七、賭け事
「すみませーん」
明藍が手を挙げると、店員が浮き足ってやってくる。
「はい、ご注文ですか?」
「ええ。菊花茶を人数分お願いします」
「・・・かしこまりました。少々お時間いただきます」
固唾を飲んで見守っていた男たちは安堵のため息を漏らし、さっきまでうきうきとしていた店員はやや残念そうに肩を落とした。
流石にこれ以上は悪い。
胃袋が限界を迎えたのではなく、その前に良心が待ったをかけた。
空になるごとに店員が下げてくれたので明藍の前に皿が積み上がるなんてことはないが、実際に積み上げたらなかなかの高さになるくらいは腹に収めていた。
一つ、男たちの誤算があるとすれば、それは明藍が見た目からは想像もつかない大食らいだったということだ。体が資本で一般よりも食べる方だと自負している男たちが真っ青になるほどなので、察して欲しい。
お茶を待つ間、男たちがこそこそ財布の中を確認している様子に、明藍は珍しく笑ってしまった。
すぐにはっとなったが、時すでに遅し。
男たちはぽかんとしたかと思うと、顔を赤くしたり、視線をうろうろさせたりとどこか落ち着きがなくなってしまった。
やってしまった、と頭を抱えたくなるのをぐっと我慢する。何故か昔から素で笑うと周りの空気がおかしくなる。
「そういえば、今更ですが皆さま同じ部隊に所属されているのですか?」
空気を変えようと明藍が切り出す。
「えっ、ああ、俺とこいつが守壁隊で、残りは皇宮の警備にあたってる」
「それは大役ですね」
皇宮はこの国要である。
武官の中でも指折りの者しか皇宮には残ることができない。
「君は知らないかもしれないが、その中でも守壁隊はまた一段とすごいんだぜ」
皇宮警備を務める男の一人が文成を小突く。
「そうなんですか?」
「ああ、以前はそんなことなかったんだが・・・ここだけの話なんだけど、実は外壁に結界を張ってた術師が消息不明になったんだ。そのせいで三月ほど前から急激に魔物が増えて守壁隊が重要視されて再編成がされたってわけ。それまでの守壁隊っていえば閑職だったのに、今じゃ花形だよ」
「皇宮には他に術師さまがいらっしゃいますよね?その方々ではできないのでしょうか?」
明藍は万が一のことを考慮して、結界術についての詳細は残している。一人でとは言わないまでも、数人で寝ず食わずで頑張ればできないこともないはずだ。
明藍の問いに、男たちは皆苦い顔をした。
「それが・・・何故だかわからないが、ちょうど同じ頃から城壁付近にも小物とはいえ魔物が現れるよるになって、そっちで手一杯らしい」
「・・・そうなんですね」
明藍はおかしいと直感的に思った。
王都には外壁の他に二つの壁がある。皇宮を守るための城壁と、貴族たちが住まう区画を守る壁、通称内壁である。普通であれば外壁の次は内壁のはずだが、それを飛ばして城壁付近に現れるというのが気になる。内壁とはいえ、上級術師が管理しているのだから、並大抵の魔物では太刀打ちできないはずだ。
何か確信があるわけでもない。ただ、喉に引っ掛かった小骨のような違和感がある。
明藍が手を顎に寄せ、深い思考に陥ろうとしたまさにその時、店内で派手な音が響いた。
「ふざけんな!負けそうだからって因縁つけてんじゃねーぞ!」
床で真っ二つに割れた皿に続いて、追加で湯呑みが落ちる。
明藍たちの席から二つ隣なので、声が丸聞こえである。その様子は、言い合いと言うよりも三対二で明らかに柄の悪い三人が罵っている状況だ。
「お客様!困ります!」
「うるせー!女は引っ込んでろ!」
店員が慌てて仲裁に入ろうとするが、三人組の一人、片目の男が手を大きく振りかぶった。
ぎゅっと目をつぶる店員。
だが、いつまで経っても想像していた衝撃は来ない。それもそのはず、店員と片目の男の間には体躯の良い男が二人。
「おっさん、何があったかは知らねぇが、暴力はいけないんじゃないか?」
「そうそう。あんまりかっかするとぽっくり逝っちまうぞ」
腕をぐっと掴まれ、片目の男は怪訝に眉を寄せ振り払う。
「てめぇらには関係ないだろう!」
「ああ、関係ねぇな。でも関係ない女に手を出してるのを見逃すほど馬鹿じゃねーんでな」
ぎろりと睨みを効かせたのは、葛若拙。文成と同じ守壁隊に配属された精鋭だ。
六人いた男たちの中で一早く動いたのが、文成と若拙であった。他の四人も動き出してはいたが、この二人は速さが違う。
なるほど、精鋭と呼ばれるわけだ。
明藍はひとり納得する。
「はんっ。じゃあ、兄ちゃん達がこいつの借金肩代わりしてくれんのか?」
「しゃっ、違う!お前達がいかさまをっ」
「ちょっ、ちょっと待ってくれ!話がよく見えないんだが」
「・・・あのぅ」
それまで黙り込んでいた店員が小さく手をあげる。その場の視線が雀斑顔の店員に集中する。
「わたし、詳細知ってます」
店員の話によれば、二人の男たちが食事を楽しんでいたという。そこへ三人組の男たちがやってきて相席を頼み、相席がてらに酒の飲み比べをしようと誘われた。最初は普通に飲み比べをしているだけだったが、途中から金をかけようと持ちかけた。少しならばと思っていたが、知らず知らずのうちに金額が膨れ上がり、気付けば金四枚にもなっていた。
あまりの金額に酔いも覚めた二人組は、自分たちの様子とあまりに違う三人組に何かがおかしいと思い器を奪い口をつけた。すると、あまりの薄さに驚き、いかさまだと声をあげてしまった、というわけだ。
店員は卓近くに控えているため、一部始終ではなくばっちり最初から最後まで目撃している。ただし、給仕する時だけは見ていないらしい。
話だけ聞くとどちらもどっちというか、安易に誘いに乗る方も乗る方で同情の余地はないが、酒が薄かったという点が気になる。
ちなみに二人組のひとりの小父さんは、玉麗が贔屓にしている甘味屋の店主だ。あちらも明藍に気付いたようで、必死に目で助けを求めている。
さすがに知り合いを見捨てるほど明藍は人出無しではない。
「あの、そのお酒ってまだ残ってますか?」
「これだよ!」
甘味屋の小父さんが素早く器を渡してくる。
鼻を近づけ嗅ぎ比べると、確かに一つは鼻をつくような酒精のにおいがし、もう一つはほとんど分からないほどのにおいしかしない。
明らかに水で薄めているが、それを追求したところでこの手の人間が素直に認めるわけない。それならば─。
「すみません、火をもらえますか?」
「はい、厨から貰ってきます」
店員がばたばたと奥に消えていく。
「藍藍ちゃん、一体何をするつもりなんだ?」
「文成さまは強い酒の場合、火種を近づけるとどうなるか知っていますか?」
「火種?そりゃあ、火がぶわっと・・・なるほど!」
「そうです。酒精が強ければ強いほど火の勢いは増します。つまり、この二つの酒が同じであれば火の勢いも同じというわけです」
さあ、これで一件落着と思いきや、そう簡単にはいかない。
「おいおい!さっきから話聞いてりゃあ、勝手に何しようとしてんだ?俺たちはそんなの認めねーからね!」
三人組のうちの細目の男が勢いよく立ち上がる。
「それに万が一薄かったとして、そいつらが負け惜しみで水を入れたかもしれないだろ?俺たちがやったって証拠はどこにあるだ?」
たしかに片目の男が言い分はあり得なくはない。
こんな時、魔術が使えればと思ったが、すぐに頭を振る。こういう輩は魔術さえもいかさまだと言い出すだろう。結局わかるような形で見せつけなければ引き下がってくれない。
「わかりました。それでは、わたしと賭けを致しませんか?」
「ちょっ、藍藍ちゃん!」
止めようとする文成を無視し、片目の男に語りかける。
「わたしが勝てばこの方たちとの賭けを取り消しにしてください」
「それでお嬢ちゃんが負ければ?」
「煮るなり焼くなり好きにしていただいて結構です」
「らっ、藍藍ちゃん!?」
武官六人衆がそれならば俺がと立候補してくれるが、いくら体躯が良いとは言っても、すでに樽一つを開けるほど飲んでいる。相手がどれほどの酒豪かわからないため、ここで任せるのは不安が残る。なにより、明藍は食べることに夢中だったので酒を一滴も飲んでいない。
「煮るなり焼くなりなぁ・・・本当に好きにしてもいいんだな」
「ええ、ご自由に」
下衆な笑みを浮かべる片目の男に対して、明藍はにっこりと笑みを張り付けた。