二十
「ところで姉ちゃん。兄ちゃんの件がなければどうやってくるつもりだったんだよ」
宇冠が草木を掻き分けながら聞いてくる。
二人が上陸したのは島の北側だった。ここは交易船の通り道なので人魚の縄張りから外れているらしい。しかし、島民にとっても北は作物の育ちも悪ければ潮の流れもあまり良くないのでよっぽどの物好きしか近付かないようだ。お陰でこうして生い茂った草木を掻き分けないと前に進むことさえ困難である。
「氷の橋でも作ろうかと思ってたんですが・・・」
明藍の当初の計画としては、近づけるところまで船で近づき、そこから先は海を凍らせて氷橋にして渡ろうと思っていた。しかし。
ちらりと斜め後ろを見る。
波は高く、潮の流れも早い。中を移動してきたからわかるが、島に近づくにつれて明らかに魚の数が減っていた。普通の船でくればまず木っ端微塵、皇船で来ても無傷とはいかないだろう。
これだけ荒れていれば氷橋は諦めて、結局玄武を召喚する羽目になってただろう。
「海を凍らせるってことか?そんなことできるならさ、ここの葉っぱたちをどかしてくれよ」
「うーん、無理ですね」
「えっ、なんでだよ」
宇冠があからさまに不満げな声を上げるが、できないものは仕方がない。
術を使うには魔力が必要だ。明藍は他の術師と比べても飛び抜けて魔力が強いが、玄武のような神獣を使役するには想像を絶する魔力を消耗する。また急いで出てきたため、朝餉も取れていない。消耗するだけして生成する要素がなければ魔力は減るばかりだ。
「簡単に言うと、お腹空いて力が出ないんですよ」
「それ、本気で言ってる?」
「ええ。本気ですよ?」
実際本気でやれと言われればやれるが、いつ何時何が起こるかわからないこの状況では魔力は温存しておきたいのが本音である。
宇冠は納得いっていないようだが、ここで駄々をこねても仕方がないと思ったのかまた歩き始めた。
明藍も大人しく後ろをついて歩いていると、
「困っているのか」
「ひっ!」
いつの間にか実体化した玄武が背後に立っていた。
「お、驚かせないでください!」
しかもなんで勝手に出てきているのだ。
「再封印しなければ俺たちは自身の意志で自由に出入りできる。朱雀だってそうだっただろう。それと、今は自身の霊力を使っているからお前が気を揉む必要はない」
玄武が手を前に伸ばすとものすごい勢いで水が噴射され、瞬く間にそこには道ができた。
「うわぁ・・・すげぇ」
宇冠が感嘆の声を上げる。
「ありがとうございます」
「礼を言われるようなことではない。ほら、行くぞ」
自身で作った道をさっさと通る抜ける玄武の後を二人は追いかけた。
林を抜け、宇冠の案内でついたのは西の集落だった。
すぐ側には砂浜があり、砂は白く、さらさらとしている。こんな天候でなければさぞ美しい景色を拝めたはずだ。
不思議なことに海は大荒れだが、島の内部には風など一切吹き荒れていない。海に出なければなんら害は無さそうだが、海に出なければ漁は行えない。漁ができなければ魚が取れない。そうなれば魚を売るだけではなく、食糧としている島民の生活はままならないはずだ。このまま放っておけば、遅かれ早かれ皆飢死してしまう。
誰か人はいないかと三人で探していると、少し離れたところに人影を見つけた。近寄ってみると、宇冠と同じ頃くらいの少女が畑仕事をしていた。
「こんにちは」
声をかけると、びくりと小さな肩が大きく揺れる。
こちらを向いた大きな瞳は青みがかっており、まるで瑠璃のようだ。
「不躾で申し訳ないのですが、集落の長はいらっしゃいますか?」
「・・・族長のことですか?」
少女は受け答えはしてくれるものの、どこか警戒した様子だ。特に宇冠から目を離さない。
もしかして敵対している集落だったのだろうか。でも、そうであれば最初にこの集落に宇冠が案内するとは考えにくい。そしてなにより当の本人は何かを気にする素振りも見せない。
「あの、どうかなさいましたか?」
妙な空気に居た堪れなくなり声をかけると、少女がはっとして視線を逸らす。
「・・・いえ、なんでもないです。ご案内します」
芋のようなものがたくさん入った籠を持ち上げた少女の後をついていくと、少し経った場所に家が見えてきた。
集落は全体的に低い建物が多く、物見櫓だけが飛び抜けて見える。元々風が強い地域なのだろう。木々の樹形が皆同じ方角に大きく傾いている。
集落の真ん中辺りで少女は足を止めると、明藍たちを一瞥し、中に入っていった。屋敷の広さから考えて、ここが族長の屋敷で間違いないだろう。
きっと話を通してくれているはずだと荒れ狂う海を眺めていると、中から初老の女が現れる。
「この海で客人とは、お前さんたち一体何者だ」
訝しむ様子に明藍が慌てて官玉を取り出す。
「王都より参りました。皇宮首席術師、春明藍と申します。此度の件、皇帝陛下より調査せよと勅命を受けた次第です。どうぞ、ご協力くださいませ」
口調は丁寧だが、その内容は協力を強制するものだ。
本当はこんな言い方よくないと思うが、今は何より時間がない。一瞬、もう遅いのではないかと嫌な考えが浮かびそうになったが、すぐに打ち消す。
信じてさえいれば、そこに希望は見出せる。
「そろそろかと思っとったが・・・どうそ、こちらへ」
三人は大人しく中へと招かれた。
建物は然程新しくはないものの、想像していたよりもずっと広い屋敷だった。集落の長の住まいは、民たちの集いの場にもなるため必然的にその場所で一番大きくなる。さらにはその権力を誇示するため、珍品などを所有していることも多いらしいが─。
三人は通された一室に飾られている干からびた枝のようなものに頭を悩ませていた。
「枝ですかね?」
「枝はこんな大層に飾られねぇんじゃないか?」
「いや、この島にしか生息していない珍種の樹木かもしれん。もしそうだったら持って帰ってもいいだろうか」
「何言ってるんですか。この島を出たらすぐに戻しますよ」
玄武が切れ長の目を細める。
「朱雀はいいのにか」
「あれは致し方なしです」
言われて久しく忘れていたが、朱雀は弟子たちとうまくやっているだろうか。いくら神獣といえど、人間世界の書類仕事にまでは精通していまい。あとは仕事の手伝いと言いながらうっかり燃やしたりしていないことを祈るばかりだ。机仕事と言えばむしろここにいる玄武の方が適任のような気がするが、まさか自分の代理で仕事をさせるために神獣を使役するような罰当たりなことはさすがにできない。
「瘴気が抜けたら彼も戻しますよ」
「そうか。瘴気に当たればいいのか」
「・・・わざとやったら二度と外に出しませんからね」
そこまでして外に出たいのか。
「つまらぬな。せっかく我らを維持できる術師に巡り合っているというのに」
これ見よがしにため息をつかれたが、今は朱雀だけで手いっぱいだ。彼一人でも制御できていないのに、加えて研究熱心で興味があればどこへでも行こうとする玄武が加わればてんやわんやになることなど目に見えている。
それに、神獣は実態擬態を問わず、人間界に長く居ると弱ると聞いている。何が原因かは定かではないが、空気が合わないのだろう。どのくらいという明確な期限は知らないので、もし何か朱雀にも異常が現れればすぐに明藍の元へ知らせが来る手筈は整えている。
「大変長らくお待たせしました」
戸が開き、入ってきたのは先ほどの初老の族長ではなく、まだ髪が黒々とした壮年の女だった。すっと通った鼻梁に柔らかな目元と形のいい輪郭は、今でも十分に美しいが、若い頃はさぞ美しかっただろうと安易に想像できる。
女は三人の前に座ると、持ってきていた資料を広げた。
「これは・・・年表でしょうか?」
「ええ、その通りです。あなた方がお探しなのはこことここでしょう」
女から手渡された資料を受け取る。かなり古びた紙で、慎重に扱わないと今にも崩れてしまいそうなほど劣化していた。ただし、ここが海からほど近いと思えばかなり保存状態はいい。湿気が多いと書は傷みやすく、すぐに駄目になる。慎重に捲り、目を通すがやはり文字がぼやけていてよくわからない。ところどころ見たことない文字もある。どんな術を使えば解読できるかと頭を悩ましていると玄武が横から覗き込んできた。
「島民、人魚の契り破りしがため、海神の逆鱗に触るる。波高く、三月、半分が死す」
「・・・・よくわかられますね」
目を見張る女に玄武がふんと鼻を鳴らす。
「これでも無駄に長くは生きておらぬからな」
「そのように書かれていたのですね」
「・・・あの、失礼ですが、わかっていらっしゃらなかったのですか?」
明藍の問いに、女は小さく頷いた。
「恥ずかしながら、その文字は当時記した者以外誰も読めないのです。どうやら酷い悪筆だったようで」
「なるほど。それでは内容は」
「はい、口頭にて伝承されております」
新たに記せばいいと思ったが、王都でも庶民は未だに字は読めても書けないものが多い。島であれば尚更字を習う機会などないはずだ。
「これはいつの話でしょうか?」
「約二百年前だと記憶しております。そしてこれが」
今度は比較的新しい資料のようだ。
虫食いもなく、何より悪筆ではないので明藍でも読める。日焼けはしている点を除けば、皇宮の書物庫で保管されている物に引けを取らないほど保存状態がいい。
不思議に思って裏返すと、すぐに合点がいった。裏表紙には見た事のある術式が記されている。
「これは三十五年前にこの島に来た術師が残したものでしょうか?」
「おっしゃる通りです。その時の術師さまが残してくださいました」
「どんな方でしたか?」
最後の質問に特段深い意味はなかった。
ただ、この術は簡単そうに見えて意外と複雑だ。途中で効力が切れてしまっては意味がない。そのため、何重にも術式を組み合わせなければならない。皇宮書物庫の書にも同じ術がかけてあり、黄管理人の現在の主な仕事だ。
「首席術師と名乗る方と助手の女性の方でした」
めくっていた手が止まる。
霍老師がいつから首席術師をしているのかは知らないが、三十五年前は確実にその地位にある。しかし、明藍が気になったのはそこではない。
霍老師はああ見えて慈愛に満ちている。童はもちろんのこと、動物すら手にかけない。だから万が一があるかも現場には自分で自分の身を守れる上級術師以上の実力者しか連れて行かない。
明藍もその信念故に何度も留守番をさせられたし、実力がついたと思えば今度は外壁の結界を任されたので結局一緒に外に出たことはなかった。
助手と言って連れてきているのならば、それ相応の実力者のはずだ。しかし、明藍の記憶が正しければ、明藍は歴代唯一の女術師だったはず。つまり、今まで女が術師になった例はない。それにさっきから気になっていた瞳の色だ。琥珀色の瞳を持つ者を今までで一人しか知らない。
明藍によく似た、兄だと言い残した男、朱月だ。
花街の一件は慌ただしく処理されてしまった為、色々手付かずなことが多かった。王都に戻ったら調べなからばならない。
「あの、大丈夫でしょうか?」
「あっ・・・も・・・申し訳ありません」
慌てて頭を下げる。
完全に自分の世界に落ちてしまっていた。
「・・・三十五年前の話、詳しく教えて頂けませんか?」
言った後に、まだ十にも満たなかったであろう人物に聞くのは間違いだと気づいたが、女はそんな明藍の心中を察したかのようににっこりと微笑んだ。
「聞いた話と交えてで良ければお伝えできますよ」
細められた瞳が光を反射してきらりと光る。
その時、初めて先ほどの少女と同じ瑠璃の瞳をしていることに気が付いた。




