六
揺れると眠くなるのは何故だろう。
明藍は眠気を飛ばすために外を眺めていたが、王都を抜けてから代わり映えのしない風景に瞼はどんどん重くなってくる。
これでまだ花が咲いたり、鳥が飛んでいたりすれば話は違うのだろうが、季節は冬。花はまだ蕾で、鳥は南方に渡っているせいかほとんど姿を見ない。田畑は霜が降り、所々雪に覆われている。
何もない。本当に、何も。
初めて王都を出られるということでかなり期待をしてしまったが、壁の一歩外に出ればただの田舎だ。田舎も珍しいといえば珍しいが、田舎は田舎である。
気を抜くとすぐに夢路についてしまいそうになるので、明藍は先日読んだばかりの魔導書の内容を頭の中で復讐する。三頁あたりまで辿ったところで、向かいに座っている高明が口を開いた。
「最初の目的地までまだ時間がある。少し休め」
「・・・・いえ、大丈夫です。お見苦しい姿をお見せするわけにはいきませんので」
一瞬言葉に甘えてしまいそうになったが、いくら気の知れた仲とはいえ下手な姿を見せるわけにはいかない。
しかし、本当のことを言えば馬車で寝るつもりで夜更かししてしまった。
もちろんそれは初めて王都を出るから期待で胸が膨らんで─なんてかわいい理由ではない。
案の定終わらなかった仕事と魔丸作成のためだ。特に自身の魔力を物体化する魔丸は気力と体力を消耗する。朝から体力を回復するためにいつもよりも多めに食べたが、それも相まって眠気を増幅させていた。
一睡もしていないなんてことは言わないが、一刻もは寝ていない。危うく寝過ごしそうになったところで朱雀が叩き起こしてくれた。朱雀がいなければ、間違いなく集合時刻に間に合わなかっただろう。なにせ宿舎から官宮に移ってしまったせいで起こしてくれていた管理人の小母ちゃんはいないのだから。
「・・・・こうして二人でいるは久しいな」
聞き取れるか聞き取れないかくらいの小さなつぶやきに明藍が視線を横に向ける。
同じように外を眺めていたらしく高明も視線だけがこちらを向く。すぐに逸らそうとしたが、高明が放つ威圧感のせいか目が逸らせない。
視線が交わり、絡み合う。蛇に睨まれた蛙。その表現が今ほどしっくり来る場面に明藍は遭遇したことはない。息が詰まるというよりも息がうまくできない。
「変なことを聞いてもいいか」
「・・・お答えできることならば」
「お前、なぜ俺を避けている」
自分でも何故だかわからないが、大きく肩が揺れた。
「・・・避けてなど」
明藍は言葉に詰まる。
避けていないと胸を張って言える自信がなかった。思い返せば、たしかに接触する機会を自ら避けていた。しかしそれは意図してというよりも無意識下でそうしていた。いや、むしろ意図してのほうがまだかわいいかもしれない。
無意識とは裏を返せば、自分の一番素直な感情だ。体裁を気にしない童のような、剥き出しになった一番柔らかいところを守ろうとしたのだ─一体何から?
すなわち傷つくことから。では一体何に傷つく。
そうだ、あの日─妓楼で高明を見たときに自分は何を感じた。
どろり。
昨日だってそうだ。
よくわからない感情が湧き出て、小さな器にたまっていく。
どろり、どろり。
いっぱいになったそれはあふれ出し、蟲のように胸の中をうごめく。
ざわざわ、どろり、ざわざわ。
うるさい、知らない、こんなの知らない─知ってはいけない。早く、早く出て行って!
「おい」
高明に肩を掴まれ、はっとなる。
「大丈夫か?」
「あっ・・・・申し訳ありません」
背中に汗をかいたようでやや寒気がする。
ぶるりと体を小さく震わすと、高明が自身の隣に置いていた外套を渡す。
「風邪をひかれては困る。それをかけて寝ておけ」
先ほどとは異なり、今度は有無を言わせないと言った口調だった。
たしかに道中で風邪を引けば最悪王都に引き返さなければならない。それは沢山の人々に迷惑をかけることになる。明藍は自分の任を知らないが、考えようによっては機密性を守るために知らされていないとも予測できる。つまり、それほどまでに重要なことなのだ。
しかし、わかっているとはいえ、目の前でうたた寝するなどはしたないことではないだろうか。
「真!」
明藍が迷っていると、痺れを切らした高明が外に向けて名を叫ぶ。
馬車が止まり、戸から真が顔を覗かせた。まさかいつものように登場するのかと少しだけ期待をしてしまったが、流石に馬車の中は無理だったようだ。
「代われ。俺が馬に乗る」
「えっ」
「お前が眠れぬのは俺のせいだろ。流石に馬の関係で一人にはできんが、嫌な奴よりは真であればまだましだろう」
言うが早いか外に出ようとする高明の裾を明藍がなんとか掴む。
「・・・おい、なんの真似だ」
「あっ、その・・・」
なんと言えばいいのかわからないず咄嗟に手が出てしまったが、今ここで放してしまえば今後ずっと交わることのない気がしてならなかった。
「・・・嫌ではありません」
「・・・では、何故寝ない」
「それは・・・」
男社会で生きてきた身で今更感はあるが、一応これでも恥じらいはある。
就寝中は不可抗力とはいえ、涎が垂れるかもしれないし、寝言だって言ってるかもしれない。つい先日も朱雀に「あんたは夢でも仕事してんのかい?」と揶揄われたほどだ。
そんな恥ずかしい姿、見せたくはない。
「・・・わかった。それでは俺も寝る。これでどうだ」
明藍が返事をする前に高明が目を瞑る。
反応に困り外を見遣ると、真と目があった。同じく反応に困っているかと思いきや、戸を閉められ、真顔で親指を立ててきた。
それは一体どういう心境なのか。
よくわからないが、今わかっていることと言えば明藍に残された選択肢は無理強いでも寝るということだけだ。
明藍は端によると頭を壁に預け、せっかくなので高明の外套を上からかけると目を閉じた。
ふんわりと香ってくるのは沈香だった。この香りは鎮静効果が非常に高いと明藍は認識している。そのおかげか、明藍は目を閉じるとすぐに深い世界に落ちていった。




