ダイ8時代 未海の地でのユウ泳 心鎮めるバイオリンの音色
翌日。昨日打ち合わせした通り、ルーズ、バザル、キチパチの霊能力者と僧侶二人、指定推薦のズーケンとじゃんけんを勝ち抜いたヘスペローとベロンの3人、そして彼らが分担して運ぶダイナ装備達4人、合計10人で、ギョリュー霊夫人の未練の全貌を突き止め解消し、ラーケンの死後初めてアサバスの里帰りをダイ大海を訪れた。
ダイ大海。アサバスの種、アサバスカサウルスのようなギョリュー霊や古代魚達が暮らす、ダイチュウ星の海の中にある巨大な透明のドームの中に包まれた海底都市。都会もあれば田舎もあり、今回彼らがやってきたのは、どちらかというと田舎の方である。
ズーケン達が暮らすダイ大陸からダイ大海に行くには、専用の潜水艇を要する。因みに料金は、地球で飛行機を利用するぐらいの価格である。
またダイ大海最大の特徴は、ズーケン達が暮らしている町と変わらない地域と、町全体が海の中にあるような地域が存在し、透明な壁で分断されていることである。これにはダイ海域に暮らすダイチュウ人の特徴、アサバスのような魚竜や首長竜は肺呼吸、古代魚達はえら呼吸であることが関係している。えら呼吸である古代魚のダイチュウ人達は、水に溶けた酸素をえらから取り入れて呼吸する為、酸素があっても水がなければ呼吸出来ない。その為、えら呼吸のダイチュウ人が暮らす町や地域は海の中にある。また、肺呼吸とえら呼吸のダイチュウ人の暮らす地域を行き来するには、行き来する為の専用施設にあるトンネルを通っていくが、その景観はまるで水族館のようになっている為、陸のダイチュウ人のような観光客には人気スポットとなっている。因みに、肺呼吸とえら呼吸の違いによる酸素の問題は、小型酸素供給マシンによって解決している。口元につける場合は酸素マスク型、えらにつける場合は海水が入ったライター型となっており、陸にいる時も海中にいる時も酸素を供給出来る仕組みとなっている。双方が互いの地域でも生きていけるよう工夫がされているのだ。
「はるばるきたのだダイ海域…こりゃすごい」
ダイ海域の内アサバス達が暮らす地域は海中ではないが、基本ヒレを持ったダイチュウ人が多い為水中を再現した状態となっている。よって、ズーケン達のようなヒレを持たない者がダイ海域内を移動する際は、両手両足に人工ヒレをつけるのが主流となっている。ただ、慣れない内はズーケンのようにジタバタする者が多い。
「ここから魚竜霊の娘が通う保育園までは、どのくらいあるんだ?」
「タクシー使えば割とすぐだけど、バスに乗って頂戴。お財布がもう限界突破しそうなのよ」
「すまん。この通りだ」
「ああ大丈夫です!全然大丈夫です!」
まるで宇宙空間のようなダイ海域に、腕を組んで直立不動なベロン。ダイ海域には慣れているルーズ。頭を下げるバザル。二人をなだだめようとして両手両足をバタつかせるヘスペロー。
「まあまあ。ここは一旦、バスを待ちましょか。それまでの間、少しでもそのヒレに慣れといておくんなまし」
パチキチが片手でバス停を指し、一同を列の最後尾に誘導していく。その後バスが来るまでの5分間、ダイ海域初上陸ならぬ初下海のズーケン達3人はひたすら泳ぎの訓練を行った。尚、水中を再現している為クロールや背泳ぎ等も可能だが、街としては最も身体への負担が少ない平泳ぎが推奨されている。
一行がバスに乗って20分。バスはまず兄がおりんのダイナ装備であるメトリオリンクス兄妹の自宅最寄のバス停に到着した。そこからさらに歩くならぬ宙を泳ぐように進むこと30分、目的地の主に出迎えられ、一行はリビングに着く。
「メ…メトリン…久しぶりね…げ…元気そうで…良かったわ…はぁ~…」
「だ、大丈夫ですか…?」
メトリン家のリビングに上がりテーブルに座って早々、ルーズは息切れを起こし、ヘスペローに背中をさすられている。ダイ海域内の移動は、両足だけではなく水泳のように全身を使う為、体力を消耗しやすい。またルーズのような鎧竜は脂肪分が多い為、移動する際はヘスペロー達よりも運動量が多い。しかし、運動にはなるのでダイエット効果は期待出来る。
「も~だから迎えに行こうかって言ったじゃないの~」
「わざわざ来てもらうのも…悪いじゃない…。あなたもう63でしょ…気にしないで…」
まるで急な階段を上り降りでもしたぐらい肩で息を切らす御年55歳のルーズは、元々体重が重い鎧竜であることに加え、年齢や日頃の運動不足もあってその身体への負荷はかなり大きい。
「そんな目の前でゼーハーされちゃ、気にするなっていう方が無理さ」
テーブルの上に並べられたアサバス達4人のダイナ装備とラ―ケンの形見の向かいに置かれたおりんが、落ち着いたトーンで心配交じりの苦言を呈す。
「初めまして。俺はメトリオリンクスのオリンクス。見ての通り、おりんのダイナ装備さ。よろしく」
第6のダイナ装備メトリオリン。その姿はワニに似たメトリオリンクスを模しており、おりん本体は顔を、その下に敷かれる小さな座布団は胴体を、そしておりん本体を叩く棒は尾を象っている。またメトリオリンを普通のおりんと同じ様に置くと、メトリンの顔を象った本体は上を向いている為、普段は横に倒されている。
「私はアサバス。アサバスカサウルスで、傘のダイナ装備だ。まさか私達以外のダイナ装備に会えるとは思ってもみなかった…会えて嬉しく思うぞ。よろしく頼む」
「俺はアムベエ。コレピオケファレっつーパキケファロみたいなやつで、桶のダイナ装備だ。会えるのを楽しみにしてたぜ!」
「私はカンタ!担架でタタンカケファルスで、ルーズさんみたいなレディーよ!よろしくね!」
「あたしは、レベルトサウルスのレーベル。オリンクス、あなたとは一度話してみたかったわ」
双方、己や自分達以外のダイナ装備と会うのは初めてだ。アサバス達4人はその喜びを体では表現出来ないが、アムベエやカンタの声を聞けばその感情や気持ちはおのずと伝わってくる。
「君達のことを昨日聞いて驚いたけど、やっぱり実際に会ってみると嬉しいもんだね。いずれは天涯孤独の身になるかと思いきや、仲間がいたなんてね」
「私も、ダイナ装備はてっきり兄さんだけかと思ってたけど、そうじゃなかったから少し安心したわ。兄さんは一人じゃなかったのね」
オリンクスも口調こそは落ち着いていたものの、その心の内は、自身のおりんの体をにこやかに撫でる妹と同じくらい感激し、安堵していたのだ。
「君のことはルーズ殿から多少は聞いていた。初めは、我々と同じダイナ装備がいることは嬉しかった。だが、我々と同じ様に肉体を失い、身動きを取ることや食べること、眠ることが出来ぬ者が他にもいるということだ。我々はマニヨウジをあの世に送り、憑りつかれたバウソーを救いダイチュウ星を守るという使命と、それを共に背負う親友達や、我々の存在そのものを受け入れてくれた者達がいたから、孤独にもマニヨウジの恐怖にも打ち勝ち使命を果たすことが出来た。だから私達は、この体になったことを後悔していない。君は、後悔はしていないのか?」
自身と同じダイナ装備がいることに喜びを感じる一方、アサバスは喜びを感じつつも、少々複雑な思いも抱いていた。オリンクスが自身と同じように、手や足を動かしたり、誰かと一緒に食事を共にしたり、夜夢を見ること、今まで当たり前だと思っていた日常が失われたことへの悲しみや苦しみ、孤独感を抱いていたのではないか、そんな心配を覚えていた。アサバス達には同じ思いを抱き、共感し合える仲間がいたが、ダイナ装備は彼一人であったからだ。
「後悔か…俺の場合は一刻を争う事態で有無を言わさず…だったけど、あの時ダイナ装備にならなければ、俺は間違いなくここにいなかったからね。君の言ったような不便さを感じることもあったけど、俺が生き延びる道はあれしかなかったし、これで良かったと思ってるよ。そもそも俺達の人生は戦争があった時点で既にめちゃくちゃだったから、後悔も何もないさ。それに、ダイナ装備の仲間はいなかったけど、妹はいた。それがからね」
オリンクスの周りには、同じ境遇を持つ者はいなかったが、アサバスのようなかつてのズーケンの祖父ラ―ケンや後のケルベロ兄弟の祖母のような、抱える孤独に寄り添ってくれる者がいた。
「そうね…あの頃は生きていること自体が当たり前じゃなかったからあの時、どんな形でも兄に生きていてほしいって思ったから迷わずこの姿にしてもらったけど、兄さんがどう思ってるかずっと気になってたのよ。でも、ある時勇気を出して聞いてみたら、今みたいなことを言ってくれたから、すっかり気が楽になったわ。それからずっと、兄さんに支えてもらってばっかだったわ」
「そうか…」
当時戦禍に巻き込まれた幼い兄妹は、家族を喪い、家族と暮らしていた家までも失った。だが、オリンクスにはメトリンが、メトリンにはオリンクスがいた。決して彼らは一人では、孤独ではなかった。二人は、自分達と同じ様にどちらかが何かに苦しみ、傷ついた時は、互いに慰め合い、寄り添い合い、支え合っていたのだ。アサバスは、自身の心配が杞憂に終わったことを安堵していた。
「ねぇ、あなた達のことをもっと聞いていいかしら?話せるところまででいいから、オリンクスがダイナ装備になった時のこととか、その後のこととか」
「構わないよ。この話は中々人に出来るものじゃないからね。そもそも、俺は普段妹以外とは話せないし、話し相手が出来るのは嬉しいよ」
同じ戦禍を生き抜いた同士であり、深い傷を負っている同士でもあるだろう。それを考慮したカンタだったが、オリンクスは快諾した。思い出したくもないことだが、それよりも、妹の様に誰かと話したい気持ちの方が強かったのだ。
「今から60年程前…シゲン人との戦争が始まって、俺達の暮らす町にシゲン人が襲ってきた。それはそれは恐ろしい光景でね…連中が銃やら爆弾やらでめちゃくちゃに暴れ回るもんだから、銃声やら悲鳴や爆撃の音やらがずっと響き渡っていて、俺のいた地域では僕達と古代魚達の境目も壊されて海水が流れ込んでくるわで、この世のものとは思えなかったねぇ。家も派手に壊されて、動かなくなった母親を置いて妹のメトリンを連れて必死に逃げ回った…今でも忘れられないんだよ」
「…そうだったな」
オリンクスは至って冷静に話してはいるが、彼とアサバスの脳裏に浮かぶ光景は、当時味わったことのない恐怖が、心と身体を駆け巡る感覚をせている。
「逃げ回っている最中、俺達の近くに手りゅう弾が落ちてきてね。咄嗟に妹を庇ったはいいが、俺は大怪我を負ってね、呼吸することすらままならない程激しい痛み、身体中が焼ける感覚だった。かと思ったら今度は猛烈な寒気が襲ってきた…正直、もうダメだと思ったね。そこへ、あるシゲン人が通りかかった。妹は咄嗟に俺の前に出て、俺だけでも助けてくれと命乞いをした。すると、そのシゲン人は持っていた銃やら手りゅう弾やらを捨て、血まみれの俺の身体を触ると、一つだけ、俺を助ける方法があるってね」
この時、当のオリンクスは意識が朦朧としており、ダイナ装備になった後に妹メトリンから聞いたのだった。
「妹はとにかく俺を助けたい一心で、俺をダイナ装備に変えることを受け入れた。そして俺は今の姿、おりんのダイナ装備メトリオリンになったのさ。身動きは一切取れなくなったけど、代わりにさっきまでの焼けつく痛みと凍えるような寒さから晴れて解放された。少なくとも命だけは助かったことは分かった。初めはかなり戸惑ったけど、そのシゲン人曰く、おりんが壊れない限り俺が死ぬことはないことを話すと、妹は泣いて喜んで彼に礼を言った。わけが分からない内におりんになったけど、それでも妹が喜んでくれるなら、これでいいって思えたよ。少なくともあのままだと、俺は間違いなく助からなかっただろうからねぇ」
どんな形でもあれ、自身に傍にいてほしい。何もかもが理解出来ない状況だったが、そんな妹の願いだけは理解し、受け止めたオリンクス。彼にとって妹メトリンは、自身よりも大切な存在であり、自身がどう思うかより、妹がどう受け取るかが大事なのだ。
「シゲン人をまだ信じたわけじゃなかったけど、少なくとも命は助けてもらったからね。お礼でも言おうとした時、突然そのシゲン人は俺達兄妹をがれきの下に隠した。すると間もなく、複数のシゲン人がやってきて、俺をダイナ装備に変えたシゲン人は、彼らにこう言った。ここにはもう、誰もいないと…」
「それって、庇ってくれたってこと?」
「少なくとも、私はそう思うわ」
兄オリンクスは生死の境を彷徨っていた為記憶にないが、ダイナ装備にするとどうなるのか、そのことを話すシゲン人の顔がどこか物悲しそうだったことを、メトリンはよく覚えている。
「仲間達が先を歩く中、そのシゲン人は最後に俺達に振り向いた。けど、何も言わずにそのまま去っていった。それから、ダイナ装備になったことが役に立つ時がすぐきたよ。シゲン人達が引き上げた後、妹がおりんになった俺を持ってあてもなく歩いていると、俺達の目の前で一人の魚竜が、人々を襲い、同志であろう海のダイチュウ人達と戦っていた。しかも魚竜のダイチュウ人は、キョダイナソーの状態だった」
「キョダイナソーってことは…キョダイノガエリしてたのか⁉」
「戦場にいれば、そうなってもおかしくないでしょうな。あちき達には想像もつかん、未知の世界っちゅうことですわ」
「…」
ガーティの言った通りだ。かつてマニヨウジとの戦いでキョダイノガエリをしたズーケン。戦争で戦った兵士達も当時あんな思いをしたのだろうか。アムベエには全く想像がいかないが、自身や親友達の命を奪われるかもしれない恐怖は、それを嫌と言う程身体に刻まれたズーケンには分かるような気がした。
「キョダイナソーの魚竜は唸り声を上げながら同志達を襲った。対して、キョダイナソーとなった魚竜と戦うダイチュウ人達は、彼のことを隊長、またはヒルバスと呼んでいた」
「何だと⁉」
ヒルバス。その名を聞いた時、アサバスは耳を疑った。
「知っているのかい?」
「ヒルバスは…私の父だ!」
「うそ⁉そうだったの⁉」
「驚いたね…あの時の兵士の家族と60年越しに会えるとは…」
オリンクスがシゲン人におりんの姿に変えられたと思ったら、今度はキョダイナソーが仲間であろうダイチュウ人を襲っている。当時全く理解出来ない状況が続いたオリンクス兄妹には衝撃の連続だったが、60年越しに発覚した新たな事実を前に、兄弟は新たな衝撃と数奇な運命を感じた。
「馬鹿な…私の父に限って、そんなことはありえない…何かの間違いじゃないのか⁉」
アサバスの知る父ヒルバスは、勇敢で仲間思い戦士であると同時に、家族思いの優しい父親だ。そんな父が部下を襲うなど有り得ない。怒りに近い感情を露わにするアサバス。オリンクスは一瞬、話すべきかどうか迷う。だが、敢えて全て話すことを決める。
「…いや、間違いなくヒルバスと言った。ただ、彼が君の父親かどうかは分からない。もしかしたら名前が同じで赤の他人かもしれないからね。けど、彼と戦っていた部下達は言っていた。あのシゲン人の隊長と相打ちになってから、動かなくなった筈の隊長が突然起き上がり、キョダイノガエリを起こして襲い掛かってきた。まさか、あのシゲン人の魂が隊長の死体に乗り移ったのかと…」
「なんだと…⁉」
「強い霊力を持つ一部のシゲン人なら可能だと聞いたことがある。少なくとも、死体である以上本人の意識はそこにはない。部下を襲ったのは事実だろうが、それがアサバス殿の父上かどうかは分からないが、少なくともその者の意思ではない」
「…そうか」
部下達を襲った者が、結局誰だったのかは今となっては分からない。だが、誰であったとしてもその人物は勇敢に戦ったことは間違いない。バザルのおかげで安心こそしたが、アサバスはどこか落胆している様子だ。もし父だったなら、シゲン人の魂に憑依された時点で既に死んでいたということになる。父は、まだどこかで生きているかもしれない。かつて何度も、今でも心のどこかで思い続けていた望みが、たった今絶たれてしまったのかもしれないのだ。
「今思い返せば、彼の様子が、特に目がおかしかった。憎悪や悪意が籠ったようなあのあの紫の目は、未だに忘れることが出来ないね」
「…!」
シゲン人の魂に憑りつかれた者は、瞳の色が変わるという特徴が表れる。色はシゲン人によって様々であり、当時メトリオリン兄妹が遭遇した時は、マニヨウジがバウソーに憑依した際と同じ紫色だった。同時に、紫色のマニヨウジが頭を過ったズーケンは、身体中に悪寒が走るのを感じた。
「どうする?これから話すことは、君の父親のことかもしれない。それに、少なくともいい話ではない。君にとっては猶更ね」
「構わない。どんな事実があろうと、父であろうとそうでなかろうと、私は父のことが知りたいのだ」
「…そっか。分かったよ」
たとえこれから語られることが父のことであろうとなかろうとこのまま何も知らないでいるよりずっと良い。アサバスはそう強く思っていた。
「一人、また一人と倒れていき、ついに彼の部下全員が倒れ、残ったのは俺達だけになった。絶体絶命の中、恐怖のあまり妹が俺を落とした。その際偶然、俺のおりんの体が鳴った。すると、俺からまるで波のような白い波動が放たれ、彼の動きを止めた」
メトリンがオリンクスを落とした際、まずおりんの本体を落とした後、その上に彼の尾のような棒が落ちたことで、メトリオリンは白い光の波動が放ったのだ。
「俺は妹にもう一度おりんを鳴らすよう伝え、妹が再び俺を鳴らすとまた波動が飛び出した。そして妹が鳴らした三度目、今度は俺の魂自身が波動となり、長い顎で彼を挟みこんだ。すると、彼に憑りついていたシゲン人の魂はあの世へと還り、キョダイノガエリも解け元の姿に戻った…。これが俺達が知る全てだ。けど、もしかしたら気を悪くしたかもしれないね」
「…」
自身の過去を語るつもりが、もしかするとアサバスの父の最期を語ってしまったのかもしれない。黙り込んでしまったアサバスの心情を考えると、オリンクスは話して良かったものかどうか分からなかった。
「いや、むしろ聞けて良かった。私は当時父と別れて以来、父のことは一切分からなかった。父のことを何度も何度も思い出しては、その後どうなったのかを何度も考えていた。君達が語る魚竜のダイチュウ人は、もしかしたら父ではないのかもしれない。だが、たとえどこの誰かが分からなくとも、その者が愛する者達の為に戦ったことは間違いない。それを知ることが出来ただけでも、聞けて良かったと思う」
父は少なくとも、今はもうこの世にいないだろう。オリンクスが語るヒルバスが、果たして父だったのかどうか、今となっては確かめる術はない。
「相打ちに追い込んだシゲン人に憑りつかれ、部下達を襲うことは、彼にとって意にそぐわないことだった筈だ。それを君達は止めた。そのことを君達は誇りに思っていい。もし、君の話す魚竜のダイチュウ人が父だったとしたら…父は、勇敢に戦ったのだな。その父のことを話してくれただけでなく、父を止めてくれたことにも礼を言うべきだろう。ありがとう。父もきっと、君達に感謝している筈だ」
「…そっか。そう言ってくれると、こっちも安心するよ。俺達からも礼を言わないとね」
「そうよね…ありがとう。温かい言葉をかけてくれて」
かつて自分達が遭遇したキョダイナソーの息子かもしれない人物に、父の最期を聞かせてしまったかもしれない中、一人のダイチュウ人を救ったことを称賛された兄妹は、どこか救われるような感覚を覚えた。自分達にとっては恐ろしい経験であったが、あの時あの世に送ったことで一人のダイチュウ人を救い、それを話すことによって救われた者がいる。そんな風に思えたからだ。
「礼には及ばん。今度は、君達のことを聞かせてくれ。君達はその後どうなったんだ?」
「あてもなく歩いた俺達兄妹はどうにか避難所に辿り着いた。そして間もなく、君達が頑張ってくれたおかげで戦争も終わり、シゲン人による侵略行為の被害が少ない地域に住んでいた母の妹、叔母夫婦に引き取られた。ただ本当のことを言う訳にもいかないから、妹だけが生き残り、俺は死んだ父さんの仏壇にあったおりんだということにしてね」
メトリンがそのことを伝えた際、自身が命を落としたと思い泣き崩れる二人を目に、嘘をつかざるを得ないとはいえ、罪悪感で心が締め付けられる思いだった。
「二人には子供がいなかったこともあってか、妹を実の子供のように可愛いがってくれた。そのおかげで、俺達も二人を実の親のように慕っていた。二人から見て俺は死んだままだったけど、妹が幸せなら、このままでもいいって思えた」
俺はここにいる。仏壇に置かれた自身の目の前で、自身とその両親に手を合わせる叔母夫婦にそう言いたくなった時が何度もあった。叔母の家に来て以来ずっと抱えていた思いだったが、それは意外なきっかけで終わりを告げた。
「新しい生活にもようやく慣れてきた頃、ちょっとした出来事があってね。ある日、叔母が叔父と妹にこう持ちかけた。霊媒師に頼めば、亡くなった俺達の両親と、俺に会えるかもしれないと…霊感商法ってやつだね」
「あったわね~あの頃!たまに患者さんがその話してくる時があったってレガリーン言ってたわ!あ、勿論レガリーンはやめるよう説得したけどね!」
シゲン人との戦争は大勢の犠牲者を出した、つまり大勢のダイチュウ人が家族や親しい人を亡くしていたということでもある。大切な人を亡くした時、再び会いたいという気持ちは当然芽生える。戦争が要因の場合、その気持ちはより強い。それにつけ込む者も少なくなかった。そして、騙される者も少なくなかった。
「私と叔父で一生懸命説得したんだけど全然聞く耳持たなくて…だって、兄はここにいるんだもんねぇ」
「そこで、俺とメトリンは話し合った結果最後の手段に出た。その翌日、俺はメトリンと共に叔母夫婦に、俺の魂はおりんの中にいるということを明かした。二人共、最初は全く信じていなかったけど、俺が喋った途端に大声上げて驚いていたよ。何故俺の魂がおりんの中にいるのかは俺もよく分からないとはぐらかして、まず叔母に舞い込んだ話は真っ赤な嘘だと伝えた。それに、俺達の両親は二人に俺達のことを託してあの世へ旅立った。だから、今の俺達の父さんと母さんは、二人なんだと話した。勿論、本当のところは分からないけどね」
嘘も方便。母親のように思っている叔母が騙されるのを防ぐ為とはいえ、その叔母に嘘をつくことへの後ろめたさを感じながら、こうあってほしいという願いと共に自身の正直な思いを伝えた。
「涙を流し始めた叔母に、何故霊感商法に耳を傾けてしまったのか話を聞くと、二人は俺達のことを実の子供のように思っていてくれた。けど、だからこそ血の繋がった親子じゃないことにコンプレックスを抱いていたそうだ。俺はこう返した。これからは二人のことを父さん、母さんと呼ばせてもらうってね。二人共、泣いて喜んでくれたよ」
「あの時はほっとしたわよね~。叔母が騙されなくて済んだのもあるけど、やっぱり二人のことをお父さんお母さんって呼べるようになったことが嬉しかったわ。やっと家族になれた感じがしたもの」
「俺がおりんの体になったと知った後も、二人は俺を家族だと、自分達の子供だと受け入れてくれた。ダイナ装備は俺一人だったけど、俺には君達と同じくらい大切な人達が傍にいたんだ。それこそ、二人が亡旅立つまでね。今ではあの仏壇が俺の定位置基、叔母夫婦、俺と父さんと母さんの部屋さ」
叔母夫婦と同じように、兄妹もどこか二人とは心の距離を感じていた。二人は、実の両親ではない。それが一枚の壁を作ってしまっていたが、今回のことで自分達はようやく実の家族に負けないぐらい強い絆を持つことが出来た。その当時を思い返すメトリンの表情は穏やかで、優しい笑みを浮かべていた。オリンクスもきっと、妹と同じようにをしていただろう。
「俺は、君達のような大きな使命を背負っていたわけでも、同じダイナ装備の仲間がいたわけでもなかった。けど、俺には妹が、寄り添ってくれる家族が、俺を受け入れてくれる人達がいた。動くことも食べることも眠ることも出来ない俺だったからこそ、より沿ってくれる家族の優しさに救われていた。俺はおそらくダイ海域でただ一人のダイナ装備だっただろうけど、君達と同じ様に唯一無二の理解者がいることへの喜びと幸せを感じていたんだよ」
妹が幼い頃は特に兄に気遣う様子が見られた。学校に登校する際や出掛ける時は、こっそりバッグの中に入れて持ち歩くことが多かった。一度、同級生にバッグの中を見られ何故おりんを持ち歩いているのかとと問われた際は、前の家にあった唯一のものだと説明した際は、なんとも言えない空気になったことをよく覚えている。また、眠ることが出来ない自身が寂しくないよう一睡もせずに夜を明かそうとしていた時もあった。何度も眠るよう勧めたが意地でも聞かなかったメトリンに、オリンクスは歌を聞いてほしいと歌を歌い、子守唄の要領で彼女を眠らせた。今となってはどれも懐かしい思い出である。
「それとあの時、大怪我を負ったのが妹じゃなくて俺で良かったと思ってるよ。もし妹だったらあのシゲン人の言葉に一切耳を貸さなかっただろうし、そうなったら妹も助からずあの魚竜のダイチュウ人も助けられなかった。それに、悪の権化とばかり思っていたシゲン人への誤解も少しは解けたし、俺がこの姿になったのもせめて命だけは助けようとした、彼なりの優しさだったんだろうね。俺の中身は14歳のままだったけど、妹は俺の倍以上年を重ねられたし、それを見守り続けることが出来たんだから、彼には感謝しないとね」
かつてのアサバス達と同じ様に、ラミダスのような心優しきシゲン人によってダイナ装備となったことで、オリンクスのシゲン人への解釈も変わった。侵略者としてのイメージはまだ残ってはいるが、自身をダイナ装備に変えた彼に関しては、命の恩人のように思っている。また、そんなオリンクスの意外な事実が発覚した。
「14歳って…おいおい年上かよ!てっきり俺らと同じくらいかと思ったぜ!」
「ほんといが~い!」
「そ、それは失礼した…面目ない…」
人は見かけによらないものだと、アムベエとカンタはオリンクスのおりんを見つめながら驚かされるのだった。また、基本年上を敬うよう教えられてきたアサバスは、すっかり無礼を働いてしまったと申し訳なさと己への情けなさを感じるのだった。
「まあまあ、気にしないでくれ。小学生相手に気を遣わせるのも気が乗らないしね。それに、俺はこの姿になってから人前に出られなくなったから友達が一人も出来なくてね。だから、友達ぐらいの感覚で接してくれると嬉しいよ」
オリンクスに家族や理解者はいたものの、友人はほぼいないに等しかった。学生時代の友人達は、彼がダイナ装備になった日以降今もどうしているか分からない。彼らのことは気がかりであったが、おりんの姿では捜すこと自体叶わず、実際に会うことも躊躇っただろう。妹や新たな両親のおかげで孤独を感じることはなかったが、友人がいない寂しさまでは拭いきれなかったのだ。
「俺達の話はこれぐらいにして、これからのことについて話したいところだけど…」
オリンクスの目線は、話の最中終始うつむいたままだったズーケンに移る。
「君、確かズーケンって言ったね。大丈夫かい?さっきからずっと下を向いたままだったまま震えてるみたいだけど…」
「…!」
オリンクス達の過去や衝撃の事実にレーガリン達が聞き入る一方で、ズーケンだけは一言も喋らず時折顔や身体を小さく震わせたり、何度も息をふっと小さく吐いていた。オリンクスは、明らかにズーケンだけ様子がおかしかったことに気付いていたのだ。
「ごめんよズーケン、気付いてあげられなくて…」
「僕も…ズーケンが辛そうにしてるのに気づいてたけど…なんて声かけてあげたらいいか」
「わりぃ。ここだとお前が全く見えなかったから分かんなかったぜ…」
ズーケンの真後ろに座っていたレーガリンと、その後ろのヘスペローは、さらにその後ろのペティは、それぞれ親友が苦しんでいたことに気づけなかった、気付いていたが何もしてやれなかったことへの罪悪感を感じていた。特にレーガリンは、オリンクスの話に聞き入っていたとはいえ、一番近くにいた親友の異変に気付けなかったことへの罪悪感と共に、ズーケンの背中を優しくさする。
「ルーズさんから話は聞いたよ。一度、君の中の居候に代わってもらってもいいかな。正直今苦しいだろうし、今の君を見ているとこっちまで辛くなるし、俺としても一度彼とは話してみたいからね」
今ズーケンは、マニヨウジへのトラウマに苦しんでいる。マニヨウジが復活を目論んでいること等の話題は、トラウマを刺激しない為にもズーケン抜きで話さなければならない。
「…分かった。ルーズさん…いいですか?」
「分かったわ。」
今も怨霊の恐怖の記憶に苦しむズーケンは、身体と声を震わせながら小さく頷くと、両手を合わせて目を。ルーズは急いで小さく震えるズーケンの両手を握り、同じ様に目を閉じ、小さく、しかしこれまでよりも強く息吐く。するとすぐうなだれたズーケンの脳裏に渦巻く怨霊の記憶は、彼の意識と共に途切れた。
「やれやれ…ズーケンに聞かれずに本題に入る為とはいえ、毎回トラウマを思い出す度に入れ替わるのもだな」
「そうよね。マニヨウジの事が片付くまでの間だけでもお願い」
「分かってるさ。だが、マニヨウジの事を思い出す頻度が多くなってきた。本音としては今すぐにでも病院に行ってほしいもんだがな」
ズーケンに憑りつき、彼と日常を共にするガーティは、ズーケンがマニヨウジへのトラウマによって起きる発作や、トラウマを払拭する為の回避行動をよく目にしていた。レーガリン達がルーズ達の待つ公園で見たような、一歩歩いただけでマニヨウジが過った際の回避行動として、ズーケンが思んず~るに向かった際に行った、その場から一歩下がったり、その場で何度も足踏みをする等を行った。またマニヨウジに関することを無意識の内に避けるようになっており、その例としてマニヨウジが憑依していたバウソーに対しては、回避行動として彼の顔を見られなくなってしまった。放置しておけば、悪化する恐れがある。
「いっそ僕達でズーケンを無理やりにでも病院に連れて行っちゃう?」
「けど、金はどうすんだ?病院も金がかかるし、それに病院が遠かったら歩いていくなんて無理だぜ?」
「それじゃあ、僕達がズーケンの代わりに、ズーケンのお父さんとお母さんに説明するのはどうかな?ズーケンからじゃ、上手く説明するのも難しいと思うし」
「それだ。ズーケンの問題は、お前達子供だけじゃ対処し切れん。今ヘスペローが言ったように、お前達がズーケンの代わりにズーケンの両親に話せばいい。お前達は、無理のない範囲でやれることをすればいい。あとのことは、大人に任せろ」
レーガリン、ペティ、ヘスペローの3人は話し合う。ズーケンの為に、何が出来るか。その答えを出した少年達に、ガーティは自分達の限界を超えた真似をせず、大人に頼ることを教えた。
「んじゃ、明日にでもズーケン家に行こっか。丁度ズーケン達はダイ海域行ってるし、本人がいるとこじゃ話し辛いしさ」
「なら、ズーケンには、親に話すことを伝えたほーがいーか?」
「だろうな。デリケートな問題だし、勝手に話されるのも気分がわりぃだろうからな」
レーガリン、ルベロ、アムベエの話し合いにより、ズーケンの両親に話す前にズーケンに確認を取ることが決まる一方、ベロンはどこか浮かない顔だ。
「わるい…大事な時に俺達だけ…」
「あ…」
ベロンとヘスペローの二人は、ズーケンと共にダイ海域へ行くことになっている。ベロンは肝心な時に自分達だけダイ海域に行くことに、はっとなるヘスペローと共に後ろめたさを感じていた。
「気にすんなって。留守番なりに話し合った結果、今決まったことなんだからさ。それに、ダイ海域に行くのは遊びに行く為じゃなくて、こいつら以外のダイナ装備ギョリュー霊の家族に会って、その未練がなんなのかを確かめる為だろ?それだって大事なことじゃないか」
「左様。それにズーケン殿は今、精神的なケアが必要だ。心に深い傷を負ったズーケン殿の傍にいれば、その苦しみも多少は和らぐ筈」
「そうよ。私達は、ダイ海域にいるダイナ装備の子に会いたいわ。でも、ズーケンのお父さんとお母さんに、ズーケンのことを話したいのも事実よ。でも、この体の私達がいきなり訪ねてきたら、すごくびっくりしちゃうでしょ。そこへズーケンのことを話したら、こんがらがっちゃうかもしれないわ。ズーケンのお父さんとお母さんとお話ししたい気持ちはあるけど…今は無理ね。だから、私達の代わりにズーケンのこと、伝えてあげてちょうだい」
「…分かった」
まるで自分達だけ遊びに行くかのような気持ちを抱いていたベロンとヘスペローだったが、ケルベ、バザル、カンタの、何故ダイ海域に赴くのかを改めて教えられ、力強く頷くベロン達は決意を固める。
「ねぇ。バウソーも呼んで、一緒に説明した方がいいかな?バウソーも、ズーケンのことを心配してると思うし」
「それもそうだけど、バウソーちゃんにズーケンちゃんの今の状態を話すとなると、トラウマだけじゃなくてその原因がマニヨウジだって話す必要があるわ。けど、さっきカンタちゃんが言ったようにズーケンちゃんのご両親が一緒だと話し辛いし、バウソーちゃんには後日話した方がいいわ」
「だな。明日俺らがあいつに話しとくわ」
ズーケンは、かつてバウソーがマニヨウジに憑依されていたこともあり、バウソーを見るだけでマニヨウジへのトラウマが再燃してしまうのだが、バウソーはそのことを知らない。レーベルはこの際、ズーケンの両親と共にバウソーにも説明しようと考えていたが、マニヨウジの事はズーケンの両親とは共有出来ない。その為、ルーズが待ったをかけ、バウソーのことはペティ達が引き受けるのだった。
「オリンクス。マニヨウジは、一度使ったダイナ装備に耐性を持つ特徴がある。よって、一度奴を封印した我々と、先月奴を倒したティラノズ剣だけでは太刀打ち出来ないかもしれない。もし奴が復活した場合、君が必要になるだろう。その時は、力を貸してくれないだろうか?」
「勿論だとも。君達が長年使命を背負っている間、俺は妹とのんびり暮らしていたからね。その分、喜んで協力させてもらうよ」
アサバスの申し出を快諾したオリンクスは今、この体になった意味をようやく見出せそうな気がしていた。マニヨウジがもしティラノズ剣の耐性を持った場合、現状己のメトリオリン以外のダイナ装備ではあの世に送ることは不可能。さらにマニヨウジを倒したティラノズ剣には、ズケロッティとなったズーケン、レーガリン、ヘスペロー、ペティの魂の力が込められていた。よって、ズケロッティそのものに耐性を持った可能性もある。その場合、再びマニヨウジに勝つことは困難を極める。
「こんなところか。これ以上は身体に負担がかかるからこの辺で俺は引っ込む」
「あ、ちょっと待って。折角だから、お昼でも食べてかない?朝早くからここに来るまで大変だったでしょう?時間も丁度いいし、食べてってちょうだい!腕によりをかけて頑張るわ!」
ガーティが身体を宿主に返そうとした時、ズーケンにここまで静かに事の流れを見守っていたメトリンがおもむろに立ち上がる。
「それはいい。メトリンは料理上手なんだ。毎回俺達の仏壇に供えてくれてたけど、この体だから食べられないのが残念だったけどね」
「分かるわ~!いっつもレガリーンが美味しそうに奥さんの手作り弁当を食べているのがずっと眺めてて羨ましかったのよ~!」
「そうそう。お腹は空かないし匂いも感じないんだけど、見てるとあたしも毎回食べたくなってたわ」
オリンクス達ダイナ装備は食事を取る必要もないが、食べることへの喜びと楽しさを共有出来ない寂しさは患っていたようだ。カンタとレーべルと共にダイナ装備あるあるを分かち合ったところで、オリンクスには大事な話があるようだ。
「ガーティ。あなただって、内心皆とご飯食べられなくて寂しかったでしょ?だから、折角ズーケンちゃんから身体を借りているわけだし、一緒にご飯食べましょ!」
「是非、俺の分まで食べてっておくれよ。みんなで食べるご飯は、今思えば宝のような時間だったからね」
かつてメトリンとオリンクスにもあった、家族と食卓を囲む時間。当時戦禍にあったこともあり、食卓に並ぶ品の数も量も決して多くはなかった。だが、食事を共にする両親が、家族がいた。思い返せばそれが、ささやかだが間違いなく幸せの一時だったのだ。特にオリンクスは、本来の身体を失ってから食事を取れず、妹が叔父夫婦と食卓を囲む様を仏壇から眺めることしか出来なくなったことで、よりそれを痛感していた。
「そうだな…。じゃあ、お言葉に甘えさせてもらう。ただ、ズーケンにも食わせてやりたいから、途中でズーケンに代わってやってくれ」
「分かったわ」
オリンクスが感じていた寂しさや虚しさは、魂だけの存在となったガーティにもよく理解出来た。かつての恋人レイコが一人で、後の夫と、娘と共に食卓を囲む様を長い間見守り続けてきた彼は、彼女が食卓を通して幸せを感じている姿に、複雑な思いを抱きながら眺めていた。自身を喪い悲しみに暮れていたレイコが幸せになっていくことは嬉しく安堵していた。だが、生きてさえいれば彼女と食卓を囲んでいたのは、自分だったかもしれないのだ。やはりその思いだけは、どうしても拭いきれなかった。
「それと昨日、俺とメトリンでギョリュー霊夫人のご主人から、彼女の事情を聞き出す方法を考えたんだ。魚竜霊の夫から事情を聞き出すのは確かに難しい。でも、奴が彼女の未練を復活の為に利用している以上、彼女の未練を解消し、解放する為にもなんとしても聞き出さなければならないからね。食事でもしながら、聞いてくれないかい?」
「あら!すごいじゃない!」
「まあ全部兄さんが考えたんだけどね。私は良いかどうか聞かれただけよ~」
「やれやれ。褒めてもらえて何よりだよ」
亡くなった妻というデリケートな話題を聞き出す為に、自分達なりに策を練ってきた兄妹に、ルーズから拍手を送られる。メトリンは兄の提案をほぼ聞くだけだったものの、褒められたことには片手を振って謙遜しながらも、もう片方の手でおりんの兄を激しくスクラッチしていた。
メトリンのその後伝えられたほぼオリンクスの提案に一同は感心を覚え、見事採用された。
「じゃあ早速、メトリン、愛情たっぷりでお願いね!」
「腹が減っては…なんだ?まあいい。昼食も策も、有難く頂くとしよう」
「おおきに。なんなら糖分も頂きましょか」
昨日難航したギョリュー霊夫人の事情聴取の案を聞く為、パチキチがバザルの脳に栄養を与える為にも、ルーズ達はメトリオリンクス兄妹のご厚意に甘えることにした。
それからルーズ達は、久しぶりに手料理を振舞うこともあり大張り切りのメトリンからの手料理を次々と平らげていく。特にガーティは、ズーケンの身体を通した数十年振りの食事を満足げに、時折涙を流しながら無我夢中で頬張るのだった。
「食った…こんなに幸せを感じたのはいつ以来だったんだろうな…。ありがとな。そろそろ身体をズーケンに返すよ」
「喜んでくれて良かったわ~!また食べに来てちょうだい!」
「ああ。ズーケンのこと、頼んだぜ」
ズーケンの子供の身体でなければ、あともう一時間は食べ続けていたであろう。そこが少々名残惜しかったが、食卓を囲めただけでも十分過ぎるくらいだった。この時、ガーティは初めて満面の笑みを見せた。その笑顔を見ていると皆、特に手料理を振舞ったメトリンは彼に負けないぐらいの笑顔を浮かべ、ガーティがその身体を持ち主に返すのを見送った。それから数秒後、ルーズに両手を優しく握り締められながら、ズーケンがゆっくりと目を開ける。
「ズーケンちゃん。気がついた?」
「…」
目を覚ましたズーケンの両手を優しく握りながら、ルーズが優しい笑顔で出迎える。
「ガーティちゃんが途中までメトリンの料理食べてたのよ。あのクールガイなガーティががっつく程美味しかったから、ズーケンちゃんにも食べて欲しいって」
「む…」
道理でお腹がずっしり重い気がする。この感じは、晩御飯が入らないだろう。ズーケンはいつもより膨れ上がっている腹部をじっと見つめている。その直後だった。
「…っ!」
ズーケンの身体が一瞬ビクッとはねる。先程よりも落ち着きを取り戻しているが、気を抜けばすぐにその脳裏に怨霊が侵入してくる。
「ズーケンちゃん…私達がついてるからね」
誰よりも率先してズーケンの身を案じるルーズは、すぐさまズーケンの背中をさする。
「ズーケン。その腹では食事は通らんかもしれんが、せめて水だけでも飲め」
ベロンは自分なりにズーケンの為に出来ることをしようと、せめてもの思いでコップに水を注ぎ、持ち主に渡す。
「ありがとう…」
ズーケンはコップをおそるおそる受け取る。が、その持ち手を二本指で握った瞬間また怨霊の、今度は歪んだ笑みが現れる。
「…っ!」
「…」
ズーケンは目を大きく開き、その場で固まってしまう。その様子で皆、ズーケンの身に何が起きたのかを察したものの、ヘスペローを始め皆、何をすればいいのか、どう声をかけたらいいのか、分からなかった。
「ズーケン。これからみんなで公園にでも遊びに行こうかと思うんだけど、君も来るかい?少し場所を変えた方が気分転換になるかもしれないって思ってね。最も、無理強いはしないけどね」
オリンクスもまた、脳裏に刻まれた怨霊への恐怖とトラウマに苦しむズーケンに何をしてやれるか分からなかったが、ズーケンの為に出来ることをしたかった。そんな彼が思いついたのが、ズーケンをこの場から一度離すことだった。
「…僕も、行くよ」
ズーケンは今も怨霊の記憶に怯え、目を見開き呼吸を荒くしながらも、オリンクスの言葉の意味も思いも理解していた。彼もまた、この場から離れたいと思っていたところだった。
「ズーケン…いいの?」
「ありがとう。僕も、ここから離れた方がいいって思ってたから…いいんだよ」
普段なら一歩踏み出しただけで脳裏に怨霊が現れる為外出も億劫になるが、ダイ大海は地に足をつかず泳ぐように移動する為か陸の上よりマニヨウジのことをあまり思い出さなかった。それもあり、ズーケンがオリンクスからの誘いを受けることを後押ししたのだ。ズーケンは心配させまいと彼なりに明るく振舞おうとしたが、まだ息切れ気味の状態では、ヘスペロー達の不安と心配をさらに募らせてしまった。
「そっか。でも、無理しなくてもいいからね。しんどくなったらまたここに戻りましょ。それか、お家まで送るわ」
「ありがとうございます…」
辛くなったら、家に戻ってくればいい。ズーケンの意思を尊重し、その心に寄り添おうとするルーズの言葉は、小さく頭を下げるズーケンの脳裏に渦巻く怨霊が、少し和らいだような気がした。
「ではズーケン殿、ここはひとつ、オリンクス殿のおりんの音色を聞いてみるのはどうだろうか。気持ちが落ち着くかもしれん」
「そうなのか?けど、なんか縁起でもねぇような気がすんだけどな」
「あら、そんなことないわ。確かにおりんはお仏壇とかお祓いとかで鳴らすけど、それは亡くなった人に思いを届けたり、悪い気を祓う為に鳴らすのよ。昔からおりんの音色は場を清め、心を浄化すると言われているから、むしろいいことなのよ」
「へぇ~初めて聞いたぜ。なら、やってみてもいいかもな」
トラウマに苦しむズーケンの為に知恵を絞ったバザルの提案に、アムベエは一瞬難色を示す。だが、ルーズからおりんを鳴らす意味を教わると考えを改めると同時に、思いもよらぬ形で思いもよらぬ謎が解明されるのだった。
「ルーズさんの言う通りさ。気休めになるかは分からないけど、試してみてくれないか?俺達は、少しでもズーケンの為に出来ることをしたいからね。気持ちばかりだけど、受け取ってくれるかい?」
「…ありがとう。みんな」
皆、今も怨霊の記憶に苦しむ親友の為に出来ることを、トラウマそのものを払拭してやれない自分達に出来るせめてものことをしてやりたい。怨霊はまだ脳裏から離れてはいなかったが、ズーケンは小さく頷き、親友達のせめてもの思いを受け取った。
「それじゃ、頼みます」
「では、失礼」
オリンクスに促されると、バザルはオリンクスの尾、メトリオリンのりん棒を持ち、いつもお経を唱えた後やお祓いした後に鳴らす感覚で、そっとメトリオリンを鳴らし、その清らかな音色を響かせた。
「なんだか、心が洗われるみたい…」
「久しぶりに聞いたけど、やっぱりいい音色ね…」
「…」
バザルとオリンクスによって一定のリズムで刻まれるその音色は、初めて耳にするカンタや以前聞いたことのあるルーズ、そして想像を絶するトラウマによって深傷を負い、今も後遺症に苦しむズーケンから怨霊の記憶を払い、その心を穏やかにせた。
「少しは、落ち着いた?」
「…はい」
「そう…良かった~」
心に怨霊が侵入した時よりもズーケンの顔つきが穏やかになっていたことから、彼がいつもの自分を取り戻したことをメトリン達は感じ取り、安堵していた。
「それは何より。では…」
おりんの清め効果があったことを受け、バザルは懐からいつも持ち歩いている小さなを取り出すと、メトリオリンの隣に並べ交互に鳴らし始めた。
「おいおい、縁起でもねぇってさっき俺言っただろ」
「これで更なる効果が見込めるかもしれん」
「な~に言っちゃってるのよ。それじゃいつもご先祖様に向けて鳴らしてるのと一緒じゃない」
「それに、さっきの倍の数のおりんを鳴らしたから、これがほんまのバイオリンですわ」
「ちょっとやだ~も~お上手~」
ズーケンの為とはいえ縁起も遠慮もないバザルに、アムベエもルーズも呆れ気味だったが、パチキチの冗談でそれが笑いへと変わった。
パチキチに向かって右手メトリンを始め皆可笑しそうに笑う中、ズーケンもまた皆と同じ様に自然と笑顔になっていた。この時、ズーケンの中にまだ微かに渦巻いていたマニヨウジは、パチキチの冗談によって吹き飛ばされていたのだ。