005 学びの道、写本の挑戦
半月が過ぎ、朝のランニングは1時間で家と川を2往復できるようになったアトは、文字の読み書きも習熟して簡単な本なら読めるようになり、計算も2桁の数までなら加減乗除が出来るようになっていた。
そんなアトに、朝食をすませたフィーが
「アト、朝のランニングの調子はどう? どれくらい走れるようになったのかしら?」
と尋ねた。アトは満面の笑みで、
「川まで休まずに2往復できるようになりました」
と答え、フィーの言葉を待った。
「そう、体力がついて来たのね。3往復できるようになったら良いモノをあげるわ。それと今日から午前中は10時まで計算問題を解いて、その後は読書、午後からは読んだ本を書き写してね。挿絵も含めて全部。読めない単語や意味が分からない言葉があったら気にせずに聞いてね」
そう言って席を立つフィーと一緒にアトも席を立ち、連れ立ってフィーの部屋に向かった。
部屋に入るとテーブルの上に計算問題が書かれた紙束と一冊の本が載っていた。本の表紙には、「ある騎士の物語」と書かれてあった。それを見たアトは、計算問題よりも興味を惹かれた。
そんなアトに、フィーは笑いながら、
「計算問題が先よ、アト。手を抜いたら分かるんだから」
と言い、アトは照れ笑いを返して計算問題を解き始めた。そんなアトを見て微笑んだフィーは自分の机に向かった。
問題が書かれた紙に答えを書き込み、それが10枚になるたび、アトはフィーの机に向い採点をしてもらう。アトの答えに間違えがあれば、どこを間違ったのか一緒になって考えてくれるフィーに、アトは「もう間違わない様にしよう」と強く思い、ソファに戻って新たな計算問題に取り組んだ。
「2時間経ったわよ、アト」
フィーにそう言われて計算問題から顔を上げたアトは、解き終えた問題を抱えてフィーの元に向かった。採点が終わり、
「今回は間違ってなかったわよ」
とフィーに言われ、アトは顔をほころばせて喜んだ。
「さ、次は読書ね。分からいないところは、気にせずに聞きに来なさい。恥ずかしいと思っちゃ駄目よ」
テーブルに戻ったアトは、興奮して手にした本にしげしげと見入ってしまう。
アトはフィーと暮らすようになって、初めて「本」と言うモノの存在を知った。フィーの言葉を借りると『知識や知恵を後世に生きる者に伝える物、それが「本」』だと教えられていた。いかに素晴らしいモノなのかと、普段と違い、饒舌に語るフィーの様子に驚いた事もアトは覚えていた。その「本」を初めて手にしたアトに、興奮するなと言う方が無理だった。
「アト、読まないと『本』の意味がないわよ」
フィーが、そんなアトに声を掛けて、コロコロと笑った。アトは顔を赤らめ、照れた笑顔を浮かべ、丁寧にテーブルの上に本を置いて、表紙の文字「ある騎士の物語」を確認すると、貴重品を扱うように表紙を捲った。そこには、崖の上で剣を持った男性とその隣に寄り添うように立つ女性の絵が白い紙に黒の濃淡を巧み用いて描かれていた。
その絵に期待を膨らまして、ページを捲ったアトは、早々に躓いてしまう。文字は読める。だが、文学的な言い回しが何を意味しているのかが良く分からなかった。文章表現も理解が難しく悩んでしまう。その様子に気付いたフィーが声を掛ける。
「分からいないところは、聞きに来なさい、と言ったはずよ。どこが分からないの?」
そう言われてしまったら、行かない訳にもいかず、重い足取りでフィーの机に向かったアト。その様子にコロコロと笑いながら、言い回しの意味やその応用、代名詞や指示語について分かりやすく教えてくれた。そして、
「言ったでしょ、恥ずかしいと思っちゃ駄目って。知らない事を知らないって言う事も勇気の一つよ。今、読もうとしている本には、カッコイイと思えるような勇気が書いてあると思うわ。でも、カッコ悪い事をするのも勇気なのよ。忘れないでね」
そう言って、テーブルに戻るようにアトを促し、自分の机に向かった。テーブルに戻って本に目を向けたアトは、先ほど言われた言葉が頭から離れずにいた。「カッコイイ勇気とカッコ悪い勇気、カッコ悪い勇気なんて勇気じゃないんじゃないかな? でも、フィーが言うんだし、そんな勇気もあるのかな?」と答えを出せない事を考えていると、
「ほら、読まないと」
とフィーから声がかかり、アトは読書に集中した。
要約
―――ある貴族の家に生まれた主人公は、その生い立ちを理由に家族から迫害を受ける。命の危険を感じた主人公は、早々に騎士の養成学校に入学する事で自分の安全を確保しようと努力する。そんな中、視察に来た第三王女に一目惚れをした主人公。その為に、以前にもまして勉学と修練に励む―――
と読んだところでフィーから、
「お昼よ、アト」
と声をかけられ、フィーと一緒に食堂に向かった。
昼食を終え、部屋に戻ると、アトの隣に座ったフィーが、羽ペンを使って、崖の上で剣を持った男性とその隣に寄り添うように立つ女性の線画をサラサラと紙に描いた。
「挿絵は、こんな感じで描いてくれればいいわ。最初は苦労すると思うけど、頑張ってね。羽ペンを駄目にしたら気にせずに声をかけて、気にせずによ」
そう念を押して、お手本と紙を置いて机に向かった。開いたままの本に描かれた絵と、目の前でフィーが描いてくれた絵を見比べて、慎重に本の内容を写し始める。
思うように描けずに、紙を数枚、羽ペンを2本駄目にしたところで、
「アト、今描いている絵を取り敢えず描ききりなさい。そしたら、先に進んで文書を写すように。分かった?」
羽ペンを貰いに来たアトに、フィーが指示を出した。その言葉に、アトが渋々頷くのを見て、
「返事は?」
とフィーが声をかける。
「はい」
と必要以上に大きな声を返して、アトはそそくさとテーブルに戻り、絵を描き上げるとページを捲って、文章を写していく。
ただ、文章を写すと言っても、大きさを揃えて書くのに、アトは苦労していた。
そんなアトを微笑ましく思って、フィーは見つめていた。
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次回、7/15日に更新予定です