始まりの扉
大人の女性が10人ほど両手を広げて並べるくらいの正四方形の東屋の中央に、いかなる理屈でか淡く青白い光を放つ陣が描かれていた。
陣を形成する精緻な模様は絵画と言ってもいいような優雅さと華やかさがある。
だがそれ以上にその陣から放たれる気配がひどく強く神聖な力を感じさせていた。
そしてその陣の手前に佇む少女が1人おり、さらにその少女の前にずらりと数人の女たちが並んでいた。
「行ってきます」
朝から色んな人に手伝ってもらって白と仄かな薄紅色の祭服を身につけた、いちばん陣に近い少女……マリカは、緊張しすぎて眠れなかったここ数日の眠気を堪えながら、出迎えに揃ってくれた長老方の前で丁寧に頭を下げる。
「うむ、身体に気をつけて励め」
少し緊張の見える初々しいマリカの姿に、神妙ながらも僅かに微笑みを浮かべた長老の励ましの言葉に送られて、少女は陣の中央へと足を進める。
そして瞬きの間に少女の姿は、輝きを増した陣に吸い込まれるように消えた。
***
それはクラウスにとって別段、特別な日ではなかった。
毎日の片付けても片付けても舞い込む机仕事に嫌気がさし、半ば無理矢理休憩をもぎ取って王宮の探索に出かけたことも、いつものことだった。
ここで暮らすようになってからもう一年以上経つのに、未だに全体を把握しきれていない王宮には関心と共に多少の呆れを感じる。
ここカナル国の王宮は巨大な湖の中のこれまた巨大な中ノ島に作られていて、白を基調に作られたそれはまるで水面に浮かぶ睡蓮のように繊細で、夜にもなれば湖面に美しく月が映りこむ様は幻想的だと古くより吟遊詩人に謳われる。
城はおおまかに内宮と外宮に別れており、内宮には賓客などを招く際に使用する客間と王族またはそれに準ずる大貴族が起居する場所があり、外宮は謁見の間や夜会などが開かれる大小の広間、政治実務を行う各省庁の執務室と近衛軍の訓練場や寄宿舎などがある。内宮と外宮のどちらも慣例として重要な施設には百花の名が付けられていた。
さらに内宮と外宮のどちらにも属さない場所として、両者の間…城の中央区画に聖堂が設けられている。
ここに来て真っ先に教えられた大体の王宮見取り図を頭の中に思い起こしながら、随分と奇妙なものだと改めてクラウスは思う。
光神から国を託されたという王権神授説がカナル国王族の始まりとなっていて、重要な祭祀では国王が祭主を務めるのもそのせいだった。
それならば宗教が国の中枢に深く関わっているのが普通なのだろうが、現在カナル国は国教を定めていない。
国の祭祀と定められて行われるものも、何かを願ったり祈ったりするものはほとんどなく、慣例的に光神への報告という形をとって行われる小規模なものばかりだったりする。
あえて言うのなら信仰の対象は原初の光と言われる光神や王族だが、国の各地にある聖堂も土地の者が素朴な祈りを捧げるくらいのささやかな土着信仰のようなもので、それらも厳密に光神を頂点に掲げているわけではない。
大体にして、巨大な力を持つ者は神も魔も人外の者であると誰もが知っていて、カナル国はそれらを排除して政治を行っていた。
だが人外の者を排除している国なのに、その中心である王城では玉座ではなく人でないものを崇め奉る場所を城の中央に据えて、まさに中心というようにそこから放射状に城の各施設が存在する。
気が遠くなるほど続くこの国の歴史上、増改築なども少なからず行われているから全てとは言えないが、この城の中でどこかに行こうと思いどこを通ったとしても、そのほとんどの道が聖堂には繋がるようになっているし、反対に言えば聖堂にいればどこに行くにも大体一直線になっている。
だからぶらぶらとしているつもりだったクラウスもまた、いつのまにか聖堂の前に立っていた。
中心にあるといっても、大きさはさほどではない。
この城で一番広いのは間違いなく外宮にある、重要な催しを開催する3000人以上を余裕で収容する大広間だが、この聖堂に詰め込める人数はせいぜいが100人程度だろう。
ただし粗末だというわけではなく、壁や柱や屋根は言うに及ばず、手摺や普通はあまり人目に付かないような場所まで丁寧に彫刻や染色が施され、白を基調にしてはいるもののこの城の中でどこよりも繊細で優美な佇まいをしていた。
ぶち抜きの吹き抜けになっている中庭の中央に立てられているから、よく晴れた今日などは燦々と太陽が祝福するように光を浴びせかけている。
その聖堂を眺めながら、ずっと男を国主に据えて女王がいたためしなどない割に、どこもかしこも女性的だとこれもクラウスは奇妙に思っている。
今度、調べてみようと思っていたところで不意に目を瞬かせた。
――……よ…。
「――…?」
誰かに呼ばれたような気がして辺りに視線を走らせる。
仕事中に通りがかったのだろう幾人かが、その視線を受けて不思議そうに首を傾げてクラウスに頭を下げたが、クラウスが気にするなと軽く手を振ると仕事に戻るために去っていった。
聞き違いかとも考えたが、何となく気を引かれてクラウスは何となく聖堂の扉に手をかける。
中に入り込むと空気が一変したような気がした。
祭祀の際には何度か入ったことがあるがその際も中には誰かがいて、今のようにがらんとした聖堂は初めて見る。
人がいないだけで随分と印象が違うことにクラウスは感心しながら、そういえばしげしげと見たことがない聖堂内をぐるりと見回してみた。
外観もそうだったが、内部も美しいシンメトリーで構成されている。
淡い色使いはやはり女性的で、壁には色とりどりのステンドグラスが嵌められ、天井はほとんどが薄い水色のガラス張りになっているために、昼下がりの今は室内でも灯りがいらないくらいに明るい。
夜であっても欠けることのない妹月の光があれば真っ暗になることはない。
ゆらゆらと揺れる淡い蒼の光の中にいると、まるで水の中にいるような錯覚を覚えた。
その中を泳ぐようにゆっくりと中央の通路を歩いている最中、降り注ぐ光の眩しさに目を細めて眉の辺りに手で庇を作る。
「調度品が焼けるんじゃないか、これ」
カーテンでもつけたほうがいいんじゃないかとそのまま上を見上げて、違和感に眉根に微かに皺が寄った。
そのまま壁や天井にもう一度視線を巡らせ、自分の足元に視線を落とす。
直射日光を手で遮りながら通り過ぎてしまった数歩前の場所に戻り、僅かな距離をこまめに足を動かして慎重に位置を測る。
「うん、ここ……かな」
眩しさをこらえながらちょうど聖堂の中心辺りに立ち、もう一度上のほうを確認して頷く。
そのクラウスを照らし出すように、色とりどりのガラスを通した光がその一点に強く集まっていた。
外はまだ肌寒いくらいの季節なのに、そこに立っているとうっすらと汗ばんでくるくらいの陽気だった。
違和感の正体は、太陽の位置と光の角度が合っていないことだと気づく。
全ての光がクラウスが立っている場所この一点に集まるように窓が配置され、さらにいかなる術が施されているのか光が屈折するようになっている。
踏んでいた通路に敷かれた敷物を払いのけると、大理石のタイルが組み合わされた床が露になった。
そして光に照らし出されている場所に、小さく模様が描かれていた。
多弁の花を象徴化したそれはカナル王家の紋章にも使用されているもので、他のタイルには見当たらない。
大き目の四角いそのタイルの縁を指先でなぞって思案してから、護身用に持ち歩いている短剣を鞘から抜いて、美しく輝く銀色の刃をタイルの継ぎ目に突き立てた。
カキン、と硬質な音を響かせてタイルの縁に刃が食い込む。
そのまま梃子の原理を使って剣を動かすと、重い音を立ててやけにあっさりとタイルがはがれた。
そのままタイルを脇にどかすと、その下に木製の床下収納のような扉が現れる。
「――ふぅん…?」
面白そうに口の端を吊り上げ、喉奥を微かに笑いに震わせる。
そして躊躇いもせずに錆びかけた金属製の取っ手に手をかけると、その扉を開いた。
三人称になっているのかなっていないのか微妙…ッ!
そしていつもながら説明くさくてすみません。
誤字脱字誤変換などありましたらこっそり教えてください。
ご感想などもいただければ嬉しく思います。




