ダイ6時代 会えない理ユウ 向かい合うユウ気
バザルに腕を掴まれたままのユモルは、ケルベロ3兄弟と共に公園へやってきた。その公園はズーケン達の地域とは違い、ベンチの上に屋根が設置されており、5人はバザル、ユモル、ケルベロ三兄弟の順でL字に座る。
「では早速。まず、拙者の仲間が…たまたまお主の母上殿と出会い、お主のことを話したそうだ。それによれば、お主はあまり母上殿の見舞いに行かない上、来てもすぐに帰ってしまうそうだが、それは何故だ?お主が見舞いに来ない為に、彼女は寂しそうにしているそうだ」
「それは…」
バザルに顔を覗き込まれるユモルは、俯いたまま言葉を詰まらせてしまう。
「仕事で忙しいからとか、じゃないんですか?ほら、いつも俺達が学校へ行く時、ユモルさんいつも…そ、どこかしんどそうにして歩いていくところをよく見ますし」
「そーそー。ヨクリュー系って大体風に乗って滑空してくけど、おっちゃん下向いてトボトボ歩いてるよな」
「そうだ。言われてみれば…」
3兄弟はそれぞれ顔を見合わせた後、黙り込んだままのユモルに一斉に顔を向ける。ユモルのようなヨクリュー系のダイチュウ人は空を飛べる者が大半な為、移動の際はルベロが言ったように滑空する者が多い。ただ、ダイチュウ星では原則、飛行や滑空をする際は、落下や急な風の流れによる他のダイチュウ人との衝突や怪我等を避ける為、一定の高度が設けられている。
「確かに、仕事が忙しくてしんどいのもある。正直休みの日はもう疲れ切ってて身体が思うように動かない時もある。けど…それだけじゃなくて…その…」
声を震わせるユモルは、何かを言おうとしているが、口にすることをどこか恐れているようだ。それを察したバザルは、彼の右肩を力強く掴む。
「この際、言えずにいる思いがあるのなら、話した方が良い。全て吐き出すことで、今お主が抱えている苦しみを少しでも和らげることが出来るかもしれん。拙者は、お主とお主の母上の力になりたいのだ。その為にも、拙者に力を貸してくれ」
「…!」
ユモルは枝の様に細い右肩を掴まれた一瞬、重い痛みを感じた。だが、その力強さを感じる程バザルは自身の為に、母の為に、そして亡くなった父の為に本気で力になろうとしている。彼の力強い眼差しを見ていると、ユモルはいつの間にか、ゆっくりと頷いていた。
「話してくれるのか?恩に着る」
「え、あ…うん…」
すっかりバザルは、話してもらえる気になってくれる。彼の期待が籠った目力に見つめられると、ユモルはもう断るに断り切れなかった。
「僕…一昨年親父が亡くなってから、いつか母さんもいなくなってしまうんだって思うことが多くなってたんです。それでつい最近、母さんが余命宣告を受けて、あと一年しか生きられないって分かってから…僕はどうしたらいいか分からなくてしまって…」
「余命はあくまでも医師の推測に過ぎない。宣告より長く生きることもある。だが、宣告よりも短い時間しか生きられないこともある上、どの道長くは生きられない。なら、猶更今生きている内に会いに行くべきではないのか?」
「その通りなんです…。最初はよく通ってました。いつ母がいなくなってもおかしくないって思ったから、なるべく会って話そうって。けど、母さんに会う度に、母さんがどんどん弱っていく姿を見る度に、もうすぐいなくなってしまうんだって感じて、母さんに会うのが怖くなっちゃって…見舞いに、行ってあげられなくなってしまったんです…」
バザルの言うことは、ユモルも痛い程理解していた。だが、もうすぐ母が死ぬ。見舞いに行く度にその現実に直面していく内に、彼は見舞いに行くことが、母と向き合うことが出来なくなってしまったのだ。
「それに、母さんは旅行が好きで、親父が亡くなるまではよく3人で旅行に行ってたけど、親父が亡くなってからは一度も行ったことがなかった。いつかは連れていこうって思ってたんですけど、母さんの病気が見つかって、それどころじゃなくなったんです。僕は…母さんを旅行に連れていってあげることも、お嫁さんも孫も見せてあげることが出来ないまま、母さんに死なれてしまう…もう後悔ばっかりなんです…!」
「…」
母を喪うことへの恐怖と後悔を吐き出したユモルは、その勢いでモモンガのような両腕で頭を掻きむしる。なんと声をかけるべきか、ケルベロ三兄弟がそれぞれ顔を見合わせる中、バザルの答えは既に決まっていた。
「ならば、後悔をこれ以上増やさない為にも、なるべくたくさん母上に会いにいくべきだ」
「…ですよね」
やっぱり。予想通りの言葉が返ってきたユモルは、分かっていたとはいえ溜息をつく。答えはバザルと同じだったのだ。
「ユモル殿。母上殿の見舞いに行って、後悔したことが一度でもあったか?お主が見舞いに来て、母上殿は嫌な顔をしたか?もしこのままろくに顔を合わせないまま母上殿が亡くなったら、旅行に連れていかなかった、結婚する姿も孫も見せられなかった、それらよりもそもそも母上殿に会いに行こうとしなかったことを後悔するだろう。今のお主の行動は、自身により強い後悔を生むことになるのではないのか?」
「…!」
バザルの言葉に、ユモルは気付いた。ただでさえ母のことで後悔してばかりなのに、その母がもし明日にでも亡くなれば、間違いなく今まで母に会おうとしなかったことを後悔し、母から逃げていた自身を責め続けることになるだろう。その時が来た時のことを思うとユモルは、足元の草むらを見つめながら大きな不安にかられるのだった。
「母上殿が亡くなった時、お主は後悔するだろう。だが、それは誰もが同じで、拙者もそうだった。だが、後悔は減らすことが出来る。旅行や結婚は間に合わなくとも、今からでも間に合うこともある筈だ。悲観する気持ちは分かるが、今のお主に、今の母上殿の為に何が出来るのか、それを考えるべきではないだろうか?」
「今の俺に…出来ること…」
ユモルは必死に頭を絞るも、母を喪った時への不安が強い為か、思うように浮かばない。
「ユモルさん。まずは、お母さんに会いに行ってあげた方がいいと思います。会いにきてくれるだけで、お母さんは嬉しいと思いますし」
「そーそー。意外と話してるうちにやりてーこととか勝手にでてくるかもしんねーし、出なくても今すぐ会ってやった方がいーって」
「長く生きられない現実を突きつけられたことは、とても残酷だと思うが、まだ時間はある。今はその時間を大切にし、母さんが生きていることに感謝すべきだと思う。急に死なれてしまっては、一緒に過ごす時間もなければ感謝も伝えられない」
「…そうだよね。いくら考えてたって、会わないことには、何も始まらないよね」
ただの近所の中年でしかない自身に真っ直ぐ向き合ってくれる近所の少年達に、ユモルは重たかった心が軽くなり、同時に温かくなっていくのを感じた。特に、ベロンの言葉からは一際強い思いを感じた。また、何故彼らの言葉にここまで優しさと力が込められているのか、それにはある理由があった。
「俺達、祖母を亡くしてるんです。ある日突然急に倒れて、そのまま亡くなってしまったから、俺達も親も、祖母とは何も話せなかったんです。でもユモルさんには、まだお母さんとの時間がある。だからそれを大事にしてほしい…特にベロンは、その思いが強いんです。で、合ってるか?」
「まあ…ああ、合ってる」
「そっか」
ケルベは最後に、ベロンに振り向いて確認する。人と話すのが苦手な弟の思いを、きちんと汲みとれているか確認する為だ。その弟の生まれつき目つきが鋭く、不愛想に見える顔から感情は読み取れないが、弟が合ってると言うのなら正しいのだろう。ベロンには、自身には変に気を遣わず正直に言うよう伝えてあるからだ。そして、自身の気持ちを言葉にすることが苦手なベロンは、兄の解釈に安堵した。
「そうだったんだ…みんな、俺の為にありがとう。まだ、母さんの為に何が出来るか分からないけど…まず母さんに会いに行く。もう一度、母さんと向き合ってみるよ。会える内に」
「そうですか…それは良かったです」
ユモルは小さく頭を下げ、4人に感謝の気持ちを伝えた。下手すると親子ぐらい年が離れた少年達が、自身の為に尽力してくれたことにはもっと感謝を伝えたかった。が、先程より心は軽くなったとはいえ、まだ多くの不安が心を占めていた為、今は頭を下げることが精一杯だった。
「礼には及ばん。これもお主ら親子と、亡くなられた父上殿の為。未練となりそうなことは一つでも多く取り除くことには協力は惜しまぬ。もしまた何か困れば、ここを訪ねるといい。いつでも力になろう。相談は無料だ」
ユモルの心を多少は解せたことにバザルは懐の巾着袋から自身の名刺を取り出し、少しだけ表情が柔らかくなったユモルに差し出す。名刺には霊能の館 思んず~る所属僧侶 バザル と書かれている。
「あ、ありがとうございます…。あなたも、見ず知らずの僕の為にどうしてそこまで…」
「悩み苦しむ者がいるなら、見ず知らずも関係ない。それに、見ても知ってもいないのなら、相手を見て知ればいい。今回、お主のことを見て知ったことでお主の助けとなれたなら、幸い」
いつもの名刺交換ではまず見ないであろう肩書に少々戸惑うユモルだったが、バザルの熱く強い思いと共に確かに受け取った。
「それじゃ、僕はこれで。これから、母さんの見舞いに行ってきます」
「それがいい。お主なら大丈夫だ。気をつけていけ」
「はい。ありがとうございます。みんなも、ありがとう。おかげで元気が出たよ」
「お役に立てて、良かったです」「がんばれよー!」「応援してます」
ユモルは最後に、自身の為に助言をしてくれた4人に礼を言う。皆も最後に、それぞれ励ましの言葉を送る。去り際のユウディの顔は、最初のくたびれたような表情とは打って変わって、どこかすっきりしたような表情だった。
「さて…バザルさん。マニヨウジについて、色々話してくれませんか?」
「!」
蝙蝠のような両腕を広げたユモルが走り去った後、ケルベは彼がすっかり忘れていたことをバザルに問う。
「何故、それを聞こうとする?お主達にとって奴はとうの昔に滅んだ存在。今のお主達には関係のないのではないか?」
「いや、関係大ありなんです。マニヨウジは、滅んでなんかいなかった。信じられないかもしれないけど、俺達は奴と戦ったんです。俺達兄弟と、ズーケン達3人…そして、ダイナ装備っていう親友達と一緒に」
「!!」
ケルベの口からズーケンの名が出た時、バザルの目が少し見開く。次に、ダイナ装備という言葉が出た時、その目はまさに開眼といった具合に大きく見開かれた。
「お主ら、ズーケン殿を知っているのか?それに…ダイナ装備と言ったな⁉何故それを知っている⁉」
「うおっ⁉」
ダイナ装備のことを問う際、バザルはケルベと鼻先がつく程顔を一気に近づけた。
「いやちけーなおっさん!」
「ニュージーランドか」
「んだそれ?」
見知らぬ僧侶に兄が鼻をこすられた。ベロンの予想外の一言に、ルベロは右を向く。
「地球のニュージーランドでは、互いの鼻をこすり合わせて挨拶するらしい」
「マジか」
地球の豆知識を得たところで、ルベロは弟と共に地球の挨拶を交わした二人に顔を戻す。
「すまん。勢い誤った」
「あ、いや…全然」
流石に初対面相手には過激だと思ったのか、バザルは直ちに顔を引っ込める。相手が相手なら警察のお世話になっていたかもしれない。バザルは、内心大ごとにしなかったケルベに感謝していた。
「それより、ズーケンのことを知ってるんですか?ダイナ装備のことも」
「つい最近知り合ったばかりだ。マニヨウジとの戦いについては、ズーケン殿達から聞いている。彼らと共に戦った親友というのは、お主達のことだったのか。なら、マニヨウジの復活について話してもよいが…いいのか?」
マニヨウジとの戦いは、ズーケン達から聞くだけでも想像を絶するものであり、少年達は特に心に深い傷を負った。特にズーケンは、マニヨウジが憑依していたバウソーを見る度に恐怖が再燃してしまう程のトラウマを抱えてしまっている。バザルは彼らも同じ様にトラウマを抱えていると考え、マニヨウジのことを話し、彼らの傷ついた心をさらに傷つけてしまうことを懸念したのだ。
「…いいんです。マニヨウジがもしまた復活するようなことがあれば、俺は放っておけないんです。絶対に…マニヨウジだけは止めないといけないんです…」
ケルベは一度目を閉じ、一息ついてから答えた。あの時味わった、自身や、兄弟が、親友達が殺されてしまうかもしれない恐怖は、もう誰にも味わってほしくない。
「俺も。思い出したかねーけど、兄貴一人だけに全部投げんのもちげーしさ」
「俺も同じ。奴とは二度と関わりたくないが、奴がまた誰かを苦しめているなら、俺は絶対に奴を止める」
声を震わせるケルベと視線が揃って下を向くルベロとベロンには、バザルが思った通りマニヨウジによって心に深い傷を負い、その恐怖は今も残っていることが伺える。
「そうか…。だが、無理はしなくていい」
マニヨウジとの戦いについては、ズーケン達から既に聞いている為、彼らから聞く必要はない。バザルは自身が知っていることを、彼らの様子を見ながら話すことにした。
とある病室のドアが、ゆっくり開かれる。その来客に、ベッドに横たわる翼竜の老婆は上半身をゆっくり起こす。
「来てくれたのね…ユモル」
「母さん…」
およそ一か月ぶりの息子の見舞いに笑みを浮かべる母親に対し、息子であるユモルは、どこか辛そうだ。
「母さん…ごめん。最近、ちゃんと見舞いに来てやれなくて…」
「いいのよ。気にしないで。私は、ユモルが元気でいてくれるだけで十分だから」
「ごめん…ごめん…」
会いに来て早々謝る、今にも泣きだしそうな息子に、母は優しく微笑む。母の顔を見た瞬間、会おうとしなかったことへの罪悪感、もうすぐ死なれてしまう恐怖、そして、まだ母が生きていることへの安堵が溢れ出す。
「俺…俺さ、母さんが余命宣告を受けた時、すごいショックで、信じられなくて…最初は、母さんが生きている内にいっぱい会っておこうって思ったから、いっぱい会いに来た。でも…会っていく内に母さんが、俺の前からいなくなっちゃうことが怖くなっちゃって…それで…母さんから、逃げちゃったんだ…!」
ユモルは抱えていた思いを吐き出していく内に、向き合う為に会いに来た筈の母から顔を背けてしまっていた。
「それに俺、母さんがお嫁さんが見たい、孫の顔が見たい、また旅行に行きたいって言ってたのに、もうどれも叶えてあげられないんだって思ったら、俺苦しくて苦しくて…」
仕事に苦労しながらもやりがいを見出し打ち込むあまり、母の願いがいつの間にか後回しになっていた。当時は余裕がなかったとはいえ、どうにか家族の為に時間を割くことが出来たのではないか。今となっては考えても仕方がないことだが、それでも後悔が過ってしまうのだった。
「そうだったんだね…ごめんよ。私もユモルがそこまで思い詰めてたなんて知らなくて…。仕事で大変なのに、あなたの気持ちも考えずにわがままばっかり言っちゃったね…」
何気なく発していた自分の言葉が、望みが、いつの間にか子供に重圧を与えていたのかもしれない。母の懺悔を聞くユモルの瞼に、より力が入る。
「…いや、いいんだよ。俺だって結婚したいし子供だって欲しいし、家族旅行だって楽しかった。だから…どれも、もっと早く出来たら良かったって思ってる。けど…仕事を言い訳にして、全部後回しにしちゃったこと…ずっと後悔してるんだ…!」
仕事に追われる日々の中、最初は目の前のことをこなすのにしがみつくのに精一杯だった。慌ただしい毎日の中でも、いつか結婚も子供も、両親と旅行も出来るだろう。なんとなくそう思っていた。だが、そのいつかはもう訪れない。ろくに親孝行も出来ないまま、父だけでなく母も喪ってしまう。その恐怖と後悔が溢れて止まらないユモルは、いつの間にか母のベッドにしがみき、泣き崩れていた。
「…そっか。そうだったんだね…」
母は、シーツに顔を埋める我が子をそっと撫でる。彼女は、息子がまだ幼かった頃、彼が買ってあげたばかりのおもちゃを壊してしまった時のことを思い出していた。
「お仕事、ずっと頑張ってたもんね。大変だったでしょう?」
「まあね…でも、やりがいはあるよ。最初は慣れるまで大変だったけど、今の仕事に出会えて良かったって思ってるし、ずっと続けていきたいと思ってるよ。出世は…分かんないけどさ、俺は別に出来なくてもいいから、定年まで、定年過ぎてもずっとやっていきたいって思えるぐらい好きなんだ…」
「そう…」
シーツに顔を埋めたまま、声が涙ぐんだままユモルは話す。苦労も多かったが、慣れていく内にこなしていく内に、最後はやりがいを持った仕事になったことを。母親は目に涙を滲ませ、安心したように微笑む。
「ユモル。私のことは、何も気にしないでいいからね。あなたが結婚しなくても、孫がいなくても、旅行に行けなくてもあなたが幸せなら、ユモルさえ生きていてくれるなら、それでいいから。それにあなたは、優しい子に育ってくれた。社会に出て、真面目に働いて、人様の役に立って、一生懸命生きている。元気でいてくれる。それだけでもう十分なのよ」
息子が幼い頃、その将来に様々な期待を膨らませた。だが、最後に望んだのは、我が子の幸せだった。それがどんな形であれ、自分なりの幸せを掴んでくれればそれで良い。今、息子は望んだもの全てを手に入れたわけではないが、それなりの幸せを感じながら社会の中で懸命に生きている。それを知れただけでも母親は安心出来た。
「それに、私の為にユモルが泣いてくれるなら、ユモルにとって良い母親で、あなたに愛されていたってことよね。私が先にいなくなるということは、私がいなくなるまでユモルが生きていてくれたってことだから…お父さんのところにいく前に、ユモルの気持ちが聞けて嬉しかったよ。ありがとう…私達の子供になってくれて。お父さんもきっと、そう思ってるよ」
「母さん…!」
母親としての自分が、子供からどのように映っていたのか。これまで子供の為を思ってしてきたことは正しかったのか。今思えば、間違えてしまうこともあった。だが、近い内に世を去るであろう自身の為に見舞いに訪れ目の間で号泣する姿を見ていると、その答え合わせがやっと出来たような気がした。
この日、ユモルは母と、亡き父含めた家族との思い出を時間が許す限り語り合った。
幼少期。買ってもらったばかりのおもちゃを誤って壊してしまい、大泣きしてしまったこと。すると父から、おもちゃを二度と壊さないよう大事にし、それ以上に人を大事にすること。人との関係が一度壊れてしまえば、そのおもちゃのように二度と元には戻らないと教えられたこと。当時はおもちゃを丁寧に扱うことしか分からなかったが、今思えば子供の内に大人になっても大事なことを教えてくれていたのだと、改めて父の愛情深さを感じた。
少年期。勉強せず遊んでばかりだったからか、成績はいつも下位だった。だが、両親は特に何も言わなかった。周りの友人達は耳にタコが出来る程言われているのに、何故自身だけ何も言われないのか。気になって両親に聞いたことがあった。勉強が苦手でも、自分が誇れるものを持てればそれでいい、とのことだった。ただ、社会人になった時に困るといけないので、せめて人並みに出来るようにはなれと忠告は受けた。母曰く、当時はもうちょっと勉強してほしかったらしい。ユモル自身も、もっと勉強しておけば良かったと振り返っていた。
青年期。反抗期真っ只中、両親との会話が減り進路のことや口論になることも多々あった。だが、毎日食事を作ってくれた母と、一生懸命働き生活を支え続けてくれた父には内心感謝していた。今思えは、一時母の手作り弁当ではなく、購買の弁当に夢中になっていた時期が悔やまれる。もっと母の味を食べておけば良かったと後悔の念を伝えると、母親は嬉しそうに笑っていた。自分を育ててくれた母の味は、今となっては二度と味わえない、愛情と幸せの象徴だったのだ。
壮年期。就職し、職場が家から近いこともあって実家から通勤するようになった。ある時、周りは一人暮らしている者が多く実家から通っている自身に否定的な意見が多かった。それをきっかけに、親元を離れない自身のことをどう思っているのか、両親に聞いたことがあった。すると両親は、いてくれるだけで頼もしい上、家事もこなしてお金を入れてくれるので、何も言うことはないと答えた。そのおかげで、今日まで何も引け目を感じなくなった。父が亡くなった後は、遺された母を1人にしておけない、母と一緒にいたいという思いもあり、自身は家にいるべきだと思った。改めてそれを伝えると、母親は嬉しそうに笑った。
そして今、ユモルは思った。思い返せば後悔ばかりだ。だが、母にとってはいい思い出となっているらしい。勿論母も後悔しているところはあるだろうが、その後悔を活かして今まで生きてきたのだろう。自分だってそうだ。後悔があるからこそ、そこから学び得たものもあるだろう。どれも今となってはいい思い出…だと思いたい。きっと、母がなくなればもっと後悔することになるだろう。だが、今日母に会ったことで、母が喜んでくれたおかげで、もしかしたら抱えることになったかもしれない後悔を少し減らせた気がする。明日は仕事だが、母が喜んでくれるなら、たとえ疲れ果てていても顔を出そうと決めるのだった。
「あなたとまたこうして会えて話せるなんて、夢みたいだわ…」
およそ数か月ぶりに見舞いにやってきた息子と、親子の最後の時間を終えた日の夜、彼女は一昨年亡くなった夫との再会を果たした。
「色んな意味で、間に合って良かったよ。お前がみんなが思ってるより長く生きられないのに、あいつ全然お前に会いに行かないからさ。けど、最後の最後でユモルがお前に会いに来てくれて安心したよ。それに、実はちょっとしたアクシデントがあって、危うくお前のお迎えに間に合わないところだったよ」
「何か、あったの?」
「あ、いや、ちょっとね…。とにかく、これでもう思い残すことはないよ」
余命宣告された妻は、余命よりも早く亡くなってしまう為、息子にはなるべく母親である自身の妻と、残された家族の僅かな時間を、親子の最後の時間を大事にしてほしかったのだ。しかし、その思いの強さ故に未練となり、強力な負のエネルギーを生み出していたことにより、復活を目論む怨霊に利用されてしまったことは一旦置いておくことにした。
「それにしても、ユモルも大きくなったよな~。この頃の俺にそっくりだよ」
「そうねぇ。あんなにちっちゃかったユモルが今じゃ…ちょっと大きすぎるところもあるけど、立派になったわね」
二人は、かつて生涯を共にした場所で、授かった命がいびきをかく様を微笑ましく見守っている。息を吸う度に膨らむ、彼の父親譲りの少々肥満気味の腹部は、早食い食べ過ぎ運動不足等によるものである。
「痩せると思うか?」
「あなたに似たなら、もっと大きくなるわね」
「だよな~。ユモル、痩せないとあとで大変なことになるからな」
彼が患った病は、不健康な食生活や運動不足等、生活習慣によるものが要因だった。彼は苦笑いしながらその象徴となる腹部を片手で、もう片方の手で息子の腹部もさする。
「思えば…お前にも随分迷惑をかけたな…。俺と同じで仕事が忙しかったのに、家のこととか、特にユモルのことは最後は結局お前に助けられてばっかりだったな…」
「何言ってるの。元々私は、あなたは一生懸命仕事を頑張ってたし、周りの人達にも気配り。そんなあなただから、こうしてあなたと一生を共にしたんじゃない。それに、家庭のことも、あなたなりに努力してたの分かってるわよ。私だって、あなたには何度も助けられたわ」
二人は職場結婚し、その後一人息子のユモルを授かった。ユモルが保育園に入ると、妻は職場復帰し、夫と共働きしながら育児に励んだ。だが、ユモルの成績不振同級生とのトラブル進路等育児に関して妻が口うるさくする一方、夫はよくも悪くも干渉しない父親であった。ただ、妻と息子が口論の果て不仲になると、夫は妻と息子それぞれと話し合い、間に入ることもあった。息子と気持ちがすれ違ってしまった時、感情的になりやすい自身の代わりにその思いを伝え、仲を取り持ってくれたことを妻はよく理解していた。そして、息子であるユモルもまた、いつも家では寝転がってばかりの父が、大事な時はちゃんと寄り添ってくれることを分かっていたのだ。
「まあ、家事の苦労と私のことについても、もうちょっと理解してくれたら…とは内心思ってたけどね」
「う…わるい」
「いいのよ。あなたも私も、完璧じゃないから」
仕事熱心で家族思いな夫ではあったが、家事と女心だけは理解に苦しんだようだ。夫は頭を掻きながら顔を引きつらせるものの、妻は、夫だけでなく自身にも欠けているところがあり、きっと彼もそれを受け入れてくれているのだと解釈していたのだ。因みに、夫の方は妻に欠点も不満も感じてはいなかった。
「あなた…ユモルは、この先やっていけるかしら。ほら、この子将来のこととかについて何にも考えてないし、夢もなければ恋人とかも頭にないじゃない?」
「まあ俺も生きてた頃は、その辺のことは気がかりだったけど、別に夢も彼女も子供もなくても、こいつさえ元気でいてくれればいいって今は思ってるよ。まあ人生何が起こるか分からないから、ある程度準備はしててほしいけどさ。何も考えていなくても、イヤでも向き合わなきゃいけない時だってあるさ。それこそ、親との別れとかな」
かつて経験した親との死別。二人共、その時を迎えるとは思ってもみなかったが、親も年を取り、いつかいなくなることを、そしてそれは親となった自分達も同じであることを改めて認識した。そしてその息子ユモルも一昨年、初めて親との別れを経験し、いつか母との別れがやってくることも、嫌でも突きつけられた。しかし、彼がいびきをかいている間に、母親との別れが既に訪れていたことを、彼はまだ
「ま、今一番心配すべきは健康面だろうな。今のところは特に大きな病気はしてないけど、このままだと多分…」
「そうね…」
顔だけでなく腹も似たか。妻が苦笑いする中、彼は自身の似た顔の息子の、瓜二つの腹を軽くさする。不摂生の結果とはいえ、親子であることを感じるのだった。ただ、このままでは自身と同じ末路を辿るだろう。
「ねぇあなた…私達の子育てって、正しかったのかしら?」
「どうしたんだ急に?」
溜息混じりに呟く彼女は、いびきをかきながら寝返りを打つ息子が、生まれた時から今日までの日々を思い返していた。
「ほら、あの時怒り過ぎたんじゃないかとか、もっとビシッと言えば良かったんじゃないかとか…入院している間、私の教育が正しかったのかどうか…気になっちゃって。ユモルは学歴とか、これといった特技とかも持ってない。もっと勉強させたり色んなことを経験させた方が、あの子の為になったんじゃないかって」
今の息子の、夢も希望も異性にもモテず、ただひたすら会社と自宅を往復し、休日は家に籠る生活を見守ってきた彼女は、彼の将来が不安だった。そしてそれは、死後も変わらずであった。
「そっか…俺も生きてた頃は正直思ったよ。俺は子供の成績とか進路とかには基本口出ししなかったけど、後になってあん時もっと勉強させてもよかったかなって何度か思ったよ。けど、大体子供に勉強しろっていって勉強するかといったらそうでもなさそうだし、あの時期は難しいから何言っても無駄か逆効果だっただろうって若干開き直ってるよ。むしろ俺の方が子供の頃もっと勉強して、あいつに教えられたら良かったんじゃないかとか色々考えたけど、もう考えたってしょうがないしな。俺の父親としての接し方が正しかったのかどうかは分からないけど、間違ってなかったのは確かだよ。だって、あんなにお前の見舞いに行きたがらなかったのに、最後の最後にお前の為に来てくれたじゃないか。ユモルは、優しい子になったよ」
「そうね…。昔から、私達には優しかったもんね。正直、もっと会いに来てほしかったけど…まあギリギリセーフね」
母親としての本音は、息子にはもっと会いに来てほしかった上もっと話したかったが、最後の最後に親子の時間を過ごせただけでも、御の字と捉えていた。
「ユモルには優秀な学歴もなければ、恋人も家族も、今はいない。でも、人には恵まれてる。基本家にずっといるけど、たまに学生時代の友達が遊びに来るし、会社でも上から下からも頼りにされて、近所の小さな子供達にも慕われてる。こいつのことを気にかけてくれる人達がたくさんいるんだよ。気の小さいところもあるけど、ユモルは人に愛される子なんだ。ユモルにだって、気にかけてくれる人達のような優しさを持っている。それがある限り、ユモルは大丈夫だよ」
息子には、世間が目を引くようなこれといった要素はないのかもしれない。だが、息子を気にかけ、信頼し、慕う人達がいる。その人達との繋がりがある限り、息子は生きていけるだろう。
「特に、あの子達には俺も助けてもらったんだ。だから、今の俺がユモルに健康と幸せ以外に望むことがあるとしたら、俺の分まで彼らに恩返ししてほしいなぁ。あの子達はきっといいご近所さんになるし、あの子達にとってもユモルがいい近所のおじさんになってくれたら、俺も嬉しいかな」
妻と子を思うが故の未練から生まれた負のエネルギーを利用し、復活を目論むマニヨウジから救い出してくれたことに、彼は深い恩を感じていた。生きてさえいればお菓子でもおもちゃでも贈呈しただろう。
「そうそう。私の葬式のお坊さんも、あなたの時と同じバザルさんか、わざわざお芝居して私のところに来たパチキチさんにしてほしいわね。バザルさんはぶっきらぼうだったけど、あなたを喪ったばかりの私達の心に寄り添ってくれる、真面目で優しい誠意のある人だったわ。パチキチさんも、バザルさんとは真逆で話し上手だからどこか白々しい感じもしたけど、言葉にはちゃんと心が籠っていたのは感じたわ」
マニヨウジの復活を防ぐ目的を持って接触してきたパチキチに対しては、その真意を知らずとも内心少々胡散臭さをはいた。しかし、彼女は自身の息子が見舞いに来ない寂しさや、そんな自分に言い聞かせようとしているその心情に理解を示すパチキチから、誠意も感じ取っていたのだ。パチキチもまた、本来の目的である彼女の夫が抱える未練のヒントを聞き出すことを抜きにしても、パチキチなりに彼女の孤独の心に寄り添おうとしていたのだ。
「そうだな。お坊さんから小さなご近所さんが俺達家族の為に頑張ってくれたおかげで、ユモルも見舞いに来たし、俺の唯一の気がかりだったお前とユモルも最後に話せたし。じゃなかったら、お前も俺と一緒に未練抱えてこの世を彷徨ってたかもな。俺達、皆に感謝しないとな。お坊さんに至っては夫婦揃って、葬式まで世話になるかもしれないしさ」
葬式に関してはまだ未定だが、少なくとも息子ならバザルに頼んでくれるだろうとひそかに期待を寄せていた。
「さて、ユモルは、健康に産まれてきてくれて、今日まで大きな病気にかかることもひと様に大迷惑をかけることもなく生きてきた。俺からしてみればこいつは宝で誇りだけど…」
いびきをかく二人の宝にして誇りは突如、喉に何かを詰まらせたかのような声を上げ、そのいびきが止む。その後数秒間の静寂が訪れると、再びいびきをかき始める。
「…ちょっとやばいかもな」
「気付けるかしら?あなたと全く同じよ」
「なにもそこまで似なくても…さっさと病院行ってくれよ」
どこまでも父親似の息子の、命に関わる問題を前に、二人は揃って眉間にしわを寄せる。翌日にでも受診してほしいぐらいだ。
「ま、何があろうと、俺達は見守るだけだよ。この子を、ユモルを…ありがとな。俺達の子に生まれてきてくれて。俺はお前のお父さんになれて、幸せだったよ。またな」
「ユモル…私達の子に生まれてきてくれて、今まで一緒にいてくれてありがとう。まだまだ心配なところばっかりだけど、頑張るのよ。私達、いつまでも見守ってるからね」
二人は最後に、今も眠る我が子に別れを告げ、優しい笑顔を浮かべると、その場からゆっくりと消えていった。それから数秒後、再びユモルの呼吸が止まる。
「親父…お袋…」
そう呟くと、ユモルの閉じた眼から一筋の涙が流れ、また彼のいびきが部屋中に響き渡るのだった。
翌朝。ユモルの母親は、息を引き取っていた。その知らせを受話器から受けたユモルは泣き崩れた。もっと会いに行けばよかった、話しておけばよかった、強過ぎる程の後悔が一気に押し寄せた。だが、母は眠っているような穏やかな表情であったことから、苦しむことなく旅立ったとされていること、息子が見舞いに来たことを嬉しそうに話していたこと、その時のことを話す母が、入院生活の中であれ程楽しそうな笑顔は初めて見たことを伝えられた。それを聞けただけでも、深い悲しみに見舞われる中、少しだけ心が救われたような気がした。
ユモルは受話器を置いて一人泣き続ける一方、昨日母に会いに行って良かったと心から安堵していた。もし昨日、母の見舞いに行かなかったら…そう考えるだけで身体が震える感覚を覚えた。あの時背中を押してくれた見知らぬ僧侶と近所の少年達には、感謝してもしきれないだろう。母の葬儀は、バザルに頼もう。むしろ、彼に来てほしい。何故だか突然、そう思った。その方が喜んでくれるとふと思ったからだ。そんなことを考えながらユモルは、無意識の内にかつて両親が過ごした部屋に入る。やっぱり、涙が溢れ出す。今日は何も出来そうにない。ユモルは今日一日、両親の部屋で泣き続け、その悲しみに浸ることにした。今の自身には、気が済むまで、涙が枯れ果てるまで泣くことしか出来ないだろう。
ユモルは、どれだけ泣き続けたか分からなかった。最早涙も枯れ果てた夜、部屋に戻ったユモルはあることに気付く。いつもと何も変わらない筈の部屋が、何故だか温かく感じたのだ。まるで子供の頃家に帰ってきた時、笑顔で出迎える母と床に寝転ぶ父がいた頃を思い出して懐かしくも温かく、そして切ない気持ちになった時と同じだ。枯れた筈の涙が、また溢れてきた。両親と会うことも話すことは叶わなくなったが、両親は、案外近くにいるのかもしれない。