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学校終わり。
家に帰宅し、いつも通りすぐに手を洗う。
昔から、母さんに言われている事だった。
けれど、私は鏡の前から動けなくなっていた。
「ッ⁉......ビックリした」
急に鳴るインターホンに、思わず体がビクンと跳ね上がる。
「......は~い今行きます」
ほっと胸を撫で下ろしたあと、玄関へと向かい、扉を開ける。
「石上ッ!よかった......じゃねぇ。大変なんだ!うちのシロが居ないんだよ」
玄関で焦った様子を見せるこの男は、隣に住んでいる幼馴染の林太郎。
保育園からの付き合いで、高校1年になった今も同じ学校で同じクラスの、割といい奴だ。
「シロ?......って、林太郎くんの家にいるあの犬?」
「そうなんだよ!シロのやつ。いつもだったらこの時間は、勝手に家の中にある自分の餌を見つけて食ってるはずなのに」
「この時間にいつもって...」
そんな犬居るんだ......、ってそんな関係のないツッコミを入れたくなったが、今回はやめておこう。
「なあ、ともかく一緒に探すの、手伝ってくれ!頼む!」
「......うん。まあ、探すだけならいいけど」
「ホントか⁉......ありがとッ!ホントに。じゃあ、お前は近くにある公園の方を頼む。俺は少し遠くの方を探すから」
「わかった。じゃあ見つけたら連絡するね」
「うん、頼んだ」
林太郎はそれだけ言うと、近くの公園とは逆の方に走っていった。
「犬か......」
見覚えはある。
今日の玄関先でこちらを見てきた1匹の生き物。
そいつが向かった先もあの公園だ。
「よし、行こう」
近くにある公園。
正式な名前は知らないが、それでもこの地域の子供たちの間では様々な呼び名で呼ばれていた。
私がなんて呼んでたかって?
あまり争いごとは好きではないので、あくまで私がそう言っているという事にしておこう。
その公園の名前は、
「着いた」
ハチ公園。
そこそこの広さで、意外と豊富な遊具。
そして、そう呼ばれる所以となる蜂の乗り物。
「......あ」
その真下に、それが居た。
「あれが......」
ひとまず携帯を取り出し、写真を撮る。
そして、この写真を送る。
「この子で合ってるよね?...っと」
写真をメッセージと共に送ると、すぐに返ってきた。
「いやでも、これはちょっと......」
目の前にいるただの犬。
しかし、それは大した問題ではなかった。
「なんなの、アレ」
問題だったのはそのハチの乗り物の上にいる黒い黒い怪物だった。
「カラス?猫?......って、頭おかしくなったのかな、私」
戦慄すら覚える程の圧倒的な存在感。
夜であれば、クマとかイノシシの類だろうと勝手に納得できる。
けれど、こんな昼間にこんな堂々としたクマやイノシシがいるのだろうか。
というか、あんなに真っ黒になることなんてあるのだろうか。
「いや、気のせいだよね」
そんなことはない。
あんな生き物はそもそも見たことがない。
見たこともないものは居ない。
そんなことを考えると、声なんて出す気にもなれなかった。
不審者に会ったら大声で助けを求めるとか、はっきり言って無理だと思った。
「おーい、シロ。こっちにおいで。君の飼い主がおいしいご飯を用意して待ってるよ~」
犬がこちらを向く。
なんと食欲に従順な犬なのだろうか。
ご飯の話をした途端に反応し、はまっすぐこちらに歩み寄って来た。
「全く、これじゃあ林太郎もいろいろ苦労してそう」
少しの微笑みを混ぜながら、恐怖を紛らわすかのように、精一杯の声を出した。
「よーし、よしよし。こっちにおいで」
近くまで来たので、こちらから歩み寄って、静かに頭を撫でる。
心が落ち着く。
「何.........」
後ろを見ろと、聞こえた気がした。
だが、自分の心が、それを拒絶した。
見たら、死ぬ。
見なくとも、死ぬ。
であるならば、見ないまま。
何も知らないまま、楽になりたかった。
「.........あっ」
撫でようとした犬が目の前から走り去ってしまう。
それを目で追うために前を向く。
花、アリ、犬、ハチの乗り物。
木と柵、家。
それと視界の端に映る空。
良かった、居ない。
なぜ居ないのか、考える必要はなかった。
居ないなら居ない。
それでよかった。
「 」
死にたくないと、頭の中で何度も繰り返したが、そんな願いが届くはずもなく、自身の影は少しずつ広くなっていった。
「あー、うるさい。いいから、何も言わずに後ろを見ろ」
「えっ?」
自分の意思とは無関係に顔が後ろに向く。
無理矢理だった為か、少しコキッと音がしたが、今はそんな事を考えてる暇はない。
「あ、あ」
もはや、触れてるか触れてないかもわからない距離にそれは居た。
「いいから、しっかりと見ろ」
「はっ......はっ........」
ダメだ。これ以上はアレが来る。
苦しい時間。
長い長い闇の中、ただ苦しみから目を逸らすために招いた。
もうー人。
「嫌だ」
パックリと開かれる黒い体。
その奥には、より一層黒い何かが渦巻いていた。
そして、それを見て全てを悟った。
「た...」
何かを言いきる前に体が勝手に動く。
間一髪のところで、何とか最悪から逃れられたらしい。
しかし、それでも現状が変わることはない。
だってまだ、目の前にアレがいる。
「ッ⁉」
何も考えず、全速力でその場から立ち去る。
犬とか林太郎とか、そんな事考えている暇なんてない。
「おい!逃げんな」
「逃げるなって...あなたは誰なの?って重ッ......。何これ⁉」
「大丈夫だからッ、後ろを向けッ!」
「うわっ⁉」
体が言うことを聞かず、その場に転んでしまう。
「動いて!......早く早く早く!」
「おい、なんでそんな必死に逃げるんだ!いいから、俺の話を聞け!」
「そんな事言ったって。あんなの見て、逃げない方がどうかしてるよッ!誰だってあんなの見たら、真っ先に逃げるよ!それにまだ......」
そうこう言っている間に、あの黒いのが距離を詰めてくる。
早く立ってこの場を離れないと、本当に危ない。
「いいから、見るもんちゃんと見ろ!」
ぱっと誰かに顔を無理矢理上に上げられたように、空を見上げる。
「ウッ......」
眩しい。
太陽の光を直接見たせいか、まともに前が見えない。
「なっ、間抜けがッ!」
視界がぼやける。
このままじゃ、この女は......。
そう思っていた時だった。
「なんだ?もう夜か?」
その一言と同時に女の動きが目に見えて変わる。
黒い生物に触れる直前で、しかもうつ伏せだった状態から、両腕の力のみでその場を離脱する。
「って、まだ夜じゃねぇのかよ。全く......。こんな早い時間から夜勤なんて、早朝残業代出るんだろうなぁ?」
立ち上がりと同時に、先程まで自分に向かって何かをしようとしていた怪物を睨む。
先程まで倒れていた場所は、地面が少しだけ抉れており、その怪物の危険度をそのまま現しているようだった。
「はぁ、またこんなになって......」
しかし、地面の事はまるで何も気にしていないかのように、体についた砂汚れをパタパタと落とす。
そして、ある程度落とし終えると、そのまま再度怪物を睨み直す。
さっきよりもより、強く、冷酷でありながらその内に秘める熱のような何かを感じるような、そんな目をしていた。
「はぁ、いけないな......。面倒だけど、これもあいつの為だ。今度から変わるのは控えるように、書き置きでも残すか。......って、それよりもまずそこの黒いの」
死神。
人間を死に誘うとされる神、もしくは人間の心の闇に漬け込む死の導き手。
恐怖、焦燥、罪悪、執着。
心の闇は多彩で、複雑。
そんな苦しみから、救ってくれる一筋の光。
1人では支えられない苦しみを連れていってくれる。
そんな姿を私は知っている。
というのは、あくまで私が知っているだけの話。
それ以外は、まだ何も知らない。
「......お前、死ね」
その一言と共に、眼前に居た黒い怪物が消し飛ぶ。
徐々に細かくなり、消えていくその黒い光越しに見える眼光。
凛とした佇まい。
顔から背中、全身に至るまで。
そのすべてが恐ろしく冷たく見える。
その姿はまさに、神そのものだった。
読んでいただき、誠にありがとうございます。
次回の更新は未定です。