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ダイノキョウリュウ2 ユウ者達のいえない傷と揺るがない絆  作者: タイガン


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11/11

ダイ11時代 決断の時 ユウ断であれ

亡き妻の魂が宿ったであろう傘がどこへ行ったのか。ユーリには思い当たる節があった。そこへ無我夢中で目指し泳ぎ進む彼は、辿り着く。

「やっぱり…ここにいたんだな…。ここに来たってことは…やっぱり、ユリなんだよな…。ここは、僕達にとって忘れられない場所だからな…」

そこは、生前作業員であった妻が命懸けで開通に携わっていた、ユーリ達肺呼吸のダイチュウ人とえら呼吸ののダイチュウ人の世界を繋ぐ海中トンネル、そこで起きた崩落事故によって彼女が命を落とした場所だった。今はメンテナンス中の為閉鎖されているが、ユーリは無我夢中で彼女を追いかけていく内に、いつの間にか立ち入り禁止の看板を越えてしまっていた。そして今、息切れを起こす彼の目の前には、紫の炎を纏い宙に浮く傘がある。

「ユリ…もしユリなら…僕、嬉しいよ」

死んだ妻が目の前に現れた。妻との再会を何度夢見たユーリの叶う筈のないその願いは、想像もつかない形で実現された。妻の魂が傘に宿っているという衝撃的な光景に対する戸惑いもあったが、それでも妻に会えたことへの喜びや嬉しさも大きかった。今ユーリの脳裏には、彼女と過ごした日々が、懐かしい思い出達が片っ端から流れ込んでいる。

「今でも覚えてるよ。ユリと最初に会ったのは、お前の勤め先に俺が営業で行って、会社から出たところをユリがいきなり声をかけてきたんだよな。あの時はびっくりしたよ」

あなた、名前は?

そうユーリさんって言うの?あたしと名前そっくりですね!

え?あたし?あたしユリって言います。ここで作業員やってるんです!

また、会社に来ます?

そうですか!良かった~!じゃあ来たらまた声かけてくださいね!

当時自身に一目惚し、両手足のヒレを激しく上下に動かしながら猛アプローチするユリノに、ユーリはただただその勢いに唖然とするのだった。

「それから僕が会社に行く度にユリは話しかけてきてさ、次に会った時にはユリの勢いに押されて連絡先も交換した。それ以来ほぼ毎日やり取りしてたけど、僕が一日返さなかった時の次の日なんかもうメッセージと電話の嵐で…最初はすごく戸惑ったよ…」

ユーリさん、何かあったんですか?

病気とかしてないですか?

病気してるなら何か持っていきましょうか?

それとも…あたし、なんか言いましたか?

もしそうだったらごめんなさい…直します…

全力で直すよう検討します…

ダイチュウ星にも、携帯電話のような端末は存在する。ただし、ズーケンの様に手に持って操作をすることが難しい種族には、それぞれに合った端末を身につけている。ユーリ達のような両手がヒレのダイチュウ人の場合は腕時計のようなものをつけ、画面を押すと目前にスクリーン、文字入力の際は手元にキーボードの画面が表示される。

「勢いはあるけど意外と繊細で、正直どう接したらいいのか困ったけど…でも、僕のことを本気で考えてくれてるんだってことは分かったし、悪い人じゃないのは分かってたよ。こんなに僕のことを大事におもってくれてるユリのことを大事にしたいって思えるようになったんだ」

ユリに対しユーリはこう返した。仕事が忙しく返事をするのも難しい時はありますが、ユリさんのメッセージはちゃんと読んでますし、元気でやってます。だから僕の心配はせず、ユリさん自身のことを専念して、お体に気をつけながら頑張ってください。

この内容を送って数分後、ユリから感謝感激メッセージの雨霰が訪れたそうな。

「僕達が付き合うきっかけになったのは、ユリが体調崩したことだったよな…。あれだけ毎日来てたメッセージが突然途絶えて、珍しく僕から送ったら風邪引きました、無念です…ってきて、悪いけどちょっと笑っちゃったよ」

ユリが体調を崩すまでは、ユリから一方的に送られてくるメッセージを返すことが多かったユーリだったが、これを機にユーリ自身からメッセージを送るようになったという。また、ユーリから自発的に送られてくるメッセージのおかげか、ユリの体調は二日で回復したらしい。

「ユリの体調が戻った頃、丁度営業でユリの勤め先に行って顔を見せたら、病み上がりとは思えないぐらいすっかり元気になって出迎えてくれたよな。そしたらユリの隣にいた会社の人がデートでもしてあげてって言うから断るわけにもいかなくて、それで初めてデートすることになったんだよな」

この時、ユーリは営業先を出たタイミングで丁度作業現場から戻ってきた時ユリと鉢合わせし、ユリはユーリの顔を見るなりいきなり抱きついた。また彼女の隣にいた友人の女性作業員二人は、大いに盛り上がったそうだ。因みにこの二人は、ユーリとユリが付き合うことになったデートを終始陰から覗き見しており、ユリはいつもデートが決まると、毎回この二人に話していたのだ。

「初デートが決まったはいいけど、今までデートしたことなかった僕はどうしたらいいか分かんなかったから、友人や会社の人達に聞いたりして必死でデートプラン組んだよ。当日は最初から不安だったけど、ユリは何処に行っても何やっても喜んでくれてたから大丈夫だろうって思えた。けど、やっぱり心配になってデートの帰りにユリに、楽しかったかって聞いたら、ユリは僕と一緒にいられるだけで楽しいから、僕も楽しんでくれたらもっと嬉しいって言ってくれた。その言葉を聞いた途端、一気に気持ちが楽になったよ」

悩みに悩み頭を捻りに捻らせた結果、ユーリの初デートプランは、まず喫茶店で軽くお茶をし、映画を見に行き、少々洒落たレストランで食事、食後の運動兼ねて公園で散歩し、夕方に解散…というものだった。当時ユーリは、ユリの言葉を聞くまでは彼女が楽しんでいるかどうかばかりに気を取られていた。だが、ユリの望みは自身だけでなくユーリも楽しむことだった。そのことに気付いたユーリは、心が軽くなるのを感じたと同時に、もっとユリを楽しませたい、そんな思いが生まれていたのだ。因みに、二人の初デートは、ユーリにデートを持ちかけたユリの友人達もこっそり様子を見に来ており、初デートにぎこちないユーリと、久しぶりのデートに浮かれっぱなしのユリを微笑ましく終始見守っていた。

「それからデートする時は、もっとユリに楽しんでほしいからなるべくユリの希望を聞くようにしたんだ。僕は、ユリさえ楽しんでくれればそれでいいからさ。けど、たまに遊びに行く場所から食事の場所、そこで頼む料理も全部ユリが選んでた時があった時はびっくりしたけど、あれはあれで楽しかったよ」

ユーリは苦笑いしながら甘い思い出を懐かしそうに語った。因みに、彼女がデートプランを組み立てる一番の理由は、元彼との思い出を塗り替える為であった。そのことをユーリは知る由もない。

「付き合ってから結婚までは早かったよな。2年経ってるかどうか…というか付き合って一週間もたたない内に僕を両親に会わせたよな。それで今度は僕の両親に会わせろって言い出してさ…まあ、互いに両親から歓迎されたから、結婚しても大丈夫だなって思ったよ」

(やだぁ~あんたいい男連れて来たわね~!)

(でしょでしょ~!)

(ちょっと私の時と同じやるわね~!)

(まあ…娘についていくのは大変だと思うけど、優しい子だから、よろしく頼むよ)

(は、はい…)

ユリの母親は、ユリそのものと言っていいぐらい、ユリの父親は、ユーリそのものと言っていいぐらいだった。要は、今のユーリとユリの関係そのものであった。

(初めましてお義父様、お義母様!この度、息子様のユーリさんとお付き合いすることになりました!ユリです!よろしくお願いします!)

(((…)))

ユーリの両親は最初、ユリのあまりのテンションの高さに揃って口を開けていた。だが、次にユリの口から語られたのは、ユーリという男がどれだけ素晴らしいか、というまるでプレゼンのようだった。プレゼン対象であるユーリの両親とプレゼンされるユーリ本人は唖然としていたが、彼の両親はそれを聞いていく内に、彼女が礼儀と息子への思いを持ち合わせていることを理解し、息子の恋人として、後の妻として彼女を受け入れた。

「リノを授かった時は…本当に嬉しかったよな。二人で踊り出す程大喜びして、僕達の両親もすごく喜んで、ユリの両親は僕達みたいに踊ってたな。リノの出産の時は僕も立ち会ったけど、想像以上に壮絶だったよ。ユリが死んじゃうんじゃないかってとても怖かったし、リノが無事に生まれてこられるかすごく不安だった。でも、やっとリノが生まれてきてくれた時は、今まで生きて来た中で一番嬉しかった。ユリが無事だったことも心からほっとしたし、大きな産声を上げて泣くリノが…すごく愛おしかった」

ユーリ夫婦にとって初めての出産は、想像を超えた想像を絶するものだった。妻から喉が張り裂けそうな程聞いたことのない絶叫が上がり、妻の下半身からは血が溢れ続けていた。そのあまりの壮絶な光景にユーリは、子供が生まれてくる以前に妻が命を落としてしまうのではないか、妻も子も喪ってしまうのではないか、そんな恐怖が終始過っていた。だがそれも、血の海から顔を出し、助産師達に取り上げられ大きな産声を上げた娘が見えた瞬間、終わりを告げた。ユーリの、妻と子を喪うかもしれない恐怖は、娘の誕生と妻の無事をその目で確認した瞬間、全身から溢れ出す喜びと全身から力が抜ける程の安心が同時にやってきた。因みに、ギョリュー系のダイチュウ人は魚竜と同じく胎生である。

「元気に生まれてきてくれたのはいいけど、その後は本当に大変だったよな。リノはよく泣く子で、夜泣きも凄くて朝から疲れ切ってることも多かったよな。何もかもが初めてだらけのことで何もかもがリノ中心になって、お互いリノのことでいつも疲れててさ…。でも、リノはよく泣く子だったけどよく笑う子でもあったから、どんなに疲れ果ててもあの子が無邪気に笑うところを見ると、それも全部忘れて僕達も笑顔になれたし、クタクタな筈の体でも仕事も育児も頑張れた。当時はとても大変だったけど、今思えばそれ以上にリノには元気を貰えてたし、幸せだったよ」

リノは二人にとって初めての子供であり、同時に初めての子育てが始まった。泣けばあやしたりミルクをあげたり、おむつ替えから寝かしつけ等々初めてのことだらけ且分からないことだらけで、朝から晩まで目が離せないリノのことで生活も頭の中もいっぱいになっていた。生活から頭の中まで、リノでいっぱいになった。一日中目が離せない愛娘は夜はろくに寝付けず、朝から疲れ切っている日々が続いた。因みに、ギョリュー系のダイチュウ人達の赤子も哺乳瓶からミルクを飲むが、人間のような哺乳類ではない為母乳を飲まない為、哺乳瓶の先はストローのような形状となっている。

「ゆりかごの中でジタバタしてたリノが、気が付けば泳ぎ回るようになって、ちょっとずつ言葉を覚えるようになった。ユリが最初に言った言葉も覚えてるか?ユ…リ…って言ったんだよ。あの時は二人で飛び上がるぐらい喜んだよな。けど、その後すぐどっちの名前言ったんだって二人で言い合いになって、ユリが子供みたいにあたしだって言い張るから結局僕が譲ったけど、内心僕の方だったんじゃないかって今でも思ってるよ」

リノが名前を言ったのはどちらだったのか、これ以上ユリと言い合っても何にもならない。内心譲る気はなかったユーリだったが、このままだと日が暮れる為自身が折れることにしたのだ。結婚とは時に、妥協なのだ。当時を振り返り苦笑いするユーリは、あの時ユリが口にしたのは自分だとあれだけ意地を張っていたが、今となってはユリでも良かったと思えた。これ以上娘との思い出が増えることのない妻に、一つでもいい思い出を残してあげたかったからだ。

「子育ても大変だったけど、手を貸してくれる人だっていたよな。子育てが始まった頃は、子育て初心者の僕達だけじゃ大変だからって、ユリのお義母さんが家まで来て子育てについて色々教えてくれたよな。僕が仕事復帰すると、僕が家に帰ってくるまでの間はユリの実家でリノの面倒を見てくれて…すごく助けられた。それに、二人共言ってくれたよな。子供は親が育てるけど、親だけが育てるわけじゃない。子供はみんなで育てるんだって。周りの人の手を借りて、色んな人達と触れ合って大きくなっていくんだ、俺達もそうだったんだって。だから、どんどん甘えて頼っていいって…お前のお義母さんにも、救われたよ」

義母に言われるまでユーリは、子供は親が育てるものだと考えていた。それは親としての義務であり、子供は親が育てなければならないという強い責任感の表れでもあり、今でもその考えは変わらなかった。だが、子供は親だけの手で育つのではなく、祖父母や親の友人、時には様々な周囲の人達の手を借り、支えられながら育っていくのだ。かつての自身も、そうだったように。頼ってもいい、甘えてもいい、それが自分達にも子供の為にもなるなら、それでいい。ユーリは、ユリとその母親に親子に心を救われたのだ。

「たくさんの人達に支えられたおかげで、リノは元気に大きくなったよな。この先リノが成長していくのを二人で楽しみにして、一緒に頑張っていこう、二人でリノを幸せにしていこうって…言ってた矢先だったよな…」

互いの両親やその周囲と共に、リノの成長を楽しみにしていたユーリとユリ。その一方で二人は、いつか別れが来ることは心のどこかで分かっていた。だが、その時がこれ程早く、予想だにしない形で訪れるとは、思ってもみなかった。

「ユリがいなくなった時、僕はそのことをとても受け入れられなかった。今までにないくらい泣いたし、叫んだりもした。でも、それよりも、何よりも一番つらかったのは…僕はお前が死んだことを、リノに伝えなきゃいけなかった…。どうやって伝えればいいんだろう、ちゃんと伝えるべきなのか、隠すべきなのかってずっと悩んだよ…」

ユリが命を落としてから一週間程経った頃、突然訪れた母親の死を、幼い娘に伝えるかどうか、妻を喪った哀しみが癒えないまま、ユーリはそれぞれの両親に相談した。自身の両親からは、どれだけ隠してもいつか知る時が来る。その日が来るまで隠すのは、ユーリ自身の心に重く苦しいものを背負わせ、いつ真実を話すのか葛藤し続ける辛い日々を送ることになる。さらに、リノは母の死をまだ知らない。月日が経てば経つ程、真実を知った際大きなショックを与えることになる。ユーリの両親は沈痛な表情と共に、無邪気に息子に抱きつく孫に、残酷だが後の親子のことを考え、真実を伝えることを勧めた。

一方、亡くなった妻ユリの両親は、娘が遺した孫に残酷な現実を突きつけないでほしい、泣き叫びながら頼み込む姿に、胸が締め付けられた。母は生きている、いつか母に会えると信じている。せめてリノの中だけでも一日も長く、彼女の母親には、自分達の愛娘が生きていてほしい。ユーリは、すうすうと寝息を立てる娘をじっと見つめ一人葛藤する。どちらを選ぼうが、娘はいつか必ず母親の死を知ることになる。愛しい娘が、深い悲しみを受け、大粒の涙を流す日が来てしまう。

「一週間ぐらいだったかな…ずっと悩み続けた結果、僕は意を決してリノに伝えた。ユリの両親には反対されたままだったけど、葬式も近かったし、きっと隠しきれないって思ったからさ。お母さんは…死んじゃったんだ。だから…もうお家に帰ってこないって…」

どれだけ取り繕うと、ユリの死は隠し切れない。リノが深い悲しみを味わう未来は変わらない。リノが、母はいつか帰ってくると信じている時間が長ければ長い程、その死を知った時の悲しみも大きくなる。その悲しみは避けられないが、それを最小限にする為にも、ユーリは妻の、娘の母親の死を伝えることにした。ただし、ユリが何故亡くなったのかは伏せて。今の幼い娘では理解するのは難しい上、その時のユーリには、妻がどのように亡くなったのかを語ること自体あまりにも辛いものであったからだ。

「リノは多分、お母さんが死んじゃったことは、ちゃんと理解出来てなかったと思う。でも…ママが家に帰ってこないことは、二度と会えないことだけは、なんとなく分かったんだろうな。ずっとママ、ママって泣いてて…僕は後悔したよ。あの時、僕がユリが死んだことを伝えるまでは、リノの中のユリはまだ生きてたんだ。そのユリを…リノの母親を、僕は殺してしまったんだって…そう思えたらあの時、リノを抱き締めずには、謝らずにはいられなかったんだ…」

まだ言葉もろくに話せない我が子が、大粒の涙を流しながらひたすら母を求め泣き叫ぶ姿に、ユーリは抱き締めずにはいられなかった。母親に二度と会えないことを伝えてしまったことによって、娘は大きすぎる悲しみを受けることになった。ユーリもまた、自身の口から話したことによって妻を喪った現実を再認識し、妻を喪い、娘と共に悲しみに暮れる現実から逃れるように、強く瞑らせた目から涙が溢れ止まらなかった。

「ユリの葬式の日、棺桶の中のユリに向かってリノは、ママ、バイバイ…って言った。その時、リノも、僕も、僕やユリの両親も…皆泣いてたよ。僕達は勿論、何よりリノにとってどれだけ辛いことだったか…苦しかったよ。葬式が終わって、ユリのことがひとまず終わった後思ったよ。ユリはもしかしたら、リノが悲しむから、自分が死んだことは言ってほしくなったんじゃないかって。あの時が伝えたことは、間違ってたのかどうか…何度ユリの遺影に向かって聞いたことか…。リノに話したこと、怒ってるか?」

ユーリはおそるおそるユリに尋ねるが、彼女の魂が宿ったであろう傘は、依然紫の炎を纏い宙に浮いたままだ。

「…ごめん。ユリだったらどうしてほしいか、リノに伝える前の僕は考えもしなかった。だから、ユリの気持ちまでちゃんと考えられていたらまた違ったのかな、伝えるにしてももっとちゃんと考えてから話せたって、そこも後悔した。ずっと、間違ってたんじゃないかって思ってた…けど、最近になって、そうでもなかったんじゃないかって、思えた時があったんだ」

あの時、娘にユリの死を伝えて良かったのではないか。そう思えた瞬間は、ある日突然訪れた。

「朝、いつものようにリノと家を出ようとした時、玄関の前でリノが急に家の中に戻っていった。僕が追いかけると、リノはユリの、ママの遺影に向かって、いってきますって言ったんだ。それだけでもびっくりしたのに、その後僕の手を繋いで、自分から幼稚園行こうって言ったんだ。いつもなら行きたくないって駄々こねてるのにさ、その時のユリは、笑顔だったよ」

ある日突然取った我が子の行動。ユーリは驚かされながらも、我が子に起きたある変化と、その中にあるものを感じ取っていた。

「リノは、前へ進んだ、ママがいなくなったことを受け止めたんだと思う。僕なんかまだユリがいなくなったこと自体受け止めきれていないし、この先も受け入れられそうにないよ。でも、ユリはもういない。その現実は受け入れたくないけど、その事実は受け止めるしかない。とても辛いことの筈なのに、俺達よりもずっと幼い筈なのに、あの子はそれをやったんだ。今あの子は、笑顔で生きている。リノは、僕達が思ってる以上に、強い子なんだよ。きっと、ママに似たんだろうな」

「…!」

亡くなった妻の夫である自身が未だその死を引きずっている一方、自分やその両親達よりも幼く大きな悲しみを受けているであろう幼い娘は、既に母の死を受け止めているように見える。その時のユーリには分からなかったが、きっと娘には生まれ持った強さがあるのだろう。ユーリ娘から妻の面影を感じたことを嬉しそうに語ると、ユーリには一瞬、傘が纏っていた紫炎が弱まったように見えた。

「僕の想像だけど、多分…ユリの葬式の時、リノが棺桶のユリに向かってバイバイって言ってたの、ユリも見てたよな。あれはきっと、ママとのお別れだってことを分かってたからだと思う。もしリノに本当のことを伝えないまま葬式に出ていたら、リノはママが死んでしまったことを知らないまま、知らない内にママとお別れすることになっていた。それがあの子にとって良いことだったかどうかは分からないけど…ママが死んでしまったことを知ってたから、あの子なりに別れが、区切りをつけることが出来た。だから今あの子は、心から笑顔でいられるんだと思う」

勿論、母を喪った現実は幼い娘にとって受け入れがたい現実であることに違いない。だが、それでも彼女なりに区切りをつけ、前を向こうとしている。父親と一緒に、生きようとしてくれているのだ。

「あの時リノに伝えて良かったのかどうか、ずっと一人で考えてたけど、あれ以来、なんだかすっきりした気持ちでいられるようになったんだ。もし今も黙ってたら、ずっと心の中でモヤモヤし続けて苦しかったと思うからさ。だから、ユリのことを伝えたことは、リノにとっても、僕にとっても良かったんだって思うことにしたけど…いいかな…?」

こんなこと言えば、また妻に怒られてしまうかもしれない。そう考えている為か、ユーリは傘の体では分かるわけもないが、妻の顔色を伺うように尋ねる。だが、傘は何も答えない。その沈黙が何を意味するのかは、ユーリには分からなかった。だが、おそらくこれから話そうとしていることが、彼女にとってもユーリにとっても、家族にとっても本題であることは確かだった。

「このトンネルも、ユリが掘ってたんだよな。このトンネルを完成させることが、今の自分の目標だって。それでいつか完成したら、家族3人で一緒に来ようって言ってたのは、今でも覚えてるよ。でも…あんなことが起きたから、あの日以来一度も行けてなくて…正直、今ここにいるだけで苦しいんだよ…」

生前妻が命懸けで掘り進めていた海中トンネルを見上げるユーリ。当時、開通の為に作業に取り掛かっていたユリ達に、海底火山の噴火によって起きた津波と落石が工事中のトンネルを直撃したのだ。作業員達は海中へと投げ出され、後に全員救助されるも、ユリだけが命を落としてしまった。この事態はダイ大海だけでなく、ダイ大陸全土にも連日大きく報じられ、今も彼女が勤めていた会社では、年に一度黙祷が捧げられている。

「ユリが死んでから、ここに来たいと思ったことはなかった。むしろ、避けるように生きてきた。でも…ユリが一生懸命、最後の最後まで頑張ってたんだから、見てほしいって思うよな。だからもし、その傘にいるのがユリなら、ここに来るんじゃないかって思ってた。自分が頑張った成果を見てほしい、自分のことを忘れないでほしいって思ったから、ここに来るんじゃないかって…」

そしてこの場所で傘を見つけた時、さらに先程娘の中に亡き妻の面影を感じたことを語った時、ユーリは確信した。あれは、ユリだ。そして何故彼女が、自身の存在を示そうとしているのか。それには一つだけ、心当たりがあった。

「僕が…再婚を考えたこと、だよな…」

「…!」

罪悪感を抱くユーリの言葉を聞いた後、紫の炎と魂を宿す傘は、纏う炎を激しく燃え上がらせる。

「やっぱり…そうだよな…。あれだけ僕のことを大好きでいてくれてたのに…僕がユリだったら、許せるか分からない…。けど、聞いてくれ。僕は確かに、再婚を考えた…。でも…今は、このままリノと二人で生きてもいいって思ってるよ」

妻に隠しても、全てお見通しだろう。元より隠すつもりなどなかったユーリはこれから、自身の正直な胸の内を明かそうとしていた。

「ユーリさん…」

「!」

亡き妻に今の思いを伝えようとしたその時、背後から自身の名を呼ばれたユーリは振り向く。

「ユリノさん…?」

振り向いた先にいたのは、ユリノだった。彼女は、もし傘の中に宿った魂がユーリの亡き妻ユリなら、彼女が何処へ行くのかは見当もつかなかった。だが、ユリのことをほぼ何も知らないユリノが唯一知る、ユーリとユリを繋ぐ場所は、この海中トンネルだけだったのだ。

「…」

ユリノがこのトンネルに来たことに唖然とするユーリを、彼女はじっと見つめている。未だ戸惑っているユーリだったが、すぐに目の前にいる亡き妻に向き直る。ユーリは亡き妻ユリへの思いを、ユリノの傍で話すことに躊躇いもあったが、それぞれの将来の為、この際はっきりしておくことを決意する。

「ユリがいなくなった時…それが現実だなんてとても受け入れられなかった。俺もリノもとても辛かったし、今まで生きてきた中で比べ物にならないぐらい悲しかった…。でも、他の人と一緒になろうなんて考えたこともなかった。これから先、リノのことを僕一人で育てなきゃって思ってた。僕にとっての奥さんはユリだけだし、リノにとってのお母さんもユリだけだと思ってたから…」

ユリの死後、ユーリは彼女を喪った大きな心の傷や悲しみが癒えないまま、それを振り払うかの如くこれまで以上に仕事と遺された我が子の育児にその身を注いだ。ユーリとユリ、それぞれの両親も遺されたユーリや孫の為、共に育児を支え続けた。そんなある日、亡き妻の仏壇に手を合わせに、リノの顔を見せにユリの両親の元を訪れた時だった。

ユーリ君…毎月、あの子に手を合わせに、リノを会わせてくれて、とても感謝しているよ。

ここまで大切に思ってもらえて、きっとユリも喜んでいる筈だよ。

ただ…だからこそ、話がある。

どうだろう、そろそろユリのことは…区切りをつけても…新しい奥さんを、リノの新しいお母さんのことを考えても、いいんじゃないか?

いつまでも一人でリノを育てるのも、いつまでもリノをお母さんがいない子のままでいさせるのは…可哀そうに思えるんだよ…。

義父が、どんな思いでその言葉を振り絞ったのか。本心はおそらく、ずっと娘の夫で、娘が孫にとっての唯一の母親であってほしいのだろう。だが、それでも義父は、涙を浮かべる義母は、娘婿とその子供にとって最善の道を選ぼうとしていたのだ。ユーリは、ただただ胸が苦しかった。

「リノはたまに、他の子とそのお母さんが一緒にいるところを見ると、寂しそうで悲しそうな顔をするんだよ…。それを見ていると僕も辛くて、僕やユリの両親が言うような、新しいお母さんの存在が必要なんじゃないかっていうのも、分かる気がしたんだ。僕は父親だ。どんなにユリの分まで頑張っても、ユリみたいに、あの子にとっての母親にはなれないんだ…」

子供との繋がりの強さでは、その身で子供を産んでいる母親に、父親は敵わない。遺された娘と過ごしていく内に、娘が母親を求めている様を目の当たりにする度に、子供にとって母親という存在がどれ程大きいかを思い知り、父親である自分では、子供の心の穴を埋められないことを悟ると、そう考えるようになっていった。そして、同時に思うようになった。いなくなるのなら、自分の方だったと。

「リノが保育園に通い始めた頃だった。シングルファザーとして仕事と育児の両立は想像以上に大変で…僕がよっぽどやつれて見えたんだろうな。保育園のある先生が声をかけてくれた。その人は僕達の事情を知ってたから、ずっと僕達のことを気にかけてくれてたんだ。親身になって寄り添ってくれる人にも出会えた。僕達のことをよく分かってくれて、いつも明るくていつも優しくて、リノや他の子供達に慕われてる。この人なら、リノの新しいお母さんになってくれるんじゃないか、リノも喜んで迎え入れてくれるんじゃないかって、思えたんだ」

「…」

一生、リノと二人で生きていく。そのつもりだったユーリの考えを変えるきっかけとなった人物は今、おそらく自身のことを語っているであろうユーリを、どこか嬉しそうな眼差しで見つめていた。

「けど、そもそもその人が僕のことを好きかどうか分からないし、もし他に好きな人がいたり、もう既にいい人がいるなら、その人と一緒になった方がいいって思ってるよ。多分僕とは一回りぐらい年が違うだろうし、なんとなくだけど年が近い人の方がいいんじゃないかって思うし。勿論年の差なんて関係ないって思うけど、いざ自分の立場になったらちょっと気が引けるよ。それに、今の僕は正直仕事とリノのことで頭がいっぱいだし、もしその人が結婚してくれたとしても、あまり気にかけてあげられないかもしれないしさ。僕と結婚するってことは、いきなりお母さんになるってことだし、それはそれで大変だろうし、なんだか悪い気がして」

「…」

ユーリは、その人物に思いを寄せていく内に、彼女の幸せとは何か、それを真剣に考えるようになった。今、恋人も、思いを寄せる人物は、他にいなかった。ユーリの妻に、リノの母親になることへの嬉しさや期待もあった。だが同時に、今の自分にリノの母親が務まるのだろうか。子供を産んだことも育てたことのない自分が、いきなり3歳児の子育てが出来るのか。その不安が募っていく内に、彼女は視線を落としていった。

「結局、僕はその人と再婚するのかしないのか、それとも他の人と再婚するのか、そもそも再婚せずにリノと二人で生きていくのか…僕にはまだ分からない。何度も考えたけどそれでも分からなくて、何度ユリに聞いてみたいって思ったことか。ユリがダメだって言えばそれで終わりなんだよ。僕が再婚してユリが悲しむなら、リノも悲しむからさ。でも、もうユリはいない。だから、僕が決めるしかないから、僕なりに考えて答えを出したんだ」

この答えが、妻に納得してもらえるかどうか分からない。だが、この場で妻に嘘をつくわけにも隠すわけにもいかない。彼がその答えを話すのを、ユリも、ユリノも待っている。

「再婚は…やめておくよ。元々結婚した時からずっとユリと一緒にいるつもりだったから、別れるつもりも再婚するつもりもなかった。その僕が再婚を考えるきっかけになったのはリノだったけど、たとえリノが慕っていても、リノの為だけに再婚するのも相手に申し訳ないから、やっぱりやめておくことにした。それだけ、ユリの存在は僕にとって大きなものだった。だから、ユリは今も、僕とリノの心の中にいる。僕には今も、ユリがいるんだ」

「…」

悩み抜いた末に出したユーリの答えには、亡き今もユーリの心の中で生き続けるユリの存在の大きさがあった。だがそれ故か、ユリノは視線を俯かせた。

「だけど…ユリには悪いけど、一瞬だけど、リノのこと抜きで再婚を考えた相手はいたんだ。まあその人が僕と再婚してくれるとも限らないんだけどね。もしその人が僕と再婚してくれるとしても、僕のことが好きという気持ちは、僕達親子を助けたいっていう思いからきているのなら、猶更やめておくよ。その人が結婚するなら、自分の為に幸せになってほしいし、僕達の人生に付き合わせちゃうのも悪いからさ。ただ、その人の為に僕に出来ることがあるなら、力になるつもりだよ。その人と僕が再婚しようがしまいが、ずっと僕達親子の為に頑張ってくれたから、僕も出来ることをしてあげたいからさ」

「…!」

再婚を考えていた相手はいたが、再婚はせず、その相手の為に出来ることがあるなら手を貸す。ユーリの嘘偽りない正直な思いと答えを前に、ユリノは俯いていた顔を上げる。一方、肝心の傘は何も反応を示さず、自身の言葉をどう捉えているのかも分からずユーリは溜息をついた。

「…やっぱり、中途半端だったよな。ユリとしては、その人とはきっぱり距離を取ってほしいって思うよな。でも、多分僕の出番はないと思う。だって、その人の周りには素敵な人達がいる筈だから。その人はきっとこの先もいい人達に巡り会えると思うし、ことを助けてくれるそれに、もしかしたらその人達の中に、僕なんかより彼女にふさわしい人がいるかもしれない。余計なお世話だけど、その方が彼女にとって幸せだろうしさ」

「…」

妻から見れば、どこか彼女との関係を切りたくないように見えているのかもしれない。その思いは否めないが、ユーリの中で確かにあるのは、ユリノと再婚する気持ちはないことだった。ユーリの意思を感じ取ったユリノは落胆しつつも、彼の自身への思う気持ちと優しさも感じ、どこかすっきりしたように微笑むのだった。

「ユリ…。すぐには納得してもらえないと思う。だから、これから僕とリノのことを見守ってもらいながら、時間をかけて信じてもらうことにするよ。ただこれだけは約束する。リノは、絶対に僕が守る。絶対に幸せにする。そのことだけは、信じてほしい」

ユーリは最後に、妻に、娘への誓いをかけた。それはユーリにとって、親としての使命であり責任であり、亡き妻との最後の約束だった。そして、その約束をかけた妻には、今すぐにやってもらわなければならないことがあった。

「ユリ。最後の頼みがある。今、ユリがいるその傘は、本来の持ち主がいる。早くその子に返してあげないと、取り返しのつかないことになる。だから、返してあげてほしいんだ。その子は、僕達とはなんの関係ないのに、僕達親子の為に力になろうとしてくれたんだ。今僕達がいる今を作ってくれたのは、その子や、その子と同じくらいの子供達なんだ…。その子達は、僕達が生まれるずっと前に生まれて、僕達のように大切な人を亡くしているんだ。もうその子達に、これ以上悲しい思いをしてほしくないんだ…」

「!」

自分達がかつて味わった悲しみを、少年達も味わったであろう苦しみを、もう二度と味わってほしくない。ユーリから妻への最後の願いは、かつて友人達と共に己の身を犠牲にし、自分達夫婦、そして親子が生きる今を守った少年の命を繋ぎ留めることだった。ユリノはハッとなり思い出した。今、その悲しみがまた少年がいる。

「ユリさん!私からもお願いします!その傘を、アサバスちゃんに返してあげてください!」

「ユリノさん…」

ユーリよりも前に出たユリノは、傘に宿った魂に向け、本来の持ち主の為に頭を下げ、頼み込んだ。

「…!」

ユリの魂が宿った傘は突如開き、その身を回転させると同時に纏っていた紫の炎を激しく燃え上がらせていく。

「ユリ!どうしたんだ⁉」

傘を中心に炎は宙に燃え広がり、徐々にとある生物を大きく象っていく。そしてその姿になると、鳥の嘴のような鋭い口を大きく開け、けたたましい雄叫びをトンネルに響かせた。

「ユリ…」

ユーリとユリノが呆然とするその姿は、かつて血怨城となったマニヨウジとの決戦の際、他のダイナ装備達と共に得た、白い光のキョダイナソーとなったアサバスによく似た姿だった。ただし、アサバスの体を生成していた白い光が、紫の炎に置き換わっいる。

「ユリさん…」

キョダイナソーの姿、姿鳥の嘴のような鋭い口を大きく開け、ユーリに向かって真っすぐ飛び掛かった。

「ユーリさん!」

突然の出来事に身動きが取れなかったユーリ。ユリノは咄嗟に、そんな彼を庇うように覆いかぶさる。次の瞬間、紫の炎のキョダイナソーは、長い口を大きく開け、二人を呑み込んだ。



「はぁ…やっと寝てくれたわ…長かったわねぇ…」

「だな…全く、こっちの気も知らずにぐっすり寝てるよ…」

1時間半に及んだ寝かしつけの果て、ゆりかごの中で静かに揺れるリノを眺めるユリとユーリ。我が子の寝顔を前に、疲れ果てた二人が浮かべる笑顔は、幸せそのものだった。

「ねぇ…もし、あたしが死んだらどうする?」

「え…?どうしたんだ急に?」

我が子は、いつまた目を覚まし元気に泣き出してもおかしくない。束の間の休息の最中、唐突に聞かれ、ユーリは思わず妻の顔を見やる。

「ほら、あたしの仕事っていつも危険と隣合わせでしょ?だからあたしにもしものことがあったら…この子悲しませちゃうなぁって…今の仕事だって下手すれば…」

「何言ってるんだよ…。今までだって何事もなかったんだから、今回も無事に終わるよ。というか、ユリに何かあったら僕だって悲しむよ」

「だよね!そりゃそうだよね!えらい!流石あたしの旦那!この!この!この!」

「あだ!あだ!あだ!もう…」

待ってましたと言わんばかりに、ユリは細長い口で夫をバシバシ叩く。そしてこの時、ユリが取り掛かっていた仕事こそ、彼女が命を落とした海中トンネルの工事であった。

「けど、真面目な話、もしあたしがいなくなったら…どうする?」

「ど、どうするって…」

先程の言葉がよっぽど嬉しかったのか、ユリは少し笑みを浮かべながら改めて問いた。言葉に詰まるユーリは、妻は子供を産み母親となったことで、もしものことに対しての意識がより強くなったのだと解釈し、少々気恥ずかしいが答える。

「そ、その時は…リノと二人で生きていくよ」

「いいの?新しい奥さん貰わなくて?」

「いいんだよ。僕の奥さんは、ユリだけだからさ」

「やだ!ちょっともー!」

「あいだ!リノが起きるってば!」

恥じらいを抑えながら言った途端、今度は身体全体でどつかれてしまった。その際安眠を妨げていないか懸念し愛娘に見やると、すうすうと静かに寝息を立てている。心なしか、少し微笑んでいるようにも見えた。

「でも、一人でリノ育てるの大変だよ?それに、あたしがいなくなったら、この子のお母さんいなくなっちゃうのよ。それって可哀想じゃない?」

「確かに、ユリがいなくなったら、リノの親は僕だけになっちゃうかもだけど…僕だけがこの子を育てていくわけじゃ。僕達の両親や、色んな人達の手を借りて、この子は育っていくんだ。僕達がそうだったように。それに、もしお母さんがいなくなるようなことがあっても、この子が幸せになれなくなるわけじゃない。僕がそれを証明してみせるよ。だからもし僕の身に何かあったら、その時はユリが、父親がいなくてもリノが幸せになれることを証明してくれ。きっと僕がいなくなっても僕の両親はリノの為に、ユリの為に力になってくれるからさ」

「あなた…!」

たとえ自身の身に不幸が起きようと遺された妻と子を第一に考えていた夫に、ユリは感動と感激を覚えていた。しかし、ふと我に返る。

「…って、ちょっとやだあなた、いなくなるとか変なこと言わないでよ~!縁起でもないじゃない~!」

「あだあだだ!ユ、ユリから言い出したんじゃないか~!」

よく考えれば、今交わしている会話はどちらかが世を去った時のことだ。夫一筋なユリは想像しただけで恐ろしく悲しく苦しくなってしまった。一度夫の両手のヒレを掴みそのまま直立させ、ユリは身体を左右に激しく振ると、彼女の両手のヒレは夫の身体を左右に振らせ、何往復もさせた。

「と、とにかく、この先何があっても、僕は再婚しません。ずっと、ユリの夫でいます」

早いとこ妻の気持ちを落ち着かせようと、ユーリは少々ふらつきながらも自身の本音と共に誓いを立てる。妻を落ち着かせる為とはいえ少々照れ臭いが、言えば妻は喜ぶだろうと思い切ったのだ。

「そうかそうかえらいえらいじゃあ、あたしが他の人と一緒になったら、どうする?やっぱり妬いちゃう?」

「え…あ…う~ん…」

妻が納得したと思ったら、また難しい質問が飛んできた。もし自分がいなくなれば、リノの父親はいなくなり、妻は一人でリノを育てていくことになるだろう。そうなるともし妻が自分以外の男と一緒になったら…いざその場面を想像してみると、やはりなんとも言えない複雑な気持ちになってしまう。しかし、リノに父親のいない娘にさせてしまっていいのだろうか。

「そうか!そんなにあたしがいい女か!よっ!いい男!末永く一緒にいましょうね!」

「ぎゃっ!よ、よろしくお願いします…」

自身への愛が故に考え込む夫に、ユリは勢いよく抱きつく。同時に思わず締め上げられたユーリから短い悲鳴が上がり、その直後愛娘から泣き声が響く。

「あらあら、ちょっと騒がしかったね~お~よしよし」

流石に騒々しかっただろう。我が子をあやすユリの姿は、今となっては懐かしい光景だったが、見ているだけで微笑ましさを感じていた。

「ほら、あなた、あとはお願い」

「え?あ、ああ…」

突然妻からやや強引にリノを渡されたユーリは、少し戸惑った。いつもの妻なら泣き止むまであやし続けるところだが、まだ泣き続けている。ユーリはどこか違和感を感じながらも、我が子を預かりあやし続ける。娘はまだ耳をつんざく程泣き続けているが、どこか懐かしい気持ちに浸るユーリは自然と笑顔になれた。父と子の微笑ましい光景を、ユリは微笑ましく見つめている。

「あなた…幸せになってね…」





「…さん!ユー…さん…!」

最後に妻の言葉が聞こえた直後、ユーリの視界は一気に真っ白に染まった。そこへ、どこからともなく声が聞こえてくる。

「ユ…リさん…!ユーリさん!」

「う…うう…」

声はユーリを呼んでいる。自身を呼ぶ声に応えるように、ユーリはゆっくりと目を開ける。

「ユーリさん…よかった…気が付いたんですね…」

意識を取り戻したユーリの目の前には、一息つきその場でぐったりするユリノの姿があった。

「もう急に飛び出してったからびっくりしたわよ~。後を追うにも何処行ったのか見当もつかないし、ダイナ装備の皆を運んでたからもうほとんど動けないしどうしようって焦ったけど、アサバスちゃんがあなた達を見つけて、私達に知らせてくれたのよ」

「そうそう、ダイナ装備の皆をいっぺんに運ぼうとしてたけど、ルーズさんは泳ぐの苦手だから全然進まなくて、私と交代交代で来たのよね」

ルーズはレベルトを腰に巻き、メトリオリンを入れたコピシュオケを乗せたタタンカをビート盤代わりにし両足と尾を必死にバタつかせながら、アサバスの魂の後を追っていたのだ。

「ただここに着いた時にはもうユリさんは、以前私達が白い光のキョダイナソーになった時みたいに、紫の炎のキョダイナソーになっていたのを見た時はびっくりしたわ~!」

「状況を整理する間もなかったけど、咄嗟に俺の力で消えかかったアサバスの魂に力を注いで、彼女が咆哮して口が開いた瞬間、ルーズさんがその中に送り飛ばした。その時既にアサバスの魂はほぼ見えなくなっていたから間に合うか心配だったけど、なんとかなったみたいだね」

「もう目の前にキョダイナソーはいるわアサバスちゃんは消えかかるわでとにかく急いでたから、思わずアサバスちゃんをビンタっていうかバレーみたいに叩き飛ばしちゃったんだけど、それが良かったのかもね~もう!」

「あ、そうだったんですか…?」

ルーズ達が駆け付けた時、紫炎のキョダイナソーは既にユーリ達を呑み込んでいた。その光景にカンタ達は呆然としながら緊急事態であることは察し、咄嗟に機転を利かせたオリンクスをメトリンが荒々しく3度叩き、アサバスの魂に清めの力を与えた。そこをルーズが勢い任せに叩き飛ばしたところ、キョダイナソーがタイミングよく口を開き、アサバスの魂はその中へと入った。ユリノも戸惑うその詳しい状況は全く理解出来なかったが、少なくとも彼らが自分達を助け出してくれたことは確かだった。

「助けてくださって、ありがとうございました。皆さんがいなければ、今頃どうなっていたことか…」

「私達というより、彼女のおかげだと思います。私が彼女の中に入った際、悲しみや苦しみの念が溢れていたが、不思議なことに温かさを感じた。そしてすぐに悲しみや苦しみの念は消え去り、その温かさだけがその空間を満たした。そして次の瞬間、私はこのアサバスカサの体を取り戻していた。というより、返してもらったといった方が正しいだろうな。私はあのキョダイナソーの中に入ってそう時間もたたない内にこの姿に戻っていた。私は何もしていない。ということは、彼女がアサバスカサの体を返してくれたということなのだろう。むしろ、助けられたのは私の方だったのだ」

ユーリから一礼されるアサバスだったが、ダイナ装備としての体を取り戻したのは、ユリのおかげであると感謝していた。助けに入ったつもりが、逆に助けられていたのだ。

「あの…妻は…何か言ってましたか?」

「いえ、特に何も。ただ、この体を私に返してくれたということは、彼女の中にあった未練や心残りによる負の感情は消え去った、マニヨウジによる支配から解放されたのだと思います」

アサバスの返答を聞いたユーリは、安堵と不安を同時に覚える。アサバスの話を聞く限り妻は怨霊から解放され無事成仏出来たことは知れたが、結局ユリが再婚についてどう考えていたのかは、最後まで分からずじまいだった。だが、妻の本音は分からずとも彼女が救われたのなら、それだけで十分だったユーリは、ほっと一息つくのだった。

「きっと、安心したんだと思うわ。私がいなくても、あなた達なら幸せに生きていけるって…この子と一緒にね」

「!」

ユーリはメトリンの腕の中で眠るリノが目に入ると、慌てて彼女から愛娘を預かり、抱き抱える。

「ごめん…パパ、ママのことで頭がいっぱいになっちゃって…ユリから託されたのに、パパはまだまだダメだな…」

亡き妻を追いかける為とはいえ、我が子を置いて出て行ってしまった自身に不甲斐なさと娘への罪悪感を感じるユーリ。そこに、ユリノは声をかける。

「ユリノさん。私、今の自分よりもっと成長出来るよう頑張ります。今より、もっとリノちゃんのような子供達や、その子供達の為にいつも一生懸命頑張っているユーリさんのような人達にとって、頼りになるような保育士として、大人として。だから、私もユーリさんにもっと頼ってもらえるよう、頑張りますね」

「ユリノさん…」

自身の決意を語るユリノは、明るい口調だがどこか不安や哀しみも入り混じっていた。だが、最後に浮かべた笑顔は、紛れもなくユリノの心の底から出たものだった。ユーリもまた、自身を真っ直ぐ見つめるユリノに、正面から向き合う。

「僕も、リノにとって頼りになる父親に、一人の大人になれるよう頑張ります。どうやったらそんな風になれるかは分からないですけど、自分なりによく考えたり色んな人に頼ったりして、ちょっとずつでもいい父親に近づけたらって思ってます。妻の分まで…妻のことを忘れずに、この子を守って、幸せにしていきます。ユリノさんも…頑張ってください」

「ユーリさん…」

この時二人は新たな決意を胸に立てると同時に、自身の中に抱いていた思いに決着をつけた。互いに新たな一歩を踏み出すことへの期待と不安、そしてどこか寂しさを滲ませながら。さらにユーリはこの時、思い出したことがあった。夢の中で妻との過去の思い出を追体験していたユーリだったが、記憶と異なる部分があった。それは、ユリがまだ泣き止んでリノを自身に預けたことだ。記憶通りなら、ユリはリノが泣き止むまであやし続けていた筈だ。もう一つは、妻が最後に言った言葉だ。自身の記憶が正しければ、あの言葉は妻の口からは出ていなかった。

あれは亡き妻からの最後のメッセージだったのか。それともただの夢だったのか。それは分からない。

だが、妻が我が子の幸せを願っていることは間違いだろう。家族と生きられなかった妻の思いを背負い、遺された娘と共に生き、その幸せを守る事を、ユーリは眠る我が子に誓うのだった。そしてその我が子の寝顔はどこか、穏やかに微笑んでいるようだった。




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