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二十一

 この島に生まれたものは皆知っている。でも、外の誰にも話してはならない。話せば禍が降りかかる。彼女らは何故かそれを知る術を持っている。そしてこれまでに幾許かの愚者のせいで島は何度も危機に瀕した。

 だから絶対話してはならない。ましてや、殺すなど愚の骨頂である。

 それが島民の常識だった。子守唄にもなるくらい当たり前の話だった。しかし、それは起こってしまった。

 島に父と娘二人で暮らす親子がいた。母親はすでに他界しており、男手ひとつで育てたそれはそれは目に入れても痛くないほど可愛い娘だった。

 秋から冬へと季節が変わる頃、娘が風邪を拗らせ肺風(はいえん)になった。島には医師がおらず、満足な治療は受けられない。生まれつき体が弱かった娘の病状はどんどん悪くなっていった。呼吸する度にぜいぜいと喉がなり、咳き込めば血が混じる。胸の痛さに満足に睡眠すら取れない。衰弱死するか、そのまま息ができなくなりくたばるか。もはやそのどちらかだと周りは完全に諦めていた。

 そんな時、男はふと思い出してしまった。

 人魚の血肉を食らえば、不老不死になり、どんな病も治る。

 本当かどうかなどわからない。でも、このまま苦しむ娘を見殺しにするくらいなら─気付いた時には、男は隠し持っていた鎌で娘のことを本当の娘のように可愛がってくれていた人魚の喉を裂いていた。

 殺めた後に、取り返しのつかないことをしたと気付いたがもう遅かった。すでに奪われた命は二度と戻ってこない。男は正直に親友に打ち明けた。ここで人魚たちに正直に打ち明けていれば、まだ救いはあったのかもしれない。だが、よくに目が眩んだ親友はこう言った。


 『殺してしまったものは仕方がない。これは二人の秘密だ。早くばらして本土で売り捌こう』


 男は従うしかなかった。

 親友の目には欲望しか映っていない。逆らえば自分が、いや娘も含めて消されるのは明白だった。

 こうして一人の人魚は散り散りになり、売り捌かれた。やがて気付いた人魚たちは怒り狂った。しかし時すでに遅く、男と娘、親友は島を出ていた。それでも人魚の怒りはおさまらなかった。そして人魚の怒りは海神の怒りになり、島の周辺は船一隻も近寄れないほどの高波と雷雨に見舞われた。

 収束しないまま、余波は周りの地域をも巻き込み、広がっていった。族長らは何度も王都に連絡を取ろうとしたが、この荒れ狂う海を前にどんな手立ても無駄に終わった。

 しかし一月半ほど経った頃、紅玉の瞳をした男が琥珀のような零れんばかりの瞳の女を引き連れてやってきた。男は女に言った。

 

 『お前ならばすぐに解決できる。任せた』


 女は面映げに微笑む。その姿は麗しの人魚を見慣れた島民でさえ息を呑むほどの美しさだった。

 女はすぐに人魚の館へ向かった。そして半日ほどすると波が収まり、普段の緩やかな海へと姿を戻した。

 驚く島民たちは女に尋ねた。


 『一体どんな妙術を使ったのか』


 その問いに、女は考え込む仕草を見せ、やがてふっと口元を緩める。


 『彼女たちとの秘密です』


 彼女(にんぎょ)の名が出たせいか、それとも女があまりにも美しかったせいか。どちらにせよ島民たちはそれ以上何も口には出来なかった。

 ただひとつだけ確かなのは、その術師たちが来たおかげで海神の怒りは鎮まったということだけだった。




「以上が三十五年前の詳細になります」


 語り部の女─水緑(スイリョク)が小さくお辞儀をする。

 礼を言うべきなのはわかっているが、どうしてもそんな気持ちにはなれなかった。

 事の発端は父親の子を思う愛情だった。それを責めるべきではない。でも、やり方は絶対に間違っている。

 

 「その親子はどうなったんだ?」

 「娘はそのまま病で亡くなりました。父親は・・・」


 水緑は口を紡いで、困ったように眉を下げる。

 その表情で明藍は察した。

 この国では人は死後、魂は神の御許へと集められ、再度生まれ変わると信じられている。しかし魂には戻る順番が決められており、定められた順番以外─つまり自死などをすればそれは神の意向に背いたとみなされ、未来永劫何者にもなれずにさまよい続けると言われているのだ。明藍としては死んだら終わりとしか思っていないが、信じる者にとっては自死という単語を口にするのも嫌がるものは多い。

 

 「それでは、人魚の館については何かご存じですか?」


 直接事件の張本人に事情を聴こうと思ったが、すでに鬼籍に入っているのではどうしようもない。

 それよりも話に出てきた助手が向かった人魚の館。これが今の状況を打開できる一番の鍵だろう。

 明藍の問いに、水緑は小さく唇を噛む。

 これは─知らないのではなく、()()()()のか。


 「では、質問を変えます。その助手はどうやって人魚の館を知ったのですか?」

 「・・・・満月、だと聞いています」

 「満月?」


 聞き返しながら、一昨日の月の形を思い出す。もうあと数日で満月になりそうな大きさだった。

 横目で玄武を見ると、


 「明日が満月だ」


 心を読んだように答えてくれる。

 いつも思うが、実は神獣は皆、読心術が使えているのではないだろうか。いや、神獣だからそれくらい使えても何も驚かないのだが、知っているのと知らないのでは大きな違いがある。もし使えているのであれば、後生だから教えてほしい。 


 「水緑さん、ありがとうございました。他の集落にも足を運んでみます」

 「・・・わかりました。あの、できればこの集落の話は他言無用でお願いできますでしょうか?」

 「それはいいですけど・・・」


 なぜそんなことをと疑問に思っていると、水緑がまた困ったように眉を下げた。


 「この島の集落はどこも仲が悪いのです。それも二百年前の事件がきっかけだと言われています。遠い昔のことですが、いがみ合っているんです」

 

 お願いしますと頭を下げられれば、もうそれ以上は追及できない。

 明藍たちも頭を下げ、屋敷を後にしようと立ち上がった時、ふと視線に違和感を感じた。

 ぱっと振り返ると水緑が慌てて視線を逸らす。

 しかし、一瞬見えたそれは明藍にとって違和感の塊でしかなかった。そしてそれは明藍の中の一つの仮説に結びつくかもしれない。


 「最後に一つ、教えてください。覚えていればで結構です。その助手はどんな顔をしていましたか?」


 瞳の色と見る目麗しかったと言うことだけはわかった。しかし、肝心の中身は全くわからない。鼻が小さかっただの、口が大きかっただの、この一件とは全く関係ないが何かしら情報が欲しかった。

 やや沈黙が流れた後、水緑は観念したように小さくため息を漏らした。


 「瓜二つでした」


 耳をすませなければ聞こえないほど小さな声は、静まりかえった室内でははっきりと形になった。

 瓜二つ。その言葉にざわざわと胸の奥がざわめき、喉がひきつりそうになる。


 「それは、わたしの容姿にと言うことでしょうか?」

 

 自分のことを見る目麗しいなんて思ったことはない。でも、琥珀色の瞳など血縁関係以外あり得ないのではないだろうか。

 たが、明藍は自分で口にしておきながら、どこかで否定されることを望んでいた。明藍の母は妓女で、明藍を産んで数日後に亡くなった。そんな母がこんな島に来ているはずはない。

 今まで信じていたものが一から全部覆される。それが怖かった。

 しかし、明藍の期待とは裏腹に水緑は無言で目を細めた。その瞳は明藍を通して別の誰かを映し出しているように思える。それが答えだった。

 明藍はもう一度小さく頭を下げると、屋敷を後にした。

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