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 生物とは置かれた環境に適応していく。あるものはたった数日で、そしてあるものは何世代にもかけて。生き残るためには適用するしかないのだ。

 そしてそれは人も決して例外ではない。

 郷に入れば郷に従えという言葉があるが、特段従わずともそれが良いか悪いかは別として少なからず影響を受けるというものだ。そう、良いか悪いかは別として。

 

 「あら、何もできなかったのにいつの間に人並にお茶を入れられるようになったのかしら?それとも、まさか侍女でも雇ったの?」


 やや吊り上がった切れ長の目を意地悪く歪める少女に明藍は小さくため息を漏らす。

 わざと挑発する、わざと刺を散りばめる。悲しいかな、部屋には二人しかいないはずなのに、少女の背後にこの世で一番苦手な女の顔がちらつく。


 「わたくしも一人での生活が長いので、茶くらい入れられるようにはなります」

 「・・・まあ、それもそうね。それくらいしないと嫁の貰い手がありませんものね」


 訳すると、お茶を入れてくれる侍女がいるような家には到底嫁げないのだからそれくらい自分でできるようにしなくてはならないあなたは可哀想ね、である。

 

 「わたくしのことはご心配頂かず結構。家には迷惑はおかけしませんから」


 今だって金銭的支援は全く受けていない。異母兄の碧松(ヘキショウ)はどれだけでも支援すると煩いが、大体名門四家の中でも(シュン)家は抜きん出て金がない。そんな金のない家から援助を受けるほど明藍は薄給でもないし、元々金に困ったことなどない。


 「それはもちろんよ。だってあなた庶子ですもの」


 ふんと筋の通った高い鼻を鳴らした目の前の少女─異母妹の美蘭(メイラン)のどこぞの公主かと思わんばかりの豪奢な服や装飾品はほとんど(ヨウ)家の金で成り立っている。

 楊家はこの国の名門と呼ばれる十二家には数えられないが、商売で成功し、財力だけで言えば名門に肩を並べるか凌駕する程だ。

 実際生まれから考えれば庶子なのだが、戸籍上では庶子ではない─なんて事実は絶対美蘭には口が滑っても話してはならない。

 うっかり話してしまったら最後、春家の嫡子であればと楊家によって他国に嫁がせられてしまうだろう。

 元々、明藍が婚約した経緯も楊家が関わっているのだ。裏で何を謀られるかわかったものではない。


 「それで、本日はどのようなご用件ですか?」


 程よい緩さになった茶を啜る。

 自分は茶に関してはどうしても苦手意識を持っていたが、真面目に取り組めば意外とできるということがわかった。

 しかし、それもこの水準(レベル)で打ち止めだろう。

 妓楼で高明(コウメイ)と鉢合わせして以来、二人は顔を合わせていない。隣の塔にいるとはいえ、すでに武官と術師の共同訓練は雛形が出来上がってるので、明藍が関わらずともしばらくは勝手に進んでいくだろう。

 なんとなしに再開しなくなった茶会がなければ、ここまで接点がなかったのかと最近ようやく気付かされる。

 共にいることに慣れすぎていた。そのせいかぽかりと身体の一部がなくなったような感覚に陥る時があるが、それは自分が変化したからだ。またいないことが当たり前になれば、元の自分に戻れる筈だ。

 美蘭がじっと明藍を見つめる。いや、睨みつける。まるで猛禽類のようだ。猛禽類といえば、朱雀の羽の手入れをしていなかったと今更ながら思い出す。


 「林泉(リンセン)伯父さまから聞いたのだけれど」


 その前置きだけで、ものすごく嫌な予感がする。いや、美蘭が態々明藍の屋敷を訪問する時点で嫌な予感しかしなかったが。


 「・・・・あなた、殿下に求婚されたんですって?」

 「それは・・・・どの殿下でしょうか?」

 「東宮に決まっているじゃない!馬鹿にしているの!?」


 湯呑みが倒れる。

 ここで片手で割られていたら流石の明藍も焦るが、茶を溢されたくらいならば全然可愛いものだ。

 指をふいっと振ると、布巾がひとりでに動いて溢れた茶を拭き取っていく。それをやや青ざめた表情で美蘭が凝視する。


 「そうは言われましても、殿下は複数おられますし」


 何より美蘭が狙っている殿下は三人だが。

 布巾に釘づけだった美蘭が、はっとして顔を真っ赤にする。


 「わたしがお慕いしているのは東宮殿下だけです!」

 「・・・然様でございましたか。それは失礼いたしました」


 では、残りの二人は保留(キープ)しているということか。

 現在美蘭が謁見しているのは、東宮の兄である飛翔(ヒショウ)殿下、そして従兄弟にあたる暁風(ギョウフウ)殿下だ。どちらもすでに妃は数人いる。その中ですでに出遅れている美蘭が競うのは難しい。なにより皇位継承順位を考えれば、東宮が妥当ではあるが─。


 「別に求婚された訳ではございません。陛下に打診されただけです」


 事実、東宮とは一言も話していない。むしろ存在すら疑っていたが、この間御簾の裏にたしかにいたようだったのでいるにはいるだろうが、顔だって見たことはない。


 「やはりっ」

 「ですが、お断りしました」

 「・・・へっ?」


 ぎりっと噛み締めた口が一瞬にしてぽかんと開けひらかれる。その間抜け面に明藍は思わずふっと口元を緩めた。そんな顔をしていれば年相応の可愛らしい娘なだけなのに。


 「・・・な、何故です!」

 「何故と言われましても・・・わたくし婚約者がおりますし」

 「そんなの皇族であればなんとでもなりましょう」


 たしかになんとでもなりそうではあるが、うちの場合口約束ではなくきちんと証書に形として残している。証書に残している場合、無効とする手続きには両人とその後見人、つまり双方の父親の署名が必要だと法に明記されている。何故こんな法ができたかというと、これまた少し昔、皇族の傍系がとにかく気に入った娘を婚約者の有無関係なしに自分の妻にと権力を振りかざした。流石にこれは不味いと態々立法して規制をかけたのだ。

 もちろん皇族だからといって法を犯して良いわけではない。抜け道を探せばきっとどこかにあるのだろうが、そんなことならば皇帝自ら命じれば済む話だ。それをされなかったということは、貰い手が無かったら貰ってやろうくらいの感覚だったのだろう。


 「仰ることもわかりますが、わたくしはあなたと違い興味はございませんので」

 「・・・あなた、本当に愚かだったのね」


 美蘭が顔を手で覆い、大きくため息をつく。

 纏まってたら纏まってたで血相変えて怒鳴り込んできていただろうに。

 この娘の真意はよくわからない。いや、真意なんてものないのだ。美蘭は継母と玉林の体のいい操り人形でしかないのだから。実際、皇族に嫁ぐ重要性も半分くらいしか理解していないだろう。だから憎めない。

 これ以上叩いても情報は出てこないと思ったのか、それとも聞いてこいと言われた項目を全て出し終えたのか美蘭はいそいそと帰り支度を始める。


 「部屋までお送りしましょうか?」


 明藍が素っ気なく聞くと、美蘭の顔がみるみる青ざめる。


 「っ結構!わたくしは自前の馬車がございますので!」


 そう言い残すと、部屋の前に待たせていた従者と共に逃げるように屋敷を出て行った。

 

 「そんな怖いものじゃないんですけどねぇ」


 美蘭は幼い頃、明藍の離れに忍び込んでくることがあった。その時に魔術の話をしてあげると、とても喜んでいたが、これが継母には非常に好ましくなかったらしく、魔術とはとてつもなく恐ろしいものと美蘭に言い聞かせたらしい。おかげで美蘭は年頃になっても魔術を見るだけで顔を青くするようになっていた。

 

 「最後のはちょっと意地悪だったんじゃない?」


 振り返ると、そこにはしゃなりとした麗しき女人が美蘭が開けっ放しにして行った戸にもたれかかっていた。


 「・・・・ばれちゃいました?」

 「ばればれよ。まあ、あれだけの客人を寄越したんだからもっと怖がらせてもいいと思うけどね。ほら、こんな風に」


 ぶわっと体が炎に包まれる。

 現れたのは、この世の生物で一番近いもので言うと鳥─朱雀である。


 「そんなことしたら、あの子本気で卒倒しちゃいますよ。無傷で返すのが一番です」


 噂だけで態々刺客を放って殺そうとするくらいの人間だ。少しでも傷をつけたら難癖をつけられるに決まっている。


 「それもそうね」


 朱雀は納得したのか会話を終わらせると、獣姿のまま明藍に擦り寄ってきた。

 

 「手入れですね。ちょっと待ってください」


 明藍は香油と手巾を手に取ると、広げられた朱雀の羽の手入れを始める。

 手巾に香油を垂らし、羽一枚一枚に乗せるように染み込ませていく。手入れ自体特段する必要もないらしいが、これをすると双方とも燃えが良くなるような気がしているのでできればしておきたい。


 「いい香りね、これなんの香り?」


 この姿を見て誰も神獣だとは思わないほど寛いだ朱雀が尋ねる。


 「これはですね・・・・」


 たしかに文に書かれていたはずだ。

 手を動かしながら記憶を探る。


 「・・・鶏蛋花(ケイタンカ)ですね」

 「あら、それじゃああたしにぴったりじゃない」

 「うーん、神獣と鶏だったらかけ離れてるんじゃないですかね?それに鶏は飛べませんし」


 まず朱雀を鳥に分類していいかという問題があるが、本人が自分は燃える鳥だと言っているのでそこは気にしないことにする。


 「ああ、たしかに飛べないのはちょっと痛いわね。ほら、そうなるとあたし火を撒き散らすしかできないから木造が多いと役に立たないかしら」

 

 神獣が自身の存在意義について語るとは。

 なんともおかしな会話である。


 「そういえばさっきの小娘の話だけど、なんで縁談断ったの?」

 

 朱雀がきょとんと小首を傾げる。

 小首と言ってもかなりの大きさなので、首だけで明藍の太ももくらいの太さはある。


 「別に断ってないですよ」

「あら、そうなの」


 朱雀が意外と言ったように翼の先で嘴を覆う。

 姿は変えても、反応がやけに人間臭い。

 普通に考えて皇族からの婚姻の申し出は断れない。だから断ってはいない。ただ事実を告げて後は判断を委ねただけだ。

 でも、できればこのまま流れてしまえばいいと思っている。皇族には嫁ぐこととなれば、自由気ままな生活など到底送れないだろう。

 それに全く素性を知らない人との婚姻はやはり身構えてしまう。

 尊き方なのだから色々と事情があるのだろうが、それでもせめて文のやり取りくらいはさせて欲しいと思うのは我儘なのだろうか。


 「ま、あんたが本気で嫌だったら東宮でもなんでも燃やしてあげるわよ」


 そんな明藍の考えを見透かしたかのように朱雀が笑う。

 不敬罪にも程があると思ったが、神獣ならばきっと罪に問われない。本気でお願いする可能性がないとも言い切れない明藍は、曖昧に笑っておいた。

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