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空舞うさぎを私は殺せなかった

作者: 小雨川蛙
掲載日:2026/04/16

 

 空舞うさぎは若い女性だった。

 普通ならありえない名前ではあるが、この奇妙な名前は確かに彼女を示す記号だった。


 私は彼女を空舞と呼んだ。

 読み方は『そらまい』だろう。

 少なくとも私はそう読んで、呼んだ。


 ありえない苗字にぶら下がるうさぎなんて名前。

 頭に白か黒の兎の耳をつけてみたいものだが、生憎彼女はただの人間だ。

 特に兎が好きなんてこともない。


 空舞は読書が好きだった。

 殺害された場所が図書館であるほどに彼女は日頃から図書館に通っていた。

 彼女は純文学を読んでいたがそれがくだらないものであると思ってもいた。

 けれど、同時にそれが尊いものだとも感じていた。

 とはいえ、彼女が読書が好きなんて情報は私にとってあまり意味のないものでもある。

 なにせ、私が彼女に求めているのはあくまで始まりの役目だけだから。


 彼女のスマホは滅多なことで反応はしない。

 図書館通いだからミュートにしているのもあるが単純に登録をしている人数が少ないのだ。

 父と母。

 それに弟。

 頻繁に連絡をするのはこの三人だけ。

 時々、地元の友達と連絡をするがそれも基本的には受け身の反応――最後にしたのは去年の十月だ。

 年末年始の挨拶さえもしていない。


 だからこそ、空舞の死体はすぐには見つからない予定だった。

 何せ、誰もその死に気づかなかったのだから。


 空舞うさぎが殺された日。

 館内の見回りをしている職員が魔が差した故に普段よりおざなりな点検しかしなかった。

 だからこそ、屋上から突き落とされて命を落としていた空舞に気づくことはなかった。


 もしかしたら、突き落とされた時点では生きていたかもしれない。

 いや、きっと生きていただろう。

 彼女は今日、読みかけていた本を抱えたままぼんやりと月を眺めていたに違いない。

 子供の頃に聞いた月に兎が居るという馬鹿げた話を思い出しながら――。


 空舞はきっと月見団子が好きだったろう。

 なんて言ったって名前にうさぎなんて単語がついているんだから。

 月と兎の関連を考えたらきっと月見団子が昔から好きだった。

 そうに違いない。

 いや、そう設定してしまおう。


 きっと、子供の頃に一人二個までと言われたのにこっそり三個食べてお母さんに怒られただろう。

 弟の分まで食べちゃって「ヤッベ、食べちゃったよ。まだ見られてないよね」なんて思いながら、しれっと弟に「お姉ちゃんは二つ。あんたは一つ」なんて言って『元々一つでしたよ』みたいな空気感を出したけど、弟が泣き出してそこにお母さんがやってきて何とか誤魔化そうとするけど結局バレてしこたま怒られたに違いない。

 間違いない。


 その時の思い出を大人になった今でもからかわれているに違いない。

 翌年は「僕も二つ食べるから」と弟に思いっきり睨まれていたのに、年を経る毎にそんなことも言われなくなり「姉ちゃん、三つ食べる?w」みたいな感じで小馬鹿にされていたに違いない。

 その事に「いつまでもいじってこないでよ」と毎回笑いながらもしっかり三個食べる。

 大人になって三個どころか好きなだけ食べることが出来るけどそんなこと無粋なこと誰もしない、そんな家庭で育っているんだから空舞はきっと大人しくも優しい女の子だったに違いない。


 こんな女の子がミステリーの導入に必要ってだけで殺されるのは流石に可哀想に思えてきた……。

 うん。

 この子の設定は別に使おう。

 空舞うさぎは何か、こうもっと、心が温かくなる系の作品で使おう。



 *



 と言うわけで、あなたは死ぬ必要はなくなりました。


「はぁ……」


 空舞うさぎは困惑しながらこちらを見返す。

 そりゃそうだ。

 今まで全然そんな雰囲気がなかったのに急に作者に話しかけられたのだから。

 きっと、頭の中で「あっ、これメタフィクションなんだ」なんて考えているに決まっている。


「ちなみに私、なんで殺されるんですか?」


 そこまで考えていない。


「誰に殺されるんですか?」


 それも考えていない。


「犯人の動機は?」


 いや、それも考えてない。

 ぶっちゃけ、空舞うさぎって名前だけしか思いつかなかった。

 次に地面に倒れ伏している光景が浮かんで、なんかこっから面白くできないかなぁって。


「……」


 物語には必ず『起』が必要なんだよ。

 それで『起』に当たる人を探していて考えていて――。


「とりあえず、私に関わるのはもうやめてください」


 そう呆れて空舞うさぎは本を持って私の前から立ち去ってしまった。

 きっと、もう二度と会うことはないだろう。


 まぁ、いっか。

 どうか、お幸せに。



 くだらない独り芝居を終えて、私は二度と書かれないであろうプロットを放り出した。

 いつか書くと心に決めたまま放置しているプロットの山の中に空舞うさぎは紛れ込んだ。

 きっと、永遠に。

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