キジトラの瞳
大学生の頃、安アパートの一階に住んでいた。
両親は、「女の子は二階じゃないと危ないんじゃないの?」と心配したが、家賃や立地との兼ね合いでここに決めた。
部屋は狭かったが、縁側のサッシを開けるとちょっとした洗濯干しスペースがあった。
年上の彼氏に捨てられた、ある夜のことだった。外で物音がするので、窓を開けてみた。
一匹のキジトラ柄の子猫がいた。
親猫は近くにいないようだった。はぐれたのか。それとも捨てられたのか。
迷い込んだその子猫の、両足をちょこんとそろえて首をかしげている姿に、放っておけなくなった。
私は、少し温めたミルクと魚肉ソーセージを与えてしまった。
そこで、はたと気づいた。
与えてどうするのか、と。当然このアパートの契約にある、ペットの飼育禁止の条項は頭に入っていた。
私は、ミルクのお皿を室内に戻し、そっと窓を閉めた。
お世話をしてもらえるものと信じていたであろう子猫は、鳴きだした。
しかし、私にはどうすることもできなかった。
里親ボランティアに掛け合うとか、猫を飼える友達を探し回るような、時間的・精神的余裕が、そのときの私にはなかった。
子猫は窓の外でずっと鳴き続けた。
ごめんね、中途半端なことしてごめんね。
私は布団をかぶって聞こえないふりをした。
いつしか声が聞こえなくなったので、サッシを開けてみると、猫はいなくなっていた。
以後、その猫が再び現れることはなかった。
私は就職し、引っ越ししても、キジトラ柄の猫を見るたびに、あの猫のことが頭に浮かんだ。
それから十五年以上経った。
今日、娘が猫を拾ってきた。
娘の話では、キジトラ柄の子猫は、段ボール箱に入って高架下のフェンスのそばに置き去りにされていたらしい。
私は夫を説得し、その子猫を家族の一員として迎え入れた。
子猫を優しく抱きしめると、丸い瞳が私に語りかけてきた。
「今度はちゃんと最後まで責任持てよ」