第2話 高校2年生になる
春野さんと商店街でたまたますれ違ってから1週間後。今日は始業式である。
春休みが終わり、晴れて高校2年生になるのだが、足取りは軽くない。
多くの人が同じ気持ちになるのだろうが、長期休み明けの最初は憂鬱な気持ちになるものだ。
家でお母さんに見送られ、通学路へと出た。
今日は午前中に帰れるので、家に帰ったら昼寝でもしようかなと考えていた。
「森谷くん、おはよう」
「う、うわっ!びっくりした…は、春野さん…」
くだらないことを考えていたので、後ろからの接近に気づかなかった。
春野さんの透き通った綺麗な声が、僕の耳元へと囁かれたため、思わず大きな声を発してしまう。
「あはは、1週間ぶりに森谷くんの驚いた顔を見れた」
「びっくりしたよ。もう、あんまり驚かさないで」
「面白かったから、つい。ごめんね、嫌だった?」
彼女は申し訳なさそうな顔をして、その顔を横へ傾けた。
どこからか春風が優しく吹いてきて、彼女の短くもサラサラな栗色ヘアーを靡かせる。次第に、彼女特有の良い匂いが僕の元へと流れてきた。
暖かな陽射しが彼女を照らし、まるで丁寧に描かれた水彩画のようなそんな光景に、僕は先ほどまで考えていたことを忘れてしまった。
「…森谷くん?」
「…え?ああ、ぜ、全然。嫌じゃないよ、全然」
「…そっか、よかった。森谷くんも喜んでたみたいだし」
「喜んでるとは言ってないね」
「顔が笑ってたから、そうかなって。ごめんね、迷惑なら控えるけど」
「今後ともしていただいて構いません」
「あはは、じょーだんじょーだん、揶揄っただけだよ。ありがとね、じゃ」
「は、はい!また」
間違いなく彼女の手の上で転がされているのだが、彼女の性分が故か、全く嫌な感じがしなかった。もっと転がされても構わない。
颯爽と歩き出していく彼女だが、僕は言い忘れていたことがあると思い出した。
「…あ、春野さん!」
「ん?」
不思議そうに、彼女は振り返る。
「言い忘れてました、おはようございます」
「ふふ、おはよう」
彼女は綺麗な顔を綻ばせて、軽く右手を振った。
それは一瞬の出来事で、すぐに前へ向き直し、また歩いていった。
うーん、わざわざ呼び止めてまでする事だったかなあ。
けど、まあ。減るもんじゃないし、されて嫌じゃないだろうから、まあいっか。
朝から春野さんに話しかけてもらえたし、始業式の日も悪くはないね。
そう自問自答して、なんとか納得した僕は学校へと向かった。
「おいおい、朝日!今のはどういうことよ〜?え〜?」
歩いていたのに、突然肩を抱き込まれる形で掴まれた。
今日はなんだかよく止められる。
驚いたけど、僕にこんなことをする男は、一人くらいしか思い当たらなかった。
「いや、なにもないよ。春野さんと少し話してただけ。朝から暑苦しいって聡太郎」
ニヤニヤした顔を至近距離まで近づけてくるのは、僕の友達の浜辺聡太郎。濃い茶髪を短く切っている、スポーティな好青年である。
彼とは元々同じ中学校に通っていて、たまに話すような仲だった。
高校受験の話はしなかったので、彼がどの高校に進学するのかは知らずにいたのだが。
その後、僕は第一志望の高校に合格し、その入学式に行くと、なぜか聡太郎がいたのだ。
そりゃ、なぜかと言われれば高校受験して、合格したからに決まっているのだが。この高校は県でトップの難易度なので、聡太郎がここまで勉強を頑張っていたことなど知らず、驚いたのである。
後から聞いたら、「家から近かったから」という理由で受験したらしい。うーん…。
高校で人間関係を築くとき、同じ中学校出身というのは、とても有利に働いた。僕と聡太郎は、中学校の時よりも相手を知り、仲良くなれたというわけだ。
「ふーん?まあ、良いけども。それにしても朝日が女子とあんなに楽しそうに話すなんてな。見たことなかったから驚いた」
「あー、楽しそう見えた?」
「うんうん、朝日はわかりやすいからな。あんな感じでもっと女子と関わってみれば良いのに、って思う」
「そう言わないでよ。僕は女の子と話すのが得意じゃないんだ」
「…普通に話せてると思うぞ?ただ、場数が足りてないからじゃないか?」
「そうだね!ヤーモリは必要性を感じてなかったから、行動してなかっただけだと思う!能動的に動いてみたら良いよ!」
「おお!やっぱり鈴音もそう思うか!」
「うん!おはよー、ヤーモリ!そーちゃん!」
「なるほどね…。それと高宮さん、おはよう」
元気溌剌な彼女は高宮鈴音。腰まである髪を金色に染め、少し派手な格好をしている。うちの高校は自由を重んじているため、髪を染めることやバイトをすることなど、さまざまなことが許されている。
よって、彼女の格好は何も校則違反になっていないのだ。
僕と聡太郎と高宮さんは、同じ中学校に通っていた。
高宮さんは元々メガネをかけていて、髪も黒色だった。性格も控えめで、あまり目立つような子じゃなかったと記憶している。そんな彼女に、積極的に話しかけていったのが聡太郎だ。
聡太郎と高宮さんはみるみる仲良くなって、そのまま付き合うことに。
そして、聡太郎を追いかけて高校受験をし、見事合格した。そこから彼女はどんどん垢抜けて、今に至っている。
「春野さんとヤーモリね…、意外な組み合わせだけど良いじゃん!もっと仲良くなっていきなよ!アドバイスするし!」
「組み合わせって…仲良くなりたいと思ってるけど、これがどんな名前の気持ちからかは分かってないんだ」
「おいおい、名前の気持ちとか、やっぱり朝日は定義とかにうるさいんだよな。仲良くなりたいって気持ちに素直でいれば良いだけよ、後からその名前はわかると思えばいい」
「そうだね!めちゃくちゃ良いこと言うじゃんそーちゃん!」
「なるほどなあ。分かったよ、たまに話しかけてみる。ところで、二人はどこから僕と春野さんが話してたことに気づいてたの?」
「春野さんが朝日の後ろへ回って、耳元に話しかけて朝日が大きな声を出したところくらいからかな」
「私はそれを見てニヤニヤしてるそーちゃんを後ろから見てたよ!」
「全部じゃないか…」
「大丈夫だよ、誰にも言いふらしたりしねえって」
「それは心配してない。ちょっと、恥ずかしかっただけ」
くー、聡太郎と高宮さんだったから良いものの、それ以外の人に見られたらどうなっていたことか。…どうなっていたのかな。別に、困ることはない?
いや、やっぱり噂ってのは、おひれはひれが付いてすぐに広まっていくものでもある。注意しよう。
「お、学年が変わったし、そういえばクラス替えがあったな。張り出されてるみたいだ、みんな一緒だといいな」
「そーちゃんとヤーモリ、どうだろうねー?」
「早く見にいこう」
期待感があったのは否めない。
心臓を高鳴らせながら、掲示板の元へ歩いていく。
恐る恐る、張り出されたクラス替えの紙を見た。
2年3組
…
高宮 鈴音
…
浜辺 聡太郎
…
春野 美月
おおー…三人とも同じクラスだ。あとは、僕の名前があるかどうか…。
…
森谷 朝日
うおー、あ、ある〜。嬉しい。
思わず、拳に力が入ってしまう。
「おー、みんな一緒じゃないか。やったな!じゃあ、3組に行こうぜ」
「やったー!みんな一緒だねー!嬉しいねーー!行こう行こう!」
「うん」
三人で3組の教室へ向かい、扉を開けて入室する。
クラスのみんなが、それぞれ話をしたりスマホをいじったり、自由に朝礼までの時間を過ごしていた。
そして…僕は思わず、春野さんを探してしまった。
すぐに彼女は見つかった。
彼女は教室の前あたりで、女の子数人と会話をしていたのだ。
椅子に座る彼女のもとに、女の子が集まっているという形。
これだけでも人望があり、人気者であることが伺える。
彼女を見つめることほんの一瞬。
春野さんは突然後ろを振り向いたと思うと、一瞬辺りを見渡し、僕と目が合った。
彼女はニコッと笑ったかと思うと、机の下あたりから右手を出してひらひらと手を振ってくれたのだ。
突然の出来事で驚いたが、何も返さないわけにはいかない。
僕も、カバンを持っていない方の手で、軽く手を振った。
それを見た彼女は、満足そうな表情をして、再び前を向き直した。
彼女の行動に、思わず心臓がドキンと跳ねる。
な、なんだったんだ今の…。
「美月、どうしたの?」
「ううん、なんでも」
「そう?でね、昨日のYouCubeでね…」
「うん——」