(By みてみん)

夜の世界には、誰も知らない闇がある。


「ここであったが百年目だ」


 とある欧州の王国にて、沈黙した夜の街に悠然とそびえる時計塔の頂き。そこに相見える二つの人影があった。口を開いた片方は男、片方は女の様に窺える。時がすべからく静止しているかのようなひたすらに静かな宵にも、その二つの影は、スモッグ塗れの空気よりも濃い殺気を互いに発している。


「そうだったか? この国で百年前といえば、独国とやり合っていた頃だと記憶しているが。君は随分と長く生きるのだな」


 と返すは女。二人の間にそこまでの外見的な齢の差は見て取れないが、女はあたかも、餓鬼でもあやすかの様に男をたしなめた。


「貴様の方こそな。こちとら一日千秋の思いで貴様と会えるのを待ち望んでいたのだ。となれば、千年といっても不思議はない」


 女は真紅の鮮やかなコートにドレススカート、顔立ちは暗闇に阻まれて曖昧だが、歪んだ輪郭は一切見受けられない。青白く浮き上がった顔色に、これまた燃えるような真紅の瞳が覗いている。


「それは熱烈な告白をありがとう。素直に嬉しいが、残念だ。あともう百年生きてから出直してくれ。子供に興味は無いのでね」


「……貴様はこの私がここで仕留める。人類の未来に貴様らはいらん。この血塗られた亡者め」


「優しい言葉をかけておいて、随分な言い様をする」


 男は柄の先に十字架を誂えた杖を手にしている。よく見れば、彼の装いには所々に十字架の印が施してあった。聖職者の出で立ちのようにも思える。


 先に仕掛けたのは男だった。二人の間には数メートルの距離が開いていた、はずだった。しかし、男はその瞬間身を包んだ黒いローブを翻したかと思えば、闇に消えたのだ。それと彼女の右腕が持ち主から離れて宙を舞ったのはほぼ同時だった。男はその一瞬で彼女との間合いを詰め、その杖で片腕を奪った。


「どうした? 動きが遅れているぞ? まさか甘言に腰を抜かしたとでも言うまいな。貴様は人間にあらず。そして女でさえないわ」


 彼女は闇に消えた自らの腕の方向を見つめていた。しかし暫くして名残り惜しみすらせず、その真紅の瞳で男を見つめ返す。そこにあったのは憎しみでも、怒りでも、怯えでも、ましてや恐怖ですらない。愉しんでいた。彼女はその美貌を歪ませ、喜びの感情を発露していたのである。


「……一体何が、そんなに可笑しい」


「なに、この感覚を久しぶりに味わうのでね。間が空きすぎて、身体が忘れてやしないかと、思っただけだよ。しかし心配は無用のようだ」


 その瞬間、有り得ないことが起こった。


 世の(ことわり)にしてみれば、有り得ない事。人間の常識に照らし合わせれば、有り得ない事。しかしそんなものは、いつだって幻想だ。誰も知らないのだ。この世界の闇を、真実を、誰も知らない。


 彼女の右腕が、根元から”生えて”いくのだ。無残にも深々と毟り取られたそれが、逆再生した映像の如く伸長していく。通常の細胞の活動では有り得ない光景。しかしそれは確かに今、そこで起こっていた。彼女の右腕は、瞬く間にもと在った輪郭を縁取ってゆき、肉体の身長は、先ほどまでと寸分違わぬ長さの指先までを(つむ)いだ後、細長く美しい中指の先端で螺旋を描いて閉じた。


 彼女は、再生された右腕を、愛おしそうに左手で撫でる。


「この化け物め」


「君たちにはそれしか言葉がないのか。もう少し、書物を読んだらどうだ」


 彼女は右腕を頭上へと掲げると、宙で何かを掴み取る仕草をした。するとどうだろう。彼女の指先によって触れられた部分の闇が、徐々に形を伴ってゆくではないか。それは周囲の闇を端から吸い寄せ、巻き込んでゆき、更に濃い闇をした物体へとなっていった。あたかも彼女の指先が、常識外の質量を持って周囲の闇をその万有引力で引き寄せているかの如く。


 それは天に向かって伸びてゆき、やがて一メートル強というところで独りでに止まった。それは闇に溶けるような漆黒の刃渡りを持つ剣、だった。それはたった今まで存在しないもののはずだった。しかし、今それは突如として現れた。豪奢な装飾を柄に施された、剣。触れるものを断ってしまいそうな、ピリピリとした力の発露が見て取れる。


「馬鹿な……それは、どうして貴様が、吸血鬼の貴様が、それを」


「この世には、誰も知らない闇がある」


 それは、その闇が目にしたものを見境なく呑みこんでいくからだ。


「おのれぇ…………。おのれええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッッッッッッッッッッッッッッ」


「さあ、その血をこの神器に吸わせてくれ、狩人よ」


 この世に人ならざる者あり。それは人の生血を吸い、眷属を造りてその存在を古来より伝えてきた。あるときは悍ましき隣人。ある時は物語の俳優。そしてある時は愛すべき恋人。


 それはこの世界の闇そのものだ。彼女らの存在をほとんどの者達が知らない。知らないまま世界を生きていく。知らないまま命を終えていく。


 そんな者達の物語を始めよう。この世界の闇に光を当てよう。


 これはそんな吸血鬼達の物語。


「ここはもう駄目だな。久しぶりにあの国へ行ってみるとしよう」


 最初にまず、ほんの気まぐれを発端とする、ある吸血鬼の話から始めることにする。


 










この世に正義など存在しないのだと思っていた。正義がもし存在するのなら、僕がこんなにも苦しまなければならないのはおかしいだろう。


 子供の頃は、といっても幼稚園や、小学校の時のことだけれど、そんな正義のヒーローのようなもの信じて疑わなかった様な気がする。けれどそれはやっぱり、勘違いだったのだと思う。


 血の味がした。血は鉄の味がするのだと言うけれど、鉄を舐めたことが無いからわからない。


「……こいつ、おもしれえ全然抵抗しないぜ。今度からこいつはパシリ確定だな」

「こんな屑人間、きっと友達もいねえよ。誰に何されようがばれることもない。これからしばらく楽しませてもらうとするか」


 5、6人の男子生徒に囲まれて、放課後誰もいなくなった校舎の男子トイレの中で床に這いつくばっていた僕に、その仲の一人は最後にそう言った。


「お前は本当に可哀想な奴だな」


 僕は、そのとおりだと思った。


 その日は汚れた制服をトイレの水道で洗ってから帰路についた。それでも彼らに付けられた上履きの跡を消すのには中々苦労したし、暴力を受けて口の中を少し切っていた。ところどころ蹴られた身体が疼く。そのときの恐怖と一緒に。


 高校生活は始まってすぐに終わりを告げた。ろくな勉強もせずに高校受験をして本命に落ち、この平凡な私立高校にやってきた。入学式から身体を壊して休み、新学期が始まって2週間出遅れてやってきた頃にはクラスに自分の居場所は既になかった。


 中学のころも友達は少なく、教室の隅でおとなしく本を読んでいるような人間だった僕にとってはそれでも別に良かったのだけれど、そんなときに彼らがやってきた。


「おいおまえちょっと来い。このクラスの支配者は俺だ。この俺に逆らったらどうなるか教えてやる」


 僕は別になにも、していませんよ。と言った。そんなことは彼らには関係が無かった。彼らが欲しかったのは奴隷としての僕の存在である。こうしてこのクラスでの僕の立ち位置は決まってしまった。恐らくこれからずっと彼らに理不尽な扱いを受け続けるのだろう。僕には誰も味方がいなかった。


 両親は地方に住んでいる。高校入学にあたって都会に引っ越して一人暮らしをしている自分には、頼れる人など誰もいなかった。両親にこんなことを話すことはできない。あの二人は僕のことを虫か何かとしてしか見ていない。僕は追い出されたようなものだった。


 小さな頃はまだ二人は自分に優しくしてくれた。二人が変わったのは、母親が浮気をしていたことが露見してからだ。それから二人の仲は険悪になり、ろくに家に戻らなくなった。そもそも浮気をするような関係だったのなら、最初から二人の間に愛情などあったのだろうか。疑いたくなる。


 中学生になるころには、朝ご飯も夜ごはんも一人で食べていた。生活費はわずかな分いつもテーブルに置かれていた。それが両親の最後の良心だった。たまに家に戻ると言えば、父親が知らない女性を連れ込むときくらいだった。僕は耳を塞いで何も聞こえないようにして、心の目もつぶって眠ったのだ。



 もうあの人たちのことを親だとは思っていない。父親は今でも学費と少ない生活費だけは送ってくるが、それは事実上親であることの放棄に違いなかった。あの男が自分に教えてくれたのは、伝記小説の魅力だけだ。苦しいとき、壊れてしまいそうな時には物語の主人公に感情移入して、空想の世界に逃げ込むのだ。そこには自分の味方がたくさんいた。小説の登場人物は誰も裏切らない。僕の前からいなくならない。僕のことを理解してくれる。それだけが救いだった。


「どうして僕なんだ」


 気がつけば一人暮らし先のアパートについていた。家賃は安く、生活できる最低限の備えがあるだけの古びたアパートメントである。駅からあるいてしばらくした所にある。


 そんなことを一人呟いても、だれも聞いてくれる人はいない。僕は一人だ。昔から人と話すのも不得意で、最初は自分に話しかけてくれる人もいたが、その内自分という人間のつまらなさに気がついて僕の前から皆去っていく。


 自分はこのままずっと一人なのだろうか。心の中でそう思った。涙はいつの日か出なくなった。泣き方を忘れてしまったのだろうか。子供の頃は父親に殴られてよく泣いたものだった。泣いた自分を見て父親はさらに自分を殴るのだ。倒れて動けなくなると今度は蹴られた。それを母親は後ろを向いて関わらないようにしていた。


 床に崩れ落ちて、鞄を放り出し、部屋の隅に設置してある小さな本棚に手を伸ばして文庫本を一冊手に取った。それは主人公が色々な障害や苦悩を乗り越えて、最後には世界を救う伝記小説だった。それは父親に勧められた最後の本だった。この本はページが擦り切れるほど何度も何度も読み返している。


 でもそのたびに思うのだ。僕にはこんな結末は待っていない。この主人公は最初は一人だけれど、物語を通じて色々な人と心を通わせていく。力を合わせて敵に立ち向かったりする。それを見ているのは心動かされるが、同時にそんな絶望的な事実を自分に突き付けてくる。僕は一人だ。たった独りだ。


 その日は何もする気が起きなかった。僕はそのまま床に横たわって意識を切った。

感想いつでもお待ちしてます!!

最後に感想来たの10年前なので!!!泣


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