五、師弟関係
数人が食事できるほどの広い机には、紙と筆一式、魔導書、そして茶と茶菓子が置いてあった。しかも今日の茶は玉麗が入れてくれたため、非常に美味しい。玉麗は料理の腕も良いし、器用も良い。嫁の貰い手がないと嘆いていたが、あんなできた女を嫁にせず世の中の男は一体何を見てるんだと声を大にして言いたい。明藍が男だったら、真っ先に逢引しているだろう。その前に断られる可能性も高いが。
「藍藍」
妄想の世界に片足を突っ込んでいた明藍が現実世界に引き戻される。
目の前に差し出されたのは、貴人にでも文を認めるのかと思わんばかりの上質な紙のど真ん中に書かれた不格好な術式らしきもの。
「これは・・・」
酷い、と思わず口にしそうになり、明藍は慌てて口を閉ざした。
「独特ですね」
表情を隠すために笑顔を貼り付けたのだが、どうやらお気にめさなかったらしい。
「下手ならはっきりとそう言えば良い」
差し出してきた紙を手元に引き寄せながら、李高明が顔を歪める。
ここでうまく慰めれるのがいい師なのだろうが、明藍にとっての師といえばたった一人で、尚且つ彼もまたいい師というには癖が強い部類なので参考にならない。
そうなれば自分にできることといえばただ一つ。
明藍は遠ざかった紙を素早く奪い手元に寄せると、朱墨がついた筆を手に取る。
「まずここの円が歪んでおります。次にここの文字が大きすぎます。術式は大きすぎても小さすぎてもなりません」
明藍が筆を滑らせるたび、紙が朱に染まっていく。
「そして極め付けはここです」
大きく丸をつける。
三つある円のうち、一つの円が閉じ切っていなかった。
「術式というものは形は異なれど、基本は円です。円になっていなければどんなに高度な術式でも成立は致しません」
「・・・なるほど、円が全て、か」
「然様です」
もちろん例外はあるが、初級魔術には関係ない。
「質問なのだが、札には文字だけだが、あれはなぜ成り立っている」
「札や符は術式ではなく、詠唱の代わりになります。大抵の場合、札には簡易術を扱います」
明藍は近くにあった書き損じを破ると、さらさらと筆を走らせる。
「例えばこんな感じです」
「・・・これはなんという意味だ?」
受け取った紙を見ながら、高明が訝しげに眉を潜める。出会った頃は表情筋が仕事をしていないと感じていたが、こうしていると意外と分かりやすい。
「高明さまの身をお守りするように願った精霊魔法です。精霊の力を借りると威力を増幅させやすいのでよく使います」
「・・・その精霊とやらは見えるのか?」
高明の眉が更に潜められ、大きな渓谷を作り出している。せっかくの端正な顔立ちが─と思ったが、整った顔はどんな表情をしていてもその美しさを損なわないらしい。
現に到底美しいとはいえない表情でも、見る人が見れば憂いているようにも見えるだろう。ただし、見る人が見ればの話である。
そんな難しい顔しなくてもいいのに、と思いつつ首を横に振る。
「見えませんが、確かにいます」
一部の高位精霊になれば話は別だが、もとより精霊には姿という概念がない。その代わりと言ってはなんだが、ありとあらゆる精霊が存在する。
「その精霊とやらはどこに載っている」
「精霊については・・・」
頁をめぐりながら、明藍は顔を歪めた。
精霊を使役すること自体が難しく、知識としても初級魔法では出てこない。実際に精霊魔法が使えるのは位でいえば中級術師以上になる。実力があればもちろんそれ以前でも使えるのだが、いかんせんそんな実力を持った者など稀だ。
そしてその稀の稀が明藍である。
完全に頭から抜け落ちていたため普通に話してしまったが─。
ぱたんと本を閉じ、笑顔を貼り付ける。
「この書には載っていないみたいですね。また次の書に載っていたらその時にお教えします」
初級魔法の魔導書を読んでいる限り出会うことはないのだが、どうか悪く思わないで欲しい。
下手に知識があると思われれば、疑われる可能性がある。外壁の警備を担当しているとはいえ高明は歴とした武官だ。武官には消息を経った女術師の捕縛命令が出ているはず。
流石に自分の命は惜しい。
さて、と切れ端を回収しようと手を出すと、高明が小首を傾げた。
「これはくれたのではなかったのか?」
「・・・そんな切れ端、効果は薄いですよ」
いや、嘘だ。
走り書きだろうとどんなものに書こうと効果は同じだが、子供の落書きのように適当に書いたものだし、何より字を見れば明藍だとわかる人にはわかる。
「効果が薄くとも良い」
「・・・それならばちゃんとしたものを作りますので」
わざと字を崩せば流石にわからないだろう。
明藍が再度手を出し出すも、その手の上には何も乗ることがなく、
「俺はこれでいいのではなく、これがいい」
真剣な眼差しで射抜かれれば、それ以上催促できなくなる。折れたのはもちろん明藍だ。
「・・・わかりました。それでは一つ約束してください」
「なんだ」
「その文字を誰にも見せてはなりません。内側に折り畳んで置いてください」
「そんなことでいいのか。わかった」
高明は頷くとすぐに懐から掌ほどの巾着袋を取り出した。男が持つには可愛らしい、桃色の布地には白牡丹が刺繍されている。中に先ほどの切れ端を入れると、また懐に戻した。
目が合うと、にっと口を歪ませた。
「これでいいのであろう?」
「・・・高明さまのご無事を祈っております」
いつもそんな風に笑っていればいいのに、なんて表情が死んでるとよく言われていた自分が口にしていい台詞ではない。
明藍はつられて笑うなんてことはせず、仏頂面のままだった。