Almost Fiction
「すいません、遅れましたぁ!」
そういって生徒会室に飛び込むと、周防幾兎先輩が何やら一枚の紙と向き合って唸っているのが目に入った。どうやら僕が部屋に入ってきたのに気付いていないらしい。このまま帰ってしまおうか。あ、こっちを向いた。
仕方がない。僕は先輩に気付かれないように溜息を付いて、先輩の真正面を避けて斜め前に座る。彼が戦っている紙をちらと見ると、次のようなことが書いてあった。
『日本の女性専用車両を初めて見たときに脳裏をよぎったのは、アパルトヘイト時代の南アフリカである。
当時、南アフリカ共和国では、レストランからトイレまで、白色人種用入口と黒人用入口を分けて設け、隔離を行っていた。
(中略)
私がここで言いたいことは、最近の女性に対する過剰なサービスは、女性の権威向上を目的としているだけであって、決して男女平等を目指しているのではないということである』
一通り読み終え、僕は、
「なんですか、これ」
とだけ言った。
「卒論」
と簡潔に返ってきたところをみると、本気で卒論なのだろう。もう秋だ。三年生である先輩も卒業とは無縁でいられないか。
「お前、これ読んで、正直どう思う?」
こんなの提出したら確実に留年ですねご愁傷様ですだけど僕と同じクラスにだけは絶対に来ないでくださいねお願いですから、と喉元まで出かかった正直な感想をぐっと飲み込んで、考える。
どう思う、と言われても……。
この世におぎゃあと生まれて十六年、一時も休むことなく女の子なる因果な職業をやっている僕にそんなことを聞かれても困る。
返答に困っているのが顔に出たのだろうか、先輩は嘆息した。そういえば先輩は短足ではないな、とかくだらない洒落に笑っていると、睨まれた。いいじゃないか別に。何も短足だと笑ったわけじゃないんだし。
「そうそう、お前さ、『右足では踏めるけど、左足では踏めないもの』って何か分かるか?」
「左足でしょう?」
簡単ななぞなぞだ。分からない人はよっぽどの馬鹿だ。
「ああ、なるほど。自分の左足は自分じゃ踏めないよな」
先輩は馬鹿だった。
「それがどうかしたんですか?」
「ん。今回の《七不思議》がそれと、第三体育館、四:四四の三題」
「またそんなくだらないことばっかりやって……」
「仕方ないんだよ。やんないと大変だ」
僕らの通う私立石動学園では、《七不思議》と呼ばれる行事があるらしい。らしいというのも何だが、それ自体が七不思議としてしか語られないから仕方がない。
一年間に、七つの不思議。
毎年一人の生徒が無作為に選ばれ、それを解決しなければならないのだそうだ。タイムリミットは、語られるまで。他の生徒に広まってしまうと、その不思議が実際のものとして起こってしまうのだそうだ。
この《七不思議》が語り継がれるのも、実際に毎年一人が解決役に選ばれるのも、初代の生徒が《七不思議》の《七不思議》を解決できなかったから、だってさ。
そして、今年の《七不思議》の解決を任されたのが、僕の目の前にいる周防幾兎先輩。生徒会会計でもある。僕はそれに付き合わされて、その上口止めまでされているというわけだ。
それにしても。
左足。
第三体育館。
四:四四。
僕は率直に聞いた。
「左足がどう不思議なんですか?」
「まあ、よくある話なら、午後四時四四分に足を切る化物が出てくる、とか言うやつだが」
「それが体育館に出るんですか」
「いや、五時ちょい前なら体育館は部活やってるだろうし、そのまま関連付けるわけにはいかないな」
放課後、部活をやっている最中に出てくるお化け。なんだか間抜けだ。
今日はこれでお開きになった。
翌日。放課後にまた生徒会室まで出張ることとなった。
広大な敷地を持つ石動学園で、高等部二年の教室がある第四棟から生徒会室のある第二棟まで歩くのは、僕のような女の子にとって苦痛以外の何物でもない。
やっとの思いで生徒会室の扉を開けると、昨日と同じく卒論との戦闘を繰り広げている周防先輩と目が合った。
「それじゃあ、行くか」
僕の姿を認めるが早いか、さっさと原稿用紙を畳んでしまう。
「ちょっと待ってください。疲れました。
今日は体育で五千メートル走らされたんですよ」
「待ってられるか。もう四時半だ」
今日は会計の査察と称して部活中の体育館に潜り込み、四時四四分に何かが起こるかを見に行くのだそうだ。
結局、僕の懇願は叶わず、せっかく来た道を逆戻りするように第三体育館へ。
疲労困憊の僕を尻目にずんずん進んでいく先輩。僕は先輩のそういうところが嫌いだ。
「ちょ、せ、先輩……!」
「しっかりしろ。もう目の前だろうが」
今日の先輩は機嫌が悪そうだ。第三体育館に何か恨みでもあるんだろうか。
ようやく辿り着いた第三体育館では、サッカー部が屋内練習をしていた。入ってきた僕たちに気付いた男子生徒が一人近づいてくる。外見から窺うに、三年生だろう。もう夏は過ぎたというのに小麦色の肌をしている。
「やあやあ周防、彼女連れで我がサッカー部に何の用だ?」
「やっぱり居たか。飛騨、お前、サッカー部は引退したんじゃないのか?」
周防先輩は苦い顔をしている。多分この飛騨という先輩が苦手なんだろう。飛騨先輩は、快活そうに笑って答える。
「後輩育成だよ後輩育成。引退してもエースは忙しくってな。それよりも隣の娘、俺にも紹介してくれよ」
「こいつは次期生徒会会計だ」
勝手に決めないでほしい。僕は算数が苦手だ。
「お前にはやらん。あんまり煩くすると来年のサッカー部に部費はないぞ」
「はいはい。分かりましたよ、周防会計閣下。
で、どうだ。久しぶりにサッカーでもして行くか?」
久しぶりに?
「いや、遠慮しとく。今回はあくまでも生徒会会計としての業務を果たしに来ただけだからな」
「そうか、それは残念だ。お前の黄金のレフトが見られると思ったんだけどな。
お嬢ちゃん、知らないかもしれないが、こいつサッカー巧かったんだぜ」
『お嬢ちゃん』が僕であることに気付くのに時間がかかった。時間がかかったので「ふぇ? そうなんですか」と変な反応を返してしまった。
初耳だ。運動なんて一切しなさそうな先輩が元サッカー部だなんて。
「まあ、視察なりなんなりしていくがいいさ。我がサッカー部に恥ずべき事実なし、ってな」
壁にかかった時計を見ると、四時四二分だった。ギリギリで四時四四分に間に合ったようだ。
それから時間にして三分ほど。僕と先輩は第三体育館の隅から隅まで見回したのだが、飛騨先輩が五月蝿く話しかけてくるだけで、怪しい様子は見られなかった。
「今日はハズレか。帰るぞ」
ここで僕はある重大な事実に気が付いた。それはこの《七不思議》を解決するにあたって重要な手掛かりになり得るもので、先輩に報告するべき発見だ。しかし、できれば僕はそれを黙っていたかった。なぜならその事実を先輩に伝えると僕に大きな不都合が発生するであろうことが予測できるからである。
先輩の表情が変わった。きっと先輩もそれに気付いてしまったに違いない。頼むから口を開かないでほしい。しかしそんな僕の淡い希望も空しく、先輩はこう言った。
「そういえば、午前の四時四四分の可能性もあるな」
だって朝早く起きるのって辛いじゃん。
さらに翌日。結局、朝早くから学校に駆り出されることになってしまった。
当たり前だけど、昨日と打って変わって静かな第三体育館。現在時刻、四時三九分。
一分後、四時四十分。
更に一分、四時四一分。
不意に、先輩は言った。
「とりあえず、下がっとけよ。危ないからな」
先輩からそんな言葉を聞くのは初めてだ。不覚にも、先輩が格好良く見えてしまった。
それから一分、四時四二分。
四時四三分。
あと一分。言われた通り、二、三歩下がる。先輩と一緒に化物の餌になったりしたら嫌だ。これで、先輩はコートの中、僕が外、という図になる。
そして。
一分後。
午前四時四四分。
ざわり、と風が起きる。
コート内が茶色の海のように波立つ。
中から人影が現れた。一人、また一人と海から人が湧いてくる。その数、十一人。
そのどれもが人の形でありながら人の姿になりきれていない。頭に、布とも革ともつかない何かが巻き付いている。
黒い五角形と、白い六角形。
そう。彼らの首には、サッカーボールが乗っているのだった。
言葉に表してみて、その現実味の無さと滑稽さに笑ってしまいそうになる。しかし、現に目の前に広がる光景はあまりにも異様で、しかもその中には、先輩がいるのだ。
当の先輩は、湧き出た十一人の様子を窺うように、独特のファイティングポーズをとる。右手には針が数本握られているけど、そんなものが役立ちそうには見えない。
ここまで来て、僕は、四:四四の意味をやっと理解した。
四:四四の比が、一:一一になることにどうして早く気付かなかったのだろう。しかし、今更後悔してももう遅い。サッカーボールの一匹が、先輩に襲いかかる。
「サッカーだから、ハンドはナシだよな」
先輩の声が聞こえる。いつの間にか先輩はファイティングポーズを崩していた。
「俺の黄金のレフトぉぉぉっ!」
目の前のサッカーボールに回し蹴りが炸裂する。
する、はずだった。が。
サッカーボールに向けられた足は空しく空を切り、先輩はバランスを崩して床に転がる。一瞬の出来事に、先輩も僕も対応できなかった。サッカーボールたちが集まり、固まりだす。そこを先輩は狙うが、さっきと同じく効果は無い。
二、三回そんなことが繰り返された後、サッカーボールたちは一つの塊になり、大きなサッカーボールと化す。巨大サッカーボールはぐねぐねと蠢きながら不格好な腕を生やし、先輩の左足に絡みつく。
――足を切る化物。
一昨日の先輩の言葉を思い出す。
先輩が、危ない。
僕は先輩に駆け寄った。
サッカーボールの腕に力がこもり、先輩の表情が苦痛に歪む。
ぐしゃっ、と音がして――
僕は、巨大サッカーボールを踏み潰していた。
「ほら、買って来てやったぞ」
先輩が飲み物の缶を持って生徒会室に入って来る。
始業まで三時間ほどあるから生徒会室で暇をつぶそうと僕が提案したのだ。
先輩は持っていた缶の一本を僕に投げ渡す。ココアだった。先輩、意外と気が利くじゃないか。
先輩は椅子に座り、もう一方の缶を開ける。どうやらコーヒーのようだ。ちなみに低糖。格好付けようとして格好付いてない辺りが先輩らしいと言えなくもない。
そのコーヒーにちびり、と口を付けて先輩は聞いてきた。
「結局、なんでお前はあれに攻撃できたんだ?」
「なんでって、右足だからですよ」
「は?」
「今回の《七不思議》は、『右足では踏めるけど、左足では踏めないもの』でしょう? 先輩は黄金のレフト~とか阿呆なこと言って、左足で蹴ったから当たらなかったんですよ」
先輩は分からなかった以上、あのなぞなぞは《七不思議》の出題者が考えたものだろう。あれを『左足』と勝手に解釈したのは僕達だ。出題者があれに他の意味を込めていたとしてもおかしくはない。
「ああ、そういやそうだったな」
気付いてなかったらしい。やっぱり先輩は馬鹿だ。
「それで、あのサッカーボールをぐしゃり、と」
「やめてくださいよ。思い出したくないんですから」
あれは一生トラウマになりそうだ。なんか変な緑色の液体とかが足に付いてなかったのだけが救いだ。もうサッカーを見るのも嫌だ。
「えーっとな」
「なんですか?」
先輩が顔を赤らめる。そういうのはやめてほしい。こっちが恥ずかしいからではなくて、単に薄気味悪いからだ。
「助けてくれて、ありがとな」
うわあやめてください気持ち悪いです、なんて言うのはやめて、出来るだけ笑って答える。
「どういたしまして」
「あとさ」
「他に何か?」
「お前、あの時スカートの中見えて――」
刹那、僕の左足が先輩の右側頭部を薙いだ。
サッカーボールは左足による攻撃を受け付けない。
先輩はサッカーボールではない。
よって、先輩は左足による攻撃を受ける。
簡単な三段論法により、先輩の体は、パイプ椅子を二、三脚巻き込んで部屋の端へと吹き飛んで行った。
「っ……痛ぁっ。冗談だよ。何も本気で蹴ること――」
「先輩」
何故僕がこのタイミングで言おうと思ったのかは分からない。
今まで誰にも信じてもらえなかった話なのに。
なぜか先輩なら信じてくれると思った。
「先輩。僕、神様に会ったことがあるんです」
「なんだよ、いきなり」
「ふふ、やっぱいいです。先輩には教えてあげません」
「急に笑うな、怖い」
先輩は、分かってくれるだろうか。
この話は、いつかまた。
STAGE CREAR!
SCORE 15000
TIME BONUS 3000
TOTAL 18000
HIGH SCORE 18000
NEW RECORD!
『Almost Fiction』いかがでしたか。
感想頂ければ幸いです。