第2話:生存のためのonly論理
「はぁ、はぁ、はぁ……っ! 死ぬ、マジで死ぬ……!」
肺が焼ける。心臓の鼓動が耳元でうるさい。 俺は泥だらけのスーツを引きずり、木の根に足を取られそうになりながら、暗い森の中を猛進していた。 背後からは、獲物を追い詰める魔獣、銀狼の重く規則正しい足音が迫っている。
『右前方15度、3メートル先に障害物。跳躍してください』
「言われ、なくても……見えてる……っ!」
視界に浮かぶ青いグリッドの指示に従い、俺は無我夢中で体を投げ出した。 本来、運動不足の27歳SEにこんな動きができるはずがない。だが、脳内の「声」が俺の心拍数や筋肉の疲労度を計算し、限界ギリギリの回避タイミングを指示し続けていた。
それにしても、あのクソ女神……。 レジェンドギフトだと? 「聖なる導きの杖(懐中電灯)」は一撃でひしゃげてライトすら点かない。「万能の預言書」は画面が割れたまま沈黙している。 ただの不法投棄じゃないか。ゴミを「神の道具」なんて呼ぶあたり、あの無能部長と同じだ。
最適解の模索
走り続けて10分。ついに俺の体力が限界を迎えた。 開けた場所に出たが、そこは切り立った断崖絶壁だった。
「詰んだ……」
振り返ると、銀狼がゆっくりと歩み寄ってくる。俺の絶望を楽しむかのように、その瞳には残虐な光が宿っていた。
『報告:持久力が残り3パーセントです。格闘による生存率はゼロ。……現時点での唯一の対策を提示します』
「対策……? 倒せるのか、あいつを」
『否定。現在のステータスでは、何をしてもあいつの皮膚を貫けません。ですが、物理法則はこの世界でも共通です。前方の地面、1.5メートル右を確認してください』
視界の一部が強調される。そこには、長年の風雨で脆くなった岩の亀裂と、その上に絶妙なバランスで乗っている巨大な岩塊があった。
『あの魔獣の推定体重は120キログラム。あいつが跳躍し、着地した瞬間の衝撃を利用すれば、その足場を崩せます』
「……俺が餌になって、あいつをあそこに誘い込めってことか?」
『肯定。成功率は12パーセント。失敗すれば噛み殺されます。どうしますか?』
地形を利用した排除
「やるしかないだろ。……やってやるよ」
俺は震える手で、ひしゃげた懐中電灯を握りしめた。武器としてはゴミだが、ただの「鉄の棒」としてはまだ価値がある。 俺は岩の亀裂のすぐ傍に立ち、銀狼を挑発するように大きく息を吐いた。
銀狼が唸りを上げ、地を蹴る。 銀色の影が、獲物を仕留めるために最短距離で跳びかかってきた。
『3、2、1……今、左へ1メートル!』
脳内の声と同時に、俺は文字通り死に物狂いで横へ転がった。 銀狼が着地したのは、まさに脆くなった岩の上。そこへ俺は、ひしゃげた懐中電灯を全力で亀裂の奥へ叩き込んだ。テコの原理を狙った、ただの物理的な一押しだ。
ギギィッ……。
銀狼の着地衝撃と、俺が加えた最後の一押し。 バランスを崩した巨大な岩塊が、銀狼を乗せたまま、音を立てて崖下へと崩落していく。
「ガ、アアアッ!?」
驚愕に染まった魔獣の悲鳴が、崖の底へと消えていった。
生還の代償
しばらくして、ドサッという鈍い音が響き、森に静寂が戻った。
「……はぁ、はぁ……。勝ったのか?」
『対象の「落下による致命傷」を確認。生存確定です。お疲れ様でした。現在の心拍数は180を超えています。深呼吸を推奨します』
「……ふぅ。レベルが上がって魔法が使える、なんて都合のいい展開はないのか」
『残念ながら、一匹倒した程度で人間が突然超人になるような理は確認されていません。あなたは依然として、ただの虚弱な人間です。ですが……』
脳内の声が、少しだけ弾んだように聞こえた。
『物理的な道具と環境を組み合わせれば、格上の相手も排除できる。それが証明されました。次なるステップへ進みましょう』
俺は泥だらけのスーツを見つめ、苦笑した。 勇者みたいな無双は無理そうだ。でも、SEらしく論理的に、一つずつ問題を解決して生き残ってやる。
手に残ったのは、さらにボロボロになった懐中電灯と、沈黙したままのスマホ。 俺の異世界生活は、泥臭い知恵比べから始まった。




