一、流行
からからと走る馬車の窓から外を見る。
王都は大陸の中でも北に位置するため、冬は厳しい。雪は降るし、寒い日には軒下に氷柱もできる。そのため冬は一足が少なくなるのだが、今はその反動からか大通りはいつも以上に活気づいていた。よく知った街のはずなのに、季節が変わるだけで別の場所のような気分に陥る。
つい一月前まではすれ違うもの皆外套を羽織っていたというのに、季節というものは瞬く間に巡ってしまうものである。
窓を少しだけ開けると街の喧騒と共に心地よい柔らかな風が滑り込んできた。あまりの心地よさと馬車の揺れで微睡みかけていると、
「そういえば藍藍、今日はどこに寄っていくの?」
ふと真向いで舟をこいでいたはずの玉麗が目を擦り、欠伸交じりに聞いてくる。
「ええ。ちょっと呉服店をのぞこうと思いまして」
「あっ、いいなぁ。あたしもそろそろ服の新調したいんだよね」
そういうと玉麗は手提げ袋から一冊の書物を取り出した。
医学書にしては小ぶりで、小説にしてはかなり薄い。手渡された書物を捲ると、一頁につき一人の女の画が載っていた。そしてなにやら一つ一つ細かく説明されている。その様子はまるで図譜のようだった。
「・・・・これはなんですか?」
「ええっ、なに、あんた知らないの?今王都で流行っている服とか後宮で妃賓が来た服とかが載ってる服装書よ!」
「・・・へぇ」
どーんと胸を張る玉麗を横目にもう一度ぺらぺらと書物を捲る。
一目で殿方の目を引きそうなものから全く見たことのないような新しいもの、そして異邦のもの。細かい字もしっかりと目を通すと、服の素材や画の手本になった人物についての詳細が書かれている。
「あたしのお気に入りはこれ」
玉麗が指さす頁には、胸は辛うじて隠しているものの腹は完全にさらけ出されており、腕は肌が透けるような素材なのかうっすらと見えてしまっている。下は裙ではなく、男が履くような袴に似ているが、下に向かってふんわりと広がる構造になっているようだ。色は目が覚めるような浅藍で塗られており、涼やかな印象を受ける。一般的なこの国の服とは大きくかけ離れているが、溌剌とした玉麗にはよく似合うと思う。
「玉麗さんならすごく似合いそうですね」
素直に感想を述べると、玉麗の顔がぱあっと明るくなった。
「もうあんた本当に可愛い!」
がばっと勢いよく抱きしめられ少し苦しいが、この苦しみさえも嫌ではないと感じてしまう・・・と思ったが、いつまでも抱きしめられるのは結構きついものがある。特に首が変な方向に曲がってしまっているため、このままだと寝違えと同じ現象が起こりそうだ。
「玉麗さん、馬車の中ですので一先ず座りましょう」
「・・・それもそうだね」
明藍が促すと、玉麗は渋々といった様子で向いに腰を下ろし、頬をかく。
「いや、ごめんね。賛同してくれる人が周りに居なくって興奮しちゃった。甘味屋の旦那はそんなの裸と変わらないって春画扱いしてくるし、慶さんからは可哀そうな目を向けられて謎に芝麻球くれるし、先生に至っては『そんなに腹を出していたら下すぞ』の一言だけ。もうやんなっちゃってさー!」
登場人物が全員顔見知りなだけにその光景がまざまざと浮かんでくる。
特に円樹に至っては至極真面目なのだからまた質が悪い。
「まあ、ほら、でも実際に腹を出すと下すこともありますし」
ちなみに明藍は腹を出しても全く下したことはない・・・というのも、ここほぼ毎日腹を出して寝ているからだ。寝相の悪さで明藍の右に出る者はなかなかいないだろう。こればかりは体質もあるので出してみないとわからないが。
「まあ・・・・たしかにあたしは腹が冷えやすいけどさ」
「・・・だったらやめておきましょうか」
すでに前科があったとは。
腹を下しやすい体質ならば出さないにこしたことはない。
明藍の言葉に玉麗はしぶしぶながら小さく頷いた。そうしているうちに馬車が止まる。どうやら呉服店に着いたらしい。
「半刻後に、またここへ」
馬車を降りて下男に伝える。
このまま待っていてもらうという手もあるのだが、誰かを待たせていると思うとどうしても気が急いてしまう。それにいくら大通りとはいえ、人通りも多い。邪魔になるのでこのまま陣取るような真似はできればしたくはない。
下男は小さく頭を下げると、素早く手綱を手に取ると来た道を戻っていった。
「さて、では物色致しましょうか」
店に入ろうとした明藍の腕を玉麗が掴む。
一体何だと振り返ってみると、やや青い顔をした玉麗が口元を引きつらせていた。
「もしかして・・・・腹が痛くなりましたか?」
腹下しの話をしていたので、本当に痛くなってしまったのだろうか。
決して揶揄っているわけではない。実際、話をしただけでも思い出してしまうのか腹が緩くなる者も中には存在する。それ故心配になったが、大抵そういう部類は神経が非常に脆く、繊細だ。控えめに言っても玉麗とは正反対の性格である。
しかし、玉麗はそんな明藍の言葉を完全に無視し、店を凝視している。それによく考えずとも、彼女はもはやそんじょそこらの医師や薬師では太刀打ちできないほどの知識も腕を持つ医師助手である。腹下しくらい自分でなんとかするだろう。
玉麗が動きの悪いからくり人形のような動きでこちらに目線を向ける。ねえ、本当にここであってる?とでも聞きたそうな顔をするとほぼ同時に店の奥からぱたぱたと人が出てきた。
仕立ての良さそうな服は絹をふんだんに使っているのだろう。裙がよく見るものよりもやや広がり、胸元はやや広めに肌を露出しているが下品な印象もいやらしさも感じない。先程玉麗が見せてくれた書物に載っていたものによく似ていた。
「やだ!本当に来られたんですか!お呼びいただければこちらから伺いましたのに!玲玲、天天、すぐに奥にご案内して!」
「はい!奥様!」
「えっ、あっ、ちょ」
「さあ、こちらでございます」
まだ笄礼を終えていない年頃の、媛媛より幾ばくか年上の娘に背を押され店の奥へと進む。
混乱している玉麗には悪いが、この女主人の勢いに勝てたことは一度もない。ここは大人しく従うしかない─とあの口達者ばかりが集まる秋家のその中でも抜きん出ている尊宝が言っていたのだから明藍が敵う見込みなどほとんどなかった。
手持ちの金がなくならなければいいが。
明藍は小さくため息をついた。




