七
結局一日寝てしまった。
気付けばいつの間にか田舎道を抜け、宿場のある街へと到着していた。真が声をかけてくれなければそのまま二人で夜が更けるまで眠りこけていたかもしれない。
そう、明藍だけではなく、高明までも本気で寝入っていた。しかも真向いではなく隣で。おそらく何度か座席で頭を打って起きたので、見かねて支えになってくれたのだろう。お陰で熟睡できたが、もたれかかるようになってしまい大変申し訳なかった。涎が垂れていなかったのだけが、唯一の救いである。
真が気を遣って昼餉の時間も寝かせてくれていたおかげで予定よりも半刻も早く着いたらしいが、それでも日は傾き、その姿をほどんど見せてはくれない。朱建州までの道のりは楽なものではないのは理解しているつもりだったが、早朝から夕暮までずっと馬車に揺られているのは少しつらいものがある。魔導書を読むには持って来いの時間ではあるが、それにしてもただ乗っているだけというのは時間を無駄にしている気がしてならない。仕事に追われるのは御免蒙りたいが、何もしないというのは心許ない。ここ数年、なんだかんだでずっと仕事一色だったせいか暇の持て余し方がわからなかった。
王都に戻ったら、何か趣味を見つけよう。
小さな決意を胸に、簡単な仕事を回してもらえるように文を綴って空に放った。文はすぐに鳥─燕の形になると、王都の方角へ姿を消す。文鳥の便利なところは到着までが早く、尚且つ間違いなく届けてくれる点である。これがなかったらどうやって遠方との文のやり取りをしていいのかわからないっと思ったが、普通は文鳥など使えないため人が長い時間をかけて運ぶのだ。それはそれで趣があるような気もするが、速さに慣れた明藍はきっと待てないだろう。
「さて、何を食べましょうか」
昼餉を抜いてしまったので、腹はかなり空いている。
開け放った窓から少し身を乗り出して辺りを伺うと、見るからに明るく、人通りの多い場所があった。きっとこの近くで言えば一番の繁華街だ。
店に入ってもいいし、露店を回ってみてもいい。いつもと違う─といってもまだまだ王都に近いが、ここでしか食べられないものがあるかもしれない。人でさえなければ際物でも偏見はないので、できれば不思議なものと出会いたい。でも、最初は焼き鳥あたりで少し腹ごなしをしようと思っていると、常闇の中、何やらこちらへ真っすぐ向かってくる。
「・・・鳩?」
欄干にちょこんと降り立ったのは、どっからどう見ても紛れもない鳩だ。
もしや焼き鳥を食べたいという願いを察知し、自ら志願しにきてくれたのか─なんてありもしないことを一瞬思ったが、すぐに足に何かが巻きついていることに気付く。
そういえばすっかり忘れていた。この世には文鳥の元になった存在がいることを。
手を差し出すと、ちょんちょんとかわいいらしい横歩きで乗ってきた鳩の足から外して広げる。
「これは」
紙には小川のように流れる柔らかい文字が申し訳程度に並んでいた。
一目でわかる。東宮からの文だ。
内容は普段も変わらぬ世間話。何を読むのか、何を好んで食べるのか、普段どんな仕事をしているのか。基本は東宮からの質問で、それに明藍が答える形式になっている。もはや事情を知らぬ他人が見たら、文のやりとりというよりも聴取かと勘違いするような文面である。
今日は花祭りについて触れてあり、好きな花を問われている。花は美しいと思うが、特段思い入れのある花はない。当たり障りのない、誰もが名は必ず知ってる花─牡丹あたりでいいか。明藍は深く考えず、さらさらと筆を滑らせようとしたが、
「・・・・・駄目だ、お腹が空いた」
一気に襲いかかってきた空腹感に筆を持つ気力が湧かない。鴿子が待っているからと急いで返事を書こうとしたが、待っていてくれるだろうか。
ちらりと見ると、鳩がなんだと言っているかのよう小首を傾げる。
「・・・あなたもきっと休憩は必要ですよね。夕餉を一緒に食べましょう。ご馳走しますよ」
手を差し伸べると、またちょんちょんと横歩きで乗ってくる。肩のあたりまでやってきて、居心地の良い場所を探り当てたらしく動きを止めた。そこで初めて鳩の嘴付近に周りに黒子のような染みがあることに気がつく。黒子というよりも、小豆といった方がしっくりくる。
「それでは参りましょうか、豆豆」
勝手につけた名前だが、案外気に入ってくれたのか豆豆がくるっぽーと一鳴きした。
そういえば、鳩は夜行性ではないのでもう眠るのではと再度横目で見るが、期待に満ち溢れた瞳でこちらを凝視しているように見えるので、まあよしとする。旅は道連れと言うし、眠くなったら勝手に眠るだろう。
明藍は豆豆を肩に乗せたまま、隣の部屋に向かった。さすがに無断で出て行くほど常識外れではない。それに今度こそ逃亡の疑いをかけられたら、北の収容所に角られてしまうかもしれない。それだけは絶対に阻止しなければならなかった。
「はい、どうぞ」
掌に米を乗せて近づけてやると身を乗り出して啄んでくる。まだ近場とはいえ、それでも三十里近くは飛んでいる筈だ。腹も減っても仕方がない。
あまりの食いっぷりに体が重くなれば飛び辛くなるだろうにと心配になるが、鳥は飛べなければその分下から出すので問題ない。
「お姉さん一人?」
若干顔を赤らめた男が声をかけてきた。
またか、と明藍は小さくため息をつく。目立たぬように光があまり届かない路地裏に身を隠しているのに、男たちはめげずにやってくる。何か賭け事の対象にでもされているのだろうかと小首を傾げたくなる。
「生憎、連れがおりますので」
「そんな硬いこと言わずにさ〜奢るから一緒に呑もうよ〜」
「・・・・・」
見るからに酔っている男には何を言ってもきっと無駄だ。酒は少量ならば百薬の長だが、彼の状態は完全に酒に飲まれている。
面倒臭いので逃げようかと思ったが、意外と繁華街は人が多い。動いてしまえば、二度と巡り会えないかもしれない。それは非常に困る。心配をかけかねないし、なにより食事が手に入らない。
「おい、無視かぁ?」
男が腕を伸ばしてくる─が、その腕が明藍を掴むことはない。
「あっ、いてっ!な、なんだこいつ!」
それまで大人しく食事に集中していた豆豆が男の腕をつついた。
つん、つん、つつ、つつつつつつつつ。
想像以上に痛いのか、豆豆の高速突きに男が伸ばしてきた腕を引っ込める。
その様子にふんと満足げに息を吐くと、また食事を再開する。
鳩ってこんなに賢い生きものだったのか。
感心していると、少し酔いが醒めたのか先ほどよりも動きがまともになった男が睨みつけてくる。
「こんの!馬鹿にしやがって!」
今度は拳を握り締め、しかもあろうことか豆豆を狙ってくる。弱き者に暴力を奮う類の人種を好きにはなれない─いや、嫌悪感さえ抱く。
「・・・っ」
男の動きが止まった。
まるで幽鬼でも見たかのように蒼白になり、小刻みに震え出す。
「あ・・・に」
「おい、何をしている」
「っ!」
びくんと肩を大きく揺らし、我に帰った男は一目散に大通りの方へかけていった。
「・・・何かされたか?」
「いいえ、豆豆が守ってくれましたから何も」
その言葉に男を追いかけようとしていた真が動きを止める。両手いっぱいに焼き鳥を抱えたままでは捕まえれないだろうに。
明藍はその大量の焼き鳥を受け取ると、すぐさま頬張る。
男を撃退するのに術は使っていない。腹が減りすぎて術を使う気にもなれなかった。実際気力が底をついて歩くことすらままならなかったため、二人が買い出しに行ってくれたのだから。夕餉を食べに行くから外に出ると報告しに行った時に、一緒についてくると言われ複雑だったが、今思えばありがたい。あと、なんとなくだが二人の間に流れていた気まずさも今朝よりもだいぶましになっている気もする─とここで話を戻す。
結局明藍がしたことといえば、ただとてつもない嫌悪感を抱いただけだ。
あと、妖術を態と解いて目の色を戻してやった。きっと化け猫とでも思ってくれたのだろう。化け猫が餌をお供にするかどうかは疑問であるが、なにより血が流れなかったのでよしとする。
今回の立役者である豆豆はというと、同属の悲観な結末を見まいとしたのか、それとも疲れたからか肩の上で眠っていた。
明藍はささっと焼き鳥を完食すると立ち上がる。
「よし、それでは行きましょうか」
「・・・・そうだったな」
まだ食うのかと言わんばかりの表情を一瞬されたが、こんな量では小腹しか満たされていない。しかも昼餉を抜いているのだから、二食分補充しなければならない。
高明は手持ちの焼き鳥を口に入れると、先行く明藍の後を追った。




