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十二

 「姉ちゃんたち金持ちだったんだね」


 船から身を乗り出して海を眺める童─宇冠(ウカン)がにかりと白い歯を見せた。

 金持ちか金持ちでないかと言われれば、これでも皇宮勤めで一応名門四家の出ではあるので世間一般的に言えば該当するのかもしれない。しかし、この船はいくら金を払おうともそう易々と乗れるものではない。

 遥か上空で気持ち良さげに風を受けている旗には目が合えば今にも噛みついてきそうな迫力のある龍が描かれている。

 そう、明藍(メイラン)たちが乗っている船はただの船ではない。この国で一番雅なお方が所有する船─皇船である。

 皇船には細部に至るまで多様な術が施されているらしく、揺れも少なければ進みも早い。先に出港した船を瞬く間に追い抜いていく。この速度のまま進めば、目的地まではあっという間だろう。

 ただ、いくら可愛がっている家臣がいるからと言ってさすがにこれはやりすぎだと明藍は密かに思っていた。

 

 「お前たち、腹は減ってないか」

 「減ってる!」


 噂をすれば愛臣と言っても過言ではない高明(コウメイ)が従者の(シン)を引き連れてやってきた。

 たしかに顔だけ見れば愛臣というのも納得する。皇帝にその気がないのは知っているが、そうでなくても変な気を起こしかねない。


 「どうかしたか?」


 高明が眉を顰める。

 あまりにもじっと見つめすぎたようだ。


 「いいえ、何も」


 明藍が笑顔を張り付けると、さらに溝を深くなった。どうやら選択を間違えたらしい。

 

 「なあなあ!何をくれるんだ!」


 目を輝かせた宇冠が盆を持つ真の周りを犬のようにぐるぐると回る。つい先程大人一人前の食事をぺろりと完食したのだが、余程腹が減っているらしい。

 高明は盆から切り分けられた月餅を二つ手に取ると、残りを宇冠と真で分けるように指示した。二人はそのまま奥の客室の方へと消えていった。

 微妙な空気のまま二人っきりになるのかと少し身構えてしまう。


 「お前はあいつの話を本当に信じているのか」


 高明のものに比べて三倍くらいはあろう大きさの月餅を頬張っていると、徐に話題を切り出した。

 この話をするために宇冠を引き離したかったのか。それならばそうと明藍を呼びつけるなり、宇冠を追い払うなりすれば良いのに、この人は(こども)には気を遣う傾向にある。媛媛(ユェンユェン)のことも明藍が養女にするのは反対だったが、(カク)老師(せんせい)の養女になる旨を説明すると安堵していた。後に他から聞いた話では、高明個人でも伝手を使って養家を探してくれていたらしい。

 明藍も童に関しては大人の何倍も大切にすべきだとは思っているが、高明に関してはその数分の一でいいので部下たちに優しさを見せてやってほしい。合同訓練に出た者達の報告書には、明言はしていないものの暗に枢密院長官が怖かったと結構な頻度で書かれていた。

 明藍も怒った高明は怖いと思う。ただ、剣を振り回してくるわけでもなければ噛みついてくるわけでもない。実際には精神的な圧のみなので、そこは皆にも慣れてもらうしかないのだろう。


 「正直、にわかには信じられません」


 宇冠の話では、彼は住んでいた島からここまで漂流してきたのだという。

 掏摸(スリ)をしていたのもその島へ帰るための船賃を稼ぐためだったというが、信じられないのはその距離だ。

 彼の住む島は朱建州からさらに南にあった。普通の大型船でも六日程度、この皇船をもってしても丸二日はかかる。そんな場所から童が小舟一つで漂流してきたなど考えられない。潮の流れなどに詳しくはないが、それを加味するともっと難しいのではと思う。


 「俺は宇冠(あいつ)は嘘をついていると思っている」

 

 残念ながら明藍も同意見だ。いや、むしろ何かを隠している。

 そんな謎めいた人物を皇船に乗せて良いのかと言われそうだが、あまりの必死さに押し負けた二人である。何かあれば自分たちで責任を取る(しまつする)所存で、高明の従者の一人として乗船させることにしたのだ。

 しかし、その万が一を考えると頭が痛くなる。

 まだ目的地にすら到着していないのに、今回の旅はどうしてこうも問題ばかり起きるのか。むしろ旅とはそのようなものなのか。どちらにせよ、旅はもうしばらくしなくていい。


 「わたしは嘘をついていても、害さえなければそれでいいと思います」


 嘘を毛嫌いする人間は一定数いる。

 もちろんそれを否定する気はない。だが明藍は理由のある嘘や人を傷つけないための嘘は必要だと思っている。

 高明は少し黙ってから、そうかと小さく頷いた。それ以上何も言わないところを見ると、宇冠のことは明藍の判断に任せるということで違いないだろう。

 自身の判断で一人の運命が決まると思うだけで気が重くなる。そう思うと毎日審議を行い、判決を言い渡す郎中(さいばんかん)はやはり凄い。自分ならば押し潰されてしまいそうだ。

 月餅を食べ終わり、渋い茶が飲みたいと思っているとまたもや高明が切り出す。


 「・・・一つ聞いておかなければならないことがある」

 「・・・・なんでしょうか」


 普段に増して真剣な声音に、海鴎(かもめ)を眺めていた明藍の顔が強張る。

 しかも聞きたいではなく、(聞いておかなければならない)ことだ。


 「この一件が片付いたら、これに印をもらってきてほしい」


 高明が懐から出したのは竹でできた筒だった。

 一見簡素に見えるが、蓋の継ぎ目が複雑でちっとやそっとの衝撃では開かないようになっている─いや、この感じは術がかかっているのか。

 術式は見当たらないということは内部にでも記されているはずだ。開けることは出来るが、少々手間がかかる。

 

 「これの中身は何なのですか?」

 

 後から見れば良いのだが、ここまで厳重にされていると気になる。

 

 「・・・・婚約破棄書だ」

 

 ひゅっと喉が鳴った。

 ここで事の重大さに気付かされる。たしかに文のやり取りはした。でも、内容を見て貰えばわかるようにどちらも(脈なし)だ。脈なしであればそのうちもっと適任が現れて話が流れると踏んでいたのだが、どれだけ皇帝は本気だったらしい。

 たしかに明藍の中で東宮は透明ではなくなった。でも、まだ色がついたかと言われれば難しい。よくて白から淡い灰色くらいだ。

 そして、こんな時にちらつくのは何故か婚約者ではなく、目の前にいる高明だ。


 「・・・わかりました」


 明藍は小さく唇を噛んだ。

 ここで高明に何か言っても何も変わらないのに、何かを伝えなければならない気になっている。

 だから、それは何かと問われればまだ明藍もうまくは説明できない。

 ただ、はっきり言えるのは、この縁談に自分は全く乗り気ではないと改めて再認識させられたということだ。

 

 「お前は、その婚約者とはいいのか」

 「え、ええ。元々嫁ぐつもりは更々ありませんでしたから」

 「どういうことだ?」

 

 高明が首を傾げる。

 

 「そのまんまの意味です。父が家を開けることが多く・・・というよりも家に居る事の方が珍しい人なので、留守の間に訳のわからぬところに嫁がせられる可能性を危惧して、保険として婚約をしたまでです。時期が来るか、相手に好いた人ができればすぐにでも破棄しようと思っておりました」


 この婚約は元を辿れば楊家の魔の手から明藍を守るため、父が計画したことだ。なんでそんな危ない家の子女を嫁にもらったと当時は突っ込みを入れたが、大人には大人の事情というものがある。

 大方、地方に診療所を建てまくっているらしい父の財源とすべく婚姻関係を結んだのだろう。なんというか、現金な奴である。


 「・・・しかし、相手は好いているように見えたぞ」

 「いつお会いなさったのですか?」

 

 彼もまた父と同じく神出鬼没で、文を寄越したと思えば次の場所に行っているため中々やり取りができない。一応婚約者である明藍ですら一番新しい記憶が一昨年の花祭りだ。その時に見せてくれた花は南の島に咲いていたというとてつもなく巨大で、びっくりするほど悪臭を放つおどろおどろしいものだった。

 あの時、完全に彼という生き物とは分かち合えないと思い知らされたのだ。たぶん、ものすごい費用をかけて持ち運んできたのに喜ばない明藍を見て、あちらも同じことを思っただろうが。


 「いつって・・・王都を出る前に会っただろ」

 「えっ、王都に居たのですか?」

 

 また変な花を持って帰ってきているかもしれない。時期としてはやや早いが、春には花祭りがある。貰う側が嬉しいか嬉しくないかは全く別として、一応律儀に毎年花はくれる。

 思わず顔を歪めると、高明が訝しげに眉を寄せた。


 「執務室で一緒にいたではないか。ほらあの兄弟子だ」

 「・・・朱雀のことですか?」

 「朱雀?」

 「ええ。あれは人の形を真似た朱雀ですよ」

 「なっ・・・・」


 高明はしばし固まったのち、顔を手で覆う。

 

 「・・・何故、別の名で呼んでいた」

 「あの場で朱雀の名を出せば、弟子たちが興奮して仕事にならぬと判断したからです」


 ついでに言うと、朱雀の名前を出さずとも他者たちの乱入もあり、仕事は終わらなかった。そのおかげで明藍は夜更かしを余儀なくされた。

 高明はそうかと小さく相槌を打ち、そのまま黙り込んでしまった。

 明藍も何か話題があるわけではない。いや、今ならばお互い様という顔をして聞けるのだが、なにより聞く勇気がなかった。

 海鳥の鳴き声と波の音に耳を澄ましながら、そっと横目で隣を見る。相変わらず口を開く様子はないが、その口元が少しだけ緩んでいるように見えた気がした。

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