万年の恋――何度生まれ変わっても、私たちは恋をする─
「――はあ。今日も疲れたなぁ」
私の名前はレーネ。王都の平民街にある仕立て屋で、毎日お針子として働いている、どこにでもいる普通の女の子だ。
毎日忙しくミシンを叩き、布地と格闘している私には、ちょっとした悩みがある。
それは、幼い頃からずっと、胸の奥にぽっかりと小さな穴が空いているような、不思議な寂しさを抱えていることだ。
まるで、大切な誰かをずっと待っているような……そんな馬鹿げた感覚を、いつも無意識に感じていた。
そんなある日の仕事帰り、夕暮れの街頭で、私は信じられないほど綺麗な男の人に声をかけられた。
星を溶かしたような銀色の髪に、夜空のように深い紺色の瞳。貴族かと思うほど仕立ての良い漆黒の上着を着た美青年だ。
「ねえ、そこの可愛いお嬢さん。もしよかったら、僕とお茶でもしていかない?」
……絵に描いたようなナンパだった。
普段の私なら、絶対に「結構です!」と足早に立ち去るところだ。
(断らなきゃ。早く帰ってご飯にしなきゃ……)
そう思っているのに、なぜか唇がうまく動かない。
彼の困ったような、でもどこか私を必死に見つめる瞳を見た瞬間、胸がトクンと跳ねた。本能が、私の理性を無視して叫んでいるような気がした。
「……あ、えっと。……少しだけなら」
信じられないことに、私の口は承諾の言葉を紡いでいた。自分でも何をやっているんだと、頭を抱えたくなる。
そうして連れてこられたのは、路地裏にある静かなカフェだった。
席に着くなり、私は猛烈に後悔していた。なんでOKしちゃったんだろう。やっぱり今からでも帰ると言おうか。そうドギマギしている私の前に、男の人は店員を呼んで勝手に注文を済ませてしまう。
「はい、お待たせ。君にはこれを頼んでおいたよ」
しばらくして運ばれてきたのは、メニューには載っていない、ミルクがたっぷり入ってシナモンの甘い香りが漂う特製のココアだった。
「あの……私、いつもラテしか頼まなくて。それに、メニューにこんなのありました?」
「いいから飲んでみて。君は絶対これが好きだと思ったんだ」
男の人は悪戯っぽく微笑み、綺麗な指先でカップを私の前に滑らせてくる。
えー……、ナンパして連れてきて、勝手に注文して、挙句に「絶対好きだと思った」だなんて。顔はめちゃくちゃいいけれど、この人は新手の詐欺師か少し頭のおかしい人なんじゃ……。
そう警戒しつつも、目の前からは信じられないほど甘くて良い香りが漂ってくる。
ごくり、と喉が鳴った。誘惑に負けて、私は恐る恐るココアを一口、口に含んだ。
「――っ!?」
まろやかなミルクの甘みと、絶妙なスパイスの風味。
それは、私自身すら気付いていなかった好みを完全に具現化したような、衝撃的に美味しいココアだった。
不気味なはずなのに、それを一口飲んだ瞬間、仕事の疲れも、彼への警戒心も、張り詰めていた心がフッとほどけていく。まるで、ずっと昔から知っている場所に帰ってきたような、異常なまでの安心感が胸いっぱいに広がった。
驚きで目を見開く私を見て、男の人は満足そうに、愛おしそうに目を細める。
「ね? 言った通りだろう」
その瞳は、狂おしいほどの情熱と、万年もの孤独を耐え抜いたような深い寂しさを孕んで、私を見つめていた。
♢♢♢
あの日から、私の日常は一変してしまった。
「お疲れ様、今日もがんばったね」
仕立て屋の仕事を終えて店を出ると、夕暮れの街灯の下に、あの時の美青年――アルヴィスが立っていた。星を溶かしたような銀髪が、夕日に照らされて淡く輝いている。
あの日カフェで突飛なココアを勧められて以来、彼は毎日のように私の仕事終わりに現れるようになった。
他愛のない話をしながら、並んで街を歩く。
客観的に見れば、私はただの平民のお針子で、彼はどう見ても高貴な身の上の人だ。住む世界が違いすぎる。
それなのに、彼の隣にいる時間は、まるで実家にいるときよりも心が落ち着いてしまう。
なぜだか分からないけれど、理屈抜きで、世界で一番安心できる場所がここにあるような気がした。
西の空がすっかり茜色に染まった頃、私は足を止めて彼を見上げた。ずっと胸の中でぐるぐると渦巻いていた疑問を、口にする。
「ねえ、アルヴィス。どうしてこんなに毎日、私に会いに来るんですか?」
「え?」
アルヴィスは驚いたように、少しだけ目を見開いた。
「私、ただの仕立て屋の見習いですよ。大した身分でもないし、おもしろい話ができるわけでもないのに……なんで、私なんですか?」
ナンパにしては丁寧すぎるし、毎日続く。からかわれている風でもない。彼の本意が分からなくて、少しだけ不安が胸をよぎる。
アルヴィスは少しの間、愛おしそうに私を見つめていたけれど、やがて困ったように眉を下げて微笑んだ。
「理由なんて、一つしかないよ」
「え……?」
「君と一緒にいたいから。……ただ、それだけだよ」
あまりにも真っ直ぐな言葉だった。
「君と一緒にいたい」と言った彼の声は、ひどく優しくて、けれど胸が締め付けられるほど切実で――まるで、長い長い孤独の果てに、ようやく掴み取った言葉のようだった。
「……ずるいです、それじゃ理由になっていません」
赤くなる顔を隠すように俯くと、アルヴィスは小さく笑った。
「嘘じゃないよ。僕は、君の隣にいるときが一番幸せなんだ」
そう言って、彼はまた私の隣に並んで歩き出す。
私は熱くなった頬を押さえながら、胸の奥の「ぽっかり空いた穴」が、彼の言葉でじんわりと満たされていくのを感じていた。
♢♢♢
それから数日後のことだった。私は仕事で取り返しのつかない大きな失敗をしてしまい、店主から酷く叱り飛ばされた。
夕暮れの街を、私は俯いたままトボトボと歩く。涙が溢れそうになるのを必死に堪えていたけれど、胸の奥の「ぽっかり空いた穴」が、今までで一番大きく、冷たく広がっていくのが分かった。
こんな惨めな姿、誰にも見られたくない。そう思って、いつもアルヴィスと待ち合わせる大通りを避け、薄暗い裏路地を選んで歩いていた、その時だった。
「……はあ、はあ……っ、探したよ……!」
聞き慣れた、世界で一番優しい声がした。ハッと顔を上げると、そこには肩を激しく上下させ、息を切らせたアルヴィスが立っていた。いつも完璧で優雅な彼が、髪を振り乱して汗をにじませている。
「アルヴィス……どうして、ここに……」
「いつもの場所に君が来なかったから……心配で、心配で、必死で街中を探し回ったんだ。……よかった、無事で」
そう言って彼が差し出してきたのは、少し潰れてしまった小さな紙袋だった。中を覗くと、市場でも滅多に見かけない、深い青色をした「星実の果実」が入っていた。
それは、私が幼い頃から、落ち込んだ時にだけ無性に食べたくなる大好物の果物だった。私のために、これを買って待っていてくれたのだろう。
「どうして私の好みを、ここまで……っ」
驚きと、今日の情熱的な悲しみが一気に押し寄せて、堪えていた涙がポロポロと零れ落ちる。アルヴィスは困ったように眉を下げると、一歩近づき、私の頭をそっと大きな手で包み込んだ。そして、愛おしそうに、ゆっくりと髪を撫でてくれる。
(あ、私――この手を知っている)
記憶にはどこにもない。なのに、彼のこの手の温もり、この撫でられ方を知っている。
そんな強烈な懐かしさに襲われ、胸の奥が狂おしいほど熱くなった。
私は涙で視界を滲ませながら、彼の漆黒の上着の裾をギュッと握りしめて、ずっと聞きたかった疑問をぶつけた。
「……ねえ、アルヴィス。どうして、こんなにも私を気にかけるの?正直に答えて……」
私はただの平民のお針子だ。なのに、どうしていつも私の好きなものを知り尽くしていて、こんな路地裏まで必死に探しに来てくれるの?
私の切実な問いかけに、アルヴィスはいつも崩さなかった余裕のある微笑みを消した。その夜空のような紺色の瞳に、言葉にできないほどの激しい情熱が浮かぶ。彼はそのまま、私を壊れ物を扱うように優しく、けれど強く抱きしめた。
「理由なら、最初から決まっている」
耳元で、彼の低く震える声が響く。
「君が、世界で一番好きだからさ」
あまりにも突然の、あまりにも真っ直ぐな告白。心臓が跳ね上がるのと同時に、そんな都合のいい話があるわけないと、私の理性がブレーキをかける。
「……うそよ」かすれた声で拒絶しようとする私を、アルヴィスはさらに強く抱きしめた。
その腕の震えが、彼の言葉が絶対に偽りではないことを伝えてくる。
「嘘じゃないさ。……君のことを、これからどれだけ時が経とうと、何年たっても愛し続ける」
彼の言葉が、私の胸の奥の「ぽっかり空いた穴」にじんわりと染み込んでいく。何年、いや、まるで何百年、何万年もの重みがあるような、不思議な響きだった。
呆然とする私を腕の中からそっと離し、アルヴィスは真剣な眼差しで私の目を真っ直ぐに見つめた
「好きだ。――結婚してください」
「……え、えええっ!?」
あまりの急展開に、私の涙は一瞬で引っ込んだ。さっきまでの切ない空気はどこへやら、彼はいたって大真面目な顔で、私の手を両手で包み込んでいる。
「いきなりなんで……!? ちょ、ちょっと待ってください、私たち、まだ出会って数日しか経ってないんですよ!?」
頭が真っ白になって叫ぶ私に、アルヴィスは泣き出しそうなほど愛おしそうに、けれど幸せそうにクスリと笑った。
「君にとっては数日でも、僕にとっては――いや、なんでもない。とにかく、僕は本気だよ」
彼は私の手をぎゅっと握り直す。その手の温もりがあまりにも心地よくて、どうしても振り払うことができない。記憶なんてどこにもない。彼の素性だって何も知らない。
なのに、私の魂が「この人となら、どんな未来へ行っても大丈夫だ」と、確信を持って叫んでいる。
胸の奥の寂しかった穴が、温かい幸福感で完全に満たされていく。
「……もう、本当に強引なんですから」
私は真っ赤になった顔を隠すように俯きながら、小さな声で呟いた。
「結婚は、さすがにすぐには無理です。……でも、その……」
「でも?」
アルヴィスが期待に満ちた目で覗き込んでくる。
「……あの、美味しくて不思議なココアを、これからも毎日奢ってくれるなら。……お付き合いするくらいなら、考えても、いいです……」
消え入りそうな声でそう告げると、アルヴィスは一瞬驚いたように目を見開いた後、この世の何よりも大切な宝物を手に入れたような、眩しい笑顔を咲かせた。
♢♢♢
それから、長い長い歳月が流れた。
「ふふ、あなたが不老不死だって初めて聞かされたときは、本当に驚いたわ」
ベッドの上で、私はしわくちゃの手を伸ばし、隣に座る彼の頬に触れた。私の髪は白くなり、顔には深い皺が刻まれ、すっかりお婆さんになってしまった。
それなのに、私の手を包み込む彼は――星を溶かしたような銀髪も、夜空のような紺色の瞳も、出会ったあの日から何一つ変わっていない。
「あなた……本当に何年たっても変わらないんですもん。私だけこんなお婆さんになっちゃって。もう何年も、こんなお婆さんと一緒にいなくてもよかったのに……」
申し訳なさと愛おしさで胸を詰まらせる私に、アルヴィスは出会った頃と同じ、泣き出しそうなほど優しい笑顔を浮かべた。
「そんなことないよ。僕は、君といるのが世界で一番幸せだから」
彼は私のしわくちゃの手を両手で包み込み、大切そうに何度も口づけを落とす。
その温もりは、あの夕暮れの路地裏で頭を撫でてくれた時と、何一つ変わらない。
ああ、やっぱり私は、この手を知っている。今なら分かる。頭の記憶にはなくても、私の魂は、万年前からずっとこの手とこの愛を知っていたのだ。
「もう、あなたは本当に……」
愛しさが涙となって、目尻から一筋零れ落ちる。意識が、ゆっくりと遠くなっていくのが分かった。
最後の力を振り絞って、私は彼を見つめる。
「愛してるわ、アルヴィス」
「……ああ、僕も。永遠に愛しているよ」
彼の優しい声に包まれながら、私はそっと目を閉じた。胸の奥のぽっかり空いた穴は、彼のおかげで、もう一ミリも寒くはなかった。
――トスン、と、私の手の力が完全に抜ける。
アルヴィスは、静かに呼吸を止めた愛しい人を、壊れ物を扱うようにそっと抱きしめた。
頬を伝う涙が、彼女の白い髪に零れ落ちる。万年の間、何度も繰り返してきた、狂おしいほどの孤独と別れの瞬間。
けれど、彼の瞳に絶望の色はなかった。
そこにあるのは、燃えるような一途な決意だけだ。
「待っててね」
アルヴィスは彼女の額にそっと唇を寄せ、愛を誓うように囁いた。
「生まれ変わった君を――どれだけかかっても、また必ず見つけるから」
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
二人の長い長い愛の物語の1節を楽しんでいただけたでしょうかとかどうですか?
もし「良かった」と思っていただけましたら、画面下部にある評価(★マーク)やブックマークで応援していただけると、大変励みになります……!また来世で二人が出会えるよう、温かい評価をよろしくお願いいたします。




