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二十七

 日の出と共に活動を始め、日入りと共に休息に入る。そんな自然の摂理に基づいた世界とは正反対。日入りと共に街は色めき、賑やかになっていく。


 「すみませんねぇ、お客にこんな裏口からだなんて」


 顔見知りの男衆が申し訳なさげに戸を開く。


 「いえ、こちらこそこんな時間になってしまって申し訳ありません」

 「そんな!やめてくだせぇ!梅雪(メイシュエ)にばれたら俺の首が飛んじまう」


 明藍(メイラン)が頭を下げようとすると男衆が慌てて声を上げるので、中途半端な礼で終わってしまった。

 そんな頭の一つや二つ下げたところで減るもんでもないし、梅雪にそんな権限ないだろうに。

 そのまま裏戸を通り抜けると、禿の秋菊(ジュジュ)が待っていた。しばらく見ぬ間に、少し大人びた気がする。


 「藍藍(ランラン)さん、何かありました?」


 柱から周囲を窺っていた秋菊が小声で話を振ってくる。

 客がいない時機(タイミング)を狙って進むので、目的地までは普段の数倍時間がかかっていた。

 なんでも遣り手婆が絶対に客と明藍を引き合わすなと言ってきたらしい。そんなことすれば商売あがったりだとか。

 たしかに男を喜ばす空間に部外者の女である自分がいれば興は醒めするだろう。

 いつもはそれを懸念して黄昏前にはやっていていたのだが、如何せん本日は理由が理由である。一応明藍が何者かを知らない梅雪には、急患が入ったということで伝えてもらっている。


 「何かってなんですか?」

 「何って言われると難しいんですけど・・・なんか顔色が明るくなったというか、少しすっきりした感じですかね」


 色は白い方だが、そんなに顔色が良くなかっただろうか。たしかに机仕事に比べれば、潜入していた時の方が体を動かす機会が多かったので気持ちは晴れているかもしれない。

 さすが売れっ妓の禿。洞察力に長けている。

 やっとのことで梅雪の部屋まで到着する。


 「一緒に入らないんですか?」


 戸の前で立ち止まっている秋菊に声をかけるも、小さく首を左右に振る。


 「あたしはまだお役目が残ってますので」

 「・・・そう、ですか」


 本当は梅雪と二人にはなりたくなかったのだが、仕事があるならば仕方ない。

 明藍が中に入ると、奥の閨の方から音がした。


 「・・・誰だい?」

 「梅雪さん、お久しぶりです。藍藍(ランラン)です」


 声をかけると、少し間が空き、閨から人影が出てくる。

 

 「お待たせしたね」


 柔らかな笑みを浮かべる梅雪は少しふっくらしたようだ。気苦労で痩せていたらなんて考えていたが、心配は無用だったらしい。ふんわり裾に向かって広がる珍しい服は腹が目立たぬが、見る者が見ればわかるくらい出っ張りにはなりつつある。


 「遅くなって申し訳ありません。体調にお変わりはありませんか?」

 「それが最近眠くて仕方ないんだよ。あんたを待つ間も少しうたた寝しちまってね」


 ふあっと大きなあくびを一つ。


 「そうでしたか。身重の時は眠気が強く出ることはよくあります。できれば夜にしっかり眠って欲しいのですが」


 まだ客はとっているのだろうか。

 梅雪のことだから閨事などしてはいないと思うが、それでもやはり休息はしっかりとってほしい。


 「いいや。今日は馴染みの旦那が顔見せにくるっていうからこうして起きてるだけさ。帰ったらすぐにでも閨に戻るよ」

 「そうでしたか」


 意外と優遇されているようで、ほっと胸を撫で下ろす。

 しかし、安心したのも束の間、明藍はきゅっと拳を握りしめる。


 「梅雪さん、不躾な質問で申し訳ないのですが、行く宛はあるのでしょうか」


 梅雪の動きが止まる。

 胎の子の父親は、もうすでにこの世にはいない。明藍が死を確認したので間違いはない。妓女は赤子(やや)ができても身請けされれば何も問題ないが、もし身請けされなければ価値が下落する。それこそ、今までのように客を選り好みできる立場ではなくなると今はなき杏花楼(キョウカロウ)で教えてもらった。

 

 「それは、どういうことだい?」


 怒っているわけでもなければ、憂いているわけでもない。梅雪の声は酷く静かだ。


 「わたしでは父親にはなれません。でも、共に暮らす場所くらいならば提供できます」


 ちょうど一人には広すぎる官宮に越したばかりだ。部屋なら梅雪と生まれた赤子とその乳母それぞれに一部屋ずつ与えても余りあるくらいある。

 金だって赤子一人、いやあと二、三人くらい増えても養えられるくらいは貰っている。身請け金が必要とあれば、それも出そう。今日は全てまとめて見る覚悟でやってきたのだ。

 しかし、そんな真剣な明藍とはうってかわり、一瞬きょとんとした梅雪は、次の瞬間、腹を抱えて笑い始めた。

 

 「えっ・・・ちょ、梅雪さん!」

 「あっ、ごめんごめん・・・あっ、ちょっと待って。ふふ、うふふ、ふはっ、ははは!」


 明藍は剥れっ面になりながらも、梅雪の笑いが収まるまで大人しく待つ。


 「あー・・・笑いすぎてこの子もびっくりしてるよ」


 そう言って梅雪は明藍の手を掴むと、自身の胎に誘導する。

 優しく触れると、赤子がぽこぽこと元気に動いていた。まだ小さいはずなのに、とても力強い。

 医療の知識はあれど、実際に赤子が動いているのを触るのは初めてだった。

 密かに感動していると、梅雪がふっと口元を緩めたのがわかった。


 「あんたの抱えているものの大きさはあたしは知らない。でもね、あんたの腕は自分で思ってるよりずっと細くて頼りないんだ。そんな全部を抱え込もうとしなくていいんだよ」


 この時、梅雪は知らないけど知っているのだと理解した。

 明藍が何者かまでは知らないが、ただの町医者の助手でないことは気付いている。いつから気付いていたのかはわからないが、聡い彼女ならばいつわかっていても不思議ではない。


 「・・・わたしがしたいからやってるんです」


 弟子の数も最初は多いのではと忠告を受けた。梅雪のことも無理にしなくていいと円樹(エンジュ)に言われた。媛媛のことも本気で引き取ろうと思っていた。

 全部、自分の意思でやろうとしたことだ。

 ずっと小さな籠の中にいた。その外に出て初めて、自分から動かなければ何も変わらないと知ってしまった。一度知ってしまえば、もう後戻りはできない。


 「・・・そうかい。ありがたいお誘いだけど、お断りさせていただくよ」


 想定外の、いや想定内だったがあくまで見て見ぬふりをしていた答えに、明藍の顔が強張る。

 本当は一緒に来て欲しい。でも、それを決めるのは梅雪だ。決して強要はしたくない。


 「なに辛気臭い顔してんだい。折角の別嬪が台無しだろ」

 「・・・そんなこと言ってくれるの、梅雪さんくらいですよ」

 「嘘だろ?うちの婆だってあんたに客を合わせたくないって煩いんだから。ねぇ、旦那」


 旦那?

 梅雪の視線が部屋の出入口に注がれていることに気が付き振り向くと─そこに立っていたのは、仕立てのいい服に身を包んだ、柔らかな笑みを携えた伯義良(ハクギリョウ)の姿が。


 「えっ・・・・・・・・幽鬼?」

 「なに言ってんだい。幽鬼騒動はとっくの昔に収まったよ」

 「えっ、じゃあ、えっ・・・・・え!?」


 たしかに死体を確認したはずなのに何故ぴんぴんしているのか。自分の確認間違い、いや、霍老師や高明も見ているのでそれはない。そうなると─まさか生き返りの黒魔術でも仕込んでいたのか。

 義良の罪を知っているだけに険しい顔で見てしまっていたが、ふと違和感を覚える。


 「目・・・いやが眉が違う」


ぽつりと呟くと、義良が目を見開く。


 「義良をご存知ですか?」


 その台詞で完全に別人だと認識する。まさか。


 「双子ですか」

 「ええ、申し遅れました。わたくし、伯智良(ハクチリョウ)と申します」


 柔和な笑みは義良を一瞬思い出させるが、下心を一切感じさせない。むしろ(こども)のような純粋ささえ感じる、

 ぎこちない表情のまま梅雪を見ると、目を三日月のように細め、至極楽しそうに事の成り行きを見守っていた。

 この人は一体どこまで知っているのだろう。

 季節のせいではない肌寒さを感じ、明藍は苦笑いを浮かべた。


 

 「何はともあれ、出産が屋敷でできるのは大きいですね」

 「そうなんです。あたしとしてはすごく寂しいんですけどね」


 少し前を先導する秋菊が眉を下げる。

 禿にとって姐という存在は血の繋がりを凌駕するほどの仲であることが多い。

 実際に媛媛(ユェンユェン)を引き取ろうとしたのも、なんだかんだで実妹のように思い始めていたのだろう。むしろ血の繋がった妹の顔などここ数年見てもいないし、あちらもお断りのはずだ。


 「次の姐は決まってるんですか?」

 「いいえ。あと一年くらいであたしも妓女として売り出すので、最後の仕上げは梅雪大姐(ねえさん)が持ってくれるって」

 「それは・・・太っ腹ですね」


 禿の水揚げの際はどうしても衣装代などが嵩む。それを旦那にお願いすることもできるが、姐妓女が持つことも一般的らしい。特に盛大な宴にするならばどうしても足が出る。

 嬉しそうに笑う秋菊を見ていると、案外妓楼も悪くないのではないかと錯覚してしまうが、そんなことはない。成功できるのはほんの一握り。それ故に嫉妬や僻みが生まれる。実際明藍も因縁をつけられることは多々あった。短期間だったら良かったものの、もう身請けされるまで出れないと言われたら本当に土下座でもなんでもして身請けしてもらう次第だ。

 たった一月程度しかいなかった明藍には妓女の矜持(プライド)とやらはまだ理解できない。


 「そうなんです。あたしも流石にそれは悪いって思ってたんですけど、伯の旦那もいいって言ってくれるからって甘えちゃおうかと思いまして」

 

 明藍はなるほどと頷いた。

 少し話をしたが、智良はとにかく良い人だった。そして奥手だった。

 あまりにも手を出さない智良に梅雪が迫った話では顔を赤くしたり青くしたりと忙しく、今後の家庭内での力関係が透けて見えるようだった。

 義良の件は、死人にこんなことを言っては悪いが、おかげで全て丸く収まったらしい。

 女遊びが激しく金遣いも荒く、家門に傷をつけかねなかった義良が別邸の蔵で刺殺されていたためまず第一に身内が疑われたらしいが、全員証拠がなく立証できなかったようだ。父親は特に頭を悩ませていたため、口には出さないが安堵した様子だったという。

 また、商会については元々智良がひとりで回していたようなものなので特段影響はないようだ。

 一つだけ欠点(デメリット)をあげるとすれば、梅雪の身請けが一月ほど遅れることくらいだろう。流石に家の者が亡くなってすぐに妓女を身請けするのは体裁が悪いらしい。

 順調にいけば出産は草木が芽吹き始める頃なので、まだ時間はあったのが幸運である。

 

 「ッふえっ」


 急に腕を引っ張られ、情けない声が出てしまった。腕を引いたのはもちろん秋菊だ。

 一体何があったのかと思っていると、少し先からやけに賑やかな音が聞こえる。宴会でもやっているのだろうか。秋菊を横目で見ると、至極悔しそうに顔を歪めていた。


 「あの、どうかしましたか?」

 「あっ、いえ・・・申し訳ありません。実は大規模な宴会の予約が入っていまして、その方々が来る前に帰すように言われていたんですが・・・」


 誰になんて聞かずともそんなこと言うのは遣り手婆くらいだ。

 客に会わせるなという任務(ミッション)に団体客が来る前に帰せという任務。ひとりの禿に負わせるには荷が重いのではないだろうか。


 「他の通路はないんですか?」

 「それが他の階はあるんですが、ここだけはなくて・・・」

 「そうですか・・・」


 明藍は辺りを見渡す。

 幸いにも他の客や妓楼の者達がうろうろしている様子はない。


 「では、わたしはここでお暇いたします」

 「・・・・藍藍さん、ここ二階ですよ?」


 親切心で教えてくれているだろう秋菊には悪いが、そんなことは十も承知である。

 このまま戻ったら客には見つからずとも確実に遣り手婆に見つかってしまう。そんなことになれば秋菊が叱責されてしまうだろう。元々遅れたのは明藍のせいだ。自分のせいで誰かがどんな形であれ傷つく姿は見たくなかった。


 「はい、大丈夫です。わたしこう見えて結構動けるので」

 「・・・・・いや、ちょっと待ってください!怪我なんてされたら」

 「では、おやすみなさい」


 明藍はひらりと手を振ると、欄干を越えて裏庭に着地する予定だったのだが─


 「うわっ!」


 想定していなかった人影を押し倒すような形で不時着する。

 本当は風を使って緩やかに着地するはずだったのに、気が動転して術を使いそびれた。おかげで腰が少し痛い。


 「ッ・・・・一体なんだ」

 

 吐き捨てるような冷たい声に、明藍はそういえば人を下敷きにしていたことを思い出し、飛び起きる。


 「失礼いたしました!お怪我はございませんか?」

 

 すぐに手を差し伸べ、そこで初めて気付く。


 「・・・・高明(コウメイ)さま?」

 「・・・その声はもしや藍藍(ランラン)か?」

 

 明かりの関係で高邁からは明藍がよく見えていないらしい。こちらからは切れ長の瞳を驚いたように見開かれているのがしっかりと見えている。


 「お久しぶりです」

 「あっ・・・・・ああ、そうだな」


 高明と会うのは実に三日ぶりだった。

 この間の事件の報告書やなんやで二人ともてんやわんやのため、もれなくお茶会は中止となっている。お茶会がなければ直接顔を合わせることは意外と少ない。


 「お前、どうしてこんなところにいる」

 「わたしは藍藍の野暮用がありまして」


 と、そこまでで言葉が詰まる。

 何故か?だって気づいてしまった。

 ここは妓楼だ。しかも杏花楼(キョウカロウ)とは違い、酒楼を併設していない、妓楼一本の超高級妓楼である。

 妓楼に漢が来る理由なんてひとつしかない。

 ぞわりっと胸の中で何かが蠢き始めた。そしてぎゅうと胸が強く締め付けられる。苦しいのではない。病のような痛さでもない。でも、何故だか声がうまく出ない。


 「おい、大丈夫か」

 「ッ!」


 肩に乗せられそうになった手を弾いてしまった。

 弾いた本人も弾かれた本人もどちらも驚いた表情をしている。


 「・・・・申し訳ありません。少し気分が優れず、気が動転しておりました」

 「あっ、いや・・・そうか」

 「それではわたくしはこれで」


 言うが早いか、明藍は自室に転移した。

 今日はそのまま外でご飯を食べて、診療所に寄ってみようと思っていたが、そんな気力はなかった。外套だけ脱皮のようにその場に脱ぎ捨てると、閨に駆け込み寝台に転がった。

 あの時、何故高明の手を拒否してしまったのか。

 理由を追求しようとすればするほど、どろりとした物が胸に蓄積していくのがわかる。この感覚を明藍は知らない、知りたくない。

 檻を壊したのは自分だ。それから着実に自分の中で何かが変わってきていることは確かだった。

 現状維持は緩やかな衰退である。でも、明藍はこの関係を維持したかった。例えそれがいつかはなくなる物だとしても。今だけは、初めて得た友人を失いたくなかった。

 だから今日の一件は忘れよう。身体が重く、目を閉じればすぐそこに睡魔がやってきている気がした。抗うことはない。むしろ好都合だ。

 だが、いくら待てど明藍は夢路につくことはできなかった。

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