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未練なんてありませんが?  作者: 九条 睦月


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23.工房視察

「姉上、ご準備の方はいかがでしょうか」

「できているわ」


 私は、軽装ではあるけれど、令嬢としてもふさわしいワンピース姿でエヴァンに前に立った。

 髪は、いつものまとめ髪ではなく、サイドだけ編み込んで、あとは自然に下ろしている。

 普段まとめ髪にしているのは、仕事の時に邪魔になるから。

 我ながら、令嬢らしくない。


 でも、私は商会の仕事が好きで、将来の商会長として、もっと研鑽しなくてはと思っている。だから、令嬢らしくなくてもいい……と自身では思っている。

 ただ、ナンシーなんかはもっと着飾ってください、なんて言うけれど。

 ナンシーはおしゃれが大好きだし、実際におしゃれだし、侍女として主人をめいいっぱい着飾りたい欲が強い。それを思うと申し訳ないと思うけれど……まぁしょうがないと納得してもらおう。


「可憐で愛らしい……とても目が離せそうにありません」


 そう言って、エヴァンが蕩けるような笑みを見せた。

 エヴァンが通れば皆が振り返る、というほど美しい容姿を持つ彼の微笑みは、ある種攻撃だと思う。他意はないとわかっていても、頬が熱くなるのが止められない。


『美形はね、その辺り、もう少しいろいろ考えるべきだわ! 周囲への影響がとんでもないのよ!』


 なんてお説教をしたこともあったっけ。エヴァンはどこ吹く風だったけれど。


 私は熱くなった頬を必死に隠そうとする。

 でも、エヴァンはそれを見逃さない。大きな手で私の頬を包み込み、更に甘く微笑んだ。


「照れている姉上は、本当に可愛いですね」

「……もう、エヴァン!」

「揶揄ってなんかいませんよ。全部本心です。でも、これ以上言ったら姉上が拗ねてしまって、出かけるのをやめるなんて言い出しかねないので、とりあえずやめますね」

「……」

「さぁ、行きますよ、姉上」


 そう言って、手を差し出すエヴァン。

 私は溜息をつきながらも、自分の手を預ける。すると、エヴァンの表情が屈託のない笑みに変わる。


 色気を出したり、引っ込めたり。……随分と器用なことだわ。振り回されるこちらの身にもなってほしい。


 なんてことを考えながら、エヴァンのエスコートで私は馬車に乗り込んだのだった。


 *


 私たちがまず訪れたのは、紡績工房だ。

 糸を紡ぐ道具の音がここまで聞こえてくる。と同時に、少し離れた場所にあるルアンスパイダーの飼育場から、糸を吐き出す音も耳に入ってきた。


「ルアンスパイダーの飼育係は、いまや彼らが可愛くてしょうがないみたいですよ」

「そうなの!?」


 仮にも魔獣なのに、可愛いとは。

 でも、飼育場にいる個体は、飼育を始めてもう結構経つし、人に慣れていてもおかしくない。


 私とエヴァンが工房に入ると、すぐに工房主と職人頭が出迎えてくれる。

 途切れることのない発注に大わらわだけれど、オマリーシルクの世間での評判を誇りに思ってくれているらしく、皆やりがいを持って働いているとのことだった。


 職人頭と数人の腕のいい職人が、先生役となって見習いたちを指導しているそうだが、見習いたちは一刻も早く職人となって糸を紡ぎたいと、日々努力しているという。

 近日中には見習いを卒業して職人に、という人もそれなりにいて、順調そうだ。


 うん、ここは問題ないわね。


 ということで、次に訪れたのは、ある意味本命の織物工房である。


「わざわざご足労いただき、ありがとうございます」


 工房主の挨拶に、私とエヴァンもにこやかに挨拶する。

 応接室に通され、職人頭も交えて、改めて退職した見習いたちの話を聞いた。


「いや、実は、私どももよくわからないのです」

「わからない?」

「辞めた三人は、見習いとはいえ、才能のある者たちだったのです。指導をしていた私どもも、一人前に育つのを楽しみにしていたのですが……」


 職人頭が、しゅんと肩を落とす。

 彼の表情を見るに、本当にわからないといった様子だった。


 適性がなくてとか、不真面目で、といったことではなく、むしろその逆なのね……。


 指導者が楽しみにするくらいなのだから、職人になるのもあと少しというところだったのだろう。

 目標達成は目の前だった。それなのに、辞めてしまった。


「別の工房から引き抜かれたということは?」


 考えられるのはそれだ。

 私が尋ねるより早く、エヴァンがそう問うた。

 工房主と職人頭は顔を見合わせ、やがて力なく首を横に振る。


「私どももそうかと思って調べてみたのですが、どこの工房にも彼らの姿はありませんでした」

「そうですか……」


 不可解ではあるけれど、才能があっても本人にやる気がなければどうしようもない。別の道に進みたくなったのかもしれないし。

 でも、ちょっと勿体ない。


「残念ですが、本人の意思は尊重されるべきですからね。指導をされていたならなおさら残念でしょうが、気持ちを切り替えて、今後ともよろしくお願いしますわ」


 項垂れる職人頭を労わるようにそう声をかけると、彼は恐縮しながら深く頭を下げた。


「いやいや、こちらこそ有能な人材を逃してしまい、申し訳ございませんでした。今後、より慎重に指導にあたって参ります」

「ですが、技術力について妥協はしないでくださいね。どんなに環境がよくても、辞めてしまう人間は出てくるものです。皆さんが懸命に仕事に励んでくださっているのはわかっています。これからも期待していますよ」


 エヴァンの言うとおりだ。

 どうしたって、辞める人は出てくる。合う合わない、目的が変わってしまった、そんなことはよくあることなのだから。


 織物工房自体に問題はなさそうだ。

 辞めた人が優秀だったのは本当に残念だけれど、こればかりはどうしようもなかった。


「とりあえず、気持ちを切り替えましょうか」

「そうね」


 あの二人にもそう言ったばかりだ。私も切り替えなければ。


「そろそろ昼時です。姉上、お腹はすきませんか?」


 工房を出た後、エヴァンがそう提案してくる。

 私は、即座に目を輝かせた。


「そうね! ねぇエヴァン、王都で今、人気のカフェがあるみたいなんだけど……」

「予約していますよ」

「え!?」


 悪戯っぽく片目を閉じるエヴァンに、思わず笑ってしまった。

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