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 なんだか前途多難な気がする。

 結局あの後詰所に行くことで同意し向かおうとしていたのだが、相手方の逃亡したことにより調書も取られず無罪放免となったのだが─。

 明藍は馬車に揺られながら、魔導書に目を通すようには努めているものの、全く頭に入ってこなかった。ただ文字を目で追ってるだけだ。これでは意味がない。

 それもこれも、どうも武官から聞いた話が頭を離れないせいだ。


 「・・・人魚肉、か」


 ぽつりと高明(コウメイ)が呟く。


 ある男達が人魚の血肉を分けてくれる。


 先ほどの武官から聞いた話だ。それはまだ噂話程度で信憑性に欠けるというが、明藍達が王都から来た官吏だということで一応報告したいと言われた。たしかに小耳に挟んだ程度では官吏は動けない。しかし、それを知っているか知らないかで気付けることは多い。


 「高明さまも気になりますか」

 「ああ。人魚は伝説が多いからな」


 人魚といえば、上半身が人で下半身が魚という半魚人である。彼らが住う国は建木(ケンボク)の西にあるというが、実際に見たものはおらず、物語として広く語り継がれている。

 ここまでであれば普通の御伽話なのだが、人魚はその血肉を食らえば不老不死になるだの、歌を聞いてしまえば虜になってその場から死ぬまで動けないだの、満月の夜に海を覗くと食われてしまうだの、とにかく嘘か実かわからない血生臭い話が多い。

 元を辿れば月と海は深い関係があり、普段よりも潮が満ちるので近づくなという意味を込めて漁村では語り継がれていると何かの書で目にしたが、その他の不老不死などの話は出自はよく知らない。

 どちらにせよ、何かを食べて不老不死になろうなんて思っている時点で不老不死などむりだ。本気で目指す者はそんな他力本願ではなく、一人で山に篭って黙々と修行を積む。それが上手くいけば仙人になれるらしいが、生憎明藍はまだ仙人に会ったことはない。


 「本当に人魚肉だったらそれはそれで問題があるのだろうが」

 「偽りで、しかも獣肉ではなく人肉だった場合大問題ですね」


 殺人はもちろん重刑である。

 やむを得ない理由があったとしても墨を入れられたり、足の骨を抜かれたりと何かしらの罰を受けることになる。

 そしてなにより、国は人肉を食すことを固く禁じている。

 その昔飢饉により人肉を多く食らった時期があったらしいが、その際なんとか飢饉を生き残った者も後々病で倒れることも少なくなかった。原因は不明なままだが、その多くが人肉を口にしていたという。また、倫理的にも共喰いは認められないとお触れが出された。

 つまりどんなに遡っても、ここ百年ほどは人肉は出回っていない。それが万が一偽りとはいえ人肉が出回っていたとすらば、下手すると国の崩壊に繋がりかねない。

 現王朝はそんなことすら気付かなかったのか、そんなことすら取り締まれなかったのか、そんなことすら──。

 付け入る隙を見せれば、牙を剥く輩などごまんといる。王朝は絶対であるが、不可侵ではない。隙が溝に、溝が谷になれば、修正は難しい。

 先ほどの武官がそこまで考えていたかはわからないが、こうしてきちんと報告をあげてくれるおかげで可能性をひとつ潰せたかもしれないと思うと功績は大きい。


 「陛下に報告致しますか?」

 「ああ、俺から伝えよう」


 高明が懐から筆を出す。

 いくら変装して庶民に紛れていても、懐からすぐに筆が出てくるところがいかにも官吏らしい。しかし、すぐになにかに気付いたようで、視線をあげた。

 

 「この揺れでは書けんな」

 

 高明の言う通り、普通に考えれば馬車の揺れで字がぶれてしまうって文など書けない。

 そう()()()()()()の話である。


 「お力添えしましょうか」

 「なに?」


 高明の返事を聞く前に明藍が人差し指で宙をなぞると、ちょうど文に使う紙と同程度の枠が現れる。


 「ここに字を書いてください」

 

 意味が分からないのか高明が首を傾げる。

 口で言うよりも実際に見せたほうが早いだろう。

 高明の筆を拝借すると、枠の中に筆を滑らせた。すると、墨をつけていないのに文字が浮かび上がる。

 

 「このようにして書いていただければ大丈夫です。揺れでぶれてしまったところは」


 そう言って指の腹で擦るように動かす。


 「・・・・これは便利だな」

 「普段はあまり使いませんけどね。書き損じが許されない時は便利ですよ」

 

 皇帝に書き損じなんて送ったら本人が許してくれても周りが許してくれない。

 特に皇帝付きの宦官のケイ辺りは厳しそうだ。あとからものすごい追及を受けたい猛者はぜひ挑戦してみてほしい。きっと笑顔で詰ってくれる。


 「普段は使わないとなると、これは難しい術なのか?」

 「うーん、難しいってわけではないんですけど、何か他のことに気を取られた瞬間に枠が消えているなんてことがありまして・・・あ、大丈夫ですよ。高明さまが書き終わるまで、ちゃんと集中しておきますから」

 「・・・わかった。すぐに仕上げよう」


 一瞬なんだその諸刃の剣はと言わんばかりの顔をされたが、どうしても普段は執務は立て込むので仕方がない。

 そういえば弟子たちは朱雀とうまくやっているだろうか。

 仕事を回すように催促した文への返答が来ていないことが少し気にかかるが、朱雀は四獣の中でも人懐こい性質たちなのでそこまで心配はしていない。朱月たちと対峙した際、とっさに朱雀を出して正解だった。本人には怪我を負わせてしまったので悪いことをしたが。


 「おい、消えかかっているぞ」


 高明の言葉に明藍がはっとなる。

 

 「・・・・申し訳ありません」


 半眼になっている高明に小さく頭をさげると、明藍は目の前のことに集中した。



 明藍が短く詠唱すると、文字たちはひとりでに紙に滑り落ちる。さっと乾かすと、次は燕になり窓から勢いよく飛び立った。

 その姿を見送っていると、高明がぽつりとつぶやく。

 

 「何度見てもお前の術は不思議だな」

 「わたしのというよりは、術全体でございましょう?」

 「それは否定せんが・・・それでもお前のは明らかに他とは異なるだろ」

 「そう、ですかね?」


 自分の術を他人と比べたことなどほとんどない─というよりも、他人ができない術を使うことが多く比べられないと言った方が正しい。

 高明が顎に手を寄せ神妙な面持ちを見せる。


 「あの、なにか不都合でもありましたか?」


 知らないうちに何かやらかしていたのだろうか。

 今のところ明藍の耳には届いていないが、高明のところで止めている可能性はなくもない。一応明藍は枢密院所属の扱いだ。上の判断で下には話が降りてこないなんて官吏の世界ではごく一般的な話である。


 「いや・・・・」


 何かを言いかけた高明が口を閉ざし、代わりにじっと見つめられる。

 最初は明藍も真剣な顔で固唾をのんでいたが、あまりにじっと見つめられすぎてなんだが恥ずかしくなってきた。そんな穴が開くほど見たって、何も起こりはしないだろうに。

 そろそろ本当に体に穴が開く。 

 辛抱ならず明藍が声をかけようとすると、高明が徐に口を開いた。


 「実はお前の代わりを務められる術師の育成を考えている」

 「それは・・・わたしの弟子ではなくてですか?」

 

 命は有限だ。

 明藍がずっと働き続けるのはもちろん無理がある。だから(カク)老師(せんせい)が明藍を育てたように、明藍も弟子を育てようとしている。勿論同じ人間はいないため出来る出来ない以前に向き不向きすら異なってくる。

 実際に霍老師と明藍でも得意とする分野は違う。だから其々が其々の特性を伸ばし、そして補えるように一度に無理して三人も育てているのだ。

 それを高明もわかってくれていると思っていたのだが─。


 「もちろん、弟子達(あいつら)は後々首席術師になるべくして育成しているのは理解している。たが、俺が言っているのは<すぐにでも>代理もして勤め上げれる人材の話だ」

 「・・・すぐにでも」

 「現時点では策がない故、霍首席に頼んでいる状態だがああ見えて高齢だ。普通ならば庭を眺めて茶でも飲んで一日が終わるくらいだぞ」


 普通の家には眺めるほどの庭はないとはあえて突っ込まなかった。()家はなんだかんだで豪邸という噂なので、庭もたいそう素晴らしいのだろう。


 「そんなことわかってますよ。本人からも老体を馬車馬の如く使うなとお叱りは受けてますから」


 ただし前回はそうだったとしても、今回は明藍の一存ではどうにもならない。なにせ、勅命だ。背けば罰が待っている。

 だから今回は目を瞑ってもらえばしばらくはないと勝手に踏んでいるのだが、まさか次の任が待っているのだろうか。

 しかし、高明の言葉は全く予想していなかったものだった。


 「お前だってそろそろいい年だ。子ができれば出てこれない時期もあろう」

 「・・・・・ぇえぇ」


 思わず変な声が出た。

 最近よく言われるその話題を、まさか同年代の高明から振られるとは思っていなかった。

 まあ、知ってて然るべきではある。なにせあの林泉(リンセン)経由で美蘭(メイラン)まで知っているのだ。息子同然に可愛がられているらしい高明が耳にしていないわけではない。そんな当たり前の話だし、よく考えなくてもわかっていたことだ。ただ─


 「・・・・そうですね」


 喉元まで出かかった言葉をぐっと飲み込んだ。


 「少し疲れましたので寝ます」


 まだ何か言いたそうな高明と一瞬目が合ったが、明藍は気付かないふりをして自身の外套を頭まで被った。

 何故自分がこんなにもむくれているのかはわからなかったが、この顔は見せてはいけないことだけはなんとなくわかった。

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