六、陳文成
「藍藍ちゃん!」
街中で買い出しをしていると声をかけられた。驚いて声がした方を向くと、先日退所したばかりの文成が大きく手を振っていた。
「お久しぶりです、文成さま。わたしだとよく分りましたね」
内心焦りつつも、笑顔を作る。
何故ばれたのだろうと思っていると、文成の方から答えを教えてくれた。
「いやぁ、藍藍ちゃん外に出る時にいつもその外套着てただろ?体格から見てそうかなと思ってさ」
「・・・然様でございましたか」
術が解けたわけではなかったと安堵するも、顔以外の情報で特定されてしまう危険性を教えられた。体格は変えれないが、外套をあと何種類か見繕おう。
「今日はお休みなのですか?」
見覚えのある武官姿ではなく、普通の服を来ている文成は年相応の青年に見えた。
「そうなんだよ。怪我して休んでたら休暇が溜まりにたまっちゃってて」
「治療期間は休暇にはならないのですか?」
「昔は休暇扱いだったらしいんだけど、上が変わってから治療期間中は休暇扱いにならなくなったんだ。おかげで体を労われるけど、体が怠けそうで怖いよ」
「そうなんですね」
明藍は顔には出さなかったもののかなり衝撃を受けていた。
術部に居た時はほとんど休みなどなかったし、休暇があったとしても返上が当たり前だった。お陰で体調を崩す者が多く、その穴埋めにさらに休暇は無くなっていき・・・とまぁ、典型的な仕事環境劣悪部署だったのだ。
怪我で休んでさらに休暇がもらえるなんて、前世でどんな徳を積んだらその超優良部署に配属してもらえるのだろう。
「ところで、藍藍ちゃんは買い出しかい?」
遠い目になりつつあった明藍を文成が現実に引き戻す。
「ええ、あと一ヶ所回れば今日はおしまいです」
昼から市場を回って薬の材料を買い集めていた。最後に診療所側にある生薬問屋に寄って日が暮れる前には戻るつもり算段だ。
「それじゃあさ、このあと一緒に飯でもどうだ?」
夕餉はすでに仕込みに入っている時間だ─と思ったが、家に戻り着くのが遅くなりそうなので外で適当に済ませてくるように言われていたのを思い出す。適当にと言われても明藍は冒険はしない部類なので、行き着く場所は近所の酒楼しかない。とても美味しい酒楼なのだが、如何せん品数が少ないためまた同じものを注文する羽目になる。流石に同じものばかり食べるのは飽きてくる。
「ありがとうございます。ご一緒させてください」
「おーい!文成ー!」
明藍が頷くとほぼ同時に、野太い声がした。声がした方を見ると、文成に負けずとも劣らず体格のいい男たちがわらわらとやってくる。
「お前、いきなり消えるなよな」
「す、すまん。つい見失いそうになって」
「はぁ?見失うって誰を・・・」
そこで初めて男たちは文成の後ろから様子を伺っていた明藍に気付いたようで、全員の動きが停止する。あまりに長く止まっているので、まさか術を使ってしまったかと思い文成の袖を引っ張ってみるがちゃんと引っ張れた。となれば─
「・・・文成さま、これは」
一体どうされたのでしょう。
そう聞きたかったのだが、明藍は口にすることはできなかった。
「ぶ、文成貴様ァァァ!!」
一人が文成の首に腕を絡め締め上げる。それを皮切りに、周りの男たちが文成を囲み、「抜け駆けしやがってー!」「ふざけんなこの野郎!!」などありとあらゆる罵詈雑言を並べている。
一体なんの騒ぎだと通りがかりの人々が怪訝な顔をしているが、注目の的となっている本人たちは全く気にせず、というよりもそんなことは関係ないとばかりの形相で未だ文成に詰め寄っている。
「お嬢ちゃん、大丈夫かい?武官呼んどくか?」
「えーっと・・・たぶん知り合いなので大丈夫です」
声をかけてくれた顔見知りの老店主にお礼を言いつつ、明藍は早くこの騒ぎから抜け出したいと身を小さくすることしかできなかった。
「本当にすまなかった!」
一二三・・・六の下げられた頭を前に、明藍は苦笑するしかなかった。
結局あの後、待てど暮らせど終わりが見えず待ちぼうけを食らっていた明藍であったが、見かねた顔見知りの老店主の一喝で騒ぎは終息した。終息したのはいいのだが、下町では女の取り合いだなんだの噂され、風評被害もいいところだ。
これでは暫く恥ずかしくて町を歩けない─と思ったが、明藍の顔を憶えているものなどいないので別になんてことはない。むしろさっきの文成の話から、外套を被っている方が目立つのかもしれない。
「あの、わたしは大丈夫なので、皆さま顔をあげてください」
「いや、でもっ」
「・・・では言い方をかえます。周りの目が痛いので、顔をあげてくださいませんか?」
町でも繁盛している指折りの店で大男六人に頭を下げられている女に、客はもとより店員も興味津々といった様子でこちらを覗いている。
席が半分個室のような形になっているので、視線を直に受けることはないのが幸いだった。
明藍の言葉に、男たちはおずおずと顔をあげた。体躯はでかいのにその様子は小動物のようで不均衡さが面白い。
「それよりも、本当にわたしがご一緒してもよろしいのでしょうか?」
「もちろん!」
「むしろこんなむさ苦しい中居てもらえるだけで!」
男たちの必死の形相に、明藍は本日何度目になるかわからない苦笑いを浮かべた。
こんな人気店にその場当日で大人数が入れるわけもなく。実は男たちは文成の同僚で今日は快気祝いだという。皆屈強な体躯をしていると思ってはいたが、なるほどと合点がいった。
本当は武官には近づきたくないのだが、文成や周りの態度を見る限り、人相書きなどは出回っていないようだ。いや、人相書きができるほど明藍の顔を覚えているものがいないのだろう。これはかなり都合がいい。
「迷惑かけたし、ささ、藍藍ちゃんも好きなもの頼んで!」
「あっ、てめぇなに勝手に藍藍ちゃんなんて呼んでんだよ!俺がどれだけ苦労したと思ってんだ!」
「うるせーよ!藍藍ちゃん、今日は俺たちの奢りだから気にせずに食べてな!」
目の前に品書きがずらっと並べられる。
さすがは名店というだけあって、色んな客層に対応すべく数多くの菜が取り揃えている。
これは迷惑料だと思っていいのだろうか。
ちらりと男たちを見ると、慌てて視線を逸らされる。
まあ、そういった態度をとられるのはいつものことなので慣れている。
「では、お言葉に甘えてさせていただきますね」
明藍が店員を呼び、品書きを見ながら伝えていく。
この時、男たちは小柄な明藍の食べる分なんてたかが知れてると思っていた─が、彼らは後に大きく後悔する羽目になる。
綺麗な花には刺があるというよりに、女という生き物は一筋縄ではいかないものだ。




